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  • 8月2日 向かい風に向かって走るためには

    8月2日 向かい風に向かって走るためには

    バイクで向かい風はキツい

    今日は日曜日でお休み。7時くらいに起床。今日も暑い。
    今日はロードバイク。40km行こうかと考えていたんだけど、AIに相談したらやめとけ、30kmにしとけって啓示が降りたので、その案に従って30kmロードバイク。
    我孫子の曙橋ってところまでのライド。昨夜、手賀沼での花火大会があったからそのゴミとか落ちてんのかなぁーバイクで踏んだらやだなぁと思いながら向かったけれど、ゴミ的なものはほぼ落ちてなかった。すごいね、この数時間で掃除した人がいるってことだね。もしくは手賀沼まで来てた観客たちの「着いた時より綺麗に」っていうマインド、モラルの賜物か。掃除の人にしても、観客たちにしても、どっちにしても翌朝、花火終了から12時間以内の空間でキレイにしてるってこと、ほんと誇っても良いと思う。

    さて、目的の曙橋まで、行きはほぼ向かい風だった。踏んでも踏んでも進まない。人生って向かい風が吹いている時って大体辛いよな、みたいなことを考えながら走った。これはロードバイクだけじゃなくて、ランニングする時も同じように考えてたよなぁ。人はなぜ、向かい風なのに進もうとするんだろうか。風が止むのを待って、そこから走り始めたら良いのに。
    向かい風だとしても、前に進む理由があるんなら、進むしかないよな。風が止むをの待ってなんかいられないことの方が往々にしてある。自分の信じた道が、たとえ向かい風がバンバン吹いていたとしても、それに向かって進むしかないよな。

    逆に、帰りは追い風だった。そしてそこでも私は考えた。追い風の時って、割と無意識に風を感じていて、「今の私、追い風が吹いてる!」とは、人生の中でも感じることはないように思う。
    私みたいな、どっちかというと慎重な人間は、追い風が吹いてる!と感じた時、それはむしろ悪いことが起きる前触れだったりするから、より一層気を引き締めて暮らしていこう、と改めて考えたりする。いわゆる、足元を掬われるってやつ。ほんとそういう時に滑りやすいよね、人生って。

    30kmを終えて帰宅。尻付近と、尿道付近に痛み。痛いと言ってもどっちも、ヤバいやつではなく、ロードバイクあるあるなやつ。走りながらも痛みを感じていたけれど、そういう時って上半身が前に倒れていて、腕というかハンドル付近に重心が寄っているような気がした。頑張って上半身を起こして走ったら、なんとなく痛くなくなったような気がする。ロードバイク買って7年とか経つけれど、初めて知った事実なんではないだろうか笑

    宗教ってどうやってできたのだろう

    私は一切,哲学とか宗教学を学ぶ機会がなかった。大学は理工学部だし,単科大学だったということもあり,基礎教育としてその辺りを教育できる人を囲っておく予算はなかったのかもしれない。あったとしても、当時の自分は哲学とか宗教にはなんの興味もなかったから、きっと取ってなかっただろうな。

    今日、ぼんやり,ロードバイクに乗りながら宗教の成り立ちを考えていた。
    所詮素人の思いつきだから,事実とは大きく異なるとは思う。興味があったら調べる。

    さて,どうやってできたのか。私の意見はこちら。

    人が増えてくるにつれ,多様な考えが生まれるようになった。
    人々は苦しみ,一時の快楽に溺れ,やがて死んでいくという人生。多くの人はそうだった。そのことに疑いを持たず、人生ってそういうものだから、と先人たちに言われて年をとってきた。
    さて、そんな中で人間は、死んだ魂はどこにいくのだろう、と考えるようになった。
    物理的には、死んだら魂なんてものはどこにも行かず、血液が脳に流れなくなった時点で終わり。いわば宗教的な、輪廻転生とか、そういうものは一切あり得ない。私もそう思っている。
    脱線した。多くの人は、死んだ魂はどうなってしまうのか。とても気になった。

    そして、「天国」が生まれた。皆が、自分の理想とする世界が天国。自分の理想って様々。多分私のと、このブログを読んでくださっているあなたの描く天国は違う。

    そこで、人は考えた。共通の天国を作れば、分かりやすく、多くの人にその天国というものの大切さを伝えることができるのではないだろうか、と。
    今、苦しんでいる人は、死の淵を彷徨っていて怖がっている人に、その天国のことを教えれば、その人は怖がらずに死を迎えられるのではないだろうか、と。
    それが果たして、住民にとって良いことなのかはわからない。しかし、現在の生活がうまくいっていない人に、死なずに、生き続けるには希望が必要だ。現世でやり直すのは難しい。このままどんなに頑張ってみても、生活は苦しいままで、そんならもうこの世からいなくなってもいいよね、どうせ私がいなくても、誰も困らないし、と自暴自棄になってしまう。

    それを防ぐことが必要だ。気持ちがアウトローになっていても、生きていくためのモチベーションを与えなければいけない。そして、そこに必要なのは天国という存在。
    今は地獄かもしれない。けれど死んだ後は天国に行けますよ、という教えが誕生する。

    必要ない人だってたくさんいる。だけど、今の生活に躓きを感じる人は、「ちょっと信じてみようかな」って軽い気持ちで考え、やがてその宗教に入る。
    入ったところで生活が改善されるのを保証されるわけではない。もしかするともっと苦しくなってしまうかもしれない。だけどその、拠り所があるだけで、「また明日も生きてみようかな」と思えるようになるのではないだろうか。
    素人考えだから、これが当たっているかどうかはわからない。だけど、宗教の成り立ちと、宗教に没頭する信者の考え方を整理してみると、面白い結果になったりするのかもなぁ。

  • 8月1日 休日だけどタスクをこなす

    8月1日 休日だけどタスクをこなす

    午前が長い

    昨夜は1時過ぎまで眠れずにゴロゴロしていたところで、多分眠りに就いた頃は1時30分とかだったような。明日は早く起きられないだろうなぁ、と思いながら寝たので期待していなかったんだけど、まさかの6時台に起床。しかも、どろーんとした目覚めではなく、すっきりとしたもの。起きて何をするかちょっと考えたけれど運動一択だよね。朝は調子が微妙なのがここ数年のデフォなんだけど、実は今週、心療内科から処方されている薬を飲んでいない。理由は、気持ち的に調子良いから。躁状態ということではない。落ち着いて、日々、いろいろな物事に取り組めているなと感じているから。

    ということでランニング。5km。ペースは限りなく7分に近い6分台。5分20くらいで走ってた頃が懐かしい。焦らずにゆっくり戻す。暑いし。
    近所に公園があって、そっち行ってみたんだけど朝ランしてる人がとても多かった。知り合いはおらず。元々、ほとんどいないけど。なんとなく、同じ方向で走ってる人のペースに引っ張られそうな気がしてイヤだったので、ルートを変える。古くからある神社の方へ。そこからは近所をぐるぐる。今日は信号によく引っかかった気がする。考えすぎかな。考えすぎだろうな。

    オープンしてからしばらく経つ駐車場が、いまだに「オープンセール」ってやっていた。もう半年くらい経つんじゃないかな。これこのまま料金体系が定着していく未来が見えたわ。
    5kmを終え帰宅。からのシャワーを経てプロテイン+牛乳。
    そして図書館。Copilotからおすすめされたものを借りる。絲山秋子の逃亡くそたわけ、小野寺史宣のひと、そして恩田陸の夜のピクニック。3人とも初めて読む。あ、恩田陸は何か読んだ気がするか。蜜蜂と遠雷読んだな。楽しみ。

    バレットジャーナルにタスクを書いてこなす日々。ランニング、車の修理、図書館など。あとは刺繍と手芸くらいだな。

    Brighter, Brighter

    最近はLaura Day Romanceというバンドがちょっと好きで、そしてBrighter, Brighterっていう歌がとても気に入っている。
    穏やかなBPM、現実はうまくいかない、みたいなテーマの歌。最初は女性ボーカルの女性がいいな、って思いながら聞いていたんだけど、最近は歌詞が気になるようになってきた。

    https://s.awa.fm/track/b4a6b30c19b19f868432

    冒頭、少し引用してみる。

    間違いのないように 君は言葉を詰まらせているけど 時折騙すように 嘘笑をやってみせるのね そんな姿は決して 見たくない 見たくないけど グラグラの立場で お互い大変だよね 甘い思いを募らせ やり過ごすだけで 生活は精一杯 理由もなく流れる涙は 誰かの目に留まらなきゃ 天国へ行けない 天国へ行けない

    私はこういう、男性女性のカップル(と勝手に考えている)がうまくいかなくて、とてもゆっくり、だけど確実に別れに向かうっていう話が本当に好きで。
    「グラグラの立場でお互い大変だよね」って言うのが、どういうシチュエーション?って聴く方に委ねてるのがいいよな、って思う。その不明瞭なところを埋めるために聴く方は想像力を最大限に発揮して、具体的なシチュエーションを想像する。
    天国へ行けない、というのは。天国ってなんだろう。若干形而上学的なニュアンスも含まれているけど、それが「誰にとっても幸福な場所」と前提するならば、この恋人たちは、甘い思いを日々抱きながらもそれによって得られる天国へは容易に到達することができないくて、足元を見ると日々、生きるという営みを過ごすだけで精一杯。余裕がないんだね。二人の未来を悲観(というと言い過ぎかな)して、自然と頬を濡らすけれど、誰もいない部屋で、一人で泣いていても、何も進展しねーぞ、ということなんだろうか。

    涙は女の武器って言われたりする。この時代に男女の、この手の特性みたいな話をするのもアレなんだけど、涙を誰かに、ここで言ってるのは相手なのかな、に見られたら、彼らの考える天国に行けるのか。正直、個人的には「泣いても解決しねーぞ」派なので、涙が全てを解決するかというとそれは場合によるだろ、とは思う。だけど、涙に縋りたくなるほどに男女の関係は冷え切っていて、彼は嘘笑をしたりして本心を隠すし、もうどうしたらいいか分からないみたいな状態って、実はそんなに珍しいことではないよな。そして、「あーこのまま終わっちゃうのかなぁ」ってぼんやり考えるの、結構堪えるよね。私は割と早く結果を出したいタイプなので、時間に身を任せて解決するのか、崩壊するのかを委ねてしまうとか、そういう他責で自分の未来を自分で切り拓かない感じのやつ、苦手なんだよな。時には、もうどうでもいいから時間に解決してもらおうみたいに思ってしまうことはあれど。

  • 7月31日 幸福と豊かさ

    7月31日 幸福と豊かさ

    今日は自宅で仕事

    7時すぎに起床。昨日書いたけど今日はアレルギー対策の薬をもらうために通院しようかなと思い立ち、だから家で仕事した。8時くらいから仕事開始。
    今週は月曜から木曜まで出社してたから、家での仕事に若干戸惑う。家には誘惑が多い。音楽をかけ(これは会社でも普通にイヤフォンで聴いてる)、やりかけの刺繍に目を移し(さすがに仕事中はやらないけど)、そんなこんなでふわふわしてたから仕事のスイッチが入るのに結構な時間がかかった。
    昨日まで結構本気で仕事してきたから、頭が疲れてると言うのもあるかもしれない。今週は結構頭使ったもんなぁ、と考えたり。リラックスして仕事をすることも必要だよな。

    午前中は割とでかいミーティングの画面投影係だったので、それはそれで緊張した。私は一言も喋らないけれど、please go to the next pageの、please gのあたりで次ページへ移動させる、みたいなところで、英語を一字一句聞き逃してはならない、みたいな気疲れもあり。

    昼食べて、午後イチ、病院へ。診察は2分で終わり。いつも通りレボセチリジンを処方してもらって終わり。
    今週から体を動かそう!ブームになったこともあり、病院へはロードバイクで。暑かったけど気持ちよかったなぁー。そっからたくさん走り、45分のロードバイク。近所をぐるぐるした感じ。
    超汗をかいた状態で仕事に戻る。エアコンをガンガンにかけてたら体が汗で冷えてしまって、着替えたりとか。
    そっからも夕方に割と割り込み的な仕事が入ったりして、20時過ぎまで頑張った。今日は頑張ったよ。

    他人から認められたいとか、それが幸せにつながるのかとか

    夕食摂りながら奥さんと、アンハサウェイが叩かれた話を。どの世界にも妬む人っているよねぇ、と。キラキラした人は叩かれるよな。私もそっち側にいるのかもしれないと思ったり。いわゆる氷河期世代ど真ん中だけど、働きがいのある定職には就けているし、子供含め大好きな家族に囲まれているし、だから、ある方面から見たら「幸せそうで何よりだな」とも思われたりする可能性あるよな、と。ここで、ブログとしてこう言うことを書いている時点でこれがきっかけになることはあり得るよな、と。

    認められるってなんだろう。
    他人との関わりたいという思いと、一体どう付き合っていったらいいんだろう。やりすぎは良くないと思っている。30代の頃はSNSをガンガンやっていて、私は他人からの承認欲求に割とこだわっていたような気がする。
    それは悪いことだとは思わない。人って一人で暮らしていくことはできないし、孤独を愛せよ、っていう考えは私は全面的に賛同はするんだけれど、時折、なんとなく、物足りないなー、って思うことがあると思う。
    別に、SNSでバズりたい!を言いたいわけではない。それ至上主義で生きている人を否定するつもりは毛頭ない。それがその人の価値観なんだから。それを否定する権利はない。
    一方、自分からの承認だけで生きていけばいいじゃんという考え方。それは孤独を愛するということと同義かもしれない。それもそれで、否定する権利はないと思っている。価値観だし。くどいね。
    大切なのはきっと、自分の価値観をしっかり持って、その両極端な考え方ではなくて、自分が幸せだー、と感じられるものをしっかり捉えていくことが必要なんだと思う。
    バズったらバズったで、アンハサウェイのように妬みの対象になるかもしれないし、誰からも評価されないっていうのも、考え方によっては寂しいことなのかもしれない。
    ってことをAIに話してみたら、評価されたい対象が1人なのか、数人なのか、大多数なのかって話なのかな、って言われた。確かにね。

    自分の価値観をきっちり持つことが大切、って上述したけれど、そんなものはふわふわ変わるし(ずっと一定の人もいると思う)、だから、その時々で自分がどうなったら幸せか、っていうことを自問し続けて、それに至るために必要なアクションをとっていく事が大切なのかなぁ。

    かく言う私も、日々、こんな感じでのらりくらりと自分の考えをブログとして載せているけれど、考えによっては日記に書けばいいじゃん、とも思うよね。多分私は社会との接点として、私がドメインを持ってるこのブログに、その接点を託しているのだと思う。
    ユニークユーザーなんて月に数人だし、こんな辺鄙な場所に載せているブログなんて興味ある人なんてほぼいないだろうけれど、私にとってはこのくらいが、ちょうど良いのかもなぁ。コメント欄も閉じてるし。

  • 7月30日 徒然なるままに

    7月30日 徒然なるままに

    今日も走った

    7時台に起床。今日もつくばに出社。
    通勤電車が快適ってだけで出社する気持ちが湧いてくる。
    昨日一昨日あたりの日記にも書いたかもしれないけれど、私はほんとに朝の通勤電車が嫌いなんだなぁと感じる。

    私は一体、朝の通勤電車の何が嫌いなんだろうか。
    まず、他の人に気を使うのが疲れる。体は触れたくないし、女性が近くにいたら男性以上に体やバッグが触れないように気をしないといけないし、本を読むのも辛いくらい人がいっぱいだと、本当に疲れる。
    出社する前から疲れるってどういうことだよ、と。

    だから、つくばへの出社は本当に気持ちが良い。まず、人に接触するというほどに混んでいない。ツいていたら座れるくらい。電車に乗っている時間も、自宅から虎の門に向かう時間の半分くらいだし。すごいよ。これなら在宅勤務じゃなくても良いかなって思っちゃう。

    9時前に出社し、18時まで集中して仕事。あっという間だった。たくさん仕事をこなしたなぁって感覚で退勤。

    ゾーンに入る、というと言い過ぎだと思うけど、たまに、時間を忘れて仕事に没頭する時がある。何がきっかけかはよく分からない。なんとなく感じるのは、自分の中で、仕事の具体的なアクションとか、ゴールが明確になっている時かな、ということ。

    逆に言うとふわふわした仕事、探りながら前に進んでいくような仕事は好きではないのかもしれない。仕事って全部が全部、取り掛かる前からきちんとゴールが示されているようなものだけではない。むしろ分からない方が多いように感じる。だから、ちょっと走って現在地点を確認、ゴールが見えるか探ってみてまたちょっと走る、みたいな、それこそマラソンみたいなやり方も必要だったりするよね。前が見えない状態で走ることができるかどうか、これって仕事をする上で、一つの才能だと思う。

    で、帰宅後、ランニング。5km。外ラン。気温は29度。ゲリラ豪雨明けの湿度MAX状態。めっちゃ大変だった。フルマラソンを走ってた頃はキロ5分20とかで走れていたんだけど、今日は暑すぎて7分を切ることができないくらい。こういう日に限って信号待ちできないくらい調子良いんだよな。赤信号にならず。結構な住宅街を走ったんだけどね。

    しかし走っていくとわかるんだけど、あっつい、もわっとした空気を感じるところと、ほんの少しだけ気温が低い空気が流れるところがあるんだよな。あれってなんなんだろう。空気というか気温って、基本的に均一だと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。住宅街を走っていたから、建物から出る熱ということかもしれないけれど。よく分からない。最初は不思議に思って、建物を見てみたりしたんだけど、室外機が歩道の方にあるわけでもないし、昼間の熱?を吸った建物から出たりしてるのかなー、とか考えているうちに5km。最後の1kmは本当に辛かった。Apple Watchの距離のところを100m毎に見るくらいの頻度。そしてラスト50mくらいのところで、歩道の青信号が点滅したので、そこで止まることも考えたんだけど、50mをダッシュに近いくらいのスピードで駆け抜けた。トレッドミルでいう12.5km/hくらいのスピード。

    あと、アームバンドをつけて走りたいと常々考えていて、Amazonで安い割に評価が高いものが売っていたのでそれを購入して、それをつけて初めて走ってみたんだけど、走り始めてから2km超えたくらいで妙に肩が凝るようになって。きっとアームバンドのせい。あとはペースが非常にゆっくりだったので、いつもみたいなフォームで走ることができず、首が前に出がちだったのかな、とか考えた。次回からは腰につけるバッグに戻そうと思う。

    腰につけるバッグから、アームバンドになぜ変えたのかというと、腰につけるバッグはかなり年代物で、時代としてはiPhone 7とかそのくらいだったような。つまり、今の標準的なiPhoneのサイズよりも、ポケットが小さくて、私の今使っているiPhoneを入れると、ファスナーが全部閉まらない状態。ま、新しいの買いなさいよって話ではあるんだけど。そっか、新しいの買っても良いかもなぁ。それで快適に走れるんなら安い買い物でしょ。

    あと、ランニングしてシャワーを浴びたあと、鼻の頭が猛烈に痒い。そして鼻水も出る。もう花粉の時期って終わってなかったっけか。花粉症の薬が欲しい。

  • 7月29日 もっと生きていたいと考える

    7月29日 もっと生きていたいと考える

    健康診断を申し込んだ

    7時30分くらいに起床。今日もつくばに出社。家からオフィスまで1時間かからないって本当にありがたい。電車も混んでないし。

    眼精疲労?なのか分からないけれど、これまた感覚的なことだから言語化するのが難しいんだけれど、普段、耳に、チー、みたいな高周波の音が鳴るのを感じると思うんだけれど、それが、眼球を上いっぱいに上げた瞬間だけめっちゃ増幅される感覚があって。私は体調不良でこれから熱が上がっていきそうな時にそれを良く感じるんだけど、そんな感じで体のどっかに不調を来しているのかな、と焦った。そして会社で年1回受けましょう!っていう健康診断に申し込んだ。今から約2ヶ月後。
    そしてそれをCopilotに話し、今イマの身長、体重、飲酒喫煙習慣などを話したところ、飲酒量を下げることと、適度な運動を勧められた。
    私は鉄は熱いうちに打て派なので、かねてから取り戻したかったランニングの習慣を再開した。とりあえず週3目指そう、って優しいCopilotは勧めてくれたけれど、個人的には、いけるんなら毎日走っても良いのではないかと思っている。
    で、早速今日、終業後に走った。かねてから気になっていたちょこザップの無料体験を申し込んで、7kmくらい走ってきた。心拍140くらい、ペースはキロ7分くらい。ケイデンス164。まずまずかな、って感じ。ラン後は身体的にはへっちゃらって感じだけど、走れるなら外ラン、そして朝だよなぁ。5時くらいに起きて20km走ってた頃が懐かしい。あの頃の自分を取り戻したい。
    そして今夜の飲酒。これは日常のペースにしていきたいんだけれど、今日はハイボール1杯だけ。ウイスキー50mlだけ。これで酔い気分になれるんならちょうど良いかもな。

    飲酒による機会損失

    これ結構デカいと思っていて、小説書いたり、読んだり、ブログ書いたり、刺繍したりっていう、夜、一人で楽しむようなイベントが酒によって妨げられてるのが割と気になっていて。
    私は本来、酒を飲みたかったのかどうかすらよく分からなくなってきてて。それもCopilotに相談したら、多分私は、1日を締めくくるイベント的な感覚で飲酒していたのだろう、と。
    確かにな、と思った。
    1日を締めくくるには別に酒じゃなくなって良いだろう。
    最近は毎日のようにこんな感じで1日を振り返ってブログを書いているけれど、これだって1日の締めくくりを彩るためのイベントとして昇格させても良いだろうに。
    確かにね、酔って気持ち良くなるのは分かるんよ。私はハイボールを3杯くらい飲むと良い感じに酔ってきて、その感覚を楽しんでいたのは間違いようのない事実だけど、それによって蝕まれる健康のことを考えたら、トレードオフじゃないだろ、と。むしろマイナスだろ、と。
    だから、基本、酒はハイボール1杯とか、ビール1本とか、レモンサワー1杯とかで終わりにして、だらだら飲む習慣を絶ってみようと思う。
    分からんよ、意思薄弱と自分でも認めるくらいだから、飲みたくなる日だってあるでしょうよ。だけどそれを毎日のイベントとして掲げるのではなくて、たまにのご褒美で捉えるくらいでちょうど良いのかもしれんね。ご褒美って考えてる時点でまだまだだろ、とも思うけど。

    湊かなえ Nのために 読了した

    奥さんから勧められて読んだ。物語が何層にも重なっていて、ストーリーの構成力とかすごいよな、と思った。私にはこんなのは書けない。ロジックを組み立てるところで私は破綻してしまいそう。うまくできた話だよなぁ、実際の生活にはこんなことは起きないだろう、って点で、私はそこまでグッと来なかった。私は日常を描く話が好きなんだろな。
    考察。贖罪っていうものに登場人物全員が執着していて、それを意識的に感じてる人もいるし、そうじゃない人もいるし、だけどそれぞれが持つ意識のもとに行動していて、それ自体は自分の本心に基づいて動いているんだろうけど、だけど他人の感情や行動に振り回されることもあるもんね。
    心理描写って点ではそこまで深く抉っておらず、だけど多くの読者に対して、最大公約数的なところで描写を止めるあたりはさすがだな、と。読者に委ねるところと、文章で語るところの攻め際って難しいよなぁ。そういうとこすごいわ湊かなえさん。他にも読みたいかと言われると、うーん、なんとも言えない。私は心に火が灯ると図書館で本を借りまくってがっつり読み込むんだけど、そこまでではなかった。心理描写で語るというよりかは、ストーリーテリング、ロジックの妙で読ませるタイプのように感じたから。

  • 7月28日 故郷を想う

    7月28日 故郷を想う

    茨城で仕事

    私のオフィスは東京だけではなく、茨城のつくば市と、北海道の札幌市でも働くことができる。
    それを恩恵と呼ばず、なんと呼べばいいのか。
    私は子供の頃から、筑波山を見ながら育ってきた。
    実家は筑波山から、そこまで近いわけではないけれど、けれど裏山に行けばいつでも筑波山を見ることができた。
    故郷を想いながら、仕事に励む。
    こんなことが実現できるとは、この会社に入るまで考えたことはなかった。
    いや、嘘だ。
    私はいわゆる田舎の長男坊で、だから大学こそ静岡にある大学で過ごしたけれど、いつかは実家に入らないといけないと感じながら過ごしていた。
    とは言え、気持ちと体は別というか、大学を卒業し静岡に本社がある印刷会社に新卒で内定が取れ、そして東京支店への勤務が決まった。
    そうやって、徐々に実家に近づいていくプランを、当時の私はぼんやりと感じ取っていた。
    意識的に考えていたわけではない。のらりくらりというほどではないが、風に身を任せ、いつから茨城という地に軸足を置いて生きていくんだろうな、とぼんやり考えていた。
    時は経ち、私はそこから25年くらいを生きてきたという計算になるが、いまだに軸足は東京に置いて過ごしている。
    物事は意識的に計画していかないと、人生というものは固まらない。
    先日、バレットジャーナルに集中して取り組もうとして、それ系の本を何冊か借り、読み、そしてバレットジャーナルに対応できそうなA5のノートを買った。Editの320ページのやつ。借りた本を読んでいると、1、2、3、5、10みたいな、自分の中でのマイルストーンを決めて、その数字ごとの未来を描いていこう、みたいなことが書いてあり、私はハッとした。
    風に身を任せて生きていく、というのと、物事は計画的にいくべきだ、という両極端な意見を上述した。
    とはいえ私は前者の方が自分の考えに合っていると感じることが多いから、1年後の自分を想像することができず、ましてや10年後なんて、試しに1ページをそのプランにあてがってみても、10分考えてみても何も浮かんでこなかった。
    何も、浮かんでこなかったのである。
    だって10年後って想像できる?私が今、在籍している会社で働いているかどうかすらもわからないのだから。そんな私が、たとえば3年後ですら、何をしているか分からないのだ。そりゃそうだ。だって生まれてこのかた、自分の将来を真面目に考えてきたことがなかったんだから。

    自分の将来についてじっくり考えてみる機会は必要なのだろうか

    不要なのかもしれないよね、と考える。
    これこそ自分の持つ価値観の話で、自分の生き様を計画していくことで、それに基づいて日々の暮らしを計画していく。物事を計画的に考えて生きていくべき!と考えている人はきっと、こっち側なんだろう。
    ふと、MBTIのことを考える。私は3番目のやつがTなのか、Fなのか良く分からない。Tは計画的、Fはその場の感覚で生きる、みたいに私は捉えている。
    私はFの方に大きく針が振れているんだろう。それを悪いとか良いとかっていう判断材料にはしていないけれど、多分これが、私の計画性の弱さという一面を物語っているように感じる。
    だって自分の将来って。私は今、結婚していて、2人の子供がいるけれど、私の計画通りに家族が生きていくとは限らんもんね。私は自分なりに健康に気を遣ったり、仕事も真面目に取り組んだりしているけれど、妻や、子供たちが私の計画した通りに生きるとは限らないじゃないか。だとすると、私が今ここで、47歳の人間として考えることすら意味がないじゃないか、と考える。
    いや、違うのかもな。何を計画するのか、という考え方にもよるのだけれど、たとえば、家族がどんな生き方をしていたとしても、私は私、私なりに考えた生き方を貫いていきます、ということになるのかもしれんよね。
    たとえば、妻が癌に罹患したとしよう。してほしくないけど。だけど妻が入院したりして、今の生活を継続できなかったとしても、私は仕事をやめないし、できる限り全力で家族を支えていくのだろう。それを計画と呼ぶのかどうか、それこそ個人の価値観による。
    そこには「臨機応変」という言葉がとても良く当てはまる。臨機応変ってすごい。TでもFでも、どっちも当てはまるのだから。
    だから、もしかすると、MBTIとは違う階層に、「自分の価値観」というものが被さっているんだろうな。
    私はF型だから綿密な計画はできないけれど、「それでも生きていく」みたいなマインドで、その場その場で適切な選択肢をたどりながら、なんとか自分の生きたいように生きていくんだから。

  • 7月27日 二度寝ってなんでこんなに幸せなのだろうか

    今日のできごと

    7時台に目覚める。しかしそこから二度寝。今日は10時までにオフィスに着いていたかった。だから遅くとも8時30分には家を出ないといけない。しかし、そのことを考えながらも、あえて二度寝を選択するという暴挙。
    昨夜は心療内科の薬を飲まなかったじゃないか。なのに眠いとは。つまり薬は関係ない、と?つまり大切なのは自分の気持ちだけだということ?
    私は今まで何に悩んでいたのだろうか、とブログを書きながら考える。二度寝の誘惑に勝てない。なぜ勝てないのか。それくらい二度寝というものには魅力的だから。
    もしかすると私は、日本で一番、いや世界で一番なくらいに二度寝が好きなのかもしれない。二度寝が好きな人は多いだろう。いったん目覚めるも、再び眠りへの誘いに呼び寄せられ、そしてそのまままた記憶を失っていく、あの感覚。どうしたら打ち勝てるのだろうか。

    考えられるのはまず、「どうしても起きなければいけない」という状況を作るということ。確かに、私は、どうしても早い時間から活動しなければならない時、二度寝の誘惑ということすら考えない。目が覚めるとすぐに身体を起こす。どうしても活動しなければならないから、二度寝の誘惑なんてものに惑わされている暇はないのだ。
    そうか。
    今日のように10時に出社しなければならない、というシチュエーションを作れば良いのか。今日は10時厳守という強い縛りはなかったから、つい二度寝の誘惑に負けてしまった。
    その、つい、という感覚がよくないのかもしれない。意志が弱いということだろうか。
    だけどこれって今に始まった話ではないだろう。子供の頃から、数えきれないほどの誘惑に負け、場合によっては後悔もしただろうけど、47歳となった今、二度寝の誘惑にあっさりと負けてしまうほどの意思を持っているいうことは、つまりそういうレベルの人間だったということだ。
    今さら悔やんでいても仕様がない。時にはその誘惑とうまく付き合っていく必要だってある。だってそうやって甘やかせないと、人間の心は痩せ細ってしまうからだ。
    同じノリで、お酒も飲んでしまう。ランニングはやろうと思っていても行動に移せない。筋トレも同様。寝る前にはスマホを見てしまう。そんな、瑣末なことにも思えるけれど、そうやってうまく自分の機嫌を取りながら生きていく必要があるのだと思う。
    だいぶ脱線してしまった。今日の出来事を書くつもりだったのに。
    結局オフィスには11時過ぎに到着。出社中、本来会社で出ておくべきだったミーティングを、電車の中から参加した。まぁ、それでもなんとかなってしまうという現状も、もしかしたら良くないのかもだけど。
    いや待て、それは私が悪いわけではないだろう。コロナ禍で在宅勤務が働き方の一つに加わってから、私はその恩恵(と呼んでおこう)に預かって家から仕事をすることを一つの選択肢としてきた。
    だから私だけが悪いわけではない。私の努力が必要な点は多々あれど、今、大切なのは自分の機嫌をうまく取って、なんとか生き延びていくことなのだから。

    なんかいろいろ書こうと思ったことがあったんだけど、なんかもういいかなって感じになってきた。

    今日はバレットジャーナルに本気で取り組んでみた。
    デイリーログはミーティングで得られた知見や、仕事の進め方を自分で考える時にメモ書きなどしたので、あっという間にページ数を稼いだ。
    帰宅してからキュリダスにインクを補充した。次は色彩雫の竹林。

  • 7月26日 暑い、暑い

    7月26日 暑い、暑い

    今日の出来事

    7時台に起床。早い。昨夜はあまりよく眠れなかった。気温はグッと下がったんだけど、睡魔がやってくるのに時間がかかった。体感的には30分くらいは眠れなかったのではないだろうか、と。
    昨夜、思い立って、薬を飲むのをやめてみた。私の場合、一日二日程度飲み忘れても、急激なダウンっていうことはないので、時折そうしている。なぜ飲むのをやめたのかというと、翌日、つまり今朝、早く起きる必要があったから。
    現在飲んでいる薬のセットは、午前にものすごい眠気を引きずる。だから仕事とかも午前は気持ちが入っていかないことが多い。困っている。先生に言っても、普段の生活で慣れて行けば眠気がなくなるはずと背中を押されているんだけど、もう何年も治りませんよ。そのせいで朝ランもやめた。朝活全般ができていない。最初は仕方ないかな、体調が良くなることを優先するよね、と思っているけれど、もう7年とかになるかな、心療内科で処方されている薬を飲み続けていて、全くもって改善が見られないので、正直なところ、もう嫌気がさしている。
    このブログを読んで、私も心療内科でもらってる薬、飲むのやめようかなと思った方、くれぐれも自己責任でお願いします。
    ってか、心療内科でもらった薬を飲み続ける生活を7年も続けている、って上述したけどさ、ゴールってなんなん?どうなったら薬を飲まなくてもやっていけるわけ?
    全然分からない。
    夜、きちんと眠ることができるんなら良いとか、定量的な指標を作らないと、こりゃ死ぬまで飲み続けるしかないんじゃん、って思ったりしてしまう。
    そんなことないよね、知らんけど。
    これ、まだ試していないのだけど、薬を飲む以前の、朝起きちゃってランニングとかしてた時代に戻りたいと思っていて。薬をやめることで被るリスクは十分に取った状態で、だけど生きていけます、みたいなスタンスで生活を営むことができたら良いんだよなぁ。できるかどうかは分からない。薬を飲むことをやめて、体(というかメンタル)にどう影響するか、試してみないと。っていうか、病院の先生に相談すべきなのでは。いや、減薬は何度も相談してるじゃん、だけどはぐらかされる(っていうのとはまた違う感じだけど)ばかりで、先に進まないじゃん。ってか、飲まなくてもやっていけるのでは?というのは今年入ってから考えるようになっていて、仕事先が変わったため?なのかは分からないけれど、気持ち的に安定しているからか、そう考えるようになったんだよな。行動に移すか。しばらく薬を飲まないで生活してみようか。
    話が脱線した。この頃の私の日記は脱線ばかりだ。
    今日も子供達はイベントづくし。そして私は今日は長男に付き添って、一緒にお出かけ。
    そして今、長男と別行動をし、その間私はここでブログを書いている。
    森がたくさんある場所でのイベントで、私は欅と台湾ふうの子供をゲットした。帰宅したら盆栽に仕立てるつもり。

    新しいノートの話

    ここ数ヶ月、私はAmazonベーシックの、黒い表紙のノートを使っていた。スリムなA5って感じのサイズ感で、紙は割とザラザラしていた。EFの万年筆を使うとガリガリいう感じ。
    私はどちらかというとペンの滑りを優先するタイプなので、このガリガリ系はちょっと苦手だった。ずっとガリガリ。質の悪い紙と言ってしまうとそういうことになるのかもしれないが、手帳用紙には敵わないよなぁと思いながら240ページのノートとともに数ヶ月の人生を旅した。
    そして今度は、EditのA5ノート。いったん、私のホームであるほぼ日領域に戻ろうかと、A5のほぼ日ノートを買おうとしたんだけど、Amazonからおすすめされてちょっと気になったので買ってみた。ページは320ページと、ほぼ日ノートよりも多いボリューム。値段もまぁ、A5で320ページの割に1500円台ってなかなか安いでしょ、という値頃感で、ポチってみた。帰宅することには家に届いてそうな気がする。書いてみての印象はまた改めて書こう。楽しみだ。
    気づいたらだいぶどっぷりと文房具の沼にハマっている気がする。万年筆は、気づけば4本持っている。ノートの質、ペンの滑りにはこだわりたい。手元に手書きできるペンとノートを常に持ち歩きたい。文房具の雑誌をKindle Unlimitedで見つけたら、没頭するように読んでしまう。お金があったらシステム手帳を手に入れてみたい。好きなサイズはバイブル、A5、A6、A7。A6とA7を組み合わせたアイデアをまとめる方法をKindleで出版したい。お店を出すなら文房具屋をやりたい。
    ざっとこんなところか。最初の万年筆を買ったあたりからハマり出している気がする。2018年頃か。もう7年以上も経っているのか。早い。人生はあっという間。

  • 7月25日 子供達のいない休日

    7月25日 子供達のいない休日

    珍しく子供達がいない

    9時くらいに起床。今日は珍しく、ホント珍しく子供達が二人ともイベントに参加して、子供のいない週末を過ごした。
    ホントに珍しい。長男が生まれて17年と4ヶ月、ホントに、週末に子供がいない日なんてなかったから。子供達でうちの世界が回っている。
    ちょっとだけ、子供達がこの家から旅立った後のことを考える。といっても大それた話ではなく、妻と私という二人で世界が続いていくだけ。生活を営んでいくだけ。腹は減るし、眠たくなるし。子供達がいてもいなくても、私たち夫婦はここで生きていくんだなぁ、と少し感慨深くなった。
    Primeでフジロックが中継されていたので少し見る。柴田聡子。雑感という歌が好きで、だけどSpotifyで聴いているだけでフジロックに出るくらいの知名度だったというのに驚く。ゆらゆらとした音楽。本人が楽しそうに歌っているのが良かった。初めて歌っている姿を目にした。
    メダカの水槽を掃除し、二人で行きたかったカフェでランチし、図書館で本を物色する。休みってこんな感じだよな。カフェは思ったほど混んではおらず、ソファ席に座れて、とても良い時間だった。コーヒーとハンバーガー。物価の上昇にビビりながらも、堂々とランチを楽しんだんだからいいよな、と。
    図書館ではバレットジャーナルの本を借りた。何回目だろう、5回くらい借りている気がする。いつも途中で続かなくなって挫折するんだよな。3日坊主なのはわかっているから、また始めればいいんだろうと軽い気持ちを抱きつつ、またやってみようかと思う。私にはもうバレットジャーナルだけあれば十分だわ、ってくらいにまで成熟させたい。頭の中にあるモヤモヤを全て書き出すことが大切なんだよな。GTDも一時期好きで、INBOXにいろんなことを詰め込む瞬間が好きだった。大切なのはその後の取捨選択なんだな。

    バレットジャーナル

    せっかく借りたので、備忘録として残しておこう。書いていくことで自分の中でも新たな気づきとか生まれる気がするので。

    セットアップ

    インデックス

    インデックスは目次のようなもの。どこに何が書いてあるかをパッとわかるようにするためのもの。バレットジャーナルは書いていくうちにどんどんいろんなことが増えていくから、インデックスも充実していくんだろうなぁ。

    フューチャーログ

    来月以降の、特定の日付の予定を記入しておく場所。今日が7月だから、8月以降の予定を書き込む。本では3ヶ月で1ページ、という形で紹介されている。
    フューチャーログって大抵仕事のことを書くのかなぁとぼんやり考えたけど、違うよな、仕事とかプライベートとか分けずにぜーんぶ書くのがいいんだろうな。
    フューチャーログは「順番を待っている列」のようなものだろう、だって。人生における責務の数々を意識する上でとても役に立つ。将来の計画をざっと示すタイムマシーンの機能を果たし、必要に応じて軌道修正を図ることもできる。
    なるほど!今までこれ必要あんのかな、なんてぼんやり考えていたけれど、将来の順番待ちタスクということなのね。

    マンスリーログ

    見開きで使う。左側に日にちと曜日を縦に並べる。右側にはその月のタスクを書く。
    月が始まった時に作るんだろうなぁと思う。前月の分は、私が辿ってきた軌跡を振り返ることができるね。予定は変わりやすいから、出来事が起こった後に書くことをお勧めするだそう。
    右側はタスクページと呼ばれる。今、頭の中にある「思考の目録」を書き出す。しばらく時間をとってゆっくり、頭の中でずっと泳ぎ回っているものを頭の外に出す。今月、重要なことはなんだろう?優先順位の高いものはなんだろう?
    思考を整理したら、前月に戻って、まだ完了していないタスクを確認する。重要な項目があれば、新しいマンスリーログのタスクページに移動させる。これはマイグレーションと呼ばれる作業の一つ。マイグレーションって結構重要なんだよな。マンスリーログでは、完了していないタスクを完了させるまで、きちんと忘れずにマイグレーションしていく必要がある。

    デイリーログ

    日々の様々な用事やアイデアをリアルタイムで書き留めるようにデザインされる。
    準備としては、日付とページ番号を書く。それだけ。あとは、頭に思い浮かんだときに、タスク、イベント、メモなどをラピッドロギング記法で書き込む。
    何かアイデアが浮かんだら、その度にきちんと書き留めていかないと、いつまでも頭の隅で燻り続けて重荷になる。だからノートにきちんと保管することで、心を安心させることができる、と。なるほどね。
    私の中ではこれはただのタスクリストかな、という意味合いで考えていたんだけど、そうではないらしい。その日の経験を記録に残すことが大切。「今日は何も生産しなかった」ってクヨクヨしたことがあったなぁ、そんな日でも、小さなことでも良いから書いておくことが必要なんだろうな。
    私の場合、デイリーログは1ページで留めたいと考えてしまうんだけど、そうではないんだよな。デイリーログにはどのくらいのスペースが必要か、それはその日によってまちまち。だから1ページで無理に留める必要はない。そうだよね。

    バレットの種類

    通常は・を使う。バレット。
    重要なタスクには*を使う。
    ひらめきは!。わかりやすい。
    メモは最初にーを書く。
    翌日に回すんなら>。
    タスク自体がキャンセルされるなら横棒を使ってタスク自体を削除する。消すわけじゃないんだな。
    それ以外に自分なりにカスタムしても良いけど、多すぎるとどれがどれか分からなくなるから、少ない方が良いらしい。

    5、4、3、2、1年後の目標

    ゴールコレクションと呼ばれる。いつの日か、私は、、、を具体的に描く。未来の可能性を一覧表にする役割。
    5年後、私はどこで何をしているんだろうか。自分の意思で物事は動いていくから、今日、ここから何かを始めるっていうのは大切なことなのかもしれない。未来を見据えて動くなんてなかなかできないよな。

  • 7月22日 いずれにしても自分が納得できる人生を

    7月22日 いずれにしても自分が納得できる人生を

    今日の出来事

    8時台に起床。もともと通勤するつもりはなかったので在宅にて仕事。
    子供たちが夏休みに入っていて、だから家の中にある体感時計がゆっくりとしている。
    朝の慌ただしい時間を乗り越えた妻と、そうではない今日みたいな時の彼女の雰囲気は違う。
    アドレナリンという言い方が正しいのか良く分からないが、朝、バタバタと子供たちの準備、長男の弁当などを準備すると、頭も身体もきちんと起き上がるんだろうな。
    私は妻に甘えていて、平日の朝の準備はすべて妻にお任せしているので、私自身のテンションは平日だろうが休日だろうが変わらない。妻は休日は結構寝ていて、多分寝るのが好きなんだと思うんだけど、だから休日の朝の準備は私がすすんで担当している。休日くらいゆっくり寝たいもんね。
    9時くらいから仕事開始。今日もゆったり。てかこの頃ゆったりな仕事量の日が多い。
    在宅なのをいいことにまったり、しつつも自分に課せられた仕事はきちんとこなす。社会人として当たり前のことだけど。
    いくつかミーティングをこなし、昼食。家でリュウジさんのボロネーゼを作って食べた。これまた我が家のルールみたいな感じなんだけど、平日、私が在宅勤務の時、妻が料理を作ってくれることよりも、私が作るほうが多い気がする。妻は専業主婦だけど、朝バタバタした時間を乗り越えたからゆっくりしてもらいたいというのと、昼、私の食べたいものを私の好きな時間に食べるという生活をしているから、私にまかせてくれてるんだと思う。専業主婦なんだから昼食くらい作ってよ、みたいなことは考えていない。滅相もない。私は私だ。私の食べたいものくらい、私の手で作るよ。
    これってバイクとか車のオイル交換を自分でやるか、店に頼むかの違いに近いかもしれない。自分でやる人の大半は、心配で任せられないと考えている人だそうだ。少なくとも素人よりは数多くオイル交換をこなしているだろうから、私は店に頼むで良いと思ってる。自分でやると廃油の処理とか分かんないしね。バイクは自分でやるけど。楽しいから。
    さて午後。いくつかミーティングをこなし、終業。今日は柏で長男の通うかもしれない塾の説明会を受けてきた。高校3年で7月22日まで塾に入っていないって現実から目を背けてきたけど、ここらへんできちんとした塾に通うんだろうなという空気感で我が家は包まれている。
    終わってから長男が次男に、今ここで頑張らないといけないから、遊べないわごめん、って言ってて、まぁ確かにそうなんだけど、実際、いい大学に入れたからと言っていい人生を送れるかというのは、疑問。

    何を優先するかという話

    日本はそこそこの学歴社会だと思う。大企業に入りたいならきちんとした名前の通った大学に行けたほうが、入る確率は上がるんだと思う。任天堂なんかは東大京大ばかりだと聞くし。
    ポイントは生きていく上で何を重要とするかということ。
    このブログでも何度も書いてきたけど私はいわゆるFラン大学卒業で、いろいろあって47歳までやってこれた。マイナスな面で言えば、と思い立って手を止めて、しばし考えてみたけれど、マイナスな面なんてないような気がする。有名な会社に入れなかった、入らなかったという言い方のほうが正しいかな。そもそも大企業ってあんまイメージになかったから、Fランだったけどまぁいいのかな。マイナスな面、なんだろう。生涯の収入っていう点で考えたら最初から良い企業、高給取りな業種、職種に就いていたら、生涯の収入は多かったかもしれない。結局お金か。
    今は家族4人でなんとか暮らしていける感じだし、適当なタイミングで外食したりもしてるし、家族も今の生活を楽しんでいるようだから、別にいいのかな。
    家族との団らん、時間を大切にしたいと私は今優先度を上げて暮らしていて、だから、それって給料じゃないんだよな。価値観がそこじゃないってこと。
    お金を一番に挙げる人を否定はしない。お金があると、だいたいのことは解決するから。心にも余裕が生まれるし。余裕があるってすごく大切だよな。私も現段階ではお金の心配をしていないから、心に余裕が生まれ、結果的に家族を大事にする時間が取れている、ということになるのかもしれない。
    何を優先にしたら良いか分からない人。まず、なくなったらさみしい、悲しいと思うものを挙げてみてほしい。そこから、寂しさや悲しさの度合いを、相対的で良いから、順位付けをしてほしい。そうすると、自分が何を大切にしているか、見えてくると思う。