夏休みが終わっていくー。
明日を待ち侘びる少年少女と、明日が永遠に来ないほしいと思っている少年少女、それぞれいると思う。
彼らの思いを、厳密に嗅ぎ取ることはできない。
けれどそこにあるのは、おそらく、「自分の理想」というものがあるんだと思う。
自分の理想を追い求めることは、もしかすると人間の生存本能に基づいて生まれることなのかもしれないから、持つこと自体は自然なことなのだろう。
だけど、自分の理想通りに物事が進むとは考えにくい。
44歳になった今でも、自分の理想通りになったら良いなと思う一方で、いい加減、自分の理想を追い求めていてもそれは叶わぬ願いなんだよね、ということに気づいたりしている。
多分そこには、折り合いをつけるという考え方が新たに生まれる。
まぁ、しょうがないもんね、自分の理想ばっか追いかけていても、それが叶わなかった時に傷つくのは自分だしね、と、自分を慰めるように諌める。
諌める、というのはちょっと違うかなー。諦める、と言うと言い過ぎかもしれないけれど、それに近いマインドが醸成される。
多分そこで、自分の理想=周りのみんなが思い描く理想と合点がいくのであれば、それを追求するのが良いのだろう。
スティーブ・ジョブズのような天才には、それが綺麗な形となって描けていたんだろうと思う。
私はどうか。
私は凡人だから、私の思い描く理想は、それが周りの人も同じように感じてはいないんだろうな、と思ってしまう。
そこで自分を慰め、そうやって9月1日を迎えるんだろうな、と思う。