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  • 8月3日 日々は続く

    8月3日 日々は続く

    前向きでも後ろ向きでもない、淡々と進む

    7時くらいに起床。心療内科の薬を飲まなくなってから、朝、目覚めやすくなった。プロテインと菓子パンで朝食。
    菓子パンってすごいよなぁ。あすけんではお菓子扱いでした。栄養って観点はほぼ考えてないんだろうなぁ。口当たりと、甘さに全振りの味。食べたら幸せな気分になるけれど、それは糖分を摂取しているからなんだろう。

    今日は虎ノ門に出社。出勤中は逃亡くそたわけを読む。昨夜半分くらい読んでいたので、出勤中に読了。

    以下、ネタバレを含みます

    いわゆるロードムービー。精神科に入院してる二人が、病院を抜け出して九州を車で移動するという話。途中、車のエアコンが壊れたりして二人の空気が悪くなったり、事故を起こして当て逃げするとか、順風満帆な旅ではなかった。だけど二人の共通認識として、病院には戻りたくないというのがあり、その現実から逃げるように旅をする。途中万引きや、食い逃げをしたりして、善く生きるをモットーとする私的には、ちょっと嫌なシーンだった。
    私はそういう時、お店側の立場を考えてしまう。盗まれた分、売上が下がるわけだし、それによって苦しい思いをするのだろうから。いくら、それが二人の生活にとっていかに必須なのだとしても、やっていいことと悪いことはあるでしょうよ、と。
    深く心に残ったのは、現実から逃避したのだとしても、やがて現実と向き合うときは来るんだよな、ということ。物語ではその現実のシーンが描かれていなかった。読み手としては、いつか見つかってしまうのかな、とそのシーンがいつ来るのかドキドキしながら読んだけど、そのシーンは訪れなかった。まぁけど、車の中での二人の空気感とか、結構な現実感はあったけれどもね。

    現実と向き合って生きるべし

    なんやかんやあって、同僚が気に入らないとか、上司が認めてくれないとか、そういう他人との関わり合いは避けることはできないよな。逃亡くそたわけでも、二人の関係性とか、自分以外の人と関わることって多々あって、それに一喜一憂することはもはや一般常識だったりする。だけど他人はコントロールすることができない。そして、過去も変えることができない。こんなこと、このブログでも数えきれないほど書いてきた。

    大切なのは、自分の未来に投資すること。そのためには、自分の機嫌を取って生きてくことがとても大切なんだと思う。だって自分が機嫌悪くなって、他人に私の機嫌を取ってもらおうなんて虫が良すぎるだろ。機嫌を自分で良くすると、自分の未来が明るくなるってことだと思う。機嫌が良い方が、生きていて楽しい。
    自分の機嫌を取るには、どんな行動を取ったらいいんだろう。今の私の場合、体を動かすとか、刺繍するとか、私の心が豊かになるものが好き。お酒も機嫌を取ることはできるけれど、飲みすぎると記憶無くすし、二日酔いになるし、最近はお酒に対して、どっちかというとネガティブな印象を抱くようになったので、この選択肢から除外する。あとは好きな歌を聴くとかかなぁ。

    人生は楽なことばかりじゃない。むしろ生きていくためには困難だってある。その都度気持ちが腐ってしまうと、そこから浮上するのってすごく難しい。とはいえ、急にそんな状況に陥ることだってあるだろう。つまり予測不可能ということ。だったら、普段から気持ちが落ちないように心がけ、そしてそれだけじゃなく、落ちた時に浮上するための術を多く持っておく必要があるように思う。人生は長い。ぼんやりしていたら灰になっちまうって昔のロックバンドの人が言っていた。腐ってなんかいられない。楽しいことだけして生きていたい。それなら、そのための心の持ち方というものを、自分なりに考えてみることが大切なのかもしれない。

  • 記憶に残らない一日

    記憶に残らない一日

    仕事をしているとあっという間に1日が終わる。
    何も考えなくても、目の前の仕事をこなすだけで、あっという間に時間は過ぎる。
    文字を入力するキーボードや、マウスを触っているだけで1日が終わり。
    あっけない。あっけなさすぎる。
    時折、仕事が猛烈に忙しくなったりすると、仕事のために生活しているような気分に苛まれることがある。
    生活するために、給料を稼ぐ必要があって、だから私を含む一般的な社会人は、人質と同じ扱いで、働かなくてはいけない立場になってしまう。

    これって幸せなことなんだろうか。
    仕事があるだけ、仕事をこなせる頭脳と、体力があるだけ幸せなのかもしれないが、私が考えたいのはそこではない。
    時間と気力体力を奪われているという状態が、幸せなのかどうかという点。
    たぶん、結局のところ、自分が幸せと感じるなら良いだろう、という結論に至る気がするけど、ちょっと考えてみたい。
    時間と気力体力が奪われ、その対価としてお金をもらう。
    お金がないと、生活できない。たまに、お金無しで生活してます!みたいな、山奥に住んでいる家族を観ることがあるけど、そこまで振り切れるのすごいなと思う。
    お金は大事だよ。必要だよ。だから、自分の時間と気力体力を捧げるんだよ、だってそれくらい重要なんだから、と、泣きながら考える。

    では、お金が、必要十分な程度持っていたら、働かないという選択をするのだろうか。
    家族が健やかに過ごすだけのお金。余裕はないけれど、慎ましく暮らすことにフォーカスして、まったりと生きていく、といったような。
    たぶん、私は、仕事を探すと思う。
    お金が欲しい訳ではない。いや、お金も欲しいけど、仕事をこなすことで得る達成感や、誰か、同僚のために貢献して、その同僚を喜ばせたい。
    だいぶ飛躍した気がする。
    お金のために働くと考えていたのに、いつの間にか、「貢献したい」と目的が変わってしまった。
    お金のためだけに働くのって、なんとなく、虚しい気がする。(諸説あり)

    話を戻す。
    時間と気力体力を捧げてまで、誰かのために貢献したいということになるんだなここまでの文章を噛み締めてみると。
    これも諸説ありで、つまり価値観に依存するようなものだから、あくまで私の考えではあるけれど、私は、お金ももちろん大事だけど、誰かのために貢献して骨を折り、仕事をこなすことで「気持ち良く」なるんだと思う。
    生きているなら、仕事するなら、気持ち良く仕事をしたい。
    そのためには、自分の時間や気力体力を捧げることだってやぶさかではない。
    だってその方が気持ち良いんだもん。

    生きるって難しい。人それぞれの考え方があって、もちろん私の考えに反する人もいるに違いないし、その考えを否定するつもりは毛頭ないし、だから、いろんな考えを持った人がいる中で、仕事したり、生活したりするんだもんな。

  • 私は登場人物に会いに行っている

    私は登場人物に会いに行っている

    山本周五郎の、樅ノ木は残ったを読んでいる。
    最初はとっつきにくいな、と思った。登場人物があまりにも多く、時代小説ならではの名前が長いことや、なんとなくぼんやり似ていることなど、きちんと覚えなくてはいけないところが辛い。
    だけどそれを乗り越えたら、山本周五郎ならではの人情をちょこっと擽るストーリー展開、心情の揺れ動きがめちゃめちゃ楽しめる作品だった。だった、と言ってもまだ全4巻中の2巻目に入ったところだけど。

    小説を描く時の要素として、私は「ストーリー展開の上手さ」と「キャラクターの際立たせ方」の2つが重要と思う。
    山本周五郎はさぶ以降2作目(たぶん)で、さぶもそうだし人物の際立たせ方がとても秀逸である。ストーリーの中で、ヤマ場での立ち回り方だけではなく、そのヤマ場へ至るまでの行動、心情、それらを上手に操らないと話がまとまらない。ストーリーだけ上手に展開していったとしても、キャラクターの個性が読者にぼんやりとしか伝わらないのだとすると、それは正解ではない作り方なのだろう。

    私はストーリー展開よりも、キャラクターの際立たせ方を重視している。
    強烈な個性を持つ必要はなくて、どこにでもいるような人を登場させても良いだろう。
    シンプルにキャラクターを作り、その個性、派手さは特段いらないような個性を、きちんと読者に説明できれば良いのだと思う。
    辻村深月のゼロ、ハチ、ゼロ、ナナのように、登場人物の外見的な特徴を一切排除し、読者に委ねるという手法もなかなか、思いつかないけれどそういう書き方もあるのだね、と思ったことがあった。
    他、私の好きな伊坂幸太郎、西加奈子それぞれ、ストーリー展開もすごいしキャラクター作りもすごい。
    例えば伊坂幸太郎の砂漠のように、本当に、どこにでもいるような大学生を主人公に据えて描かれている。主人公の個性はどちらかというと薄く、だけど周りにいる人はそれぞれ何かしら特徴的な個性を持っていて(それがまた面白い)、上手いなぁ、と感嘆することばかり。
    驚くような個性を持たせる必要はないのかもしれない。だけどそれって読者にしてみると「近くにいそうな人」という、現実の延長線上にいるような人を描くことになる。読者の思いとしては、現実離れした世界の話を読みたいという人もいるだろうから、好みは様々なんだろうな、と思ったりもする。

    では、個性はどこに出てくるのだろう。
    上にもちょっと書いたけど行動、心情それぞれの描写の中に、個性が滲み出てくることが多い。
    家の鍵はいつもジーンズの右ポケットに入れる、とか、ハンカチは忘れないように育ってきたとか、そういう小さなところから個性って出てくるんだよな。

    冒頭に書いた山本周五郎など、気が向いた時に青空文庫で本を読んでいるけれど、キャラ立ちについては昔も今も変わらないよなと思う。
    これからすげー勢いのパラダイムシフトが起こらない限り、きっと、ずっと変わっていかないのだろう。

  • SRV250 ルネッサ セルモーターとエアクリーナーを交換しました

    SRV250 ルネッサ セルモーターとエアクリーナーを交換しました

    先日のブログから時を経て、、、セルモーターとエアクリーナーが届きました。

    前回の記事はこちら

    エアクリーナー

    エアクリーナーは右側のツールボックス?を外し、ドライバーで外すだけの簡単なものでした。

    完了した時の写真はこちら。ルネッサ用を買ったのでポン付けで。簡単でした。

    セルモーターのネジに奮闘

    一方、セルモーターのほう。

    写真右側、ほぼ中心くらいにあるところのプラスネジがどうにもこうにも曲がらず。
    あっという間になめてしまいました。
    なので以前、オイル交換した時にドレンボルトを外すために買ったタガネでガンガンと叩いたところ、ようやく回ってくれました。ほんとありがとう、タガネ、買って良かったよ。


    【SALE価格】モクバ印 平タガネ22mm200mm ( A1-22 ) (株)小山刃物製作所

    交換後の写真はこちら。一箇所だけシルバーなので目立つなー。私しか気にしないでしょうけど。
    交換後はエンジン一発始動でした。写真内、なめてしまったネジを再利用してますが新しいやつに替えたいなぁ。

    新旧比較。古い方は4DNって刻印があるから純正のやつだったんだろうなぁ。
    私はこういうのを取っておく方針ではないのでそのままマンションのゴミ捨て場に持っていきましたけども。

  • # 十角館の殺人 綾辻行人 ★★★★☆

    # 十角館の殺人 綾辻行人 ★★★★☆

    読み終えた後、しばらく呆然としてしまいました。

    あまりにも鮮やかなトリック、そして緻密に計算されたストーリー展開に、ただただ圧倒されるばかり。

    若くしてこれほどの作品を書き上げた才能に、嫉妬すら覚えます。

    ## ミステリ小説の魅力とは何か?

    普段、私は小説を読む際、物語の面白さはもちろんのこと、作者の文体や情景描写など、文学的な要素を重視する傾向があります。しかし、今回の『十角館の殺人』は、そのような私の価値観を大きく揺さぶる作品でした。

    ミステリ小説の醍醐味は、やはりその巧妙なストーリーにあると感じます。読者の想像を遥かに超える殺人方法、そして犯行に至る動機の形成過程。それらが緻密に組み合わさることで、読者は物語に深く引き込まれます。

    そして、トリックが暴かれる瞬間の犯人の心情描写。そこに共感できる部分があれば、読者は大きなカタルシスを得られるのではないでしょうか。私も、真相が明らかになる瞬間の高揚感を存分に味わいました。それは、まるでパズルのピースがカチリとハマったときのような、なんとも言えない快感です。

    ## 叙述トリックの衝撃(ネタバレ注意!)

    本作の最大の魅力である叙述トリックには、見事に騙されました。十角館が燃え、6人の焼死体が発見されたという報道。その時、私は登場人物の名前をメモしながら読んでいたので、ヴァンがいないことにすぐに気づきました。しかし、ヴァン=守須という事実に全く気づけなかったのです。

    中村青司が生きていると思わせるミスリード。その巧妙さに、まんまと騙されました。「まさかそんな…」と思いつつも、物語に引き込まれていく感覚。これこそが、ミステリ小説を読む醍醐味だと改めて感じました。

    登場人物たちの名前、そしてそれぞれの関係性を整理しながら読み進めていくことで、物語の面白さは倍増します。私も、登場人物たちの名前をメモしながら読み進めていくことで、より深く物語の世界に入り込むことができました。

    また、十角館という閉鎖された空間で起こる連続殺人という設定も、読者の好奇心を掻き立てます。外界から遮断された孤島で、登場人物たちが疑心暗鬼になっていく様子は、まるでホラー映画を見ているかのようです。

    ## ミステリ小説の奥深さに魅了される

    『十角館の殺人』は、単なる謎解き小説ではありません。登場人物たちの心理描写、そして物語の背景にある人間ドラマも、この作品の大きな魅力です。

    特に、犯人の過去、そして犯行に至るまでの経緯が明らかになる場面は、読者の心を強く揺さぶります。そこには、単なる猟奇的な殺人ではなく、人間の心の闇、そして悲しみが描かれているのです。

    この作品を通して、私はミステリ小説の奥深さを改めて知ることができました。謎解きの面白さ、そして人間ドラマの奥深さ。その両方を兼ね備えた『十角館の殺人』は、まさにミステリ小説の金字塔と言えるでしょう。

    ミステリファンはもちろん、普段ミステリを読まない方にもおすすめしたい一冊です。ぜひ、あなたもこの作品を通して、ミステリ小説の奥深さを体験してみてください。

  • 孤独を愛せよ

    孤独を愛せよ

    最近、齋藤孝さんが書いている、「孤独を生きる」という本を読んでいます。
    齋藤孝さん、結構本書いてますよね。
    今まで何冊読んだかなぁ、5冊くらいは読んだかもしれません。
    今回手にしたのは、孤独を味方につけよう、みたいなコンセプトの本。
    孤独と聞くと、まるでそれが悪いことのように思えますが、それを肯定的に受け止めようという趣旨。
    はー。って感じです。
    確かに孤独って、周りから拒絶されて、社会生活がうまく行かず、誰とも喋らずに一日が終わってしまうという状況。
    いいことなんて何一つなくて、まぁ、人と話さずでも一日を乗り越えることは実質可能だとは思うんですが、それでも、なんとなく前向きにならない、なれないような状況のように感じます。

    孤独と、孤独感は違う

    ・ 孤独は、ひとりきりの状態
    ・ 孤独感は、一人の時の気分
    孤独だー!と思っていたけれど、気分の問題だから、そう深刻になることはない。
    孤独感をキャッチするためにいろいろ事情を探ったり、相手の真意を確かめたりするのは面倒

    相手の真意を確かめようとするあまり、無理にコミュニケーションを取ろうとしたり、深く探ってしまったりして、ギクシャクした関係になってしまっては元も子もありません。
    面倒なことになってしまうより、いったんそこから離れてみるというのも大切だそうです。

    ひとりでいる時間が人を育てる

    齋藤さんが、孤独をポジティブなものとして捉えるというのは上述しましたが、過去の著名人でも孤独を愛する人が、いい言葉を残しているということで、いくつか、本で引用されていました。

    のがれよ、私の友よ、君の孤独の中へ。
    強壮な風の吹くところへ。蝿叩きになることは君の運命ではない。
    ニーチェ 市場の蝿

    齋藤さんはこの本の中でニーチェを取り上げていて、私もニーチェは好きな哲学者の一人なので、この言葉に感銘を受けました。
    現在だと、東京キー局の問題が、まさに大きな旋風を巻き起こしています。
    SNSなどで多くの人が、糾弾する対象を見つけては声高らかに、お前が悪い!と言っているのを目にします。
    私はその波に乗らず、傍観している立場(実際は傍観すらもしておらず、興味がないのですが)をとっていますが、ある一面では私も孤独の中に逃れているのかもしれません。
    大勢の人たちに紛れて、誰かを糾弾することも、ある一面では、良いことなのかもしれません。自分のストレスが発散できる、とか。
    だけど、私の優先順位は、そこじゃないんだよなぁ、というのを感じます。
    それよりかは、一人になって、孤独を楽しむ方が良いかな、と思います。

  • 8/3 旅の疲れを自宅で癒す

    8/3 旅の疲れを自宅で癒す

    8月1日、2日と有給休暇を取って家族旅行をしてきました。
    車で静岡へ行ったものの首都高、東名高速ともにエグい渋滞。
    こんな時に事故を起こす人の気持ちがわからなくなりますね。うんざり。
    だけどそんなことで機嫌を悪くして自分もその仲間に入るわけにはいかないので、好きな音楽を聴いて自分の機嫌を取りつつ走りました。
    しかし車ってすごいですね。こんな暑いのにきちんと走ってくれるんだから。技術の発達にありがたみを感じざるを得ません。

    家族旅行をしていると、案外「自分だけの時間」を手に入れることが難しくなります。
    私は喫煙者なので、タバコを吸う時はそんな時間を確保することができましたが、まぁ、それも家族サービスの一つなのかなって思うようになりました。
    別に自分を制限するわけではないのです。
    考え方を変えてみて、家族が喜べば自分も嬉しいと感じるようにしました。
    これを矯正と捉えるか否かは自分次第。

  • 9月3日 4人で一緒に過ごす日々が、

    9月3日 4人で一緒に過ごす日々が、

    人生の大半は、記憶にも残らないイベントばかりだ。
    私の人生で記憶に残ったことなんて、両手で数えられるくらいじゃないだろうか。
    一瞬一瞬をきちんと記憶に残しておきたいと思うけれど、そんなのは不可能で、昨日食べた晩御飯すらも覚えていないような感覚。

    記憶に残るのと、残らないのってどんな基準なんだろうなぁって常々考えていて、
    それはもしかすると「定期的に思い出すこと」が必要なのではないかと思ったりしている。
    定期的に思い出すってなかなか難しくて、定期的に思い出そう、ということすら忘れてしまう現状では全部の記憶を拾うことなんて至難の業だよなと思う。

    別に、忘れても良いんだよね。
    記憶の貧乏性とでも言おうか、写真と同じで、なるべく多くの物事を覚えておきたいと思っちゃうんだよね。ずっと前からそう。
    これは性分みたいなものだから、もしかすると考え方を変えるのって難しいかもしれないなぁ。

    今日はどんな1日だっただろうか。
    片手で収まる程度のボリュームでまとめられるとすると、その記憶みたいなボールの中には、どんな出来事が残ってるんだろうか。
    朝、起きてから、子供たちにご飯を作ったり、あつ森をやったり、家族とどっか出かけたりしたんだよな。
    その一個一個が、この、4人家族と一緒に過ごす日々が、あとで掛け替えのないものになるんだよなぁきっと。そう信じてる。

  • 8月3日 時間と、その使い方

    8月3日 時間と、その使い方

    今日もあっという間に過ぎたような気がする。
    仕事に集中していた証拠なんだろうなぁ。
    目の前に仕事があるというのは良い。
    目立った仕事がない時の、暇さ加減と言ったら。
    私は目の前に仕事がないといけない人間みたいで、仕事がないと椅子に座っているのに我慢ができない。
    このままではクビになってしまう、と焦ってしまう。
    もうちょっと上手く生きられたら良いのに。
    暇な時はそれなりに、気持ちに余裕を持ち、自分を肯定してあげないといけない。

    時間という概念について考えてみようと思った。
    我々は毎日、時間と戦っているような感覚を持つことが多い。
    特に、忙しい日々を過ごしていると、一日があっという間に過ぎてしまうように感じる。

    しかし、時間は我々が思うよりも公平である。
    全ての人に対して時間が等しく流れ、それぞれが自由に使うことができる。
    しかし、それはまた非常に貴重で、一度過ぎてしまうと二度と戻ってこない。

    だからこそ、我々は時間を大切にし、それを最大限に活用しなければならない。
    しかし、それは簡単なことではない。
    忙しさに追われると、自分が本当にやりたいことや、大切な人と過ごす時間を犠牲にしがちである。

    そこで私は、時間をどのように過ごすべきか、どのように時間を管理するべきか、を見直すことにした。
    そうすれば、忙しい日々でも自分自身を大切にし、自分が本当にやりたいことに時間を使うことができるはずだ。

    まずは、自分がどのように時間を過ごしているかを把握することから始めようと思う。
    それを知ることで、どの時間を有効に使えているか、またどの時間が無駄になっているかが見えてくるはずだ。

    そして、時間の使い方を改善するための戦略を立てる。
    それは具体的な目標設定やタスクの優先順位付け、仕事とプライベートのバランスを見直すことなど、さまざまな形である。

    時間というのは、我々がどのように使うかによって、その価値が決まる。
    だからこそ、時間を大切に使うことで、一日一日を充実したものにすることができる。
    私たちは時間に支配されるのではなく、時間を使いこなすスキルを身につけることで、より豊かな人生を送ることができるはずだ。

  • 7月3日 山登りについて

    7月3日 山登りについて

    呼吸を、ゆっくりとしてみる。吸って、ちょっと止めて、吐く。
    それを5回くらい繰り返してみると、なんとなく、脳がすっきりしたような気持ちになる。

    もしかすると私の思い過ごしかもしれないけれど。
    いや、思い過ごしだろうな。

    40代の中盤に差し掛かってきて、残りの人生について少し考えてみる。
    この身体が健康なまま、という前提ではあるけれど、死ぬまでにやり残したことってないだろうか。
    今のこの状態、気力体力だけではなく財力についても、今までで一番充実しているような気がしていて、お金がかかるようなやりたいことみたいなものも、今だったら計画できるのではないだろうか、と思う節がある。

    つっても、別に大枚を叩いてボートを買いたい!みたいな思いはないんだけれどもね。

    強いていえば、山登りが該当しそう。

    山登り、何度かこのブログでも取り上げているけれど、週末を家族から離れて自分一人で過ごすというのに抵抗があり、そのせいで手が出せていないんだよな。
    家族のために、一緒に過ごすのが、父としてのあるべき姿、というイメージを持っているから。
    それ、だいぶ独りよがりだから、と私の後ろにいる私が言っている。分かっている。分かってるんだよそんなことは、ともう一人の私が言い返す。

    踏み切るのが怖い理由として、これはソロキャンの時にもそうだったんだけれど、それ用の装備を買ってしまうと、何度も使わないともったいないと思ってしまうこともあるんだよな。
    やっぱ行きませんでしたー、のでハードオフに売りますー、でもいいんだけど。あんま頭の良い生き方ではないような気がしていて。
    その、「山に登る体験」をどの程度の価値があるか、だよな。
    (新品で買った装備のお金) – (ハードオフで売ったお金) = (山に登る体験の価値)、と考えてしまう。

    あーでもアレか、いきなり新品を買おうとするのではなく、ハードオフとかヤフオクあたりで買えばいいんじゃん、ということも考えても良いのか。
    寝袋はあるし、必要なのってリュックとトレッキングシューズ、くらいなんじゃないだろうか。

    リュックはこれ↓くらいのがいいらしい。チャットGPT最高。

    50リットルくらいのを買えば良いのか。
    それ買っちゃったら始まっちゃうなー。
    新しい趣味になるか、一回だけトライしてやめちゃったなー、になるか。