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  • 8月10日 嫌った世界がこんなに綺麗だったとは

    8月10日 嫌った世界がこんなに綺麗だったとは

    若い人の可能性を狭めることなく、大きな翼を使って羽ばたいて欲しいと願う

    7時に起床。今日は長男がお茶の水まで夏期講習に行くので、まだ行き慣れていない長男に合わせて一緒にお茶の水まで。電車は空いていた。8月10日、明日は祝日、それと絡めてお盆休みに入っている人が多いのかなー、と思った。
    お茶の水。予備校とか大学が多いし、若者が多いなぁという印象。長男を塾の入り口から見送る。背中はまだ小さいかもしれないけれど、その背中を優しく支え、押すことのできるような父親になっているかと自問する。彼には彼の人生がある。彼の、これからの人生が、順風満帆に進んでいったらいいと願う。時には大きな障害とか、乗り越えなきゃいけない課題が出てくると思う。その前に、彼の思い描く第一志望の大学に無事に合格しなければいけないというチャレンジングな状況を、彼は彼なりの力で乗り越えなければならない。
    たくさん勉強したからといって、合格が確約されるわけではない。もしかすると、残念ながら彼の第一志望に合格できないかもしれない。だけど人生は続いていく。合格しないと、それは失敗と思うかもしれない。そこで、失敗を失敗と捉えるのではなく、人生を快活に進めるための一つの材料として捉えてもらえたらいいと思う。
    そこからお昼くらいまでオフィスで働いて、帰宅。18時からランニング。5kmの予定だったけれど思いの外涼しくて、風が心地よく(すでに秋の気配を感じた)、気持ちよかったので9kmまで足を延ばした。最後にダッシュ。その時は何も考えていなかった。音楽をイヤフォンで聴いていたけれど、音が耳で止まり、脳まで届かない感覚。無酸素運動になっちゃうと辛くなるので、残り200mを呼吸の頻度を高め、無事に走り切った。
    ホントは10kmでも良かったんだよな。だけど膝がぼんやりと痛くなりそうな気配だったので9kmでストップ。後悔はしていない。むしろそこでやめて良かったと思う。
    人生は続く。膝を痛めてしばらく走れないことよりも、ギリでやめて、次に臨むことをメインに考えていく。

    若い子だからって何も考えていないワケではいない

    恩田陸の「夜のピクニック」読了。恩田陸は蜜蜂と遠雷以来の2作目。青春小説の金字塔。三浦しをんの風が強く吹いていると同じ印象。若者が体を使うという点で同じ匂いを感じたのかな。
    高校生が、24時間かけて長い距離を歩くという話。異母兄弟の主人公たち。題材としてはそれだけ。今私が書いた30文字くらいのテーマを、恩田陸という変態(褒めてます)が描くとこうなるんだ、という印象。会話多め。
    途中、私の青春時代のことを思い出す。郷愁と呼ばれるやつ。感傷に浸ったりもしたけれど、大円団のエンディングを迎えて、安堵した。
    私は、理想の青春時代を過ごしたのだろうかと考えた。何度も考えた。高校は偏差値57くらいの、私の中では普通と呼ばれるランクの、茨城の県立高校。高2の時点から恋人ができ、その人と高3の最後まで付き合った。いわゆる恋人という感覚ではなく、むしろ友達に近かった。今考えると、いわゆる高校生の性欲に急かされて付き合っていたのではなく、友達の延長線上という感覚で付き合っていたのだなと改めて思い出す。彼女は優しい人で、面白く、色々なことを話したよな、と思う。ほとんど忘れたけれど。だけど彼女と過ごした時に感じた空気とか、冬の寒さとか、そういうところは心に残っている。その引き出しを数十年ぶりに見つけ、開けられたことは、小説を読んでよかったなと思う。
    中学の友達とバンド組んで、ユニコーンとかハイスタとかのコピーバンドをやっていた。バイトはマクドナルドでやっていた。そんな高校時代だから、勉強にはあまり力を入れず、だから大学は地方Fランだった。もっと勉強しておけば良かったかな、と今、勉強を超頑張っている長男を見ると思うけれど、当時にもし戻れるとしても結局は同じ人生を歩んだんだろうなと思う。
    あの頃は楽しかったんだろうか、とか、どんなことを考えて生きていたんだろうか、もしかすると大したこと考えずに暮らしていたのかなとかも思ったけれど、あの頃はあの頃なりに、当時の自分としてたくさん悩んで、学んで、時間を過ごしてきたんだろうなと思う。
    小説を読んでいて、高校生でも悩むところはたくさんあるよな、常に人間って何か考えて生きているんだろうなと思う。それは17歳でも、47歳でも一緒のこと。てかあの頃からもう30年も経っているのか!あっという間だった。あっという間にここまで来て、大好きな家族に囲まれて、好きなことやって生きているよなと思う。後悔しててもしょうがないから、前を向いて、やれることにフォーカスして生きていく。

    嫌っていた世界がこんなに綺麗だったとは

    Laura Day Romanceの、brighter brighterという曲が好きで、先日のブログに自分なりの考察を書いてみた。その続きを考えてみたい。

    誰もが祈るように言えないことを 胸に秘めるけど 時折零れていく危ういことと分かっていながら 閑話休題 ねぇ これから これからの話だけしよう 最期の日まで奪われない そんなものが欲しい

    正しさの暴力で傷ついた心に 優しさが余るほど世界は甘くない 力なく呟く 言葉は 誰かが聞かなきゃ 窓打つ雨音と変わらない 音と変わらない 遠くを見つめている

    心の岸辺で あなたの名前を頻りに呼ぶたび 跳ね返る私と私の姿を 対岸の前の水面に見つける brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗な場所だとは brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗ば場所だとは brighter brighter 嫌った世界が こんなに綺麗な場所だとは brighter brighter

    人間って、自分の想像する世界の中で生きている。自分の想像する世界の外に出てみようと、半ば思い立って一人旅をする人もいる。自分探しの旅ってやつ。それは新たな価値観や光景を目にしたときに、自分がどう反応するかを試す場所なんだと思う。
    それは、場合によっては自分の想像をはるかに超えるような世界を目にするかもしれない。時には生死の価値観を揺るがせるような事態を目にすることだってあるだろう。そんな光景を目にして、沈んでしまう自分。そんな、期待していなかった自分の反応が、心地良くなかったとしても、それも自分だから、とある意味納得して、人生を進めていく必要があるんだと思う。
    この歌詞に共感できるところは、そういう、自分の想像する、期待する世界ばかりではないこと。それをきちんと受け止めること。そうやって人生は進んでいくんだから。自分の思い通りにいくばかりが人生ではないから。冒頭に書いた長男の背中を見ても、これから彼なりに大きな課題を抱えていくことだってあるだろう。だけどその場所に飛び込んでみると、想像とは全然違うような、もしかするといい意味で刺激を受けることがあるかもしれない。Laura Day Romanceの人たちは若い。私からするとあんま調べてないけれど多分20歳くらいの差があるんだろうなと思う。今考えてみると私の20年前、その頃は楽しかったんだろうなと郷愁に耽ることだってできるけれど、大半の記憶は薄れていて、良い記憶しか残っていない。だけど当時の自分だっていろんなことに悩んでいただろうし、嫌なことだって少なくなかっただろう。けれど今の自分は、その頃の経験や思考を土台にしてい生きている。今、私が納得した人生を送れているのは、その頃の紆余曲折は必要不可欠だったし、Laura Day Romanceの言うように、嫌っていた世界が実は綺麗だったということだってあったのだと思う。

    人生は続いていく。いろんな経験を糧にして、自分を成長させていくのは自然の摂理だ。これからもきっと私はたくさん悩んで、時には「もうこんな世界イヤだ」と思うことだってあるだろう。だけどそれも人生。いい部分だけではなくそういう部分もひっくるめての自分なんだから、色々な感情や思考を抱きしめて、生きていきたい。

  • 8月7日 結果も大事だけど

    8月7日 結果も大事だけど

    足るを知る

    6時過ぎに起床。もうなんか普通になってきた。
    起きた瞬間はエアコンの効いていた部屋(いつも朝4時くらいに終わるようにしてる)の空気がとても心地良く、その空気に包まれながら目を覚ます。
    ベッドに寝ながら寝起きのスマホ。20分くらい。そこからプロテイン+牛乳。そして朝食。今日はフライパンに卵を落とし、その上から食パンを置く。卵がいい感じに固まった頃を見計らってフライパンから取り出し、卵がヒタヒタになったエリアにマヨネーズ。なんとなく卵サンドを食べたいなと思い至った時、ゆで卵があればすぐできるんだけどウチはゆで卵を常備していないから、代替案としてこのやり方に辿り着く。

    レシピがない料理をするのってワクワクする。けどきちんとした責任が生まれ、その責任を全うする必要がある。責任というのは、たとえ不味くても食べ物を粗末にしない、ということ。簡単なことではあるが、食べ物を粗末にするというのはいつの世も、どの世界でも、よくないこととして捉えられるものだ。

    不思議だよね。昨日、禁欲主義について考えながらランニングした。禁欲主義というのは、いわゆる煩悩全てを断ち切って、残された気持ちを抱きながら生きるということ。煩悩は際限がない。昨日、快楽について書いたけど、そういうこと。例えばいいバッグを手に入れたとしても、嬉しいのはその瞬間だけ。そこから際限のない物欲が無限に湧いてくるのだから。
    それを断ち切るには、足るを知るということ。現状に満足するということ。

    結果を重視するか、そこまでの努力を重視するか

    結果重視という考え方もある。そこまでの努力重視という考え方もある。
    そこは相入れない。結果を重視する人は、例えば試験に合格することを至上としている。不合格したら、そこに至るまでに培った努力を全部却下、認めないという選択肢をとる。
    私は、それには反対の立場で生きている。
    確かに、いくら頑張っても、失敗してしまったら、その努力が水の泡。努力をした証明にならない。だって何も残らなかったんだから。

    それって、とても寂しいことだよな、と思う。自分の努力を認めてあげられないなんて、心が狭いな、と。私は自分に優しいのかもしれない。だけどそれをダメなことだなと感じることはない。自分は信じてあげるべきなのだ。じゃないと、人生がつまらなくなるから。

  • 8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    カロリーを控えめにしたから痩せるということではない

    7時くらいに起床。今日は眠気が残った。睡眠ログを見てみると、5時間を切ってる睡眠時間。
    確かにそうだった。昨夜、あまりうまく寝付けず、入眠が遅かった。これは心療内科の薬を飲んでいないということに依るのかもしれない。トレードオフとでも言うべきか。
    ということで在宅勤務に切り替え、二度寝。1.5時間くらい寝たことで、眠気はさっぱりと消えた。

    在宅勤務だと、誘惑が多いということは以前書いた。刺繍とか、iPadとか、手元にそういうものがあるので仕事に集中できない。
    人間っていうのは贅沢な生き物だ。これも最近書いたと思うけれど、私は通勤がとてもストレスだから、作家になって自宅で仕事ができるようにしたいと願っていた。それが叶った今、新たな悩みが生まれたということだ。

    悩みは、自分が成長できるきっかけでもある。悩みで終わらせるのではなく、それを解消するためにどう考え、どう行動していけば良いのかということに繋げれば、その悩みをきっかけとして、前に進むことができる。それはすごいことだ。そんなふうに人間は、死ぬまで成長できる。

    いい感じに仕事をし、お昼に素麺を茹で、19時に仕事終了。まだまだたくさん仕事はあるけれど、けれど今日を終いにするというケジメは、毎日必要な儀式の一つ。

    そこからランニング。今日も5km。期待していないけれど、全く痩せない。
    なんで痩せないの?とAIに聞いたら、彼は、人間はストレスとか睡眠不足、十分なカロリーを摂らないと、サバイバルモードに変わるとのこと。体に溜め込んだ脂肪をなるべく残し、飢餓状態になった時に初めてそれを使う。だから、いい感じにカロリーを摂取して、生きていけば、自然と痩せていくのだと。だからあすけんでは、カロリーが低めだった日に、あまり良い評価が取れないのだなと実感。あのお姉さん、結構厳しめだろと思ったけれど、人間の体を研究していた人のレポートをベースにしているはずだから、あすけんが間違っているということはないのだろう。

    さて、ランニングの話。今日は暑かった。最近は少し涼しい日々が続いていたので、走りやすかったんだけど、今日は暑かった。だからペースは遅め。途中何度か、なんでこんな苦しいと思えるようなことを、ほぼ毎日繰り返しているのだろう、と自分の欲望を訝しんだりした。

    あの頃に戻りたい、じゃなく、今の自分を認めつつ、成長したいという気持ちを持つこと

    あの頃の自分に戻りたい、と願うことは勝手だ。自分の中で、当時を思い返し、充実していたなぁ、と思いを抱く。体は軽いし、走れるし、その頃がよかった、と考える。
    だけどそれは、裏を返すと、今の自分に満足していない、今の自分を否定するということにつながる。
    これはとても悲しいことだ。なぜなら、今の自分が嫌いということになるから。
    それは、快楽と充実という考え方があるそうだ。何それ、と思った。

    快楽と充実について

    ランニングって、なんでこんな辛いのに走るの、この、クッソ暑い真夏。気温30度。なんでなんの得もないのに走るの、と考えた。それをAIにぶちまけたところ、人間には、快楽と充実という考え方があるのだとそう。哲学なのかな?心理学?

    ざっくりいうと、性欲食欲物欲みたいなものは快楽。手に入れた瞬間はとても気持ちが良いけれど、ポイントは、 快楽を追い求めると、満足が逃げるという点。手に入れた瞬間は、めっちゃ嬉しい。だけどそれは際限がない。次を、次を、と考えてしまう。

    一方、充実というのは、例えばランニング。走っている最中とかもめっちゃしんどい。今すぐに歩きたいと考える。しかし、走り終えた後の満足感は、それは体が無意識にもたらしてくれる。苦しいことをやり終えたというハードルもあるのだろう。今日も走れてよかった、と考える。それは体が、快楽だけでは満足しない、ということにつながるそうだ。これが、充実なのだと。

    充実を得る方が、満足度は高い。

    いやけどこの話って難しいよね。今でこそ私、47歳になってそういういわゆる欲みたいなものがなくなってきたから、充実度を向上させるためのマインドセットを醸成することができてきている。だけど若い頃は快楽に溺れたいと考える。人間だもの。それを否定するつもりはない。

    いや、何歳になったって欲に溺れる人はいるだろう。それこそ価値観の問題だから否定するつもりはない。高い酒を飲んで、たくさんの女を抱いて、みたいな典型的な「快楽」を求める人は多い。それはそれで頑張って生きてくれれば良いと思う。

    私は、充実を求める人だ、ということ。

    そして充実を求める人という点で、もう一個メリットがあって、あの頃の自分に戻りたい、ではなく、今の自分を愛し、それを土台にして成長していこうという気持ちを培うことができるということ。
    それはデカい。上述したけれど、今の自分を否定しながら生きていったとしたら、悲しい人生を送ることになる。今の自分を自分で認めていないということは、とても悲しい。今を愛するという点は、自分の成長に大きな武器となるんだな。

  • 8月5日 善く生きるということ

    8月5日 善く生きるということ

    心療内科からきちんと卒業するということ

    6時くらいに起床。サクッと朝食、出社。この辺り何も考えずに動けるようになってきた。心療内科で処方されている薬を飲まないという選択肢を取っている今、将来的に挫けるようなことがあったらまた心療内科に行けば良いのだろうけど、このままいけば、次回の予約分から行かないということになる。
    心療内科からの脱却。正しくないやり方だと思っている。だって心療内科の先生と何年も付き合っていて、先生から、もう薬いらないと思う、来なくていいよ、って言われていないから。
    何度か減薬の相談をしたこともあったんだけど、一旦様子見で、っていう感じではぐらかされ? 2年近く同じままで続いていた。別に不信感を抱いているということではないのだけれど、このままずーっと薬を飲み続ける生活を送るのではないかと思ったりしてる。

    心療内科からちゃんと「卒業」する人って、通ってる人の中で多数を占めるのだろうか。私はここ 2年くらい、それこそ減薬を相談するくらいに調子が良く、鬱っぽいことを考えたり、そっち方面の気持ちが心に充満したり、ということからだいぶ脱却できてきた。それでも先生の言葉を信じ、通っていたけれど、さすがに 2年くらい減薬の相談をしても、私の願い?期待?通りに処方箋を更新してくれなかったのは、ちょっとどうなの、と思っている。

    だから私は、だいぶチャレンジングだと自認しているけれど、もう心療内科に行かない、という選択肢を取るのだね。そして、処方された薬を自分の意思で飲まない、という選択肢を取るんだね。

    きっと危険なことなんだろう。分かってる。またいつか、そういう系の衝動が急に芽生える可能性は、ゼロではないのだろう。
    私は薬を飲まなくなって、そしたら朝、快適に起きられるようになり、午前は眠くならず、いい感じにランニングしたりして、お酒の量を減らして健康への意識を高めるようになった。

    これってどう見ても、善いことなのではないだろうかね。
    私は、死ぬ時に後悔しない生き方を、というモットーを心に抱いて生きているから、その目的のためにどうしたらいいのか、ということを考えながら生きている。

    それってソクラテスの時代から言われているような、「善く生きる」ってことなのかもしれない。

    小野寺文宣 ひと 読了しました

    巻末の書評で中江有里さんが「実直」という言葉を使っていたけれど、全くその通り、これほどまでに実直な青年に、だいぶ感情移入してしまった。主人公は自分の人生を控えめに生きてきたけれど、だんだん、自分の意思で生きるようになるんだよな。
    そして、実直という言葉の通り、まさに誠実に生きている。両親を亡くし、お金に困窮しても決して挫けず、前を向いて生きているその姿を、善く生きると言わずして、なんと言えば良いのだろうか。

    昨日、まだ途中だけど、って体でその時点での読書感想文を書いた。
    そして今日、読み終わったけれど、この作者の、日常の描き方が本当に好きだ。そして、登場してくる人の温かさに関する描写が、とても適切な言葉で綴られていて、想像しやすい平易な言葉だし、その言葉の選び方がまた良かった。
    一人称、つまり主人公の目線で描かれているから、20歳の男子という目線で書く必要があるんだよね。だから、難しい言葉を使うわけにはいかないし(一般的な20歳の男子が知っている世界での、言葉を使うという意味)、そして行動や思考だってそのスコープに照らして書かないといけない。
    当たり前のことだけれど、これが自然にできないと、この主人公、実は何歳?みたいなことになってしまう。そういうところって自分の経験でできるのかなぁ、みたいなことを考えていたら、私の記憶の深さ、豊かさについて考えるようになった。

    20歳代の記憶が一番エモくて強い

    私は47歳になった今でも、大学時代にバイトしていた焼肉屋での風景や、そこで出会ったお店の人たち、お客さん、みたいなところの夢をよく見る。
    別にトラウマがあったとかではない。焼肉屋を営む家族みんなが優しくて、それこそこの小説に出てきた惣菜屋のみんなみたいな感覚だけど、だからイヤな思い出はほとんどなかった。

    一方、例えば、結婚してからとか、ここ10年くらいの記憶や経験をベースにした夢ってあまり見ない。それって、私の意識的に拾える脳の引き出しに入っていない、もしくは違う引き出しを見ているのかな、と思う。
    ここ10年、例えば妻や子供たちを愛していないとか、そういうことじゃないと信じる。私が家族のみんなが大好きだし、彼らが風邪をひいて熱を出しただけでも心配でしょうがない。家族のために全力で仕事をしているし(このへんも善く生きるに繋がるのかも)、だから、家族と得た経験や思い出は20代の頃のそれと比べても劣ることなんて全然ないと思う。だって家族旅行だってめちゃくちゃ楽しいし、行ってよかったといつも思うし、だから定期的に夢に出てきてほしいな、思い出を振り返りたいな、と思う。だけど残念ながら夢に出てくるのは、20代のあの頃なのだ。

    つまり私の中で、取り出しやすい引き出しにある記憶って20代の頃で、それがとてつもなく強いレベルで保管されているように思う。エモい。眠くなってきたので唐突だけど終わり。何が言いたいのか良くわからなくなってきたけどこのまま投稿して寝る。

  • 8月4日 いろいろな気持ちを抱いた。それも日常の一コマ

    8月4日 いろいろな気持ちを抱いた。それも日常の一コマ

    毎日同じようなことを考えている

    6時台に起床。二度寝はせず。サクッと朝食を摂って会社へ。今日は楽なつくば。
    出勤中は小野寺史宜の「ひと」。チャッピーにおすすめされたもの。
    初めて読む作家さんで、前情報が何もなく、チャッピーからは「お前に合うかもよ」って言われただけなので、正直あまり期待していなかった。
    だけど、これはドはまりの予感しかしない、と感じた。まだ読了していないけれど、後述しようと思う。
    会社に着いて、バレットジャーナルで昨日やり残した仕事を確認する。

    最近のバレットジャーナルの使い方としていいな、と思ったのが、デイリーログを「今日の予定」として入れるのではなく、「今日やった結果(ログ)」として入れる、というやり方。
    メリットは、やったことを確実に残せるということ。あと、仕事に取り掛かる前に、他のタスクのことを考えなくなること。つまり集中できる。これはデカい、と思った。
    私は割とマルチタスク系な人間で、だから他のタスクが気になってしまう。仕事をしていて、同僚からTeamsで問い合わせみたいな相談が来ると、気になってしまう。これは非常に良くない。結局仕事が想定より遅くなってしまったということも多々ある。
    だから、仕事に集中するために、他の仕事には目を触れないということが必要なのではないかと考えるようになった。

    デメリットは、これまた割とインパクトがデカいんだけど、「本来やらなきゃいけないこと」を見逃してしまうという点。これはデカい。大切なタスクを見逃してしまうというリスクがあるから。仕事効率化というカテゴリーで括られる、仕事術として、適切なタスク管理はその中心的存在だ。それを根底から無視してしまう、とも考えられる。これは対策が必要。

    そこで私は考えた。私はA5のバレットジャーナルと共に、A7のメモ帳を肌身離さず持っている。これはアイデアとか、やらなきゃいけないこと、小説のネタに使えそうないい感じの状況などを逃したくないから持っているんだけど、こっちにToDoリストを毎日作って、そっちを日々の予定表扱いにする。
    こうすることで、それぞれの持ち味が発揮される。ToDoリストを肌身離さず持つことで、タスクの取りこぼしがない。ロディア No.11を始めとするA7メモ帳は、ミシン目が入っている。だから、常に最新のToDoリストが、開いた瞬間に登場する。毎日の終わりにはそのミシン目で捨てるから。終わったタスクはToDoリストで斜線等を引いて終わりにしてもいいんだけど、そこでバレットジャーナルで日々を記録する。この組み合わせはなかなか良い気がする。この辺りのアイデアで本を書きたいんだよなぁ。

    小野寺史宜、ひとについて、途中まで読んだところでの読書感想文

    さて、上述した、こちらの本。

    ネタバレを含みます

    若い青年の話。お父さんとお母さんを亡くし、一人で生きていかなければいけないという、辛い境遇。最初にお父さんが亡くなり、それでもお母さんが頑張って私立大学へと進ませてくれたんだけど、そのお母さんが突然死してしまう。絶望。涙が止まらない主人公。そんな彼を応援せずにはいられない。そして、これ以上彼に不幸が訪れないでほしい、と切に願い続けながら読んでいる。

    今、だいたい半分くらい読んだところ。通常、読書感想文というのは、本を読み終わった時に書くものだろう。だけど私はこの途中段階で書こうという気持ちを抱く程度に、この本の魅力に取り憑かれた。まだ全部読んでいないけれど、今年読んだ本の中でトップを取りそうな気さえする。まだ読んでいないけれど。

    私は小説を読む時、作家さんの思考の拡げ方、癖、文末表現などを気にしながら読む。ストーリー展開は奇抜でなければだいたい良くて、ファンタジー要素は苦手で、現実に則した話であればあるほど好きなんだけれど、この辺りの作家さんの匙加減と、物語で取り扱われるテーマの両方が、私の好みにドンピシャだった。もし居酒屋でばったり会ったら私は、生ビールを奢り、普段どんなことを考えているのか聞いてみたい。そんな風にこの作者にも興味を抱いた。

    私がこの話をなぜ好きなのか、適切に言語化できないのが本当に悔しい。ストーリー的には、主人公の不幸が重なるという境遇と、私の息子に年が近いため、子供として見ている点、また主人公の控えめな性格が、とても普通で、日常で、その点がすごく好きだ。奇抜な登場人物もいない。みんな、どこにでもいるような人ばかり。だってそうだよ、それが日常なんだから。主人公は優しさに包まれたり、若干気持ちの下がるような、ネガティブなこと(両親が亡くなる以外で)を抱いたりしているが、「それでも生きていく」というスタンスに、とても好感を抱いた。(脱線するけれど、坂元裕二脚本の、それでも、生きていくってドラマ、好き)
    ホント、幸せになってほしい、と心から願う、そして、これ以上イヤなことが起きないでほしい、とドキドキしている自分がいる。この辺り、本を読み終わったらこの気持ちを抱くことができない。だから、あえて、まだ読み終わっていない段階だけど読書感想文を書こうと至ったモチベーションになったのだと思う。
    多分、明日読み終わる。その時はその時で、また読書感想文を書いてみたい。

  • 8月3日 日々は続く

    8月3日 日々は続く

    前向きでも後ろ向きでもない、淡々と進む

    7時くらいに起床。心療内科の薬を飲まなくなってから、朝、目覚めやすくなった。プロテインと菓子パンで朝食。
    菓子パンってすごいよなぁ。あすけんではお菓子扱いでした。栄養って観点はほぼ考えてないんだろうなぁ。口当たりと、甘さに全振りの味。食べたら幸せな気分になるけれど、それは糖分を摂取しているからなんだろう。

    今日は虎ノ門に出社。出勤中は逃亡くそたわけを読む。昨夜半分くらい読んでいたので、出勤中に読了。

    以下、ネタバレを含みます

    いわゆるロードムービー。精神科に入院してる二人が、病院を抜け出して九州を車で移動するという話。途中、車のエアコンが壊れたりして二人の空気が悪くなったり、事故を起こして当て逃げするとか、順風満帆な旅ではなかった。だけど二人の共通認識として、病院には戻りたくないというのがあり、その現実から逃げるように旅をする。途中万引きや、食い逃げをしたりして、善く生きるをモットーとする私的には、ちょっと嫌なシーンだった。
    私はそういう時、お店側の立場を考えてしまう。盗まれた分、売上が下がるわけだし、それによって苦しい思いをするのだろうから。いくら、それが二人の生活にとっていかに必須なのだとしても、やっていいことと悪いことはあるでしょうよ、と。
    深く心に残ったのは、現実から逃避したのだとしても、やがて現実と向き合うときは来るんだよな、ということ。物語ではその現実のシーンが描かれていなかった。読み手としては、いつか見つかってしまうのかな、とそのシーンがいつ来るのかドキドキしながら読んだけど、そのシーンは訪れなかった。まぁけど、車の中での二人の空気感とか、結構な現実感はあったけれどもね。

    現実と向き合って生きるべし

    なんやかんやあって、同僚が気に入らないとか、上司が認めてくれないとか、そういう他人との関わり合いは避けることはできないよな。逃亡くそたわけでも、二人の関係性とか、自分以外の人と関わることって多々あって、それに一喜一憂することはもはや一般常識だったりする。だけど他人はコントロールすることができない。そして、過去も変えることができない。こんなこと、このブログでも数えきれないほど書いてきた。

    大切なのは、自分の未来に投資すること。そのためには、自分の機嫌を取って生きてくことがとても大切なんだと思う。だって自分が機嫌悪くなって、他人に私の機嫌を取ってもらおうなんて虫が良すぎるだろ。機嫌を自分で良くすると、自分の未来が明るくなるってことだと思う。機嫌が良い方が、生きていて楽しい。
    自分の機嫌を取るには、どんな行動を取ったらいいんだろう。今の私の場合、体を動かすとか、刺繍するとか、私の心が豊かになるものが好き。お酒も機嫌を取ることはできるけれど、飲みすぎると記憶無くすし、二日酔いになるし、最近はお酒に対して、どっちかというとネガティブな印象を抱くようになったので、この選択肢から除外する。あとは好きな歌を聴くとかかなぁ。

    人生は楽なことばかりじゃない。むしろ生きていくためには困難だってある。その都度気持ちが腐ってしまうと、そこから浮上するのってすごく難しい。とはいえ、急にそんな状況に陥ることだってあるだろう。つまり予測不可能ということ。だったら、普段から気持ちが落ちないように心がけ、そしてそれだけじゃなく、落ちた時に浮上するための術を多く持っておく必要があるように思う。人生は長い。ぼんやりしていたら灰になっちまうって昔のロックバンドの人が言っていた。腐ってなんかいられない。楽しいことだけして生きていたい。それなら、そのための心の持ち方というものを、自分なりに考えてみることが大切なのかもしれない。

  • 8月2日 向かい風に向かって走るためには

    8月2日 向かい風に向かって走るためには

    バイクで向かい風はキツい

    今日は日曜日でお休み。7時くらいに起床。今日も暑い。
    今日はロードバイク。40km行こうかと考えていたんだけど、AIに相談したらやめとけ、30kmにしとけって啓示が降りたので、その案に従って30kmロードバイク。
    我孫子の曙橋ってところまでのライド。昨夜、手賀沼での花火大会があったからそのゴミとか落ちてんのかなぁーバイクで踏んだらやだなぁと思いながら向かったけれど、ゴミ的なものはほぼ落ちてなかった。すごいね、この数時間で掃除した人がいるってことだね。もしくは手賀沼まで来てた観客たちの「着いた時より綺麗に」っていうマインド、モラルの賜物か。掃除の人にしても、観客たちにしても、どっちにしても翌朝、花火終了から12時間以内の空間でキレイにしてるってこと、ほんと誇っても良いと思う。

    さて、目的の曙橋まで、行きはほぼ向かい風だった。踏んでも踏んでも進まない。人生って向かい風が吹いている時って大体辛いよな、みたいなことを考えながら走った。これはロードバイクだけじゃなくて、ランニングする時も同じように考えてたよなぁ。人はなぜ、向かい風なのに進もうとするんだろうか。風が止むのを待って、そこから走り始めたら良いのに。
    向かい風だとしても、前に進む理由があるんなら、進むしかないよな。風が止むをの待ってなんかいられないことの方が往々にしてある。自分の信じた道が、たとえ向かい風がバンバン吹いていたとしても、それに向かって進むしかないよな。

    逆に、帰りは追い風だった。そしてそこでも私は考えた。追い風の時って、割と無意識に風を感じていて、「今の私、追い風が吹いてる!」とは、人生の中でも感じることはないように思う。
    私みたいな、どっちかというと慎重な人間は、追い風が吹いてる!と感じた時、それはむしろ悪いことが起きる前触れだったりするから、より一層気を引き締めて暮らしていこう、と改めて考えたりする。いわゆる、足元を掬われるってやつ。ほんとそういう時に滑りやすいよね、人生って。

    30kmを終えて帰宅。尻付近と、尿道付近に痛み。痛いと言ってもどっちも、ヤバいやつではなく、ロードバイクあるあるなやつ。走りながらも痛みを感じていたけれど、そういう時って上半身が前に倒れていて、腕というかハンドル付近に重心が寄っているような気がした。頑張って上半身を起こして走ったら、なんとなく痛くなくなったような気がする。ロードバイク買って7年とか経つけれど、初めて知った事実なんではないだろうか笑

    宗教ってどうやってできたのだろう

    私は一切,哲学とか宗教学を学ぶ機会がなかった。大学は理工学部だし,単科大学だったということもあり,基礎教育としてその辺りを教育できる人を囲っておく予算はなかったのかもしれない。あったとしても、当時の自分は哲学とか宗教にはなんの興味もなかったから、きっと取ってなかっただろうな。

    今日、ぼんやり,ロードバイクに乗りながら宗教の成り立ちを考えていた。
    所詮素人の思いつきだから,事実とは大きく異なるとは思う。興味があったら調べる。

    さて,どうやってできたのか。私の意見はこちら。

    人が増えてくるにつれ,多様な考えが生まれるようになった。
    人々は苦しみ,一時の快楽に溺れ,やがて死んでいくという人生。多くの人はそうだった。そのことに疑いを持たず、人生ってそういうものだから、と先人たちに言われて年をとってきた。
    さて、そんな中で人間は、死んだ魂はどこにいくのだろう、と考えるようになった。
    物理的には、死んだら魂なんてものはどこにも行かず、血液が脳に流れなくなった時点で終わり。いわば宗教的な、輪廻転生とか、そういうものは一切あり得ない。私もそう思っている。
    脱線した。多くの人は、死んだ魂はどうなってしまうのか。とても気になった。

    そして、「天国」が生まれた。皆が、自分の理想とする世界が天国。自分の理想って様々。多分私のと、このブログを読んでくださっているあなたの描く天国は違う。

    そこで、人は考えた。共通の天国を作れば、分かりやすく、多くの人にその天国というものの大切さを伝えることができるのではないだろうか、と。
    今、苦しんでいる人は、死の淵を彷徨っていて怖がっている人に、その天国のことを教えれば、その人は怖がらずに死を迎えられるのではないだろうか、と。
    それが果たして、住民にとって良いことなのかはわからない。しかし、現在の生活がうまくいっていない人に、死なずに、生き続けるには希望が必要だ。現世でやり直すのは難しい。このままどんなに頑張ってみても、生活は苦しいままで、そんならもうこの世からいなくなってもいいよね、どうせ私がいなくても、誰も困らないし、と自暴自棄になってしまう。

    それを防ぐことが必要だ。気持ちがアウトローになっていても、生きていくためのモチベーションを与えなければいけない。そして、そこに必要なのは天国という存在。
    今は地獄かもしれない。けれど死んだ後は天国に行けますよ、という教えが誕生する。

    必要ない人だってたくさんいる。だけど、今の生活に躓きを感じる人は、「ちょっと信じてみようかな」って軽い気持ちで考え、やがてその宗教に入る。
    入ったところで生活が改善されるのを保証されるわけではない。もしかするともっと苦しくなってしまうかもしれない。だけどその、拠り所があるだけで、「また明日も生きてみようかな」と思えるようになるのではないだろうか。
    素人考えだから、これが当たっているかどうかはわからない。だけど、宗教の成り立ちと、宗教に没頭する信者の考え方を整理してみると、面白い結果になったりするのかもなぁ。

  • 8月1日 休日だけどタスクをこなす

    8月1日 休日だけどタスクをこなす

    午前が長い

    昨夜は1時過ぎまで眠れずにゴロゴロしていたところで、多分眠りに就いた頃は1時30分とかだったような。明日は早く起きられないだろうなぁ、と思いながら寝たので期待していなかったんだけど、まさかの6時台に起床。しかも、どろーんとした目覚めではなく、すっきりとしたもの。起きて何をするかちょっと考えたけれど運動一択だよね。朝は調子が微妙なのがここ数年のデフォなんだけど、実は今週、心療内科から処方されている薬を飲んでいない。理由は、気持ち的に調子良いから。躁状態ということではない。落ち着いて、日々、いろいろな物事に取り組めているなと感じているから。

    ということでランニング。5km。ペースは限りなく7分に近い6分台。5分20くらいで走ってた頃が懐かしい。焦らずにゆっくり戻す。暑いし。
    近所に公園があって、そっち行ってみたんだけど朝ランしてる人がとても多かった。知り合いはおらず。元々、ほとんどいないけど。なんとなく、同じ方向で走ってる人のペースに引っ張られそうな気がしてイヤだったので、ルートを変える。古くからある神社の方へ。そこからは近所をぐるぐる。今日は信号によく引っかかった気がする。考えすぎかな。考えすぎだろうな。

    オープンしてからしばらく経つ駐車場が、いまだに「オープンセール」ってやっていた。もう半年くらい経つんじゃないかな。これこのまま料金体系が定着していく未来が見えたわ。
    5kmを終え帰宅。からのシャワーを経てプロテイン+牛乳。
    そして図書館。Copilotからおすすめされたものを借りる。絲山秋子の逃亡くそたわけ、小野寺史宣のひと、そして恩田陸の夜のピクニック。3人とも初めて読む。あ、恩田陸は何か読んだ気がするか。蜜蜂と遠雷読んだな。楽しみ。

    バレットジャーナルにタスクを書いてこなす日々。ランニング、車の修理、図書館など。あとは刺繍と手芸くらいだな。

    Brighter, Brighter

    最近はLaura Day Romanceというバンドがちょっと好きで、そしてBrighter, Brighterっていう歌がとても気に入っている。
    穏やかなBPM、現実はうまくいかない、みたいなテーマの歌。最初は女性ボーカルの女性がいいな、って思いながら聞いていたんだけど、最近は歌詞が気になるようになってきた。

    https://s.awa.fm/track/b4a6b30c19b19f868432

    冒頭、少し引用してみる。

    間違いのないように 君は言葉を詰まらせているけど 時折騙すように 嘘笑をやってみせるのね そんな姿は決して 見たくない 見たくないけど グラグラの立場で お互い大変だよね 甘い思いを募らせ やり過ごすだけで 生活は精一杯 理由もなく流れる涙は 誰かの目に留まらなきゃ 天国へ行けない 天国へ行けない

    私はこういう、男性女性のカップル(と勝手に考えている)がうまくいかなくて、とてもゆっくり、だけど確実に別れに向かうっていう話が本当に好きで。
    「グラグラの立場でお互い大変だよね」って言うのが、どういうシチュエーション?って聴く方に委ねてるのがいいよな、って思う。その不明瞭なところを埋めるために聴く方は想像力を最大限に発揮して、具体的なシチュエーションを想像する。
    天国へ行けない、というのは。天国ってなんだろう。若干形而上学的なニュアンスも含まれているけど、それが「誰にとっても幸福な場所」と前提するならば、この恋人たちは、甘い思いを日々抱きながらもそれによって得られる天国へは容易に到達することができないくて、足元を見ると日々、生きるという営みを過ごすだけで精一杯。余裕がないんだね。二人の未来を悲観(というと言い過ぎかな)して、自然と頬を濡らすけれど、誰もいない部屋で、一人で泣いていても、何も進展しねーぞ、ということなんだろうか。

    涙は女の武器って言われたりする。この時代に男女の、この手の特性みたいな話をするのもアレなんだけど、涙を誰かに、ここで言ってるのは相手なのかな、に見られたら、彼らの考える天国に行けるのか。正直、個人的には「泣いても解決しねーぞ」派なので、涙が全てを解決するかというとそれは場合によるだろ、とは思う。だけど、涙に縋りたくなるほどに男女の関係は冷え切っていて、彼は嘘笑をしたりして本心を隠すし、もうどうしたらいいか分からないみたいな状態って、実はそんなに珍しいことではないよな。そして、「あーこのまま終わっちゃうのかなぁ」ってぼんやり考えるの、結構堪えるよね。私は割と早く結果を出したいタイプなので、時間に身を任せて解決するのか、崩壊するのかを委ねてしまうとか、そういう他責で自分の未来を自分で切り拓かない感じのやつ、苦手なんだよな。時には、もうどうでもいいから時間に解決してもらおうみたいに思ってしまうことはあれど。

  • 7月31日 幸福と豊かさ

    7月31日 幸福と豊かさ

    今日は自宅で仕事

    7時すぎに起床。昨日書いたけど今日はアレルギー対策の薬をもらうために通院しようかなと思い立ち、だから家で仕事した。8時くらいから仕事開始。
    今週は月曜から木曜まで出社してたから、家での仕事に若干戸惑う。家には誘惑が多い。音楽をかけ(これは会社でも普通にイヤフォンで聴いてる)、やりかけの刺繍に目を移し(さすがに仕事中はやらないけど)、そんなこんなでふわふわしてたから仕事のスイッチが入るのに結構な時間がかかった。
    昨日まで結構本気で仕事してきたから、頭が疲れてると言うのもあるかもしれない。今週は結構頭使ったもんなぁ、と考えたり。リラックスして仕事をすることも必要だよな。

    午前中は割とでかいミーティングの画面投影係だったので、それはそれで緊張した。私は一言も喋らないけれど、please go to the next pageの、please gのあたりで次ページへ移動させる、みたいなところで、英語を一字一句聞き逃してはならない、みたいな気疲れもあり。

    昼食べて、午後イチ、病院へ。診察は2分で終わり。いつも通りレボセチリジンを処方してもらって終わり。
    今週から体を動かそう!ブームになったこともあり、病院へはロードバイクで。暑かったけど気持ちよかったなぁー。そっからたくさん走り、45分のロードバイク。近所をぐるぐるした感じ。
    超汗をかいた状態で仕事に戻る。エアコンをガンガンにかけてたら体が汗で冷えてしまって、着替えたりとか。
    そっからも夕方に割と割り込み的な仕事が入ったりして、20時過ぎまで頑張った。今日は頑張ったよ。

    他人から認められたいとか、それが幸せにつながるのかとか

    夕食摂りながら奥さんと、アンハサウェイが叩かれた話を。どの世界にも妬む人っているよねぇ、と。キラキラした人は叩かれるよな。私もそっち側にいるのかもしれないと思ったり。いわゆる氷河期世代ど真ん中だけど、働きがいのある定職には就けているし、子供含め大好きな家族に囲まれているし、だから、ある方面から見たら「幸せそうで何よりだな」とも思われたりする可能性あるよな、と。ここで、ブログとしてこう言うことを書いている時点でこれがきっかけになることはあり得るよな、と。

    認められるってなんだろう。
    他人との関わりたいという思いと、一体どう付き合っていったらいいんだろう。やりすぎは良くないと思っている。30代の頃はSNSをガンガンやっていて、私は他人からの承認欲求に割とこだわっていたような気がする。
    それは悪いことだとは思わない。人って一人で暮らしていくことはできないし、孤独を愛せよ、っていう考えは私は全面的に賛同はするんだけれど、時折、なんとなく、物足りないなー、って思うことがあると思う。
    別に、SNSでバズりたい!を言いたいわけではない。それ至上主義で生きている人を否定するつもりは毛頭ない。それがその人の価値観なんだから。それを否定する権利はない。
    一方、自分からの承認だけで生きていけばいいじゃんという考え方。それは孤独を愛するということと同義かもしれない。それもそれで、否定する権利はないと思っている。価値観だし。くどいね。
    大切なのはきっと、自分の価値観をしっかり持って、その両極端な考え方ではなくて、自分が幸せだー、と感じられるものをしっかり捉えていくことが必要なんだと思う。
    バズったらバズったで、アンハサウェイのように妬みの対象になるかもしれないし、誰からも評価されないっていうのも、考え方によっては寂しいことなのかもしれない。
    ってことをAIに話してみたら、評価されたい対象が1人なのか、数人なのか、大多数なのかって話なのかな、って言われた。確かにね。

    自分の価値観をきっちり持つことが大切、って上述したけれど、そんなものはふわふわ変わるし(ずっと一定の人もいると思う)、だから、その時々で自分がどうなったら幸せか、っていうことを自問し続けて、それに至るために必要なアクションをとっていく事が大切なのかなぁ。

    かく言う私も、日々、こんな感じでのらりくらりと自分の考えをブログとして載せているけれど、考えによっては日記に書けばいいじゃん、とも思うよね。多分私は社会との接点として、私がドメインを持ってるこのブログに、その接点を託しているのだと思う。
    ユニークユーザーなんて月に数人だし、こんな辺鄙な場所に載せているブログなんて興味ある人なんてほぼいないだろうけれど、私にとってはこのくらいが、ちょうど良いのかもなぁ。コメント欄も閉じてるし。

  • 7月30日 徒然なるままに

    7月30日 徒然なるままに

    今日も走った

    7時台に起床。今日もつくばに出社。
    通勤電車が快適ってだけで出社する気持ちが湧いてくる。
    昨日一昨日あたりの日記にも書いたかもしれないけれど、私はほんとに朝の通勤電車が嫌いなんだなぁと感じる。

    私は一体、朝の通勤電車の何が嫌いなんだろうか。
    まず、他の人に気を使うのが疲れる。体は触れたくないし、女性が近くにいたら男性以上に体やバッグが触れないように気をしないといけないし、本を読むのも辛いくらい人がいっぱいだと、本当に疲れる。
    出社する前から疲れるってどういうことだよ、と。

    だから、つくばへの出社は本当に気持ちが良い。まず、人に接触するというほどに混んでいない。ツいていたら座れるくらい。電車に乗っている時間も、自宅から虎の門に向かう時間の半分くらいだし。すごいよ。これなら在宅勤務じゃなくても良いかなって思っちゃう。

    9時前に出社し、18時まで集中して仕事。あっという間だった。たくさん仕事をこなしたなぁって感覚で退勤。

    ゾーンに入る、というと言い過ぎだと思うけど、たまに、時間を忘れて仕事に没頭する時がある。何がきっかけかはよく分からない。なんとなく感じるのは、自分の中で、仕事の具体的なアクションとか、ゴールが明確になっている時かな、ということ。

    逆に言うとふわふわした仕事、探りながら前に進んでいくような仕事は好きではないのかもしれない。仕事って全部が全部、取り掛かる前からきちんとゴールが示されているようなものだけではない。むしろ分からない方が多いように感じる。だから、ちょっと走って現在地点を確認、ゴールが見えるか探ってみてまたちょっと走る、みたいな、それこそマラソンみたいなやり方も必要だったりするよね。前が見えない状態で走ることができるかどうか、これって仕事をする上で、一つの才能だと思う。

    で、帰宅後、ランニング。5km。外ラン。気温は29度。ゲリラ豪雨明けの湿度MAX状態。めっちゃ大変だった。フルマラソンを走ってた頃はキロ5分20とかで走れていたんだけど、今日は暑すぎて7分を切ることができないくらい。こういう日に限って信号待ちできないくらい調子良いんだよな。赤信号にならず。結構な住宅街を走ったんだけどね。

    しかし走っていくとわかるんだけど、あっつい、もわっとした空気を感じるところと、ほんの少しだけ気温が低い空気が流れるところがあるんだよな。あれってなんなんだろう。空気というか気温って、基本的に均一だと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。住宅街を走っていたから、建物から出る熱ということかもしれないけれど。よく分からない。最初は不思議に思って、建物を見てみたりしたんだけど、室外機が歩道の方にあるわけでもないし、昼間の熱?を吸った建物から出たりしてるのかなー、とか考えているうちに5km。最後の1kmは本当に辛かった。Apple Watchの距離のところを100m毎に見るくらいの頻度。そしてラスト50mくらいのところで、歩道の青信号が点滅したので、そこで止まることも考えたんだけど、50mをダッシュに近いくらいのスピードで駆け抜けた。トレッドミルでいう12.5km/hくらいのスピード。

    あと、アームバンドをつけて走りたいと常々考えていて、Amazonで安い割に評価が高いものが売っていたのでそれを購入して、それをつけて初めて走ってみたんだけど、走り始めてから2km超えたくらいで妙に肩が凝るようになって。きっとアームバンドのせい。あとはペースが非常にゆっくりだったので、いつもみたいなフォームで走ることができず、首が前に出がちだったのかな、とか考えた。次回からは腰につけるバッグに戻そうと思う。

    腰につけるバッグから、アームバンドになぜ変えたのかというと、腰につけるバッグはかなり年代物で、時代としてはiPhone 7とかそのくらいだったような。つまり、今の標準的なiPhoneのサイズよりも、ポケットが小さくて、私の今使っているiPhoneを入れると、ファスナーが全部閉まらない状態。ま、新しいの買いなさいよって話ではあるんだけど。そっか、新しいの買っても良いかもなぁ。それで快適に走れるんなら安い買い物でしょ。

    あと、ランニングしてシャワーを浴びたあと、鼻の頭が猛烈に痒い。そして鼻水も出る。もう花粉の時期って終わってなかったっけか。花粉症の薬が欲しい。