タグ: 21日

  • 7月21日 強くなくても良い、しなやかに生きる

    7月21日 強くなくても良い、しなやかに生きる

    有給休暇を取得した

    今年に入って何回目だろうか、4回目くらいかな。忘れた。まだたっぷりある。
    8時台に起床。午前に長男と次男の、学校の担任との面談に参加。
    どっちもきちんとした人間になっているようで、先生から心配するような声は聞かず。親の背中を見て育つというけれど、私はあんまりきちんと教えたつもりはない、だけどどっちも社会性を持った、どこにでもいる17歳と11歳になったようだ。とりあえずよかった。
    お昼くらいにバイク屋へ。家から30分くらいのところにある、ライコランドというお店。バイカーなら知ってそうなくらい有名なお店。フロントフォークのオーバーホールをしたくて、問い合わせの電話をしたら、バイクを持ってきて欲しいとのこと。超暑かった。暑いを通り越して熱いって感覚。
    バイクは風をあびて気持ち良いと感じるだろう、とバイクに乗らない人は考えるだろう。だけどそんなことはなく、ここまで暑いと熱風を感じるだけ。国道のデカめの道路だとトラックと並走することも多々あり、そうなるとトラックから出る熱でそりゃまた暑い。バイクに乗っていても汗をかく。
    やっとの思いで着いたバイク、店員さんにバイクを見てもらうと、インナーチューブも替えた方が良さそうとのアドバイス。こりゃあ高くつきそうだ、と思いつつ、車体番号から部品とかを検索してもらったんだけど、なぜか車体番号が登録されていない、と。なぜ。ちゃんとナンバーを登録したんだけどな。
    ちょっと時間かかります、とのことで、今日は番号を控えてもらって後日電話が来るとのこと。あまりにも高いようだったら、もしくはバイク屋ででもできないようだったら自分でやる以外の選択肢はない。結構大変そう。工具も買わないといけない感じ。やれやれだぜ。ヤフオクで去年の年明けくらいに買って、ようやく安定して乗れるようになったんだけど、まぁ色々あるなぁって感じ。
    で、帰宅して家族とランチ。しゃぶ葉のランチを。食べすぎた。お腹いっぱい食べられることに幸せを感じられるようになるうちが華だな、と思った。お腹いっぱい肉と野菜とご飯を食べて帰宅。しゃぶ葉を出た後に乗った車が暑かった。
    で、間髪入れず心療内科。この頃は二ヶ月に1回のペースで通っている。今日は混んでいた。なんで混んでる日と、混んでない日があるんだろう。いつも不思議。
    いつも通りの薬を処方してもらって帰宅。近くのホームセンターでホテイ草を買った。

    猫のこと

    毎日譲渡会のことを考えている。猫を飼いたい。癒されたい。そりゃ命を預かるって点では責任が生まれるけれど、それ以上に癒されるメリットの方が大きいだろうって考えている。次の土日はどこであるか、みたいなことを近くのスーパーとかで譲渡会案内のチラシを見てメモをする日々。

    レイソルの開幕戦

    開幕戦は水戸ホーリーホックとの対戦。今日の18時がチケット発売日、時間なので心療内科で診療待ち中に買った。最近のレイソルはプラチナチケット化していて、だから争奪戦になると予想して18時ちょうどにアクセスしたんだけど、難なく買えた。次男とゴール裏。順番待ち(開門前)、順番待ち(開門後)、席取り(開場後)みたいに3回くらいに分けて行かないといけない。苦行だよなこれ。あっついし。バイクで行くか、自転車の方が機動力に優れる(渋滞にハマらない)ので、そっちにするかと思うんだけど、いかんせん暑いよな、って思う。自転車かな。

    強く生きなければ、と考えていた自分に光が見えた話

    今日のタイトルでもあるんだけど、私はここ15年くらい、強い人間にならなければ、と考えていた。それは私の尊敬する上司に対する私の印象でもあるし、私は折れやすいから、強く生きなければ、この世界で生き残っていけない、とずーーーっと考えていた。
    けどそれって自分を否定することに繋がるんだよね。
    Tumblrでたまたま回ってきた言葉が、強い自分じゃなくて、しなやかに、自分らしく生きるべし、みたいなのを読んで、ハッとした。
    確かに、折れずに生きるためには、強くあろうとするよりも、しなやかに生きるって方が自分に合っている気がする。
    生まれたてのバジルのように、風が吹くとゆらゆらするけれど、知らず知らずのうちに大きくなっていくには、強さではなく、しなやかさが必要なんだよな。
    また、強く生きるっていうのは、自分の感受性を無視して、生きていくということになる。ブレない、というか。ブレないためには自分は安定していないといけないし、また、ある種、鈍感な一面を持たないといけないかもしれない。他人の気持ちを慮って生きるには、あまりにもいろんな考え方があるから、場合によっては無視する、っていうと言い過ぎだけど、気にしないという一面があるように感じる。それは自分には合わないな、と。
    ここのブログでも何度も書いている気がするなぁこの話題。この手の話題、好きなのかもな。

  • 適度な休憩を取ることは、仕事にとってプラスなのか

    適度な休憩を取ることは、仕事にとってプラスなのか

    たまに、仕事に没頭すると時間を忘れることがある。特段自分の好きな仕事に集中している時なんかは、気づいたら数時間経っていた!なんてこともしばしば。
    仕事は、基本的には好きなんだと思う。私は仕事=誰か、何かに貢献するということを無意識のうちに、念頭に置いている気がする。だから、誰かの必要となるための仕事だったら喜んで引き受ける。一方、誰のためにもならないもの、何の価値もないような仕事に対しては、とても億劫になる。
    たぶんこれって仕事をする人みんな同じように思っているのではないだろうか。昔どこかで、意味もなく穴を掘り続け、ある程度掘ったら穴に土を入れて元通りにし、そしてまた穴を掘るという循環を続けると、人は壊れてしまうというのを目にしたことがある。そりゃそうだ、と私は思った。意味のない仕事は人間を壊す。同じノリで、無駄なパワハラみたいに、誰かの機嫌を取るためだけの仕事も、きっと同様だろう。

    さて、仕事に没頭する自分に関連した話で、ある程度がーって仕事を進めた後、経っていた時間を見た瞬間とか、仕事をやり遂げた時に、どっと疲れを感じるということがある。たぶんそれは「集中が切れた」ということだ。そんな時に、定期的に休んでいれば良かったなーと考えても後の祭りで、仕事の疲れを癒すには何か食べるとか、風呂、寝るなどの休息を取ることが必要だと考える。
    人間はそもそも、長時間労働に耐えうる身体を持っていないように思う。専門的な勉強をしてこなかったので詳しくは分からないけれど、8時間という、割と一般的に、一日で働くべき時間というのは、理に適っているんだろう。それ以上働くと集中力が落ちるし、腹は減るし。残業した後に電車に乗るのとかすげー辛いもんね。
    そうならないために、例えば、30分タイマーみたいな、ポモドーロテクニックみたいなやつは、きっと人間をいい感じに働かせてくれるんだろうな。やったことないけど。
    例えば、10時から11時までの間に2つの仕事を片付けなきゃいけないとしよう。それぞれ30分くらいあれば終わるような仕事。だとすると、25分頑張って、5分休憩、でまた25分、という風に繰り返せば良いんだろう。
    たったそんなことで良いのか?!と思うけど、これもどっかで読んだんだけど5分休憩は、本当に、きちんと休憩を取る必要があるらしい。そこで、あえて「何もしない」という選択肢を取ることで、「仕事の続きがしたくてたまらない」状態にし、それでモチベーションを上げるのだとか。
    なんだよそれ、ホントかー、なんて思ったけど、ちょっと想像してみると、確かにそうかもなと頷く自分がいたりして。
    私はどちらかというとせっかちなタイプで、Teamsのチャットやメールなど、可能な限り早く返したいタイプなんだけど、きっと私みたいなタイプはその、「何もしない」時間が耐えられない気がする。その5分の間にメールチェックをしたり、Teamsで来てたチャットに返事したり、きっとしてしまうんだろう。
    それだとダメで、厳密にやるのなら、いっそのことデスクから離れる、みたいなことを考える必要があるかもしれないなぁ。

    ちょっと目線を変えて、「休む」ということに目を向けたい。
    アドラー心理学的に言うと、まず働くということは、共同体への貢献、と今の私は理解している。
    で、ChatGPTに意見を聞いてみたんだけど、彼はこう言った。

    休むとは、「自分を社会へ返すための準備」

    へぇ、みたいな、新たな発見だよね。自分を社会へ返すって。そもそも自分は社会から借りていたんだ、みたいなね。
    共同体で生きるという、言わば現代の社会生活において、仕事をするというのは私の身体を使って、その共同体に貢献するということなんだから、仕事=社会貢献という目線で考えるならば、休憩はそれを行うための準備という風に考えることもできるよな。休み自体も貢献してることになるのかー、って感じだな。

  • 考えすぎないという知恵

    考えすぎないという知恵

    ──仕事に追われながら、心が少し救われた話。

    今の仕事になって、もう三ヶ月が経ちました。
    あっという間でした。時間が長く感じたことは一度もなく、それだけ覚えることが多く、仕事を回すのに必死だったということだと思います。そう考えると、たくさんの仕事があるのは、決して悪いことではないのかもしれません。
    なぜなら、余計なことを考えずに済むからです。

    たとえば、「なんのために生きているのか」という問い。
    誰もが一度は考えたことがある、けれど簡単には答えられないテーマです。私はその問いに、まっすぐ答える術をまだ持っていません。
    答えようとするたびに、相手の価値観と自分の価値観の間にあるズレが気になってしまうし、結局「今の自分はきちんと生きているのか」という自己否定のような考えに行き着いてしまうからです。

    けれど、そうした深い問いを考えること自体は、悪いことではありません。
    むしろ、自分に足りない部分を見つけ、成長へつなげるきっかけになることもあります。思索は、行動の芽を育てるものです。

    ただ、考えすぎると、思考が自分を追い詰めてしまう。
    仕事が落ち着いて時間ができると、つい考えすぎてしまって、出口のない迷路に入り込むような感覚になることがあります。
    だからこそ、手を動かし、目の前の仕事に集中している時間は、案外、心を守ってくれているのかもしれません。

    中途半端に考えること。
    それは怠けではなく、むしろ健全なバランス感覚なのだと思います。

  • # 綾辻行人 another ★★★★☆

    # 綾辻行人 another ★★★★☆

    読書って山登りみたいなところがあって、山登りって言っても茨城の筑波山に登った経験くらいしかないんですが、小説を読み進めていくと、途中、ん、なんだこれみたいなところがいくつかあって、その答えが後になって分かることって良くありますよね。

    山登りは、歩いているうちにこれから登ろうとする頂上が見えるじゃないですか。あの山をめがけて登っていこうみたいな。あの山、頂上にたどり着いた時にはいったいどんな景色が待っているんだろう、その時に抱く気持ち、予感を胸に秘めながら山を登り続けていく。一歩一歩、足を前に出して、ゆっくりと登っていく。一歩一歩は小さな一歩だけど、それが積み重なって大きな達成を得ることが出来たり、というのは自己啓発系の本とかにも書いてあったりしますが、

    脈絡のない話を、とりとめもなく書いてしまいました。本題に入ろう。

    ## 達成感の話

    綾辻行人さん、初めて読みました。

    うちの子ども繋がりで知り合った方から、オススメいただいて。

    謎解き?ホラー?ジャンルはちょっと良く分からないんですが、少しずつ、玉ねぎのように纏った謎が解かれていくのを理解する時、めっちゃ気持ち良かったです。

    冒頭に山登りを挙げましたが、山を登りきった時の達成感ってこんな感じなのかもな、と思いました。

    今回読んだのは平成21年12月の再版本で、あとがきを除く本文だけで637ページという大作、読むのに腕が疲れましたが、この厚みっていうのも山の高さに似てるよね。

    全部読み終わるころには今とは違う景色が見えるんだろうなぁ、楽しみだなぁ、という気持ちを終始抱きながら読んでました。

    ## 初体験だった綾辻行人さんの描き方

    とても分かりやすいなぁと思いました。読者を選ばないように、分かりやすい日本語で文章が展開されていて、読者の想像力に依存しない形での、割と具体的な情景、人物の心情描写とか。

    最近は西加奈子さんにどっぷり浸かっているところで、彼女が時折見せる、読者の想像力を試そうとしてるこれ?みたいな描写がたまに辛いな〜と思うことがあったんですが、この話にはそれがほとんどなかったです。

    強いて言えば地下の雰囲気くらいかなぁ、なんとなーく、の感覚で想像しましたが、そこはそんなに重要なシーンじゃなかったので助かりました。

    ## 星4つの理由 (ここからネタバレ含みます)

    星4つにしたのは、私の中で綾辻行人さん1冊目という点、これから他にもいくつか読んでみたい、のでベンチマークとして4つ、という理由になります。

    上述の通り文章は分かりやすいし、600ページ超え作品なのにストーリー展開が上手いからサクサク読めちゃうし、そして骨子となるストーリー自体ももちろん面白かったので、そういう意味では星5でも良かったかもしれません。今後に期待ということで。

    ここからネタバレになりますが、強いて言えばということで、そもそもなんでこんなことになっちゃったの?とか、最後の妻はなんであんなことになっちゃったの?とか、なんかそういうところが物足りないなと思いました。全ての謎が伏線?と言っちゃうと言い過ぎかもしれないですが、それらもきちんと回収されると良かったのかなぁ。別に、夜見北山の神社の祟りじゃ〜!みたいな、かなり古風な話になりますが、そういうのでも良いのかなぁとか。なんでもかんでも回収すれば良い、そこはもう読者の考察にお任せしますよ、という綾辻行人さんからのメッセージだったのかもしれませんね。その辺までしっかり書いちゃうとプラス150ページ、そしたら800ページとかになっちゃうもんね。

    ネットでちょっと調べたら関連ストーリーがあるとのことなので、読んでみたいと思います。

  • 計画は一度立てたら終わりじゃないんだよね

    計画は一度立てたら終わりじゃないんだよね

    今日はニーチェの言葉から。

    計画を立てるのはとても楽しく、快感を伴う。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもワクワクするし、夢いや希望に満ちた作業だ。
    しかし、楽しい計画作りだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。
    そして、計画が実行される段になると、さまざまな障碍、つまづき、忿懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくが、途中で諦めるしかない。
    では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実現していける。

    「さまざまな意見と箴言」より

    わかるわー、って感じです。
    計画を立てるときは、気楽だから楽しいのか。
    私は仕事柄、テストの計画を立てることがあって、それは大体開発プロジェクトが始まって間もない頃なのですが、どんなテストが、どんなタイミングで必要なのか。そんなことを半ば妄想を踏まえながら、作っていく作業。ニーチェの言う通り、確かに楽しいんですよね。
    希望に満ちているから楽しいのでしょうか。
    気持ちが明るく、前向きになれるから楽しいのかもしれません。
    仕事だけではないですね。例えば家族でどこか旅行しよう、と計画する時も、泊まる場所や食べるものはどうしようか、と家族みんなで考えたりしますが、確かに楽しいです。

    一方、実行する時になると、計画したことを忘れてしまうことがあります。計画時には思いもよらなかったことが出現し、それに対処しているうちに、計画したレールから大幅に逸脱してしまうことも少なくありません。
    計画時には気づかなかったのだから、しょうがないことなんですが、それでもその「気づかなかったこと」を気づかなかったという事実が、計画したことから目を背けたくなるような気持ちになります。
    私の場合、恥ずかしい、という気持ちが先に立ってきます。
    そんなことすら思いつかなかったのか、という恥ずかしさです。
    計画したことを全て投げ出し、目の前に迫り来る壁を越えようと必死になってしまい、それ以外のことは何にも思いつかなくなります。
    近いところにある壁は割とよく見えるのですが、そんな、目の前の壁ばかり見ていると、大きく道を逸れてしまっていることに気づきません。
    そして終盤になり、道を逸れてしまっていることに気づき、慌てて計画を見返した時にはすでに万事窮す。
    私は、何が悪かったのでしょうか。

    確かに、ニーチェのいうように、計画したことから逸脱しないよう定期的に見返すようにする必要があるのだろうと思います。
    そうすれば、近くの壁だけでなく、遠くにある、ラスボスみたいな、とてつもなく大きな壁のことを忘れることのないような戦い方ができるのでしょう。
    言葉で綴るのは簡単ですが、それでもやはり、前述のように計画から目を背けたくなってしまうんだよなぁ。
    少しずつ、計画に寄り添うように生きていきたいです。

  • 11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    11月21日 読書感想文 ★★★☆☆ 長い終わりが始まる 山崎ナオコーラ

    この本、初見だと思って読んでいたんだけど、読み進めて気づきました。これ読むの2回目だった。
    私はこんな風に、少し斜に構えたような(という表現が正しいとは思えない、なんだろう)タイトルが好きで、タイトルと作者だけを見て図書館でジャケ借りをしました。
    前も同じような気分で、お、山崎ナオコーラじゃん、ん、なんだこのタイトル、奥行きがあって好きだな、という程度の気分で借りたんだろうなと思う。

    さて、このお話。ざっくりあらすじを申し上げると大学生のサークルでの話。主人公の女の子がちょっと変わった考え方を持つ子で、それを取り巻くサークルの人間関係とか、就職活動とか、そういう系の「考えなきゃいけないこと」や「やってかなきゃいけないこと」に対して前向きに取り組んだり、時にはネガティブになってしまったり、まぁ、人間だものいろんな気分があるよね、というお話。

    人間っていろんな面があるよなぁ、と自分のことを考えたりします。
    どこで何をしている自分が一番、自分らしいと言えるのか。そんなことをしばし考えたりもします。もしかすると、お酒を飲んで好きなことを考えたり、したりしている時が一番自分らしいのではないか、と今、ふと思いつきました。お酒の力を借りて理性みたいなものを外し、その殻の中にこもっていた「私」というものをゆっくりと陽に晒してみるような。陽に当てすぎてしまうとカラカラに乾燥してしまうので、適度に酔いが覚めたらまた理性をいう殻をかぶるんです、多分。

    しかしまぁ、理性っていうものがよく分からなくなりますね。
    例を挙げると、例えばさ、人によく見られたい、から他人に愛想よくするとかさ、それが本当の自分ではない、と仮定するじゃないですか。だけどそれだって、広い目で見たら自分なワケだし、これが本当の自分、とか、これは本当の自分じゃない、とかって、ただの偏見なようにも感じます。私の存在、個性に対する偏見。
    そういうのを、山崎ナオコーラさんは、しっかりと考えながら書いているような気がする。敏感というか。

    この、長い終わりが始まるというのは、ある曲のことを指しているんだそう。
    「終わり」というのは一瞬なことが多くて、終わりと一言に言ってもいろんなコンテキストがあるけど、その「終わり」が長いとは?と思ったんだよなぁ。割と最初の頃にその種明かしが出てくるから気持ちはスッキリしたんだけど、

    大学時代って、
    学生時代の終わりを表してるじゃないですか。

    この作品の中にはその、大学4年生の心境が高らかに綴られていて、「学生生活の終焉」を、ある曲にちなんで描いているんだよなぁーきっとそうだよなぁー。
    ですよね?って聞いたら山崎ナオコーラさんは、「ふふ、忘れた、分かんない」とか言いそう。

    途中、セックスに疎い男女がその行為を恐る恐る体験するところがあるんですが、私も経験が多いとは言えない方に属する人間なので、そのシーンはちょっと微笑ましかったです。
    そういう時期、あるよね、的な。
    しかしアレですね、この、疎いカップルが持つ心境みたいなものを丁寧に描けるのすげぇなぁ。そういう心境を体験した人しか描けないのではないだろうか、知らんけど。
    だとすると私も、はい、きっと描けるんだと思います。思わず数十年前のそういう時を思い返してみて気持ち悪くなりました。

    しかしアレですね、世の中には外向的な人、内向的な人と2つに大きく分けられるようですが、この後者に属する人は、きっとこういう話が好きなんじゃないかと思う。
    内向的な人の心に響きやすいストーリーを描くのが得意なんだと思う。

  • 9月21日 どうせ、あと数十年の命なんだから

    9月21日 どうせ、あと数十年の命なんだから

    ここのところ日記がとても滞っている。
    このブログだけではなく、ほぼ日手帳へ文字を落とすことも、やっていない。
    別に気分が落ち込んでいるとか、そういうことではないんだけど。

    ではなんなんだろう。

    なんとなく、「そのために時間を割くのがもったいない」と思っている節がある。
    それじゃその時間は何をしているのかというと、テレビを見たり、家族と話したりしているだけ。
    決して、有意義な時間を過ごしています、ということではないのかもしれない。

    自分と向き合う時間が少ないと、その先に、自分を蔑ろにしてしまうことになってしまう。気がする。
    自分を大切にしないといけない。自分の味方になってあげないといけない。
    そんなことを唱えながら、こうしてブログに向き合っている。

    ここで心境を吐露したところで、誰かがブログを書いてくれるわけではないので、
    そのあたりの気持ちをここに書いてる。

    どうせ、あと数十年の命なんだから、もっと気楽に生きたらいいんじゃないかな。

  • 8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    8月21日 自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ

    やる気が出るのを期待しても、何にも出てこない。
    やる気なんてものは幻想だ、みたいな文章を最近どっかで目にすることがあった。

    特に今日みたいな週明けの月曜日なんて、やる気が出ないからなかなかスイッチが入らない。
    このネタ、何回も書いてるなー。それこそ毎週月曜日に書いているような気がしてならない。
    いや、きっと書いてる。ってそれくらい、月曜日に出すべきやる気が見つからずに困ってる。

    創造的な仕事なのかもしれない。きっとそうだ。
    誰かから仕事を与えられるのではなく、自分で見つけるスタイルで生きているのだから。
    右から左に受け流す仕事だったら、頭を使わなくて良いから楽かもな、と思う一方、その人にはその人なりに考えることだってあるだろうから、私の価値観で語るのは良くないと思う。

    そもそも、やる気を出す必要があるんだろうか

    別に出す必要なんてないんだよな。やる気なんて幻想だし。
    やる気を出して、情熱的に、ひたむきにやらなければいけない仕事っていうのは、ハードルが高い時に出てくる証拠なんだよな。
    だから、やる気を出さなくても階段を昇れるように、段差を低く作れば良いんでしょ。
    よーし!やるぞ!ではなく、そういう気分にならなくとも、仕事が進んでいくような。

    ちょっと前まで、何も生産できない日があったら、ものすごく落ち込んでいたことがあったんだよな。
    もう自分はこの会社に対して何も貢献できてない。給料泥棒だ。今日1日、仕事をしてたつもりなのに、何にも生んでないじゃないか、と。
    だけどそれってただの考えすぎで、そういう日があったっていいんじゃん、あと会社はそんな簡単に君を切ったりしないから、というのを自分に言い聞かせることで、心に平穏を取り戻すことができたような気がするんだよなぁ。
    自分で自分に毒付いていても、何も解決しないぞ、と、今ではそんなふうに考えられるようになった。成長してる。

  • 6月21日 佐伯チズさんみたいな

    6月21日 佐伯チズさんみたいな

    佐々木俊尚さんの、「読む力」みたいな名前の本を読みながら通勤。
    彼はどっかのいい大学を出て、立派なジャーナリストとして名を馳せているのかと思ったら、大学は留年しまくった、と語られていて、妙な親近感を覚えた。
    さらに、二人目のお父さんが、彼が学をつけることに嫌悪し、本を読んでいるだけで怒られたという、いわば劣悪な環境に置かれていたと書いてあり、さらに、すげー!ってなった。

    人間、逆境の中で生きていくには、貪欲になんでも吸収しようという精神が必要なのかもしれない。
    彼のすごいところは、彼自身が成長しなければいけないと自分で自分の背中を押していたところだと思う。
    と、本の端っこを読んだ程度の私が語るのはアレなので、気になる方は佐々木俊尚でググっていただければ幸いである。

    人と比べる訳ではないけれど、私も、中学の頃から小説を読むのが好きだったなぁ、と思う。ほとんど忘れてしまったけれど、本を読む姿勢だけは今でも消えていないような気がする。Twitterをやるくらいなら本を読みます、という程度のマインドセットではあるけれど。
    本の中には、私の想像もつかないようなことが書いてあることが多く、まるでその人になったかのように、作者の思想を知ることができるのがすごい。
    それは小説だって同じで、登場人物のプロットというべきか、そこにどう個性を充てるかというところだって、作者の趣味みたいなものが見え隠れすることが多いだろう。
    私の一番好きな作家、伊坂幸太郎で言うところの、溌剌とした女性、みたいな。
    私のイメージだと佐伯チズさんなんだけど、彼女みたいな、竹を割ったような性格の女性って伊坂幸太郎、好きだよなー、と思いながら読んでいる。(貶してません。褒めてます

    そうやって、自分の好きなものって滲み出るんだろうなぁ。
    佐々木俊尚さんは今でこそガジェット好きなおじさんみたいなイメージだけれど、彼も彼なりの個性がきっとあるんだろう。

  • 5月21日 やらないことリスト

    5月21日 やらないことリスト

    今日は家族のうち二人に用事がありそれぞれ出掛けていて、私と次男の二人で過ごしている。
    それぞれ気ままに、時間を過ごす。もうすぐ日が傾いてきそうなこの十六時までで、まだ家から一歩も外に出ていない。
    次男は宿題をしたり、Switchやレゴ、あと昼寝をして過ごした。
    私はピザを作ったり、本を読んだり(Kindle Unlimited に殺戮に至る病が出ていてそれを読んでる)メダカに餌をやったり、観葉植物を見ながらタバコを吸ったり、あとゼルダの新作をしたり。
    お金をかけなくても、こうして気力を回復させることはできるんだよな、と思う。
    別に、それが悪いという訳ではないけれど、家族に付き合って外へ買い物に出掛けたりするの、微妙ながらストレスになっているのかもしれない。そもそも私に欲しいものがないのに、買い物へ出かけることが、良くないのか。

    自分の意に反するような行動は、なるべくやめておくべき、というのが私の哲学なのかもしれない。
    だけど、家族の用事に付き合って出掛けて、人混みに疲れ、私は大した成果も得られずに時間を過ごす、と。
    土日のうちどっちかはそういうことをしても良いけど、残り1日は自分のために使いたいよなぁ。

    そうか、これって「やらないことリスト」になるのか。
    一時期、自分の人生でやらないことリストを作ろう、みたいな自己啓発が流行っているのを目にしたことがある。
    自分にとって気分が悪くなるようなことは、やめよう、みたいな。
    アドラー先生の、嫌われる勇気にも通じるところがあるような気がする。
    自分に被害がないことは、関わらない、みたいな。
    逆に、やると決めたことは、自分の意思を尊重して、やり遂げる必要があるよな。
    途中で力尽きてやめたとしても、それも意思の一つなんだから、それも肯定してあげるべき。