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  • 7月12日 まだ梅雨は明けず

    7月12日 まだ梅雨は明けず

    雨は嫌われているだろうか。
    せっかくの旅行が雨で台無しと感じる人も多いかもしれない。
    傘だって邪魔だし。雨が降らなければ傘なんて余計ないものを持つ必要がないから。傘を持つと、片手が塞がってしまって嫌な気分になる。私はリュック派で、その理由は両手を塞がないからという理由だから。一時期トートバッグを好んで使っていたことがあったけれど、肩にかければ両手を塞ぐことなく使えたのだ。だけど違う理由で手放した。それはなで肩。骨格ばかりはいくら筋トレしたところでイカリ肩にはならないだろうから、潔く諦めた。

    子供の頃、ことわざを勉強していた時、雨が降って地固まるということわざの意味がわからなかった。
    今なら分かる。雨がふって、地面がぬかるむけれど、それによってデコボコしていた土が均一になり、また、畑であれば土に雨が浸透することで土が再生し、新たな作物を植えることができる。
    日常生活でそんなことわざが通用する時ってあるんだろうか。
    そのシチュエーションを頑張って探してみるけれど、そしてなんとなくは浮かんでくるんだけど、言語化するほどの思い出がない自分は、もしかすると経験が足りていないのかもしれない。

    私は結構な雨男で、前述した通り雨はあまり好きではなかったのだけれど、47歳になってようやく雨を受け入れることができるようになってきた。個人的には大きな成長を遂げた。
    雨によって植物が元気になる。メダカにも雨は良いらしい。嫌っているのは人間くらいだ。その人間も、雨がないと生きていけないだろう。地上にある水分が全部干上がってしまうから。
    地球という星の大きな特徴の一つに、安定した水が地表に残っていることが挙げられると聞いたこともある。
    つまり地球を代表する要素のひとつなんだね。
    もうちょっと感謝しないといけないなと感じる。

    さっきちょっと筋トレした。アブローラー10回を2セット。
    一向に減らないお腹のことを考える。見取り図盛山さんの痩せた理由、第一は食事制限だという動画が頭をよぎる。
    結局はそこなんだよな。2月に受けた健康診断の前に1ヶ月くらいきちんと食事制限をしたら、あっという間に3kgくらい痩せたもんな。
    わかっちゃいるけどやめられないのがお酒。私のお腹は99%くらいの確率で、お酒でできているんだと思う。
    控えないとね、健康にも良くないもんね、と思っていても缶ビール1本だけ、とつい呑んでしまう。
    缶ビール1本くらいなら良いのでは?と軽く考えているのが良くない。飲まないならびしっと飲まない日を作ったらいいんだと思うよ。

  • 入れ替わりながら、生きている

    入れ替わりながら、生きている

    生きるって、どういうことだろう。
    生きる、って言っちゃうとどうも重たく感じてしまう気がする。
    なので、生きてるな、って思った瞬間のことを書こうかなと思う。
    未来の自分はそういうことを考えていた過去の自分を思い返し、改めてどんなふうに考えるのだろう。

    今日も一昨日に引き続き、10km走ろうと思っていたものの、気持ちが前に向かず走ることができなかった。
    言い訳を考えたらキリがない。寒いとか、家でのんびりしたいとか、今日は祝日で昼間は暖かかったはずなのにそれをスルーし、あっという間に夕方。
    近所のスーパーまで買い物に出かけたら完全にやる気がなくなってしまった。
    帰宅してお酒。
    けれど今日は焼酎のお湯割り1杯で終わりにした。走らなかったことからくる罪悪感を抱いたためだろう。
    その後、すべてのやる気がなくなり、決断するのがめんどくさい状態に陥った。
    仕方なくその場をやり過ごそうとする。タバコ。外は寒い。
    羽田空港から飛び立つ飛行機を4つくらい見送っているうちにタバコ終了。
    管制塔にいる人ってすごいよな、と考えた。

    数日前にも書いたけれど、人生って毎日がポジティブ、すべてのことに自信を持ってやり遂げることができます!というシーンは少ない。
    歳を取ると尚更、というのが最近抱いていること。
    こんな感じで、走ろう!と思ったのに走れなかった自分を認めないと、気分がより一層滅入ってくるのは知ってる。
    そういうのも引っくるめて自分を愛する必要があるんでしょ、と不貞腐れた気分でそれを受け止める。

    いつ、どんな時でも自分を肯定しないといけないんだろうか。
    自分を否定することは本当に悪いことなんだろうか。
    叱咤するというスタンスなのであれば、例えば今の自分に対しては、「明日走る!」というモチベーションにつなげることができるかもしれない。
    だけど明日は仕事が忙しそうで、帰宅時間が遅くなりそうだから厳しいよな、と諦める自分もいる。

    いったい、どの自分が本当の自分なんだろうと思う。
    自分の中に、100人くらいの人格がいるような気がする。
    それぞれの役割、例えば父親、夫、社会人、のようにいろんな帽子を被った自分がいるけれど、根本的には自分は一人なはず。
    走ろうと思ったけれど走れなかった自分、控えようぜと思ってるのにお酒を飲んでしまう自分、タバコを吸ってしまう自分、どの自分を信じ、背中を押せばいいんだろう。

    そんなことを考え、思いの丈をChatGPTにぶつけてみたら、バラの花びらを包んでくれるように優しく、自分を救ってくれた。
    ニーチェは、人間を一つの意志を持った存在としては見ていなかったらしい。
    いくつもの衝動がせめぎ合い、その時いちばん強かったものが前に出るだけだ、と。

    そう考えると、今日は「走らなかった私」が勝っただけで、「走りたい私」が消えたわけではない。
    明日、あるいはまた別の日に、そっちが前に出てくるかもしれない。

    生きるって、たぶんそういう入れ替わりの連続なんだろう。明日からまた仕事だ。

  • ランニング 10km

    ランニング 10km

    近所をぐるっと走ってきました。
    ここ2年位でがつっと体重が増え、体脂肪率が23%くらいにまで成長してしまった身体を奮い立たせ、なんとか10km。
    キロ6分15秒とか。
    明日も走ろうと思います。

    ランニング中に考えてること

    いろいろなところで、できるビジネスマンは仕事前に走って頭を整理して、仕事に臨む、みたいなことを目にします。
    私はそれがあまり信じられなくて、なぜかと言うとランニング中って一つのことを集中して考えることなんてできません。
    気持ちは散漫で、というか私の場合、今走ってるペースがどのくらいで、このペースだと目標の5kmとか10kmを走り切ることができるな、とか、次の信号で止まったらペースが乱れるから交差点を折れてルートを変えようとか、そういうことしか考えられないからです。
    仮に、仕事のことを考えようとすると、余計なことってあまり考えられないんですよね。
    気持ちは散漫だし、そもそも走ってるんだからそんなマルチタスクなことなんてできないよ、とか思っちゃいます。
    いや、それがいいってことなのかなぁ。余計なことを考える余裕がないから、いろいろ余計なことを考えることなく、仕事をストレートに進めるために必要最低限のことだけを考え、実行に移すためのステップを組み立てるってことなのかもしれません。

    ランニングって痩せるの?

    これもいろんなところで目にする質問で、私がたどり着いた答えは、「続ければ痩せる」です。ランニングで体重を1kg減らすには、約7,200kcalを消費する必要があります。7,200kcalって結構な量ですよね。
    私の場合、体重が75kgくらい、10kmを60分で走ったとき、消費するカロリーはおよそ770kcalとのこと。つまり10kmランを10回繰り返したら、ようやく1kg痩せるという計算になります。
    月に10回、10kmランをするって結構な頻度です。4週間の換算で週に2回から3回程度。つまり2日に1回くらいの頻度です。まぁ、私の場合それくらい走っても良いのかもしれませんけど。
    2日に1回くらいの頻度だったらできるだろう。
    あとは基礎代謝量をきちんと把握して、それを超えないように上手く食生活を保っていければ、良いのでしょう。
    こういうときにやってはいけないのは、気持ちを新たにすること、だそうです。
    気持ちを新たにしたところでどうせ気持ちが萎れてしまうから、そうではなく、環境を変えること。あとは、日課にすることも良いのでしょう。
    ハビットトラッカーと、予定表を付ければ、あとはもう実行に移すだけです。
    って、言うのは簡単なんですけどね。
    私も、やれば良いのに、って分かってるのになかなか手を付けられません。
    そんな私にちょっといいかも、と思うのは、家族に、「ちょっと走ってくるわ」を口癖のようにすること。それを発言してしまえば、あとはもうホントに1時間くらい外出して走るだけなんです。言うのは簡単なんですけども。
    明後日が楽しみです。走れるといいな。走るけど。

  • # 52ヘルツのクジラたち 町田そのこ ★★★★☆

    # 52ヘルツのクジラたち 町田そのこ ★★★★☆

    ## 星4つ

    主人公は幸せな家族に恵まれず、感情移入してしまうとこっちまで気持ちが落ち込むような境遇。

    私は、この先、幸せな結末が待っているに違いないと信じながら読み続けました。

    どんどん先を知りたくなるような展開で、つまり私の想像をはるかに超えたストーリー展開が常に用意されていて、あっという間に読んでしまいました。

    このあたりが、星4つの理由です。5つにしなかったのは、物語が短かったなぁ、というのと、主人公寄りの、主人公を助けてあげたくなっちゃうってなってる人が多くて、そこがちょっと現実とはかけ離れてるかなぁ、という点です。私、きっと現実路線の話が好きなんだと思います。

    物語自体は、人との繋がりの部分が大きくフォーカスされていて、それがタイトルにも絡むのですが、この、「声にならない声」を放ってる人ってこの小説の中だけじゃないよなぁ、私だって、その、「声にならない声」を放っているけれど、それが誰にも届かないときってあるもんな。

    それって、つまり、孤独ってヤツなんですかね。

    ## 魂の番人

    文中に出てくる言葉で一番印象に残った言葉です。私は、「生きる」という意味を実感し、その意味の重たさを共有できる相手、と解釈しました。

    生きるという言葉、あまりにもよく使われるし、その言葉が本当に持つ意味の重たさと比較するとあまりにも軽いですよね。

    生き物って本来はシンプルで、生まれ、生き、そして死ぬという一直線上のレールを歩くだけで、その3つってそれぞれ強くて重たい意味を持っています。

    それぞれが同じくらい重たいものでしょう。

    だけど生まれるのと死ぬのは一瞬で過ぎ去るのにくらべ、生きるだけがとても長いです。

    ## キャラ立ちの良さ

    町田そのこさんの作品を読むのは初めてです。

    独特の空気感を纏いながら物語を綴る中で、その物語を進めていく役者たち、登場人物の個性がきちんと、ぱりっとしていて、とても良かったです。

    こういう友達がいたら人生が変わっていたかも、と思ったり。

    だいぶお節介な、世話を焼くのが好きな人が良くもまぁこんなに集まったもんだ、と逆に感心しました。それぞれみんな、物語を構成するのに必要な人たちばかりで、欠けていたら物語として成立しなかったでしょう。

    一部を除き(主人公にキツく当たる人たちは除く)、みんないい人たちばかりで、冒頭の感想で現実からちょっとかけ離れてません?って書いちゃってますが、理想的な社会生活は、こんな感じで助け合って生きていこうとするものなのかもしれませんね。

  • # 今、ここに存在するものが、未来に存在し続けるとは限らない

    # 今、ここに存在するものが、未来に存在し続けるとは限らない

    ちょっと時間が経ってしまいました。

    引き続きマルクス・アウレリウスの自省録から気に入ったものを。

    しかしこれ、何度も書いてますが、数千年前に書かれたものとは到底思えないですね。

    今、この、2025年という日において、十分役に立つ言葉が載せられているということの、マルクス・アウレリウスの先見の明がいかに偉大か。マルクス・アウレリウスは自分のために書いた、とどこかで読みましたが、それだとしても、他の人に見られることをまるで想定しているかのような書き方をしていることにも驚きます。

    未来の私に伝えたい言葉

    これはおそらく未来の自分に向けて、彼は書いたんだろうと思います。

    日記なんかでもそうですよね、未来の自分へ書く手紙だ、と言われることもあったりします。

    未来の私に、伝えていきたい言葉を、今、頭の中で整理して書いてみるという行為は、自分の身体(というかメンタル)にとってとても大切です。未来の自分に向けて書くという点で考えると、マルクス・アウレリウスの自省録もそうですが、自分が「善く生きる」ために必要なことを書いているワケです。時々、日記に今日の愚痴を書く、書きなぐる、という人もいるようですが、それは結局建設的に、明日は今日よりも善く生きようというのに繋がらないから、そればっかりだとダメなような気がします。

    愚痴を書いて、それを反面教師として、明日の自分への糧にする。この考え方であれば、どんな愚痴でも十分に自分を成長させるための材料なのだと思います。

    > ものごとはすべて変化によって生じることを、絶えず観察すること。自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある。

    > いま存在するものはすべて、これから生じようとしているものの種子だ。だが君は、大地や胎内にまかれるものだけを種子だと考えている。じつに浅い考えではないか。もっと深く考えることだ。

    自然の中で、絶えず変わっていくもの

    毎日毎日、同じような生活をしていて、変化がないように思う日々とか。

    同じ仕事をしていると、あれ、今日水曜日?!火曜日はどこいった?!俺の火曜日、なんも生み出してない!というような思いに駆られることがあります。

    日にちって難しいですよね。きちんと意識していないと、すぐ、今日は何月何日なのかを忘れてしまいます。

    海軍が金曜日にカレーを作って食べるのは、曜日感覚のない生活を過ごしているから、カレーを食べれば金曜日、という風に状況を作り出すことで、曜日感覚を忘れないようにしているのです。

    マルクス・アウレリウスは言います。「自然がもっとも愛するのは、いま存在するものを変化させ、それに似せてあらたなものをつくりだすことにある」のだと。

    自然っていったい何なんでしょう。ベランダから見える外?それだけではないはずです。

    私が思うに、自分という存在 を含めた、全体的な自然なのではないでしょうか。

    つまり自分も、自分の周りを取り巻く自然というものの一部なのだと。

    自然とうまく付き合っていくことが、自分が善く生きるコツなんです。

  • 4DN SRVルネッサ ガソリンが漏れまくっていました

    4DN SRVルネッサ ガソリンが漏れまくっていました

    いやーーーー、、、
    恐るべし個人売買。。

    今朝、バイクを見に行ったらダダ漏れでした。

    ガソリンが漏れまくっています

    明日、近くのバイク屋に持って行こうと思いますが、果たしてきちんと乗れるようになるのか分からずです。
    ショックが大きく、寝込むほどではないですが、それに近いくらい気持ちが沈んでしまいました。

    ネットをくまなく散策してみたのですが、タンクからキャブレターへ繋がっているケーブルがへたれているのか、もしくはキャブレターが何かしら悪さをしていて、そこから漏れたのか、、
    タンクにガソリンが残っているかもわかりません。
    困ったなー。

  • 9月12日 考えすぎだって

    9月12日 考えすぎだって

    うまくいったこと

    • 自分の考えていることを書き出してみたら、なんとなくスッキリした。
    • 考えていることがクリアになったということなのかもしれない。
    • 自分のわからないジャンルを有識者に聞いて、自分のタスクの方向性を修正するというやり方は真っ当で、そういう時に社内の有識者がいるというのはとても心強いことなんだよな。

    うまくいかなかったこと

    • 自分の立ち位置がよくわからず、気分がモヤモヤしてしまった。考えすぎてしまうことがあるんだよなぁ。良くない思考処理。

    改善できる点

    • 考えすぎない。簡単なことのように思えて、いつも考えすぎてしまう。近くの人に相談できるような体制を作っておくと良いのかもしれない。
    • 常に報告できるように考えておくとかも良いのかもなぁ。相談事項を要約できるようだったらきっと相談も楽にできるだろうと思ったり。

    所感

    • うまくいかなかったなーと思うポイントは、明日中間報告会があるので、そこでどうやって報告しよう、というところでプレッシャーを感じているんだと思う。いつものことなのにね。無理に装飾する必要はないから、自分の中で虚勢を張らずに等身大の報告ができると良いなぁ。あとで少し報告案を考えてみよう。
    • もう会社を退職してしまった、ある人のことを思い出す機会があった。ふとした瞬間に思い出すその人はめちゃくちゃポジティブで、何を相談してもポジティブなフィードバックが得られた。多分その人自身、そういう、ポジティブ思考な育ち方をしたんだろうなぁ。常にネガティブ、うじうじしている自分からしてみるとまるでひまわりのように、太陽の方向を向いてキラキラ輝いているような印象。
    • 私は両極端な性格だから、彼みたいにめっちゃポジティブな方向に振れていたら人生が変わったんじゃないかとか思ったりしているけれど、決して今の私が持っているようなネガティブ思考のことを悪く言うつもりはないんだけどね。
    • そうだよ、、別に自分を否定するつもりはないんだって。ほんとだって。
  • 7月12日 今日も自動化

    7月12日 今日も自動化

    今日も自動化。
    なんとなくぼんやりとした目標みたいなものがあるけれど、それを小さなステップに分けて進めると自分の中での到達点が見えてとても良い。

    というかプログラミング、好きだ。これで食べていきたいと思ってしまう。
    ITのエンジニアってある程度経験が積まれていくと、人をマネージする系と、技術に尖っていく系に分かれるんだけど、私は後者だなー、とつくづく感じる。
    人を相手にするよりも、プログラムを相手にする方が好きなんだなぁ。

    今日学んだこと

    • CucumberのGherkinで、テスト条件パターンを表みたいにして実行すること
    • ウェブサイトの表示でどの程度待つか、それをExplicitly wait で待つこと。これによってWebサイトのロード時間を待つように指令を入れることができるようになった。
    • テストの止め方。これはVisual studio codeのボタンを押すだけなんだけど、テストケースが多くなってくるにつれて自分のMacが占有されてしまった状態で最後まで待たないといけないので、途中で間違いに気づいた時に止めることができるようになって良かった。

    あんまり分かってないこと

    • Pythonでの、Assertionの入れ方。テスト自動化なので、期待結果があって、それと比較して正しいかどうかというアクションを入れたいんだけど、それがうまく入れられてないから、ただステップを実行するだけになっちゃってるんだよな。
      XPATHで、項目が選択されている場合は「ちゃんと選択されてまっせ」的なコメントを出して、その後スクリーンショットを撮るようにしてるんだけど、そのコメントが出てなくて、さらにスクリーンショットも残されていないんだよな。
      ここがちゃんと解決されてないと、テスト自動化としてはまだ合格点にいかないと思ってて。明日も調べつつ、解決に向けて頑張っていきたい。
    • ある会員データを入力するところで、DBにSQLでアクセスしてテストの目的に合うテストデータを持ってきて入力したいんだけど、そんな感じでDBにアクセスするところが分かってない。ここはまだ細かいステップが刻めていないので、まずはそこからかなー。それまではハードコードでやってくしかないかなと思ったりする。
    • Gherkinで、GivenとWhenの間にある時にどんなふうにステップを刻めば良いか分かってない。普通にExcelとかで、手動でテストケースを描くように書いてっちゃダメなのかなぁとか思ったり。
  • 6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    6月12日 「自分は我慢している」というマインド

    昨日お酒を飲んでないおかげか、身体が軽い感覚。
    お昼を少ししか食べなかったので、夕方になりお腹が空いてきた。
    血糖値が下がっているんだろうなぁ。
    お腹に溜まった脂肪を分解して栄養に使ってくれたら良いと思っているのだけれど、なんともはや、脂肪を分解するのにも糖質が必要らしい。
    *参考になるのはこの辺り

    今日はジムで5kmランニング。その前に肩周りを筋トレした。
    市でやってるジムなので、300円で使えるの、すごくありがたい。
    それくらいの金額だったら、多少時間が短くても割り切れるから(1時間しか使えない)。

    今日の飲酒量は、ビール1本と、ウイスキーをロックで1杯。
    ビールはご飯を食べながら、ウイスキーは食後にいただいた。

    今はまだ楽しんで節制できているけれど、これがもうちょい経ってみると物足りないんだろうなぁと思う。
    そこで、「自分は我慢している」というマインドでやるとダメになっちゃいそう。
    けど、改めて自分のお腹を見てみて、このお腹を凹ませるというモチベーションを手に入れつつ、もうしばらく頑張ってみようと思う。

    レイソルはとうとう最下位に。
    ここがちょうど折り返しというところ。
    日本代表戦があるということで、すこーしだけおやすみ期間に入るので、ここからまた昇ってってもらいたいと思う。

  • 5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

    チー、と高い周波数の音が聞こえる。
    私の耳鳴りだろうか、いや、今私の目の前にあるディスプレイの音だろうか。

    人生って正解がわからないことが多い。
    正解なんてものは、所詮その人が受け取る解釈のなかで生まれるものだから、私が思った正解が、そういうことになるんだと思う。

    ランニングが私の趣味です、と言い放った過去。
    実際にそういう時期があったのだろうけど、その時の自分と、今のそれでは到底思いもよらないほどに別人のように感じている。
    ランニングへのモチベーションが思いつかないからだ。
    なぜあんなに、走ることが好きだったのだろうか。
    おそらく、走っている時の、自分の身体から感じる筋肉の動き、痛み、苦しさ、そういうところから「私は生きている」というのを感じていたからなように思う。
    今、私は生きているのだろうか。
    その、ランニング中に感じるそれらの物事から遠ざかった今、私が生きているという実感があまり感じられないのである。
    いや、うーん、こうやってブログを書いているときに、私が考えているという感覚は、実は私が生きている証拠なのかもしれない。
    中村一義が、彼の放った歌の中で「そうだ、過去未来を乗せて、列車は走るよ」と綴っていた。
    過去も未来も、列車が走るレールの上で奏でられるもので、全ては地続きということになるのだろう。
    もしかすると、今の私は、途中下車をしている状態なのかもしれない。
    今、生きているという感覚がないのだから。

    だからと言って、決して、生き急ぐ必要はないのだろう。
    この世の中と別れるようなきっかけがないのだから。
    もしその、きっかけが私の目の前にあったとしたら。