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  • # 簡単サコッシュキットで予定よりも大きなバッグを作りました むしろショルダーバッグ的な

    # 簡単サコッシュキットで予定よりも大きなバッグを作りました むしろショルダーバッグ的な

    例によって時間があるところで、別件で訪れたサンキ。若者に大人気のお店と言われて久しいですが、なんとなく手芸エリアを物色していたところ、、

    見つけてしまいました。

    これ!これ作るしかない!という佇まいです。

    そして値段は、驚きの500円(税別)。

    帆布だし、いい感じの色だし、即買いしてしまいました。

    が、よく考えたらうちってミシンないんですよね。

    手縫いするしかないか、、と腹を括り、チクチクと格闘して作り上げました。

    トータル8時間くらいでしょうか。

    一番大変だったのはやっぱり帆布に針を刺すところで、すげー痛かったです、ので指ぬき必須ですね。

    指ぬきはバッグが完成する頃にはボロボロになってしまいました。。無念。

    さて、出来上がったバッグですが、13インチのノートパソコンが入る仕様となっております。

    また、外側に付いてるポケットには、片方にはiPad mini、そしてもう片方にはiPhone 16eがジャストサイズでハマります。

    説明書にあったサイズはやっぱりサコッシュというべきサイズだったので、つまり説明書からはかなり逸脱して作り上げた形となります。

    そういう意味で、世界に一つだけのバッグです。

    いい暇つぶしになりました。

  • 5月24日 最近の私

    5月24日 最近の私

    なんでもかんでも理想の自分、理想の生活を送ることを願ってやまないのだとすると、それが成長のためのモチベーションになっているならともかく、そうではないという状態なのだとすると、ちょっと変に固執しちゃってるんじゃないかな、って思いますよね。

    はい、私のことです。

    いつも何かが気に入らない。

    自分の思い通りにいかないから気分が悪い。

    いや、流石にここまでの感情を抱いているわけではありませんが、その、現実に対する不満を抱きながら生きていくのはとにかくストレスが溜まるんですね。

    更に悪循環なのは、そのストレスによってメンタルやフィジカルの体調を崩し、更に悪い方向へと向かっていくという様。

    分かってる。分かってる。

    私がここで「不満を抱いているんです〜」と言ったところで、解決するわけではない、ということを。

    先日読んだ本

    先日図書館で、「うつヌケ」という本を借りました。

    [商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

    うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち [ 田中 圭一 ]
    価格:1,100円(税込、送料無料) (2024/5/24時点)


    この本を置いてくれた私の市に感謝です。

    この本はうつを体験した人たち、またはまだ完全に抜けきれていない人たちの体験談を漫画で紹介したもので、結構有名な方の話とか載っていてびっくりしました。大槻ケンヂがうつになっていたとはね。
    さて、その中で、私が「なるほどなー」と思ったのが、

    うつの原因になったものを根本から絶やすのはかなり難しい。それよりかは、そのものと一緒に暮らしていくことを考えていくべき。

    うつヌケに載ってたのをなんとなく自分で解釈したもの

    そうなんですよね。

    私、きっかけってなんだろうって考えたりするんですが、現実に対する自分の無力感だったり、生きてる意味とは、、、?みたいな問いだったり、そういうのに打ち克つのってなかなか難しいですよね。

    前者、現実に対する自分の無力感については、冒頭に書いた内容にも近しいのですが、今の自分が置かれている境遇や現実をきちんと受け入れることがまず大切なんではないかと。成長につながるような思いだったらいくら抱いてもいいと思うんです。

    もっとプログラミングのスキルをつけたいぜ!とか。英語もっと上達したいぜ!とか。

    だけどそっち側に気持ちを向けるのだってなかなか難しいですね。

    めっちゃ力使うし。

    後者、生きる意味とは、、?については、考えてもしゃーない、という書きっぷりでした。確かにそうなんすよね。なので私も、その考えに乗り、考えてもしゃーないことは考え続けないようにしていこうと決めました。

    お酒だって飲みたいし。食べたいものたくさん食べたいし。とは言え体は太りたくないからなんとか理想の体型に近づけたいし。

    最近の私はずっとこればっか。

    幸せな悩みなのかもしれないですが。

  • 5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    5月8日 心療内科では根本治療することができないものごとについて

    久しぶりにブログを書きます。
    ここのところ自分の気持ちを整理したり、処理することをサボっていて、だからブログを書くために文章を考えようという気持ちからもちょっと遠ざかっていたりして。

    近況はこのくらいで。

    「もういなくなってもいいかな」という気持ち

    タイトルに書いた「ものごと」というのは、もう死んじゃってもいいかなぁーという気持ちについてです。
    私、今日心療内科へ通院する日でしたので、病院の待合スペースで待つ間、ぼんやりと最近の気持ちについて考えてみたところ、以下のような気持ちでした。原文ママ。

    • めっちゃ楽しい!という日常ではない
    • まぁ、帰りに事故を起こして死んでしまっても、別にいっかな、くらいの
    • 心配なのは家族。私の代わりに家族を養いまっせ!っていう人がいたら甘えてしまうのでは
    • ってかさ、死んじゃってもいいかなー、っての、考え方を変えないとずーっと心療内科に通うことになるんじゃないの?!

    そこで、待てよ、と。
    最後のやつ。考え方を変えようぜ、ってやつ。私なりに考えてみたんですけど

    というか多分、同じ内容を何度かここに書いている気がするんですよね。
    根本を断ち切らないと、いつまで経っても同じところをぐるぐる回っているだけなのかな、と思い至りました。

    悩みの主役を変えろ。いい加減いつもと同じ主人公にばかり付き合ってちゃダメだ。

    読み人知らず

    結局私って、いつまで経っても「死んじゃってもいいかな、って思っているんだけど、これが正しくないことに気づいていて、だから考え方を変えた方が良いと思う(これが根本なんだと思う)一方で、ここに寄りかかってるのってなんか楽なんだよね。いつでもそっち側に行けるっていう保険がかかってるからなのかな」みたいなところから抜け出さずにいるんですよね。
    これって全くもって不健全で、不健全です!って言い切れるところにいるのだから、考え方をがらっと変えてみる必要があるのではないかと思うようになりました。

    では一体、どう変えたらいいのか。
    多分なんですが、ポジティブな方に寄せるのがとりあえずの逃げ道になるのかな、と思い、
    もう死んじゃってもいいや=後悔はないぜ!今まで歩んできた選択肢は全部正解だったぜ!
    ってことなのかなぁ。こっち側に全振りするのは難しくて、なぜなら私がそこまでポジティブ人間じゃないからなんですけど、
    だけど、これを一つの道標として掲げることで、少しだけ、今の自分にサヨナラを言って新しい自分になれるのかな、

    なんてことを考えたゴールデンウィーク明けの平日。

  • 5月31日 気に病んでしまうかもしれないリスト

    5月31日 気に病んでしまうかもしれないリスト

    あっという間に5月も終わり!
    12分の5が終わった。早いなー2023年。早いなー人生。

    先日同僚と、人生でやり残したことがあるか、みたいな話をした。
    私の中で、これもう何度も書いてることだけど、やり残したことってあんまないんだよなーという気分でいる。良くも悪くも。
    ポジティブに捉えるならば、自分のやりたいことが全部できているということになるから、それは自分の人生を謳歌してますよ、って話なんだろうな。

    そこに至るには、家族がいたり、お金がそこそこあったり、家があったりと細かな条件が積み重なっているんだと思う。
    人生って揺れ動くものだから、それらが全部私の手元からなくなってしまうことだって、もしかしたらあるのかもしれない。
    それはそれとして、「それも人生だから」で片付けるほど器の大きな人だったら良いのかもしれないけれど、実際のところ、私は気に病んでしまうかもしれない。
    気に病んでしまうかもしれないリストがあると良いのだろう。
    それらは、自分の手から無くならないように、それぞれの重要度や優先度を決めて暮らしていくべきなのかなぁ。
    だけどそういう水準すら、ずーっと固定なのではなく、揺れ動くものなはず。そう考えると、自分の中の価値観を俯瞰して見れるような考え方になっておくと良いのかもしれないなぁ。

    私の中では、家族、お金、家、という順番なのだろうかね。
    上述した時に、パッと思いつく順番で書いてはみたものの、それぞれの順番とかはきちんと吟味する必要があるのだろう。

  • 5月30日 仕事の話

    5月30日 仕事の話

    やっと火曜日が終わる。
    この頃になってくると、ようやく1週間が始まった感覚を持つ。
    月曜日はどうしても力が入らず、惰性で、実際には月曜から金曜まで惰性で暮らすのかもしれないが、なんとなくそんな感覚。
    今週は何をしよう、と思う。仕事のこと。
    私の仕事は長い目で見るものなので、1週間の中で物事が完結するということは少ない。
    だからこそ、今週金曜で終わらせようみたいなものは持っていないのかもしれない。

    今は、会社としての品質計画書をどのように捉えるかということに注力している。
    品質って難しい。
    そればかり優先すると納期が遅れ、コストは嵩み、結果として品質は良かったけれど失敗したプロジェクトになってしまう。
    予算が強いのかもしれないなぁ、と思い無駄なコストを削減しようとすると、それは実際は無駄ではなくて、市場に出しても良いと思われる品質まで高めようとチャレンジしたものであり、そうなると、本当は必要だったコストということになってしまう。

    また、品質って難しくて、市場に出てから、つまり一般ユーザーの手に渡ってから何も障害がないとしよう。
    すると、このプロジェクトでやってきた品質目標は過剰だったのではないか、という人が出てくる。
    だけどどの程度まで品質を高めれば良いのかって誰もわからなくて、神様ですらも分からないから、予算の許す限り品質向上活動に時間を割く人たちの要員を割いて、頑張って最良の品質を作り出そうとする。
    最良の品質っていうのもなかなか難しくて、市場で不具合が出てないから良い、だけど不具合が出ないギリギリのラインで品質を止めようとしても、その目安がわからないのだ。
    そう考えると、もしかすると、市場には多少の不具合が出ても良いのかもしれない。
    不具合は出るけれど、お客さんにとって致命的な不具合、命を脅かすだとか、お金が理不尽な形で減ってしまうだとか、そういうところにまで至らなければ良いのではないだろうか。
    暴論だと思う。
    けれど、会社のオプショナルな対応で完結できるのであれば、自社以外は誰にも迷惑がかかっていないのだから、良いのではないか、と。
    暴論だよね、わかってる。けどこれを論破できるロジックは、今の私には思いつかないのであったりする。

  • 5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    5月29日 一個一個の思い出が薄まってしまうような

    案外生きてるな、と思う。
    会社にてカレンダーを見た時に、もう5月も終わりか!と思って、同じことを4月や3月でも感じていて、常にあっという間にすぎてしまうんだよな、そんな日々を過ごすことが、一歩一歩進むということが、人生なんだよな、と。

    あっという間に感じるのは、日々の思い出をあまり植え付けずに暮らしているからなのかな、と思って、とはいえここで毎日日記を書いてアップロードしているけれど、確かに、記憶に残らない日ってあるんだよな。
    そういう、細切れの人生があるからこそ、思い出が同封された、厚い日がやってくるわけで。相対的なもので、細切れの人生がなかったら、毎日思い出ばかりだったとしたら、多分、一個一個の思い出が薄まってしまうような気がする。
    そりゃあ、毎日が厚い日常に覆われていることの方が、良いのかもしれない。けどそれだけじゃないでしょ、なーんにもない日だって、立派な日常なはずだから。

    そんなこんなで、明日も生きていくことをここに誓う。
    思い出に染まらない日があったって、別に良いという想いを胸に秘めながら。

  • 5月28日 このわがままボディめ

    5月28日 このわがままボディめ

    今日は風が強く、洗濯物がすぐに乾くような天候。
    さっきちょっと走ってきた。近所をぐるっと5km。
    暑くて、途中何度か歩いてしまった。
    なぜ、この苦行を続けるのか、と、自問自答するランニングだった。

    暑いって分かってるのに、なんで走ろうとするんだろう。
    その後に訪れる、爽快感が欲しいとでもいうのだろうか。
    苦しい物事から逃げたくなるのは、生き物の本能だとすると、なぜ、ランニングをする人がこうも多いのだろう。
    みんな、その本能に逆らおうとでもいうのだろうか。

    私は、少しでも健康で、欲を言えばもっとスリムな身体になれたらいいな、と思いながら走っている。
    下半身をたくさん動かすことで得られる基礎代謝の恩恵に預かり、体内で眠っている脂肪が消費されたら嬉しいな、と思いながら走っている。

    だけども全然痩せてくれないんだよね。
    苦行に耐えてこその恩恵があるだろうに、私の身体からは、その脂肪たちが消えてってくれないんだよね。

    いや、わかってる。食生活を見直さなければいけないことくらい、わかっている。
    もっと栄養バランスの良い食事にしないといけないんでしょ。
    お酒も我慢しないといけないんでしょ。
    わかってるんだけどさー。このわがままボディめ。

  • 5月27日 友達と呼べる仲間について

    5月27日 友達と呼べる仲間について

    先日、ちょっと思うところがあり大学時代の友人たちで作っているグループLINEにメッセージを投げた。
    そこは6人くらいの小さなグループで、大学時代に私の友達となってくれたメンバーの集まりである。
    かるーくメッセージを投げても、当時の思い出や、いろんな経験が蘇ってくるのがありありと伝わってくる。
    カラオケ後のラーメンで、ひとしきり盛り上がったのも、当時を知っているメンバーだからこそ、なのだなと感じる。

    友達100人できるかな、っていう歌があって、小学校に入る前に覚えたような記憶があるけれど、私の人生で、友達だ!と胸を張っていえるような人って、大体15人くらいだな、と思ったりする。
    友達100人なんて超難しくて、だいたい100人もいたら、名前を覚えるのだって大変なことだろう。

    友達って、人数ではなく、それぞれの人間関係に生まれる、質の方が重要だと思う。
    無理やり100人の友達を作ったとしても、それぞれが薄っぺらい関係だとしたら、それが友達と呼べるだろうか。
    友達の定義によるから、一概に私が決めつけるべきものではないと分かっているけれど、薄っぺらい関係性だとしたら、私の中では、それは友達とは呼べないのではないだろうか、と思ってしまう。

    そんな感じで、これは一つの価値観に基づく話だから、私がここで断定できるものではないのだけれど、友達って多けりゃいいってものでもないよなぁ。

  • 5月26日 流行について

    5月26日 流行について

    久しぶりに出社した。徐々に、出社する機会が増えてきている。
    今まではコロナ感染者がいれば社内で通知されるようになっていたが、最近ではその話を聞かなくなった。
    時代の流れというのもあるけれど、一言で言えばみんなコロナに飽きたんだと思う。
    よく3年も付き合ってきたよね。
    マスク生活。
    今ではもうマスクを外すことに照れてしまうような時代になりつつあり、なんのこっちゃ、と思っていたけれど、電車で通勤している時にはもう半分くらいの人がマスクをしていないように感じる。みんな飽きたんだろうな、こんなもの付けたくなかったよね。

    流行りというのは怖いもので、いつから流行ったかははっきりと分からないものが多い。流行の担い手としては、テレビが挙げられるだろうか。テレビで流すことで、ほんとは流行ってなんかいないのに、まるで大人気かのようになったりする。コロナも、最初の頃はあんま流行ってなくて、けれど何かのきっかけでテレビでは毎日、今日の感染者数を発表したりしていた。実際にはあんま流行ってないのにね、みたいなことは考えないようにさかんに、テレビで訴えかけるような、そんな3年間だった。

    私は決して、陰謀論者ではないので、その、テレビがさかんに訴えかけていたことが、実はワクチンを作る会社の陰謀だった、みたいなことは考えたくはない。人間にとって未知の、そしてタイミングによっては命を奪ってしまうようなウイルスだったから、世界では、テレビでは気をつけるよう警鐘を促していたのだろう。もしそれが本当に陰謀なのだとしたら、という想像は、ほぼ創作の範疇になると思う。

    この教訓を活かして、もし私がこのブログを流行らせたかったとしたら、どうすれば良いのだろう。まずコンテンツ自体に魅力を持たせる必要があるとして、それを評価し、周りに広める人が必要となるだろうか。私は大枚を叩いてそんな人を集め、広め、やがてテレビに取り上げられ、私は人気サイトの管理人を務めることができる。そんなことはやりたくないから想像の域を超えないのだけれど、やり方って意外と簡単なんだろうなーと思ったりする。

    だからこそ、流行りって怖いよなと思う。実体の伴わないものなんて関係ないんだから。なんか周りが騒いでるからー、で飛びつく人だってたくさんいるだろう。私は、自分の意思で、流行を見極めて生きていきたい。

  • 5月25日 心療内科と眠りについて

    5月25日 心療内科と眠りについて

    落ち着いた1日。今日は心療内科の診察日だった。
    先週から今日までの1週間、割と落ち着いていたように思う。
    感情の浮き沈みという観点では、平穏。それが最良なように感じる。
    ちょっとだけ浮く時期があった。その日はランニングをして汗を流し、走り終えた時には爽快感とともに、また心地よい眠りという副産物もあって、走るのって良いなぁと感じることができた。
    ただ、それって浮いている状態で、

    とか、勝手に「浮いている状態」って決めつけたけど、それが私の「平穏と呼べるレンジ」だとすると、私がランニングに出ることのできるマインドセットは、私の平穏と考えることができるのかもしれない。
    何が良いのか、分からなくなってくる。
    浮いているとか、沈んでいるとかって自分の捉え方の問題で、そんなのは日々の考え方で変わっていくだろうから、もしかするとそういうことはあんま考えないで、自分のやりたいことに集中して取り組むくらいで良いのではないだろうか。
    レイソルの応援でジャンプしまくり、声出しまくりみたいなのも、自分がやりたかったことの一つで、それをやって満足できれば、それが生きてて良かった!につながっていくはずだから。

    今日の診察では、割と安定しています、と話、薬は前回処方されていたものと同じものがまた、処方された。
    私の中では不眠が問題で、入眠するまでに1時間くらいかかることと、朝3時から4時くらいに目が覚めてしまうことを伝えていて、けど先生的には目が覚めてもすぐにまた眠れれば良いと思っているようで、そこが私のバロメーターになっているのかもしれない。
    44歳にもなると夜ずっと眠ることも難しいことだってあるかもしれないよね。
    そのためにお酒は極力控えるようにしているし、眠りを最優先して日々暮らしているけど、ここしばらくの間、朝までぐっすり眠れました!みたいなことってないんだよなぁ。
    年齢のせいなのかなぁ。男性にも更年期障害があるって言うしね。