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  • SRV250 ルネッサ ちょっと街乗り

    SRV250 ルネッサ ちょっと街乗り

    ガソリンを5リットル入れて少し乗ったんですがまたしてもエンスト、、。ホースから漏れておらず、プラグはまだ新しく、バッテリー電圧は13v付近なので問題はないと思うのですが。。

    レギュレータかなぁ、乗り終えてアイドリングさせるとだんだん電圧が下がっていき、やがてエンスト…。

  • 今日も今日とてバイクの話

    今日も今日とてバイクの話

    SRVルネッサからガソリンがおびただしく漏れたあと、ガソリンが出なくなってきました。
    多分、タンクに残っていたガソリンが全部出たのだと思われます。

    そして今日、どこか近くのバイク屋に持っていって直してもらうために預けようと思ったのですが、2軒、それぞれ持ち込んだんですがどちらからも断られる始末。

    1軒目は街のバイク屋って感じのお店で、車体番号から過去のパーツなどを検索してくれようとしたのですが、流石に古すぎて検索にヒットしなかった、とのこと。。
    お店の看板にHONDAの翼のマークが掲げてあったので、流石に難しいな、と思い食い下がることなく諦め。
    2軒目は本命の、ヤマハのお膝元のYSPへ。1軒目から2軒目の間は3kmくらいあったでしょうか。
    ヒーヒー言いながら、途中何度も休憩をしながら持っていったのですが、10年以上前のバイクに関しては基本的に受け付けられない、とのこと。。
    整備士さんにかるーーく、3分くらい見てもらったのですが、ざっくり見たあとに「これ相当かかりそうっすよ」という、とてもショッキングなお言葉。
    今から3ヶ月後の4月に整備の予約を入れ、バイクは3ヶ月置きっぱなしにしてもらおうと思ったのですが、倉庫もいっぱいで、ということでまた押して自宅まで帰ることに。
    250ccだから軽いというのもあるかもしれませんが、トータル6kmくらいを押して帰って疲労困憊。
    さすがに古いバイクだとバイク屋さんで直してもらうっていうのはだいぶハードルが高いのかもしれません。
    自分でタンクからキャブレターのあたりを外してみて、どこがおかしいかを調べられれば良いのですが、そういうとこに関しては全くの素人です。
    こんな私にできるかどうか、甚だしく不安、この不安は「バラしてみて何もわからず、一旦戻してみたけど不明なパーツがたくさん残ってて元通りにならない」というもので、それは私がどんだけ勉強してタンクからキャブレターに至るあたりを知ったところで、経験に基づくアクションを起こすことができないかもしれないので、自分でバラすのは最終手段かなと思いました。工具もないしね。工具なんてプラスマイナスのドライバーとかIKEAの家具についてきた六角レンチくらいしかありませんから、そんな私がそこまで至るには数多のハードルを超えていかなければいけないんだよな、と思ったりしています。

    まー、バラしてみてダメで、そこで諦めて捨てちゃうということもありなのかもしれませんけど。
    ヤフオクで買ったばかりで、まだ30kmくらいしか走っていないのにもう廃車にするっていうのは、それまた超つらいハードルだよな、と思ったり。

    明日以降、しばらくこの辺りを逡巡するような日記になるような気がします。

  • 8/13 読書感想文 幸福な食卓 瀬尾まいこ ★★★★☆

    8/13 読書感想文 幸福な食卓 瀬尾まいこ ★★★★☆

    Kindle Unlimitedで読みました。瀬尾まいこさんの本を読むのはバトン以来2作目。

    以下、ネタバレを含みます。ご自身の責任において読んでください。

    私は瀬尾さんの小説はいい人ばかりに囲まれて、なんというか誰も傷つかず、健やかに育つ人間が集まっている印象でした。まだほとんど瀬尾さんのことを存じ上げない立場で言及すること、ご了承ください…

    今作も同様で、主人公の佐和子はぱっと見ヘンテコな家族だけどみんな暖かくて、優しくて、佐和子の思いや言動に賛同してくれる家族に囲まれ、やがて出てくる恋人もなかなか良い感じの彼で、もうなんというかみんな幸せすぎて面白くない!と思わせるような作品でした。

    途中までは。

    私はこの本が賞を取ったことに、途中まで半信半疑でした。こんな小説、言い回しは平穏で読みやすいだけだし、文の美しさとかもあんま考えてないのかなとか思いながら読み続けました。

    そして例のシーン、良い意味で裏切られました。

    私はもしかすると、みんな元気で幸福なまま物語を終え、そして、なんだよこれつまらんかったじゃん、と感想を抱くものの、登場人物がみんな幸せで良かったなと暗に感じながら、本を閉じたことでしょう。だけど例のシーンがあり、私は混乱しました。こんな残酷なことってあるか、と。佐和子はずっと幸せで、何一つ苦労などせずに暮らしていくはずじゃなかったのかよ、と。

    例のシーン以降、彼女の心境がゆっくりと綴られ、心を鋭利な刃物で抉られた佐和子は苦しみ、絶望し、まさか後を追って、、みたいな展開でしたが、冒頭に書いた優しい家族と友人たちのおかげでゆっくりと立ち直っていったところに、言いようのない感動を覚えました。

    そしてその後に、ヨシコが佐和子の家族について言及するところにぐっときました。あぁそういうことかと。これが、受賞した理由に違いないぞと思いました。そして私は静かに、家族というまとまりが作る絆というものが、例のチャリティ番組をいくら観ても分からなかった絆というものが、じんわりと腹落ちしていくのに気づきました。

    今あるものに感謝し、リスペクトしながら家族を形成していくことの難しさとかね。私は瀬尾さんの描く家族像がすごく好きです。こんなふうになれたらいいな、ってバトンの時も感じたし、今作のヘンテコな家族についても同様に感じました。そしてそれって普通のことではなくて、みんなそれぞれがそれぞれをきちんと観て、感じて、思いやることが必要なんだろうなと思いました。

  • 7/13 ダイソーで買った枝豆のタネを育て、収穫して食べてみました

    7/13 ダイソーで買った枝豆のタネを育て、収穫して食べてみました

    既に遠い記憶の彼方、確かGW明けくらいだったと思うんですが、ダイソーで売ってた枝豆のタネを買って育てるのに挑戦しました。

    画像の右側、子供が小学校で使っていた青い植木鉢を使って飼育。これはタネを植えてから4日くらい経った頃でしょうか。
    枝豆の新芽ってかわいいですね。くるんとした双葉が枝豆っぽさを強調していて、大きくなれよー、と声をかけたくなってしまいました。
    ちなみに左上がバジル、左中断が大葉でした。
    バジルは去年買ったタネがあったので、適当に植えてみました。
    大葉は枝豆と同じく、ダイソーで買いました。
    あ、ダイソーってタネは50円なんですよね。やっす!と思いつつ買った記憶。

    これは植えてから四週間くらい経った頃でしょうか。
    葉が4枚出て、そこから先を摘心するとどこかで読んだ(これを見て育てる方はきちんと調べてくださいね)ので、その通りやった後、小ぶりな実ができていました。

    そして本日収穫し、早速茹でてみました。
    ちょっと旬を過ぎてしまったような、風味が抜けてしまったような感じでした。
    もうちょい早めに収穫してもよかったかもなぁ。
    あと、摘心が早過ぎたのか、これだけしかできませんでした。
    定期的にハイポネクスをあげていたので、栄養が足りてないということはないと思うのですが。
    だけど楽しかったなぁ、また挑戦しようと思います。

  • 11月13日 題名のない日記

    11月13日 題名のない日記

    HHKBに使っている充電式乾電池の持ちがここ2ヶ月くらいで急激にへたれてきたように思います。
    定期的に充電する頻度がものすごく増えたんですよ。
    ダメになっちゃった?にしてもまだそんな使ってないんですけどね。

    いやー。寒くなりましたね。
    足元を暖めるパネルヒーターを出しました。
    ゆっくりと冬に向かっていけば良いものを、こんな急に変えることないのに。

    定期的に、このままいなくなっちゃっても別に良いかな、と思うことがあるんですが(この日記にも何度か書いてると思う)、やっぱり家族の存在って大きいよなぁ。
    特に子供。
    彼らが成長していく姿を後ろから見届けたい。そんなふうに思うようになりました。
    季節の移ろいのように、彼らもいつの間にか成長しているように感じるんですけど、それはイコール私も歳をとっているわけで、いつまで元気でいられるか分からないので、残された人生を全うできるように生きていきたいなと思っています。

    とは言うものの大したことはしていなくて、それこそ普通の生活を営んでいるわけですけど、それでもこうして日記を書くことで、自分の思っていることを可視化する程度にしか生きていないです。

    書くことないなー、と思いながらペンを走らせています。

    たまには会社のことを。
    上司で、とてもお世話になった人がいるんですが、その人が会社を辞めるという話を聞きました。
    とても悲しい、寂しいです。
    その話を聞いた時には条件反射で「ついていきます!」って言ったけど、そんな気楽に会社を変えるのもどうかな、とか、今の会社に不満は別にないんですけどね、とかを考えており、まぁ、このまま残ろうかなと思っています。
    その人は女性で、私よりも10歳くらい上の方なんですが、自分の意見をはっきり持ち、ばりばりと仕事をこなすタイプの人。
    彼女に救われたことは何度あるだろうか。結構多くの時間を共にしたように思います。

  • 8月13日 嫉妬について

    8月13日 嫉妬について

    嫉妬。
    人間はなぜ嫉妬するんだろう。
    嫉妬とは、そもそもなんだろう。
    私が嫉妬するのは、私の持ってないものを、ひけらかされたりする時。
    言い換えると、執着というものになるのかもしれない。
    欲張って多くのものを持ちたいと考える人の頭脳には、嫉妬心が強く影響しているような気がする。

    足るを知る、というとても良い言葉がある。
    今、私が持っているもので満足しよう、という考え方。
    手を伸ばせば、もしかすると届くものがあったとしても、今の自分にとって本当に必要なのかどうかを考え、不要だと思ったら手に入れるのをやめる。
    言葉にすると簡単なことなのに、この世ってとても難しい。そんな簡単なことを忘れてしまい、ものに溢れ、窮屈になってしまったり。
    ものだけではない。考え方もそうなのかもしれない。
    いろんな考えを取り入れることは、ある側面では良いことだろう。
    だけど、それに振り回されてしまって窮屈になってしまっては本末転倒だ。

    私の持っていないものをひけらかされた時、心に静寂をもたらすよう心がければ良いだけなのかもなぁ。
    平常心ってすごく大切だ。だけどいっつも忘れてしまう。それも人間のなせる技なのだろうか。

  • 7月13日 彼のこと

    7月13日 彼のこと

    自分に寄り添うことが、必要なんだと思う。
    周りからの非難を間に受けて、人生を終わりにしてしまう人が本当に多い。
    そうさせてしまった人たちを責めることはここではしない。
    私は、その道しか選ばなかった人のことを考えていきたい。

    周りからとやかく言われる時って、往々にしてある。
    その、匿名の非難をどうやり過ごすかは、この世の中を生きる術の中でも必要なものだ。
    時には逃げることだって大事だと、最近は聞くようになってきた。
    私が子供の頃は「なるべく学校は休まない」「辛くても前を向く」と言われて育ってきたから、44歳になった今でも、有給休暇を使うことに躊躇してしまう。
    自由に取って良い権利なのにね。
    休んだら休んだでまた悶々としてしまう。その日まる一日、本当だったらずっと布団の中にいたって良いのだ、と頭では考えるのだけれど、せっかく休みを取ったのだから何かしないともったいない、と行く当てもなく街をぶらついてみたりして、その、何かに追われている感覚を払拭させる。その結果疲れてしまい、そして何の成果もなく、こんなことなら休まなきゃ良かったと後悔してしまう。
    人生ってそんなことの繰り返しなのかもしれないけれど、そこで、冒頭に書いたように「自分に寄り添うこと」という目線で、自分に接する必要があるんだと思う。
    自分を甘やかす、と言ってしまうと言い過ぎかもしれない。
    だけどその甘やかすレベルって人それぞれで、休日にランニングをすることが快感となる人だっているし、一方でランニングなんて苦痛だ、と思う人もいるだろう。
    だから、自分を甘やかすことなんて自分の裁量で適当に決めたらいいんだと思う。
    辛かったら、SNSをやめたら良かったのだ。
    もっというとスマホをぶっ壊して、SNSに没頭したいという欲望を払拭して、外の景色を見たり、家族の笑顔を見たりすれば良かったのだ。
    何を言っても遅いけど。

    かく言う私も、同じように数ヶ月前に「生きてても全然面白くない」「どうせ全部人生の暇つぶし」だと考えていた。
    今でもたまーに、そんなことを考えたりする。だから、と言っては過言だけど、彼の気持ちが少しだけ分かる。
    生きててもつまんないもんね。
    だけど今はちょっとだけ考え方を変えるようにしている。
    面白くない、とか、暇つぶしだとか考えるのは私の勝手で、本当はめっちゃ面白いことを体験しているのに、どこか中途半端に取り組んでいる自分がいて、その瞬間を最大限に楽しんでいないようなことがあったのだ。
    だから、その瞬間を、最大限に楽しむようにした。
    ランニングもそう。ご飯を食べるのもそう。寝るのもそう。
    自分ばっかり楽しんで申し訳ない、みたいな後ろめたい気持ちを持つのも違う。申し訳なくない。自分の人生なんだから、自分が楽しまなかったらそれこそ意味がなくなってしまうだろう。

    彼の冥福を、切に願う。
    彼がこの世に残したものが、多くの人の心に、片隅にでも残ったら良いと思う。

  • 6月13日 自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく

    6月13日 自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく

    私の低血糖による症状の話。

    もしかすると前日の飲酒ではなく、当日の昼食が関係しているのかもしれない、と気づいたのは、今日の症状から。
    今日も17時くらいから、耳周辺がこわばるというか、痺れるという感覚が。
    そこから、昨夜、お酒はちょっと飲んだけど、酩酊するほどではないよなぁ、と思い至り(ビール、350mlを1本とウイスキーをロックで1杯)、となると、昼食、今日は出社して近くの中華料理店でレバニラ炒めを食べたんだよな。中華料理ってご飯は多めだよな。そこでたくさん白飯を食べたんだよなぁ、と。
    となると、昼食時に炭水化物をなるべく摂らないほうが良いのでは?とか。
    そもそも血糖値が低くなるのが悪くて、その前に血糖値が高くなるのが悪いんだから、というか血糖値をなるべく上昇させないようなご飯が良いのではないかと思っていて。

    はぁ。

    こういうところに頭を悩ませる世代に入ってきたんだなぁ、とぼんやり考える40代中年男。

    食の楽しみとは。
    自分の好きな時に、好きなものを、好きなだけ楽しみたい、っていうのから、少しずつ遠ざかっていく。
    まぁ、ここで気持ちを切り替えて、健康的な食事を追求するっていう考え方になっていけたら良いのかもしれないけれど。
    まだ、もうちょいこのアンニュイな気分に浸っていたい。

  • 5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    5月13日 今日の柏レイソル戦、の感想

    期待してる方が悪いと言われたら、そりゃそうかもしれませんけどね。
    今日は久しぶりに柏熱の1Fで、全力で声を出したんですよね。
    選手たちを鼓舞する!とか一人で勝手に盛り上がって。
    柏熱の1F、しかも3列目ともなると選手の顔から流れる汗すらも見えるわけですよ。
    前半はサヴィオ選手のコーナーキックや、後半は片山選手、立田選手の懸命なクリアなど、臨場感溢れる席で、ここぞとばかりに声を張り上げたんですけどね。

    まぁ、最下位に負けるわけないだろ、って油断してたってのもありますよね。
    あ、選手ではなく、私が。4−0くらいで勝ってくれたら気持ち良いなぁとか、ね、考えながらスタジアムに向かってましたからね。
    あの時はまだ、清々しい気分でした。
    後半、片山選手が相手のクロスにハンドしてしまって、PKで、さらっと決められて、そのまま終了、と。
    相手が互角、拮抗してたらまぁ、悔しさとかもあるんですけどね。
    今日は、スタッツを見る限りこちら側はシュートを30本近く打ってたみたいなんですよね。
    なのに、0点。1度もゴールネットを揺らすことすらできず、無情にも90分が経ってしまいました。

    まぁ、悔しいのは選手も一緒、もしかするとサポーターよりも悔しさは勝っているかもしれません。我々は所詮娯楽、彼らは生活がかかってますからね。
    とは言え。
    退屈な日常をほーらー、綺麗さっぱり忘れられるんだ、みたいな、勝ちが見たいです。
    勝ちが。私、現地、いつ以来か覚えていないほど、勝っていません。
    今日はお酒を飲む気すら起こらない、ような。
    そんな週末。

  • 4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    4月13日 自分の人生を生きるために、欲望に優先度をつけようぜという話

    ふと、気になったサイトの記事。
    割と有名なメディアサイト「キナリノ」の、「誰かのための人生になってない?幸せな「自分の人生を生きる」ヒント」というタイトルの記事。

    誰かのための人生ってなんだろう。自分の人生ってなんだろう。

    人間は、自分のために人生を歩んでいると思っている。
    子供だととてもわかりやすい。
    自分の欲求を満たすために、自分の欲望に対して真っ直ぐに向き合って生きている。

    それが理想だとすると、大人(と呼ばれる人たち)は、自分の欲望に向き合って生きてはいないのだろうか。

    向き合って生きてはいないのだと思う。
    なぜなら、それをやってしまうと、ワガママだとか、周りから叩かれてしまうから。
    だから、そうならないように、世間の目を伺いながら、生きている人が多い。

    たまに、そんなの気にしてらんないわー、私は私の人生を歩むんだから、という人がいる。
    言い換えると「ロックな人」。
    そういう人に、憧れる人は多い。内田裕也に憧れてる人とか、ね。

    憧れるのと、そうなりたいと思う願望って、ちょっと違うと思う。
    仮に、私が内田裕也に憧れているとして、今、私が、仕事をやめて音楽で生きていくぜ!ロックだぜ!それがやりたかったんだぜ!となると、どうだろう。
    私の家族は、食べていけなくなってしまう。
    私には責任がある。家族を養っていくという責任。
    だから、本当はロックがやりたいのに、それを我慢して仕事したりしている。

    文句あるか、別にないだろ、大好きな家族が、美味しいご飯を食べる時に見せる笑顔が見たいという欲望を満たすために、働いているんだからな。
    ここまで考えるとどうだろう、私のやりたかったことって、「家族の喜ぶ顔が見たい」のであり、それは「ロックをやりたい」という欲望よりも上位に来ることがわかる。
    ロックをやりたい、けども、それよりも家族の喜ぶ顔が見たい。

    なんか話がずれてきた気がする。

    自分の人生を生きるために、自分の欲望を明確にすることってすごく大切だと思う。
    だけど、上で思考実験をしてわかったのは、100個の欲望があったとしても、それが全部同じ位置にならんでないよな、ということ。
    優先度が重要度があって、それに応じて、時には世間に合わせて生きたりしてるんだろうなぁ。