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  • インプットが足りてないのかな

    インプットが足りてないのかな

    ここ数日、割と毎日ブログを書いていたものの、今日になってから急に筆が進まなくなりました。
    おそらく、インプットが足りてないからかな、なんて思います。
    私はインプットとして図書館から借りた本とか、Kindleで過去に購入した本などを読み返したりしますが、今日はどんなに過去の資料を読み漁ってもピンとくるものがなく。
    そういう時は、おそらく、インプットが足りてないんだと思います。

    インプットすると、何が良いのか

    インプットインプットと言っていますが、これは「情報を取り入りれる」ということになります。
    かといって適当にインターネットを漁ってみても、そういう、これだ!というものに辿り着かず、時間だけを浪費していて、結局私の身になったかというと、決してそんなことはないんですね。
    いわゆる、心の琴線と言いますか、そういう、私のアンテナに引っかかったものがないと、なかなかそのインプットからアウトプットに持っていくのは難しいように思います。
    そういう時、どうしたらいいか。
    アンテナを低くして、普段の感度よりもいろんなものを吸収しやすくしてみると、良いのかもしれませんけど、そういう時はノイズも入りやすいように感じます。
    そのノイズを、勘違いして「これこそが私の求めていたものだ!」と紐解いてみると、実はそんなことなくて、もともと知っていた知識の二番煎じだったり、そもそも私が吸収すべきものではなかったりと、結果的に時間の無駄で自分の求めていたものではなかったりします。

    ではどうしたらいいのか

    なかなか難しいんですが、私が今まで暮らしてきた中で、ちょっと感じるのは、自分が引っかかりやすい言葉をあらかじめ覚えておくと良いのかもしれません。
    私で言えば、生き方、とか、価値観、とか、事実や解釈、みたいなものは引っかかりやすいです。
    また、趣味で言うと、ランニング、メダカ、盆栽、などと言う感じで、趣味があればあるほど、引っかかりやすいように思います。
    それら全てが引っかかったサイトを全部見にいくのもまた難しいことですので、あらかじめ、そう言うものが投稿されやすいサイトを巡回するようにすると、良いように思います。
    1990年代の頃は、自分のお気に入りサイトをインターネットブラウザのお気に入り登録をして、それを巡回したものです。

    は、結局あの頃と今と、何も変わっていないと言うことなんですかねこれ。
    私は私の生きたいように、生きているだけなんだけど、これはつまり、あのころとそう変わらないということなのではないでしょうか?!

  • コントロールできるのは現在だけ

    コントロールできるのは現在だけ

    今日はマルクス・アウレリウスの自省録から、ブログのネタになるようなものを探してみます。
    Wikipedia調べですが、彼はローマ皇帝だったんですね。第16代のローマ皇帝だとか。Wikipediaはそれだけで一つの本になるくらい大量に、マルクス・アウレリウスについて述べられています。書いた人すごい。
    彼は多くの戦いを指揮したんですが、彼の内面での振り返り、今で言う自省というものがその言葉そのまま、本になって、数千年経ったあとまで受け継がれているってのはなかなかすごいことです。
    そういう、根本みたいなものは数千年経とうが、変わりはないということでしょうか。
    平たく言うと「生き方」に関する本は千差万別、今の時代にも「自己啓発」というジャンルで多くの本が出版されているものの、上述の通り根本となっているものは何も変わらないのかもしれません。

    コントロールできるのは現在だけだ
    私は、小さな肉体と魂で成り立っている。この小さな肉体にとっては、あらゆることは無意味だ。というのは、肉体そのものは違いを認識できないからだ。
    だが、精神にとっては、精神にかかわる活動だけが意味をもつ。それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。
    そして、現在にかんすることだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。
    マルクス・アウレリウス 自省録 6-32より

    ぱっと見、よく分からない感じで書いてあります。私にこれを解読できるのでしょうか。難しい。

    小さな肉体と魂で成り立っている。

    これは分かりますね。いわゆる、フィジカルとメンタルってやつでしょうか。その、フィジカルの方については、違いを認識できないから、あらゆることが無意味だと?「違い」というのは、いったい何を指しているのでしょうか。ここまで読んでも、ちょっと意味がわかりません。

    精神にかかわる活動だけが意味を持つ。

    次の行を読んでみて、うーん、と唸る自分がいます。精神にかかわる活動、というのは例えば、考えること、とか?「精神にかかわる活動」とは、考えるとか、思うとか、そういう意識的な一面だけではなく、無意識なものも含むんでしょうかね。

    それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。

    精神にかかわる活動とはいったい、どんなことを指しているのかをはっきりさせないと、先に進めない気がします。私が決めちゃっても良いんだろうか。いいんだと思う。ので、ここでは、精神にかかわる活動=考えること、としたいと思います。精神にコントロールされている、それがどんな時も。私が今、このブログを上梓しようとしているために、文章を考えていること。それは、精神にコントロールされているのだと。当然のことのように思います。精神にコントロールされていない行動ってあるんでしょうか。「自分の体が言う事を効かない!」なんて、まるで映画のワンシーンのようですが、例えば大量にお酒を飲んで酩酊状態になった時、まっすぐ歩くことができなかったりします。あれは精神で、言い換えると、例えば気合いでまっすぐ歩こう!と思ったとしても、決してまっすぐ歩くことができません。多分それは、人間がまっすぐ歩くために使う神経を、お酒によって上手に使えなくなってしまっているんでしょう。酩酊状態の時に、物事を考えようとしても、考えが散ってしまって全くうまく考えることができません。
    うーん、こんなことを言いたかったんだろうかマルクス・アウレリウスは。なんか違う気がしますね。私は脱線してしまっているのではないかと思えてきます。

    ちょっと先に進めてみます。わからないので。

    そして、現在に関することだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。

    これまたどこかで読んだことのあるような文章ですが。多くの自己啓発系の本で「今に集中しよう」みたいな謳い文句を見ますね。
    精神でコントロールできるのは今だけ。確かにその通りです。過去や未来を精神でコントロールすることができないですからね。
    例えば「あの日、あんなこと言うんじゃなかったー!」と後悔することがありますが、過去の、その時に、精神をコントロールして言動を訂正することなんていうのはできないから、過去を悔やみ、後悔するくらいなら今に集中しよう、ということでしょうか。
    今、私が、後悔したとします。
    後悔、ということを考えている、と。
    後悔はいったい、何のためにしているのでしょうか。
    健全な生き方をしている人間であれば、「もう2度と同じ後悔をしないようにするために、同じような状況になった時、自分はどう精神をコントロールすれば良いのか」と考えるはずです。
    それが、今、このタイミングに集中して、より善く生きるために精神をコントロールしよう、ということなのかなぁ。

    わかったような、わかってないような

    いや、こんな結論になるとは、この章を選んだ時点でわかっていました。以前、同じような題材を自省録から引用して、ブログにしたことがありますが、その時もやはり、同じようなことを考えたことを覚えています。大切なことなんだよなぁ、今を生きるという考え方。

  • 朝を味方につけたい

    朝を味方につけたい

    朝が弱いです。とてつもなく弱いです。布団から出るのが辛くて。在宅勤務の日は、始業時間ギリギリまで布団の中で寝ています。良くないですよね。起きてすぐ仕事なんてできないし。普通に考えたら最低でも1時間くらい前には起きておいて、朝食を摂ったりして、始業に合わせて気持ちを作っていく必要があるのではないかな、なんて思うんです。

    睡眠時間が短い?

    そんなことはなくて、ほぼ毎日、22時には布団に入ってるんです。つまり、22時から翌朝9時まで、10時間くらいは寝ている計算になります。それって45歳男性的には、だいぶ寝過ぎなのではないかと思ったり。だけど私は心療内科で睡眠薬をもらって飲んでいるので、それのせいもあったりするんだろうなと思います。理想的な睡眠時間ってどうなんでしょうね。出社してた頃はだいたい7時間くらいで日々、暮らしていました。それくらいで十分だったような気がします。つまり今は4時間くらい多く寝ているということに。そんなに寝てどうするんでしょうね?どうせその4時間、浅い眠りなはずなんだから、寝なくても良いような気がします。

    疲れが取れていないのか

    私はIT業界で生きる人間ですので、身体的に疲れるということはほぼなく、あるとしたらたくさん頭を使った日に感じる、頭の糖分不足くらいです。ので、少しでも多く寝て疲れを取りたいぜ、ということは考えていないはずです。疲れが取れていないということはなく、

    私の、朝の理想

    理想は7時に起き、次男が学校に出るのと一緒に家を出て(7時40分くらい)、自宅周辺を10kmランニングする、というものです。この時期(1月)はとても寒いので、家を出るのが億劫になりますが、ランナーにとっては今の季節が一番良いことは、私も過去の経験から理解しているつもりです。また、私には「痩せる」という大きな目標があり、それがモチベーションになって、早起きからのランニングというのを今すぐにでも始められるんだよなぁ。

    朝を味方につけるためのステップ

    まず一度、頑張って7時に起きて、走ってみる。目覚まし時計を使う。二度寝しないように気をつける(これが一番難しそう)。走る距離は5kmとかでも良いんだけどこれは自分の感覚で、たぶん大丈夫。朝7時に起きるのが難しいなら8時に起きて、そこから走るでも良いですが、一般的に、7時起きって早起きの部類には入らないですよね、だからいったん7時で。

    もしかしたら目的を見失っているから?

    ちょっと難しい話になるんですが、私が長く寝てしまうのは私の欲望を満たしているからで、別に、私の身体をいじめているワケではないんですよね。私の欲望を満たすために長く寝ているだけで、それは果たして悪いことなのでしょうか。私の目的の設定次第なんですかね。善く生きる、自分が気持ち良いと感じるように生きる、なのであれば、10時間というロングスリープは決して悪いことではないはず。だけど私の中で、それは正しいことだと思っていなくて。だって10時間も寝ちゃったら、残りの14時間でやりたいことをやり切る必要があるから。14時間のうち、8時間は仕事で使っていると、残り6時間でやり切る必要がある、と。これにランニング(+シャワー)で2時間使うと、残り4時間。これでは足りないですね。ゲームしたいし、小説を書きたいし、本を読みたいので。いや、けど、ここで気持ちを切り替えてみよう。10時間を7時間まで減らしたら、24-7=17時間、ここから仕事の8時間を差し引くと残り9時間も残ることができます。これはデカい。

    そもそも睡眠薬を処方されている身体をなんとかすべきでは?

    睡眠薬を飲んでいても、出社して仕事してた頃は7時間睡眠でなんとかなってたんですよね。私の睡眠薬は、長く寝るためではなく、寝つきを良くし、睡眠の質を上げるために使っているから、睡眠時間を減らすことに対しては目的と逆行している、とは言えないです。

    考えがまとまってきた

    考えるより行動を早くしよう、という気持ちが芽生えているので、明日から早速やってみようかな、と思います。二度寝厳禁。そこだけ注意だなー。ここまで考え抜いて、で結局寝ちゃいました、ってことも十分にあり得るからなぁ。今まで何百日も同じようなことを考えてきて、あとはもう行動に移すだけ、まで来たところで足踏みってなってるのが多かったから、今度こそは。ここに書いているという「有言実行性」も私に良い効果をもたらすということを信じて。

  • 自分に自信が持てないというのは、果たして悪いことなのだろうか

    自分に自信が持てないというのは、果たして悪いことなのだろうか

    ものは考え用だから、自分の発言や行動に自信が持てていないというのは、裏返すとそれらに対して慎重に進めていきたいということの表れなのだろうと思います。
    私は小さい頃からそうやって自分の発言や行動に対して慎重で、自分の意見を大きな声で言うような人間とは対極な存在でした。
    10歳くらいまでで人間の性格が出来上がるとよく言われますが、その通り、私は10歳くらいの頃のマインドセットから何も変わっていないような気がします。

    果たして、それは良いことなのか、悪いことなのか。

    今日、それについてじんわりと考える機会がありました。

    私は外資系の会社に勤めていて、年に一回、査定の時期がやってきます。外資系の会社ということで、いかにアピールするか、それによって自分の評価が変わり、その先にはボーナスの給付額が変わったりするのですが、2024年の査定で、初めて、あまり良くない評価をとりました。
    まぁ、多少ボーナスの支給額が少なくなったところで、そういうもんかな、と思うのですが、少しだけ、もっとアピールがうまかったらな、と思う自分もいたりして。
    お金が全て、ではないですが、会社からあまり良くない評価をつけられるというのは、やり方が良くなかったのかな、と反省するための材料になりました。
    つまりそれは、私が自分の発言や行動に対して自信がないから、上司へのアピールなんてもってのほか、実直に、今自分に求められている仕事を無難にこなすことで上司は見てくれる、と勝手に信じていたような気がします。

    そんなものをいつまでも引きずっていても、何のプラスにもならないですよね。
    切り替えて、明日からの仕事をまた頑張って行こう、と思うのですが、冒頭に書いたように自分に自信がないから、そんな簡単にピッカピカの自分をアピールしよう、と変身する事ができないのが困ったものです。

    まず自分にできることは何だろう、と考えてみても、前述の通り自分の仕事を実直にこなしていこう、しか思いつかず、それでも良いのかもしれないですが、もうちょっと、自分をアピールするということを考えてみても良いのかなぁ。
    まずどうしたらいいんでしょうね。
    簡単に意識を変えるのは難しいけど、ちょっと考えてみても良いかもなぁ。

  • 8月29日 失敗から学ぶこと

    8月29日 失敗から学ぶこと

    ベランダでタバコを吸っていると、急に猛烈な雨が降ってきた。
    それはまるでお盆をひっくり返したかのような勢いで、私は驚き、ただ呆然と空を眺めることしかできなかった。
    自然の脅威。言葉で表すといかにも安っぽい印象のあるそれは、今まで幾度となく人間を恐怖のどん底に陥れてきた。今、日本で暮らしている人の大半の脳裏に焼き付いているのはやはり、宮城県沖で起きた2011年の大地震だろう。あの頃を思い出すと、日本はこの先どうなってしまうのかという不安に苛まれていた日々を送っていたように覚えている。私は仕事先のオフィスから自宅まで数時間かけ、徒歩で帰宅した。
    途中、大きな橋を渡る時、先が見通せる角度のところを垣間見ることができたのだが、まるで亡霊が三途の川を渡るように、皆一様に、前をぼんやりと眺めながら歩みを進めていた。
    あれは地獄だったと言っても過言ではないかもしれない。事実、私よりも震災被害の多かった地域の人の中では、自分以外の家族がみんな行方不明になってしまい、途方にくれた人もいたであろう。家族と、さよならも言えずに永遠に引き裂かれる思い。その人の心境になって少し思いを巡らせてみようとしたけれど、今の私が、私の家族と離れ離れ、一生会えないということを考えただけで胸が苦しくなった。
    そうやって考えることすらも地獄の一つなのかもしれない。
    逆に、今ここに家族と一緒に過ごせていることが一つの奇跡で、幸せを体現しているようなものだから、それをきちんと噛み締めて生きていくべきであろう。
    そういう私ではあるが数年前、自ら命を殺めてしまいたいと思うことがあった。あれはどのような経緯でそう思い至ったのか、あまり詳しく覚えていないし、もしかすると思い出したくはない出来事なのかもしれないけれど、今考えると、その、一時の衝動みたいなもので自分の命を殺めることなくやり過ごせて良かったと思う。今の、私の家族を含めた、私を取り巻く環境がものすごく幸せで、それを噛み締めることができなかっただろうから。
    と、今ではそう思うのだけれど、あの頃の自分のことを思うと、それが最善だったのかもな。それくらい私は追い詰められていて、大好きな家族に気を回すことなんてできていなかったかもしれないな。
    そう考えると、人間が抱く気持ちにも天災のような出来事が意図せずやってくるのかもしれない。こっちは全くもって準備なんてしていないのだから、そいつがやってきたことで自分の気持ちをうまく整理、コントロールすることができず爆発し、自分の意識では取り返しのつかないような事態を招いてしまうのかもしれない。
    それは、その時点で見てみると、決して良いことではないように思う。だけど人間はその出来事を生かし、成長していくではないか。
    それが糧となり、同じような事態がやってきた時に、ものすごく高い防波堤を作ることで、その波を抑えることができるのではないだろうか。
    なんでもかんでも物事をポジティブに捉えるのは個人的にはいただけないのだけれど、そうやって考えると、津波から学び、次からは失敗しないようにすることができるはずだ。人間だもの。

  • 8/15 お盆が終わる

    8/15 お盆が終わる

    外資系の会社に勤めているせいというのもあってお盆に決まって休みというわけではない私は、今年は実家に帰らずに仕事をしています。
    これまでも何回かあって、その度に少しだけご先祖様に申し訳ない気持ちがありつつも、しょうがない自分の生活を守るためだと割り切って、仕事を優先している日常を考えると、別にご先祖様を蔑ろにするつもりはないんだけれど、なんとなく心に小さなしこりができるのを感じます。

    というのも、私は関東のどちらかというと田舎で育ち、お盆や正月、お彼岸などはお墓参りをしたり、なんやかんやで線香をあげる機会が多くあったものです。
    そんな環境で育ったから、ご先祖様に対する尊敬というか、畏怖する気持ちというか、そんなものが心の片隅にいつも眠っていて。
    ご先祖様と言っても私にとってのそれは私の祖父、祖母くらいなもので、それより上の世代については、正直なところ遺影を見るくらいであまり記憶にありません。同じ空気を吸った時期もあったんだろうけどね。

    私が、その祖父、祖母からもらったものは一体なんだったんだろうか。
    どこかのブログか本で、祖父、祖母と一緒に暮らすと優しくなれるというのを目にしたことがあります。
    それはだんだんと老いていき、今までできていたものができなくなってくる人間という存在を見つめ、一緒に過ごし、彼らができないことは代わりにやってあげるとか、なんらかのサポートをするような行動が自然と生まれてくるからなように思います。
    それだけではなく、彼ら自身も優しかったということもあり、彼らのアイデンティティみたいなものを私も受け継いでいる、ということもあるかもしれません。

    私はそれを絶やすことなく、かといってそれに固執するわけでもなく、私は私なりに軽やかに生きていければいいんだろうな。
    近いうちに実家へ線香をあげに行くというのも良いのかもしれんね。

  • 6/20 今日のDuolingo

    6/20 今日のDuolingo

    久しぶりにスーパーになりました。嬉しい。

    ダイヤモンドリーグのトーナメントに入れるよう頑張ります。

  • 10月19日 海外文学とジェットストリームと私

    10月19日 海外文学とジェットストリームと私

    15日ぐらいぶりに、日記を投稿します。
    何かを書きたい!というわけではなく、何か書かないと!というスタンスで日記を書いています。
    今年の2月くらいからコンスタントに日記を投稿してきたのですが、ここまで開けたのは初めてです。
    この存在を忘れていたわけではなく、日々の生活で他のことが優先されてしまって、時間をうまく確保できなかったのが一番の理由です。
    この、「日記を書かなかった」という過去の出来事から、ダメだな自分、、と少し寂しい気持ちに浸っていても何もプラスにならないので、大切なのは今、ということで前を向いて生きていきたいと思います。
    まずできるのは、日記を書くということ。
    自分の気持ちを深く知るきっかけにもなるんだから、そういう点でも日記を書くということを大切にしていきたいと思います。

    最近は、同僚から勧められた、海外文学を読んだりしています。
    直近ですとサローヤンの、パパ、ユーアクレイジーを読みました。
    あんなお父さんになりたいなぁと思えるような、ユーモアのあるお父さんと、10歳の息子のハートフルストーリーという感じでしょうか。
    もちろん、小説には描かれないお父さんの素性があるのでしょうけれど、少なくとも小説に描かれている範囲では素敵なお父さんだった、という印象です。
    今私の手元にある本は、たんぽぽのお酒と、夏への扉。これらもオススメされました。
    図書館の返却期限までに読み切らねば。


    別の話題。
    最近、文房具の神が唐突に舞い降り、ジェットストリームを使い始めました。

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    感想(2件)

    こんな感じのやつです。

    ジェットストリームを使うのは人生で2本目で、以前はほぼ日手帳を通販で買った時についてきたものを以前使っていました。
    そうそう、ほぼ日手帳を通販で買うと、ジェットストリームが付いてくるのは今でも続いていて、毎年更新されるからどんどん増えていくんじゃないかなーと思ったりしています。
    余計なものは持ちたくないので2年目以降は近くにあるLOFTで買うようにしていますが。
    私が今使っているものは、スヌーピーのピーナッツが大好きな奥さんが持っているもので、使っていいよ、と気軽にくれました。色合いとかもちょうど良い感じで、私もスヌーピーが好きなので、大切に使っていきたいです。

    さて、ジェットストリームの何が良いのか。
    使っている人なら分かると思うんですがペンの滑りが良いんです。
    あまり力を入れなくてもすらすらと文字が書けるという点、私の中では結構高めに優先度を置いていて、本当に気持ちよく書くことができます。「すらすらと」というのが強調したい点。ボールペンも進化してるよなぁ。気持ちよく書けるペンが増えたように思います。
    次に、インクの出がちょうど良いという点。
    私の中でジェルインクはちょっと出過ぎる感があってそんなに好きではなく、普通のボールペンだと少し物足りない。
    その点で、ジェットストリームはちょうど良い印象を抱いています。
    相変わらず万年筆も併用しているんですが、乾くまで待つとか、書く時のペンを当てる角度とか気にするのがちょっとな、ということで少しだけ熱が冷めている状態。まぁ、しばらくしたらまた万年筆最高!と思える日が来ることと思います。

    好きなものに囲まれて暮らすのってすごく重要ですね。
    ジェットストリームとか、手帳を含めた文房具もその一つだし、残り少ない人生を謳歌するには小さいところから最善を尽くしていくのって何気に大切だなと思います。
    世の中って大半はどうでも良いことである一方で、自分の中で譲れないと思うものに関しては、きちんと自分の中にある心の声を取り入れていくべきです。
    シンプルに言うと、気分が明るくなるんですよね。
    気分が明るくなると機嫌が良くなるし、そうなると世の中のいろんなことが自分にとって肯定的に映ります。
    大人になったら、自分の機嫌は自分で取る必要があるので、そういう点でも、好きなものに囲まれて暮らすというのはとても大切なことだと思います。
    この日記を読んでくれている人、身の回りにある「好きなもの」を意識して、自分の気分がどんな状態なのかっていうのを考えてみるのも良いかもしれません。

  • 9月21日 どうせ、あと数十年の命なんだから

    9月21日 どうせ、あと数十年の命なんだから

    ここのところ日記がとても滞っている。
    このブログだけではなく、ほぼ日手帳へ文字を落とすことも、やっていない。
    別に気分が落ち込んでいるとか、そういうことではないんだけど。

    ではなんなんだろう。

    なんとなく、「そのために時間を割くのがもったいない」と思っている節がある。
    それじゃその時間は何をしているのかというと、テレビを見たり、家族と話したりしているだけ。
    決して、有意義な時間を過ごしています、ということではないのかもしれない。

    自分と向き合う時間が少ないと、その先に、自分を蔑ろにしてしまうことになってしまう。気がする。
    自分を大切にしないといけない。自分の味方になってあげないといけない。
    そんなことを唱えながら、こうしてブログに向き合っている。

    ここで心境を吐露したところで、誰かがブログを書いてくれるわけではないので、
    そのあたりの気持ちをここに書いてる。

    どうせ、あと数十年の命なんだから、もっと気楽に生きたらいいんじゃないかな。

  • 9月7日 今日の成果など

    9月7日 今日の成果など

    うまくいったこと

    • あるウェブサイトのテストケースを生成AIを使って作成したいと思っている。インプットとなるのはユーザーストーリー。それを取り込み、BERTとGPT-2を使ってファインチューニングし、テストケースを生成するところまでできた。

    うまくいかなかったこと

    • テストケース的なものは生成できたのだけれど、私が求めているようなテストケースではなかった。
    • そもそもPythonのことを良く分かっていないので、どこをどう直せば良いのか、それもChatGPTに聞いて修正するというやり方で改善を試みた。
    • 結果的に、まだ「ちゃんとできた」ところまで至っていない。

    改善できる点

    • インプットとなるユーザーストーリーをもっと情報を多くすることを考えてみる。
    • Pythonについては、そもそもPythonのコードがどういう構造なのかをきちんと理解して、自分の求めるテストケースを生成できるようにしたい。

    所感

    • 分からないことを、ちゃんと理解しないと、学習には結びつかないと思った。何が分からないのか分からないという状態では、何を勉強したら良いのかがはっきり見えてこないので。