記憶に残らない一日

仕事をしているとあっという間に1日が終わる。
何も考えなくても、目の前の仕事をこなすだけで、あっという間に時間は過ぎる。
文字を入力するキーボードや、マウスを触っているだけで1日が終わり。
あっけない。あっけなさすぎる。
時折、仕事が猛烈に忙しくなったりすると、仕事のために生活しているような気分に苛まれることがある。
生活するために、給料を稼ぐ必要があって、だから私を含む一般的な社会人は、人質と同じ扱いで、働かなくてはいけない立場になってしまう。

これって幸せなことなんだろうか。
仕事があるだけ、仕事をこなせる頭脳と、体力があるだけ幸せなのかもしれないが、私が考えたいのはそこではない。
時間と気力体力を奪われているという状態が、幸せなのかどうかという点。
たぶん、結局のところ、自分が幸せと感じるなら良いだろう、という結論に至る気がするけど、ちょっと考えてみたい。
時間と気力体力が奪われ、その対価としてお金をもらう。
お金がないと、生活できない。たまに、お金無しで生活してます!みたいな、山奥に住んでいる家族を観ることがあるけど、そこまで振り切れるのすごいなと思う。
お金は大事だよ。必要だよ。だから、自分の時間と気力体力を捧げるんだよ、だってそれくらい重要なんだから、と、泣きながら考える。

では、お金が、必要十分な程度持っていたら、働かないという選択をするのだろうか。
家族が健やかに過ごすだけのお金。余裕はないけれど、慎ましく暮らすことにフォーカスして、まったりと生きていく、といったような。
たぶん、私は、仕事を探すと思う。
お金が欲しい訳ではない。いや、お金も欲しいけど、仕事をこなすことで得る達成感や、誰か、同僚のために貢献して、その同僚を喜ばせたい。
だいぶ飛躍した気がする。
お金のために働くと考えていたのに、いつの間にか、「貢献したい」と目的が変わってしまった。
お金のためだけに働くのって、なんとなく、虚しい気がする。(諸説あり)

話を戻す。
時間と気力体力を捧げてまで、誰かのために貢献したいということになるんだなここまでの文章を噛み締めてみると。
これも諸説ありで、つまり価値観に依存するようなものだから、あくまで私の考えではあるけれど、私は、お金ももちろん大事だけど、誰かのために貢献して骨を折り、仕事をこなすことで「気持ち良く」なるんだと思う。
生きているなら、仕事するなら、気持ち良く仕事をしたい。
そのためには、自分の時間や気力体力を捧げることだってやぶさかではない。
だってその方が気持ち良いんだもん。

生きるって難しい。人それぞれの考え方があって、もちろん私の考えに反する人もいるに違いないし、その考えを否定するつもりは毛頭ないし、だから、いろんな考えを持った人がいる中で、仕事したり、生活したりするんだもんな。