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  • 8月1日 休日だけどタスクをこなす

    8月1日 休日だけどタスクをこなす

    午前が長い

    昨夜は1時過ぎまで眠れずにゴロゴロしていたところで、多分眠りに就いた頃は1時30分とかだったような。明日は早く起きられないだろうなぁ、と思いながら寝たので期待していなかったんだけど、まさかの6時台に起床。しかも、どろーんとした目覚めではなく、すっきりとしたもの。起きて何をするかちょっと考えたけれど運動一択だよね。朝は調子が微妙なのがここ数年のデフォなんだけど、実は今週、心療内科から処方されている薬を飲んでいない。理由は、気持ち的に調子良いから。躁状態ということではない。落ち着いて、日々、いろいろな物事に取り組めているなと感じているから。

    ということでランニング。5km。ペースは限りなく7分に近い6分台。5分20くらいで走ってた頃が懐かしい。焦らずにゆっくり戻す。暑いし。
    近所に公園があって、そっち行ってみたんだけど朝ランしてる人がとても多かった。知り合いはおらず。元々、ほとんどいないけど。なんとなく、同じ方向で走ってる人のペースに引っ張られそうな気がしてイヤだったので、ルートを変える。古くからある神社の方へ。そこからは近所をぐるぐる。今日は信号によく引っかかった気がする。考えすぎかな。考えすぎだろうな。

    オープンしてからしばらく経つ駐車場が、いまだに「オープンセール」ってやっていた。もう半年くらい経つんじゃないかな。これこのまま料金体系が定着していく未来が見えたわ。
    5kmを終え帰宅。からのシャワーを経てプロテイン+牛乳。
    そして図書館。Copilotからおすすめされたものを借りる。絲山秋子の逃亡くそたわけ、小野寺史宣のひと、そして恩田陸の夜のピクニック。3人とも初めて読む。あ、恩田陸は何か読んだ気がするか。蜜蜂と遠雷読んだな。楽しみ。

    バレットジャーナルにタスクを書いてこなす日々。ランニング、車の修理、図書館など。あとは刺繍と手芸くらいだな。

    Brighter, Brighter

    最近はLaura Day Romanceというバンドがちょっと好きで、そしてBrighter, Brighterっていう歌がとても気に入っている。
    穏やかなBPM、現実はうまくいかない、みたいなテーマの歌。最初は女性ボーカルの女性がいいな、って思いながら聞いていたんだけど、最近は歌詞が気になるようになってきた。

    https://s.awa.fm/track/b4a6b30c19b19f868432

    冒頭、少し引用してみる。

    間違いのないように 君は言葉を詰まらせているけど 時折騙すように 嘘笑をやってみせるのね そんな姿は決して 見たくない 見たくないけど グラグラの立場で お互い大変だよね 甘い思いを募らせ やり過ごすだけで 生活は精一杯 理由もなく流れる涙は 誰かの目に留まらなきゃ 天国へ行けない 天国へ行けない

    私はこういう、男性女性のカップル(と勝手に考えている)がうまくいかなくて、とてもゆっくり、だけど確実に別れに向かうっていう話が本当に好きで。
    「グラグラの立場でお互い大変だよね」って言うのが、どういうシチュエーション?って聴く方に委ねてるのがいいよな、って思う。その不明瞭なところを埋めるために聴く方は想像力を最大限に発揮して、具体的なシチュエーションを想像する。
    天国へ行けない、というのは。天国ってなんだろう。若干形而上学的なニュアンスも含まれているけど、それが「誰にとっても幸福な場所」と前提するならば、この恋人たちは、甘い思いを日々抱きながらもそれによって得られる天国へは容易に到達することができないくて、足元を見ると日々、生きるという営みを過ごすだけで精一杯。余裕がないんだね。二人の未来を悲観(というと言い過ぎかな)して、自然と頬を濡らすけれど、誰もいない部屋で、一人で泣いていても、何も進展しねーぞ、ということなんだろうか。

    涙は女の武器って言われたりする。この時代に男女の、この手の特性みたいな話をするのもアレなんだけど、涙を誰かに、ここで言ってるのは相手なのかな、に見られたら、彼らの考える天国に行けるのか。正直、個人的には「泣いても解決しねーぞ」派なので、涙が全てを解決するかというとそれは場合によるだろ、とは思う。だけど、涙に縋りたくなるほどに男女の関係は冷え切っていて、彼は嘘笑をしたりして本心を隠すし、もうどうしたらいいか分からないみたいな状態って、実はそんなに珍しいことではないよな。そして、「あーこのまま終わっちゃうのかなぁ」ってぼんやり考えるの、結構堪えるよね。私は割と早く結果を出したいタイプなので、時間に身を任せて解決するのか、崩壊するのかを委ねてしまうとか、そういう他責で自分の未来を自分で切り拓かない感じのやつ、苦手なんだよな。時には、もうどうでもいいから時間に解決してもらおうみたいに思ってしまうことはあれど。

  • 7月25日 子供達のいない休日

    7月25日 子供達のいない休日

    珍しく子供達がいない

    9時くらいに起床。今日は珍しく、ホント珍しく子供達が二人ともイベントに参加して、子供のいない週末を過ごした。
    ホントに珍しい。長男が生まれて17年と4ヶ月、ホントに、週末に子供がいない日なんてなかったから。子供達でうちの世界が回っている。
    ちょっとだけ、子供達がこの家から旅立った後のことを考える。といっても大それた話ではなく、妻と私という二人で世界が続いていくだけ。生活を営んでいくだけ。腹は減るし、眠たくなるし。子供達がいてもいなくても、私たち夫婦はここで生きていくんだなぁ、と少し感慨深くなった。
    Primeでフジロックが中継されていたので少し見る。柴田聡子。雑感という歌が好きで、だけどSpotifyで聴いているだけでフジロックに出るくらいの知名度だったというのに驚く。ゆらゆらとした音楽。本人が楽しそうに歌っているのが良かった。初めて歌っている姿を目にした。
    メダカの水槽を掃除し、二人で行きたかったカフェでランチし、図書館で本を物色する。休みってこんな感じだよな。カフェは思ったほど混んではおらず、ソファ席に座れて、とても良い時間だった。コーヒーとハンバーガー。物価の上昇にビビりながらも、堂々とランチを楽しんだんだからいいよな、と。
    図書館ではバレットジャーナルの本を借りた。何回目だろう、5回くらい借りている気がする。いつも途中で続かなくなって挫折するんだよな。3日坊主なのはわかっているから、また始めればいいんだろうと軽い気持ちを抱きつつ、またやってみようかと思う。私にはもうバレットジャーナルだけあれば十分だわ、ってくらいにまで成熟させたい。頭の中にあるモヤモヤを全て書き出すことが大切なんだよな。GTDも一時期好きで、INBOXにいろんなことを詰め込む瞬間が好きだった。大切なのはその後の取捨選択なんだな。

    バレットジャーナル

    せっかく借りたので、備忘録として残しておこう。書いていくことで自分の中でも新たな気づきとか生まれる気がするので。

    セットアップ

    インデックス

    インデックスは目次のようなもの。どこに何が書いてあるかをパッとわかるようにするためのもの。バレットジャーナルは書いていくうちにどんどんいろんなことが増えていくから、インデックスも充実していくんだろうなぁ。

    フューチャーログ

    来月以降の、特定の日付の予定を記入しておく場所。今日が7月だから、8月以降の予定を書き込む。本では3ヶ月で1ページ、という形で紹介されている。
    フューチャーログって大抵仕事のことを書くのかなぁとぼんやり考えたけど、違うよな、仕事とかプライベートとか分けずにぜーんぶ書くのがいいんだろうな。
    フューチャーログは「順番を待っている列」のようなものだろう、だって。人生における責務の数々を意識する上でとても役に立つ。将来の計画をざっと示すタイムマシーンの機能を果たし、必要に応じて軌道修正を図ることもできる。
    なるほど!今までこれ必要あんのかな、なんてぼんやり考えていたけれど、将来の順番待ちタスクということなのね。

    マンスリーログ

    見開きで使う。左側に日にちと曜日を縦に並べる。右側にはその月のタスクを書く。
    月が始まった時に作るんだろうなぁと思う。前月の分は、私が辿ってきた軌跡を振り返ることができるね。予定は変わりやすいから、出来事が起こった後に書くことをお勧めするだそう。
    右側はタスクページと呼ばれる。今、頭の中にある「思考の目録」を書き出す。しばらく時間をとってゆっくり、頭の中でずっと泳ぎ回っているものを頭の外に出す。今月、重要なことはなんだろう?優先順位の高いものはなんだろう?
    思考を整理したら、前月に戻って、まだ完了していないタスクを確認する。重要な項目があれば、新しいマンスリーログのタスクページに移動させる。これはマイグレーションと呼ばれる作業の一つ。マイグレーションって結構重要なんだよな。マンスリーログでは、完了していないタスクを完了させるまで、きちんと忘れずにマイグレーションしていく必要がある。

    デイリーログ

    日々の様々な用事やアイデアをリアルタイムで書き留めるようにデザインされる。
    準備としては、日付とページ番号を書く。それだけ。あとは、頭に思い浮かんだときに、タスク、イベント、メモなどをラピッドロギング記法で書き込む。
    何かアイデアが浮かんだら、その度にきちんと書き留めていかないと、いつまでも頭の隅で燻り続けて重荷になる。だからノートにきちんと保管することで、心を安心させることができる、と。なるほどね。
    私の中ではこれはただのタスクリストかな、という意味合いで考えていたんだけど、そうではないらしい。その日の経験を記録に残すことが大切。「今日は何も生産しなかった」ってクヨクヨしたことがあったなぁ、そんな日でも、小さなことでも良いから書いておくことが必要なんだろうな。
    私の場合、デイリーログは1ページで留めたいと考えてしまうんだけど、そうではないんだよな。デイリーログにはどのくらいのスペースが必要か、それはその日によってまちまち。だから1ページで無理に留める必要はない。そうだよね。

    バレットの種類

    通常は・を使う。バレット。
    重要なタスクには*を使う。
    ひらめきは!。わかりやすい。
    メモは最初にーを書く。
    翌日に回すんなら>。
    タスク自体がキャンセルされるなら横棒を使ってタスク自体を削除する。消すわけじゃないんだな。
    それ以外に自分なりにカスタムしても良いけど、多すぎるとどれがどれか分からなくなるから、少ない方が良いらしい。

    5、4、3、2、1年後の目標

    ゴールコレクションと呼ばれる。いつの日か、私は、、、を具体的に描く。未来の可能性を一覧表にする役割。
    5年後、私はどこで何をしているんだろうか。自分の意思で物事は動いていくから、今日、ここから何かを始めるっていうのは大切なことなのかもしれない。未来を見据えて動くなんてなかなかできないよな。

  • 7月18日 帆布のバッグを作りたい

    7月18日 帆布のバッグを作りたい

    今日のできごと

    9時くらいに起床。よく寝たような、そうでもないような。二度寝はしなかった。
    軽い二日酔い。昨夜2時くらいまで飲んでしまった。ウイスキー。
    去年くらいにたまたま買えた白州を飲みながらあつ森。
    長男が塾に通っていて、昨日受けた講習がとても良かったとのことで、興奮しながら帰ってきた。
    そんな状態だからきっとすぐには眠れないって23時頃に言うから、それならあつ森でもやったらいいのでは、と提案した。で、やっていたんだけど昨日はたくさんの昆虫が取れる日で、普段は我が家の島には来ないようなカブトムシやクワガタが取れていて、長男は余計に眠れなくなってしまったようだった。
    私はお酒を飲みながら長男のあつ森をぼんやりと眺めた。いいお酒だった。
    とは言え長男は翌日(今日のこと)も学校だからいい加減寝ないと、と言うことで0時くらいに就寝。私はと言うとあつ森を引き継いで2時くらいまでやってしまったという顛末。
    ハイボールを4杯くらい飲み、炭酸がなくなったのでロックでさらに2杯くらい。
    白州とバスカーを交互に飲んでた感じ。アイリッシュもいいね。どっちもすっきり系なので、美味しく飲めた。で、二日酔いというわけ。
    今日は長男の塾で三者面談があるので、それを軸に生活を組み立てる。
    午前中は図書館へ行き、借りていたCDと本を返却、そして予約していたCDを借りる。YOASOBIと東京事変、あとVaundy。図書館も若者向けのCDを取り扱ってくれるのでありがたいね。市民税を払っているとは言え、実質的には無料で借りれるのが嬉しい。
    あとは今日、エアコンの掃除。フィルターを外し、あと外せるところを全部外して掃除。今更だけど。
    うちはエアコンが2台あり、どっちもお掃除機能がついているので、なかなかに複雑な感じだった。すごいね日本のエアコンは。ちゃんと掃除のことも考えてくれているのがすごい。
    そんなこんなでお昼。長男帰宅。子供たちにラーメンを作る。次男がサッポロ一番の塩ラーメンが大好きで、うちはそれを常備している。インスタントラーメン業界もすごいよなぁ。私もラーメンを食べる。
    バタバタと準備をして塾へ。電車で2駅。
    柏のランドマークタワーになっていた柏そごうを解体しているのを横目に塾へ。少し雨が降っていた。我々は傘を持っていなかったので「気づいたら負け」を合言葉に早足で塾。
    面談は30分くらいで終わり。今イマ、2つの塾で迷っていて、もう1つは来週の水曜日に面談があるので、そこで話を聞いてみて決定する感じ。
    高校3年生ってホント忙しいよな。私はどうだったったっけ、ってのを考えながら面談に臨んでいた。私は9月くらいまでバンド活動とか、割と遊んでいた時間が多かったので成績はそれなりだった。大学はいわゆるFラン。
    学歴コンプレックスがないわけではない。けれど過去は変えられないから、今できることにフォーカスして今があると思ってる。後悔してもしょうがないしね。
    塾が終わって長男と別れ(長男は塾の講習が入っていたので)、私は手芸用品を多く扱っているお店へ。そうです、柏といえばサンキです。あそこの手芸エリアはマジですごい。
    ここでようやく、タイトルの、帆布のバッグを作りたい、というのを回収していく。

    生地の厚い帆布バッグを作りたい

    私はいわゆる王道のトートバッグを作りたいと思っていて、そして生地は厚めが好き。だから8号とか、生地厚めを買う必要があるんだけど、残念ながら好きが色が売ってなかった。
    ターコイズブルーはあったんだけど11号。分かる人には分かると思うけど薄いんだよね。
    そして11号は私が自宅近くのサンキで無計画に買ったものが大量にあるので、11号ならそれ使えばいいよな、と思っている。
    サイズってどのくらいになるんだろうか。あまり腰を据えて考えたことがなかったなと思う。だいたいの必要な大きさが分からないと生地も買えないよね。
    2色使いとかもいいんだよなきっと。色の組み合わせが無限にあるので、そこもまた悩みどころ。
    サイズ的には仕事でもガンガン使えるようになりたいので、A4のノートブックPCが入れば良くて、だから最低でも30*20センチは必要。それが2面だから30*40。幅は15くらいかな。両面だから30*30。口布も必要かなぁ。口布の必要性があまりピンと来てないんだよな。口布つけるならその分も考えないといけない。うーん、図に描いてみないと分からんな。
    こういう事を考えている時間がとても楽しい。趣味と言ってもいいかもしれない。

    趣味と言える基準ってなんだろう

    いろいろな趣味を持ってきた。ハマったものもあるし、そうではないもの、そして時間が経って気持ちが薄れてきたものなど様々。
    一番ハマったのはランニングだろう。フルマラソンに4回出た。今ではきれいに気持ちが薄れてしまった。まだランニングシューズは持っていて、それを使う機会は月に1回くらい。この季節だとまた暑いから余計に足が遠のく。身体に良いことは分かってるんだけどな。
    趣味と言えるかどうか、私の中の基準としては、そのことを考えている時間が貴重と感じるかどうかだと思う。趣味だから、なんの実益も兼ねていないことだってある。生産的ではないにしても、自分の気持ちが上がるようなことは、趣味と言っても良いのかな。

  • 7月11日 蝉の鳴き声を聞いた

    7月11日 蝉の鳴き声を聞いた

    自分を信じることは大切だ。
    自分を信じることは、過去に得た経験や知識を活かして、新たな活動への道しるべを作ること。
    可能性を広げるためにもきっと、自分を信じることがベースになるのだと思う。

    私は一時期、自分を信じることができない日々を送っていた。
    なんでそんな簡単なことを?と多くの人は感じるだろう。私だって不思議だ。ついこの間までできていたことが、急にできなくなるなんて。
    どっかで読んだけれど、自分を写している鏡に向かって「お前は何者だ?」と問いかけると、精神が崩壊するそうだ。怖くてやってみたことはないけれど、つまりそれって自分を疑うということなんだろう。自分自身が自分自身を疑うなんて、ちょっと怖くてできないや。
    自分自身は、自分自身だ。疑いようもない。鏡を見ないと自分の顔が分からないというのもなかなか不思議なことだけれど、私がここにいるということは間違いようもないし、私という自分自身のことを考えている私は、ここに存在するという証明になる、と信じる。強く言い切れないのは、実は脳が作り出した幻想の中に生きているだけで、実体として証明することができないから。

    話が脱線してしまったが、自分を信じるのってどうしたら良いのだろう。
    あの頃の私は、自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった。
    自分の思い描く理想には程遠く、かと言って自分の足元を見て、地道に歩みを進めるということもできず、ただ自分への愚痴を肴に酒を飲み、日々をぼんやりと過ごしていた。
    そんな時代があったからこそ、今、自分のことを信じているのはとてもありがたいと感じることができている。
    綺麗事だよね、分かってる。青臭いなとも思う。
    だけど自分を信じることって人生においてランキングトップに入るくらい大切なことで、それがあるから、冒頭に書いたけれどまた新たな道を拓けることができる。途中で道に躓いたとしても、昨日書いたような気がするけれど、もう一回立ち上がって進もうって気持ちになれる。
    多分、昔の哲学者が同じようなことを言っているように思う。
    だけど私は、自分が培ってきた経験や知識を使って、自分を信じるのは大切なことだ、ということを改めて噛み締めたい。

    蝉はすごい。自分を信じているから、8年も地中にいて、やがて大空へ飛び出し、大切な伴侶を見つけるために大きな声で鳴くから。あんな小さな体で、あんな大きな音を鳴らすことができるのってきっと、自分を信じているからなんだろう。昆虫には「自分」ということを気づかないで生きているらしい。だけど彼らは、自分のことを誰よりも分かっていて、だからきっと今、鳴いてる蝉も、自分の経験や知識をフルに使って生きているんだろう。

  • 生きがいなんてなくたって生きていられる

    生きがいなんてなくたって生きていられる

    子供の頃から、「夢を持て」とか、「生きがいを持て」みたいなことをたくさん言われて育ってきた。それはそれで間違っていない。夢を持つことで,自分の可能性を狭めることなく,むしろ広げるように成長していくから。生きがいを持つと,生きる自信に繋がるから。おそらく,世界中の子供たちは皆,大人からそんなことを言われて育っているように思う。
    私が子供の頃,記憶にあるのは,小学校6年生の授業で,自分の夢というテーマで作文をしたことだ。それは授業参観で発表する形となっており,先生としては「子供が何を考えているか」を発表させ,そして親がそのことを受けてどうのこうのみたいなことを狙っていたのだろう。
    そこで私は,「サラリーマンになる」という夢を発表した。それは夢と言えるのか?と疑問を呈することもやぶさかではない発表だった。私はおそらく,夢というものを見ず、自分の延長線上に何があるかというのを現実的な目線で考え、そして発表したのだろう。

    そして46歳になった今、その夢は叶えられ、私はサラリーマンとして20年以上働き続けている。その時、同じように夢を発表した人たちの中で、その夢とやらを叶えることができた人はいったい何割いるだろうか。残念ながら私は誰の夢も覚えていないし、それよりも前に小学校時代の友人とはここ10年くらい連絡を取っておらず、だからその夢を検証することもできないのだけれど。
    私は夢を見ていたのだろうか、こんな生活をする夢を?と思ってしまう。サラリーマンなんて今の日本では大多数を占めるだろう。そんな、謂わば誰でもなれるような職業を夢に据えるなんて、当時の私、自分の可能性をきちんと理解していたか、もしくは、夢というものを誤解していたのではないだろうか。

    そもそも、タイトルにも据えたけれど、夢とか生きがいがなくたって、人間はちゃんと生きていけるのだ。私はここ数年の中で、何度、夢とか生きがいのことを考えただろうか。たまに、ぼんやり、生きがいというテーマで物事を考えると、家族、特に子供達が成長するまではきちんと見守る、そういった意味で生きがいなのかもなぁ、なんて鼻をほじりながら考えたりもしたものだ。だけどそれは見方を変えると、生きがいではなく、単純に、親としての義務というだけだ。それを生きがいなんてカッコ良い言葉に置き換えたところで、話は美化されないし、子供たちは勝手に成長していくし、だから生きがいなんて必要ないんじゃ、と思うのだ。
    夢とか生きがいとか、そういうものがないと,ちょっと焦ったりもする。私はこのままぼんやりと生き続けていいんだろうかと立ち止まって考えてしまったりもする。だけどその時点で改めて,夢とか生きがいを考えたって,自分の生活はいつも通り進んでいくし,私は目の前にある家事や仕事をこなしていかなければならないから,意味がないんだと思う。

    夢とか生きがいっていうのは,もしかすると幻想だったのか。それを抱かなくなるとジョージオーウェルの1984年みたいな、曇った世界、希望がない世界のようになってしまうような気もする。あの世界は私には強烈すぎた。現在の、かの国のように言論が統制され、至る所で監視されているような生活を送っている人にとっては、それこそ夢とか持ったら政府に殺されてしまう、みたいになってしまうのかもしれない。
    だけどもしかすると、夢とか生きがいを強制的に考えさせられるような現代日本の義務教育は、ちょっと考えものなのかもしれない。
    いや、私は、そういうものを持っちゃダメだ、とは言わない。そうではない。けれど、夢とか生きがいとかなくても、ちゃんと生きていけるし、無理やり見つけるようなものではないから、意識的に見つけるんじゃなくて、自然と身についてくるような気がしてしまうのだ。

  • 走っている間、私は考えていなかった

    走っている間、私は考えていなかった

    今日は10km走った。
    風が強く、向かい風の時は前進するのがキツく、被っていた帽子の鍔が上にめくれ上がるほど。
    向かい風があまりにも強かったので5kmで終わりにしようかと途中引き返すことも考えたけれど、なんとか予定通り走り切ることができた。
    走り切ると言っても、途中信号待ちで休憩したりしたので、実質10kmを休みなく走るというところまでは到達できなかった。

    年が明けてから心機一転、走ることを趣味の一つに据えて過ごしている。
    去年は数カ月に1度走るかどうかくらいだったので、1月に入ってからすでに5回走っているという実績は、自分に自信が持てるような感覚を得ることができた。
    私にとって、過去、10kmだけでなくフルマラソンを経験しているというのは強い。
    全くゼロ経験の人と比べると、恵まれている気がする。
    身体が、筋肉が、走ることを覚えているから。
    そういうことって覚えてるんだよな、みたいなことを考えながら走った。

    いや、走りながらなにか考え事をしていたかというと、そんなことはなかった。
    走り出してから1kmくらいで今日のペースを掴んだら、思考はそこで置き去りにしていた。
    プン、と昔のブラウン管テレビを消した時のような音が頭の中で響き、そこからは信号で止まるかとか、ペースとか、息切れとか、走るルートとか、そういうものだけを考えるようになった。
    いつもこうだ。常日頃走っていた頃も同じで、何も考えることなく、淡々と走る生き物になった。

    何も考えていないというのは、生き物として、人間としてそこに在るのだろうか。
    今日は繁華街の一部を走ったので、その間はすれ違う人の目に私は映っただろう。
    だけど実際の私は、上述したようなことしか考えていなかったので、そこには確かに在ったけれど、考える生き物としてはイエスとは言えなかったような気がする。
    いや、無理に、なにかを考える必要なんてないのだろう。
    そもそも私は「走る」というイベントを体験しているだけで、それに没頭しているから、走ること以外のことは考える必要なんてなかったのかもしれない。
    他になにか考えるというのは、言わば雑念のようなもので、走ることを邪魔すると言っても過言ではない。
    おそらく、無理になにかを考えるべきということが、間違っていたのだと思う。

    それにしても走り終わった後に得られる爽快感の強さ。
    そのために走っているわ、といつも思う。
    代替できることってあるのだろうか。昨今のサウナブームで、整う、って言い方をする人がいるけれど、それに近いのかもしれない。
    サウナを趣味にしてみる?いや、時間が足りなすぎる。

  • 私は登場人物に会いに行っている

    私は登場人物に会いに行っている

    山本周五郎の、樅ノ木は残ったを読んでいる。
    最初はとっつきにくいな、と思った。登場人物があまりにも多く、時代小説ならではの名前が長いことや、なんとなくぼんやり似ていることなど、きちんと覚えなくてはいけないところが辛い。
    だけどそれを乗り越えたら、山本周五郎ならではの人情をちょこっと擽るストーリー展開、心情の揺れ動きがめちゃめちゃ楽しめる作品だった。だった、と言ってもまだ全4巻中の2巻目に入ったところだけど。

    小説を描く時の要素として、私は「ストーリー展開の上手さ」と「キャラクターの際立たせ方」の2つが重要と思う。
    山本周五郎はさぶ以降2作目(たぶん)で、さぶもそうだし人物の際立たせ方がとても秀逸である。ストーリーの中で、ヤマ場での立ち回り方だけではなく、そのヤマ場へ至るまでの行動、心情、それらを上手に操らないと話がまとまらない。ストーリーだけ上手に展開していったとしても、キャラクターの個性が読者にぼんやりとしか伝わらないのだとすると、それは正解ではない作り方なのだろう。

    私はストーリー展開よりも、キャラクターの際立たせ方を重視している。
    強烈な個性を持つ必要はなくて、どこにでもいるような人を登場させても良いだろう。
    シンプルにキャラクターを作り、その個性、派手さは特段いらないような個性を、きちんと読者に説明できれば良いのだと思う。
    辻村深月のゼロ、ハチ、ゼロ、ナナのように、登場人物の外見的な特徴を一切排除し、読者に委ねるという手法もなかなか、思いつかないけれどそういう書き方もあるのだね、と思ったことがあった。
    他、私の好きな伊坂幸太郎、西加奈子それぞれ、ストーリー展開もすごいしキャラクター作りもすごい。
    例えば伊坂幸太郎の砂漠のように、本当に、どこにでもいるような大学生を主人公に据えて描かれている。主人公の個性はどちらかというと薄く、だけど周りにいる人はそれぞれ何かしら特徴的な個性を持っていて(それがまた面白い)、上手いなぁ、と感嘆することばかり。
    驚くような個性を持たせる必要はないのかもしれない。だけどそれって読者にしてみると「近くにいそうな人」という、現実の延長線上にいるような人を描くことになる。読者の思いとしては、現実離れした世界の話を読みたいという人もいるだろうから、好みは様々なんだろうな、と思ったりもする。

    では、個性はどこに出てくるのだろう。
    上にもちょっと書いたけど行動、心情それぞれの描写の中に、個性が滲み出てくることが多い。
    家の鍵はいつもジーンズの右ポケットに入れる、とか、ハンカチは忘れないように育ってきたとか、そういう小さなところから個性って出てくるんだよな。

    冒頭に書いた山本周五郎など、気が向いた時に青空文庫で本を読んでいるけれど、キャラ立ちについては昔も今も変わらないよなと思う。
    これからすげー勢いのパラダイムシフトが起こらない限り、きっと、ずっと変わっていかないのだろう。

  • SRV250 ルネッサ インテークマニホールドを交換しました

    前回の記事で、アイドリングが恐ろしく不調、信号待ちでエンストしてしまうと書きました。その後、致命的と名高いインテークマニホールド(インマニ)が案の定ヒビが入っており、ここを交換したらよくなるのでは?!と思い立ち、楽天で非正規品を買って交換しました。

    数年後にまた交換する羽目になるんでしょうけど、とりあえずその時のための備忘録を記録しておきます。

    • シートを外す
    • タンクを外す、この時ガソリンがダダ漏れするのでクランプか、工具を差し込んでおく
    • ガソリンコックを外す
    • ポンプを外す、ガソリンコック含め、ホースがどこからどこへ向かってるのかちゃんと確認しておく
    • インテークマニホールドを外す、必要なのは六角レンチとプラスのドライバー
    • インテークマニホールドはフロントとリアで形が違うので、インテークマニホールド本体に書いてあるFとRで区別する

    写真など。何かの参考になれば幸いです。私はタンクを外す時にガソリンがたくさん出てしまうのでここうまくやれるようになりたいなぁ。クランプをきちんとすれば大丈夫なんだろうなぁ。

    ちなみに、1月頃Y○Pに持ってった時にこれ指摘されて、修理、相当かかりますよって言われてびびったんですがこれ、1時間くらいで交換できたし、特別な工具いらないし、何より楽しいのでこのくらいだったら自分でやれちゃうなぁと思いました。

    試運転してきちんと走れたからとにかく嬉しいです。一生乗るからなと改めて思いました。

    新旧比較
    フロント側。中は大丈夫そうに見えるんだけどなぁ
    リア側。こちらも中は穴が空いてなさそうでしたが、ホースを挿すところがちょっと傷が付いているように見えなくもない。
    交換したお古のほう。見事にヒビが入ってますね
  • ブログを毎日続けることの難しさ

    ブログを毎日続けることの難しさ

    今まで何度か、「ブログを毎日書こう」と思っても続かないことがありました。
    何かを始める時、心機一転!と心を入れ替えて始めるのは必ず失敗するので、生活の一部にブログを書くことを明確にしておくべきだなと思います。
    今日みたいな休日はだいたい書けるんですよね。
    難しいのが平日。しかも会社に出社する日。
    会社ではブログを書くことなんてできないし、通勤中は本を読むか映画を見ているので、そんなガチガチに縛られた生活を送っている中で、ブログを書くことをどこかに潜り込ませるなんて至難の業。
    たぶん、私に必要なのは、時間の使い方を考え直すことなのかもしれません。
    てか、その前に、なぜブログを書く必要があるのだろう?ということを考える必要があるのかも。

    なぜ、ブログを毎日書きたいのか

    これたぶん何百回とここのブログでも書いていることなんですが、毎日が慌ただしく過ぎていく中で、忘れてしまいそうなことをきちんと拾って、どこかに残しておきたいというのが、ブログを書きたい理由です。
    そんなん、日記をつけてったらいいじゃん、って話でもあるんですが。
    そうだよな、日記を書いたらいいんだよな。
    ブログに載せる必要なんてあるものか。

    日記を何に書くか

    私は2011年からほぼ日手帳を使っていて、それに日々感じたことなどを書いていたのですが、今年は2011年以来で初めて、ほぼ日手帳を使わない日々を送っています。
    買わなかった理由は、特になくて、使わなかったらどうなるかというのを試したかったからなのかも知れません。
    書いてもあまり見返さないし、それなら100円ショップのノートでも良いんじゃん、と思ったりもしています。

    書くとか書かないとか、そういうのってどうでも良いんですよね。
    書きたい時に書けばいいんだし。書きたくないんだったら、それはそれで、と。

    大切なのは、自分の心をヘルシーな状態に保つこと

    ブログも日記も、自分が考えていることを表面化させる作業です。
    それは、心が「何か書きたい」と思っているからで、私の場合は大抵、自分の中でモヤモヤしていることがあるとか、一日が一瞬で過ぎてしまって、自分の気持ちを置き去りにしているからとか、そんなもんです。
    モヤモヤしていることは書き出せば良くて、それはブログでも日記でも良いんですけど、モヤモヤしていることを書いたとて、気持ちが整理されるかということはまた別の問題な気がします。
    書くことで、自分の考えを目で読み、再認識するという行為が、気持ちを整理するにはとても大切だとなにかの本で読みました。

  • ロードバイク 30km

    ロードバイク 30km

    5年くらい前に買ったロードバイクが自宅寝室の壁で眠っていたので、それを呼び起こし、久しぶりに乗りました。
    ホント1年ぶりとかじゃないだろうか。
    ぱぱっと空気を入れ、ブレーキがちゃんと動作することを確認し、30kmの旅。時速21kmくらいの、私としては結構頑張ったスピード。

    なんでロードバイクに乗ったのか

    ほんとはランニングしたかったのですが、暑いので断念し、ロードバイクにしたのです。
    今日、気温が28度くらいまで上がるかも、と人伝いに聞き、そんなんじゃ走れないよな、と日和った結果になります。
    28度の中走るなんて普通の人間じゃムリだろ、と思いながらロードバイクに乗ったのですが、たくさんのランナーたちとすれ違いました。
    信じられません。みんなすごい。水分をたっぷり摂って、塩分糖分も忘れず、無事に走りきっていただきたいと祈りつつ。

    昔は日射病と呼ばれたよね

    「熱中症」って言葉を聞いたのってここ数年、少なくとも5年から10年の間くらいに感じます。
    私が子どもの頃は「日射病」と呼ばれていました。
    私の愛するMother2でも、例の砂漠の地域を歩いてると時折日射病に罹ったものです。何かの薬で治ったはずだけど忘れました。

    お尻が超痛い

    これロードバイカーさんたちっていったいどうしてるんだろう、って思わずにはいられないくらい、お尻が超痛いです。走り始めて10kmくらいのところでもうすでに痛くて、30km無理なんじゃ、と思いましたがなんとか気合いで乗り切れました。
    なんかクッション的なものとかあると良いんでしょうか。それにしてもロードバイクのサドルって硬いですよね。柔らかいとダメなんだろうか。私のサドルはSpecializedオリジナル?のやつ?買った時から替えてないんですが柔らかいサドル、ちょっと興味があるかも。

    と思って調べてみたんですが、そうかサドルの角度&高さかー。自転車を買った時のままなのでそれが良くないのかも。。

    “サドルのセッティングを適切にする”ことです。特に角度。高さも大切です。
    https://www.cyclesports.jp/topics/45563

    せっかく続けるなら、ちゃんとしたセッティングで乗ってみたいものです。
    あと重心のバランスとかも重要なんすね。なんかそういうこと勉強せずにそのまま乗ってるので、良くないのかもしれません。
    ロードバイクって数時間乗るレースとかもあるし、セッティングが良くなければ選手でも痛くなってしまうというのを知り、勉強になりました。