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小説

12月25日 一体感

テレビでは一面の海が映し出されている。海と言っても色は緑で、つまりサッカーの試合を放送しているのだ。いったいどこのチームとどこのチームが試合をしているかさっぱり分からない男、宮島は、カウンターで一人、酒を飲んでいる。というか、この試合を誰かが観ているのだろうか。宮島はさりげなく周りを見渡したが、誰一人としてこの試合を観ている者はいなかった。いったいこの年の瀬に、誰が好き好んでサッカーの試合など観る […]

10月4日 (小説)サトの初恋

  サトは大きく息を吐いた。そうすると、自動的に空気が身体に取り込まれるのが面白くて、何度か同じ動作を繰り返した。   届かない恋というのは面白いもので、そのおかげで人生が豊かになったような気がした。豊かというのは、サトの感覚で言うといろいろな感情が生まれるということ。好きな人がいるんだけど、彼に惹かれていじらしい想いをしたこと。恋に焦がれるというやつだ。舌でそっと上顎を撫でる。ざらざら、ごつごつ […]

8月7日 パパ活と、囚人のジレンマ

隣の席にいる二人の会話は続く。「信じられる?同じチームのタトさん、パパ活してるんだってさー。そんなことを堂々と言っちゃうあたりがもう信じられない。まぁ、元々信用してなかったんだけど」「タトさんかー。パパになってるってことでしょ?それ言っちゃってるんだ?うわぁ。デリカシーがないというべきか。それ、結局アレなんでしょー、俺は女ひとりを囲っておけるほどの経済力を持っているんだ、っていうのと、性欲をそこで […]

7月26日 恋愛小説はもう描けない

自分にはもう、恋愛ものの小説は描けないと思う。なんというか、自分自身にそっち側の気持ちが湧いてこない感覚があって。図書館でそれ系の本を、いわゆるロマンス系?を借りようという気持ちも、全然湧いてこない。抗うつ剤を飲み始めてからかな?だいたいそのくらいから。 とは言えエンタメ的にはその方面が好まれるのは分かっていて、受けを狙うのであれば書くべきなんだろうけれど、そっち側のことを考えようとしても全然頭が […]

5月23日 ギンガムチェックの傘

雨上がりの街。水面に残った雨が、水飛沫となって車の後を追っている。やがて、静かに空へと舞い上がり、またいつの日か地上に落ちてくるのを待っている。雲の隙間から、ぼんやりと。 そんな循環を思い浮かべたのは、ついさっき思い出した、死んでしまった母のことがあったから。火葬の日、火葬場から舞い上がる煙のようなものが空に昇っていくのを見た。それはどこまでも舞い上がっていくように見えたけれど、そのまま宇宙まで飛 […]

5月18日 優しい嘘

どっちが正義だとか、良く分からなくなっちゃってさ。少年は、自分が原因で起こしたクラス内での諍いを、隣の部屋に住む、なんの仕事をしているか良く分からないおじさんに話した。いじめられている友達を庇ったら、今度は少年がいじめられるようになってしまった。こんなことなら、庇うなんてことしなかったのに、と。物事はこれ以上なくシンプルだ。いじめられている子が悪い。だけどそのいじめられている子は、家では二人目のお […]

5月2日 キーホルダー

階段を昇っていくと、ちょうど電車が停車しているのが見えた。乗れるのなら乗りたい、と思ったがたまたま、私の前に歩いていた人のリュックについていたキーホルダーが目に入り、そして私は階段でつまづいた。電車は行ってしまった。周りに見られているような気がするのがとても気恥ずかしく、私は「こんなこと、へっちゃらですよ、日常茶飯事ですよ」という、なんてことない素振りをし、気を取り直して残りの階段を昇る。 「運動 […]

4月20日 唐揚げのゴール

彼の顔が好きなの。なんでか分かんないんだけど。彼の、ボールを跳ね返そうとする時の、歯を食いしばった時の顔が。 応援しているチームが、防戦一方の展開。こちらとしてはなんとか自陣からボールを出してくれ、最悪タッチラインを割ってスローインでも良いから、と戦々恐々としている最中、彼女はそんなことを言った。 私の願いが叶ったというべきか、あまりうれしくはない願いなのだが、ボールが本当にタッチラインを割り、相 […]

4月8日

相変わらず風が強い。春ってこんなに風の強い日が続くんだっけ、と曇り空を眺めながら思った。今にも降り出しそうな空だ。雨は洋服が濡れるから嫌いだ。 ついさっき立ち寄った定食屋に、読みかけの文庫本を忘れたことに気づいたのは、店を出てから数時間経った後のことだった。ぶらぶらとウインドウショッピングをしていたが足の向きを変え、定食屋へと向かった。店は準備中という看板が掲げられていた。腕時計を見ると15時40 […]

4月3日 希望の葉

少しずつ木々に緑色が増えていくように、人間にも希望の葉が増えていくような時期がある。最初は自分でも気がつかないんだ。それはとても小さな葉っぱだから。だけどそんな状態から、忘れずに水をやって注意深く観察していると、だんだんと葉っぱが大きくなっていくのが分かる。そんなふうに、希望の葉が、大きくなっていくような時期。四季で言うと春のような時期なんだけど、それが人間の春なんだと思う。 猫は窓から見える木々 […]