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  • 8月1日 休日だけどタスクをこなす

    8月1日 休日だけどタスクをこなす

    午前が長い

    昨夜は1時過ぎまで眠れずにゴロゴロしていたところで、多分眠りに就いた頃は1時30分とかだったような。明日は早く起きられないだろうなぁ、と思いながら寝たので期待していなかったんだけど、まさかの6時台に起床。しかも、どろーんとした目覚めではなく、すっきりとしたもの。起きて何をするかちょっと考えたけれど運動一択だよね。朝は調子が微妙なのがここ数年のデフォなんだけど、実は今週、心療内科から処方されている薬を飲んでいない。理由は、気持ち的に調子良いから。躁状態ということではない。落ち着いて、日々、いろいろな物事に取り組めているなと感じているから。

    ということでランニング。5km。ペースは限りなく7分に近い6分台。5分20くらいで走ってた頃が懐かしい。焦らずにゆっくり戻す。暑いし。
    近所に公園があって、そっち行ってみたんだけど朝ランしてる人がとても多かった。知り合いはおらず。元々、ほとんどいないけど。なんとなく、同じ方向で走ってる人のペースに引っ張られそうな気がしてイヤだったので、ルートを変える。古くからある神社の方へ。そこからは近所をぐるぐる。今日は信号によく引っかかった気がする。考えすぎかな。考えすぎだろうな。

    オープンしてからしばらく経つ駐車場が、いまだに「オープンセール」ってやっていた。もう半年くらい経つんじゃないかな。これこのまま料金体系が定着していく未来が見えたわ。
    5kmを終え帰宅。からのシャワーを経てプロテイン+牛乳。
    そして図書館。Copilotからおすすめされたものを借りる。絲山秋子の逃亡くそたわけ、小野寺史宣のひと、そして恩田陸の夜のピクニック。3人とも初めて読む。あ、恩田陸は何か読んだ気がするか。蜜蜂と遠雷読んだな。楽しみ。

    バレットジャーナルにタスクを書いてこなす日々。ランニング、車の修理、図書館など。あとは刺繍と手芸くらいだな。

    Brighter, Brighter

    最近はLaura Day Romanceというバンドがちょっと好きで、そしてBrighter, Brighterっていう歌がとても気に入っている。
    穏やかなBPM、現実はうまくいかない、みたいなテーマの歌。最初は女性ボーカルの女性がいいな、って思いながら聞いていたんだけど、最近は歌詞が気になるようになってきた。

    https://s.awa.fm/track/b4a6b30c19b19f868432

    冒頭、少し引用してみる。

    間違いのないように 君は言葉を詰まらせているけど 時折騙すように 嘘笑をやってみせるのね そんな姿は決して 見たくない 見たくないけど グラグラの立場で お互い大変だよね 甘い思いを募らせ やり過ごすだけで 生活は精一杯 理由もなく流れる涙は 誰かの目に留まらなきゃ 天国へ行けない 天国へ行けない

    私はこういう、男性女性のカップル(と勝手に考えている)がうまくいかなくて、とてもゆっくり、だけど確実に別れに向かうっていう話が本当に好きで。
    「グラグラの立場でお互い大変だよね」って言うのが、どういうシチュエーション?って聴く方に委ねてるのがいいよな、って思う。その不明瞭なところを埋めるために聴く方は想像力を最大限に発揮して、具体的なシチュエーションを想像する。
    天国へ行けない、というのは。天国ってなんだろう。若干形而上学的なニュアンスも含まれているけど、それが「誰にとっても幸福な場所」と前提するならば、この恋人たちは、甘い思いを日々抱きながらもそれによって得られる天国へは容易に到達することができないくて、足元を見ると日々、生きるという営みを過ごすだけで精一杯。余裕がないんだね。二人の未来を悲観(というと言い過ぎかな)して、自然と頬を濡らすけれど、誰もいない部屋で、一人で泣いていても、何も進展しねーぞ、ということなんだろうか。

    涙は女の武器って言われたりする。この時代に男女の、この手の特性みたいな話をするのもアレなんだけど、涙を誰かに、ここで言ってるのは相手なのかな、に見られたら、彼らの考える天国に行けるのか。正直、個人的には「泣いても解決しねーぞ」派なので、涙が全てを解決するかというとそれは場合によるだろ、とは思う。だけど、涙に縋りたくなるほどに男女の関係は冷え切っていて、彼は嘘笑をしたりして本心を隠すし、もうどうしたらいいか分からないみたいな状態って、実はそんなに珍しいことではないよな。そして、「あーこのまま終わっちゃうのかなぁ」ってぼんやり考えるの、結構堪えるよね。私は割と早く結果を出したいタイプなので、時間に身を任せて解決するのか、崩壊するのかを委ねてしまうとか、そういう他責で自分の未来を自分で切り拓かない感じのやつ、苦手なんだよな。時には、もうどうでもいいから時間に解決してもらおうみたいに思ってしまうことはあれど。

  • 7月30日 徒然なるままに

    7月30日 徒然なるままに

    今日も走った

    7時台に起床。今日もつくばに出社。
    通勤電車が快適ってだけで出社する気持ちが湧いてくる。
    昨日一昨日あたりの日記にも書いたかもしれないけれど、私はほんとに朝の通勤電車が嫌いなんだなぁと感じる。

    私は一体、朝の通勤電車の何が嫌いなんだろうか。
    まず、他の人に気を使うのが疲れる。体は触れたくないし、女性が近くにいたら男性以上に体やバッグが触れないように気をしないといけないし、本を読むのも辛いくらい人がいっぱいだと、本当に疲れる。
    出社する前から疲れるってどういうことだよ、と。

    だから、つくばへの出社は本当に気持ちが良い。まず、人に接触するというほどに混んでいない。ツいていたら座れるくらい。電車に乗っている時間も、自宅から虎の門に向かう時間の半分くらいだし。すごいよ。これなら在宅勤務じゃなくても良いかなって思っちゃう。

    9時前に出社し、18時まで集中して仕事。あっという間だった。たくさん仕事をこなしたなぁって感覚で退勤。

    ゾーンに入る、というと言い過ぎだと思うけど、たまに、時間を忘れて仕事に没頭する時がある。何がきっかけかはよく分からない。なんとなく感じるのは、自分の中で、仕事の具体的なアクションとか、ゴールが明確になっている時かな、ということ。

    逆に言うとふわふわした仕事、探りながら前に進んでいくような仕事は好きではないのかもしれない。仕事って全部が全部、取り掛かる前からきちんとゴールが示されているようなものだけではない。むしろ分からない方が多いように感じる。だから、ちょっと走って現在地点を確認、ゴールが見えるか探ってみてまたちょっと走る、みたいな、それこそマラソンみたいなやり方も必要だったりするよね。前が見えない状態で走ることができるかどうか、これって仕事をする上で、一つの才能だと思う。

    で、帰宅後、ランニング。5km。外ラン。気温は29度。ゲリラ豪雨明けの湿度MAX状態。めっちゃ大変だった。フルマラソンを走ってた頃はキロ5分20とかで走れていたんだけど、今日は暑すぎて7分を切ることができないくらい。こういう日に限って信号待ちできないくらい調子良いんだよな。赤信号にならず。結構な住宅街を走ったんだけどね。

    しかし走っていくとわかるんだけど、あっつい、もわっとした空気を感じるところと、ほんの少しだけ気温が低い空気が流れるところがあるんだよな。あれってなんなんだろう。空気というか気温って、基本的に均一だと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。住宅街を走っていたから、建物から出る熱ということかもしれないけれど。よく分からない。最初は不思議に思って、建物を見てみたりしたんだけど、室外機が歩道の方にあるわけでもないし、昼間の熱?を吸った建物から出たりしてるのかなー、とか考えているうちに5km。最後の1kmは本当に辛かった。Apple Watchの距離のところを100m毎に見るくらいの頻度。そしてラスト50mくらいのところで、歩道の青信号が点滅したので、そこで止まることも考えたんだけど、50mをダッシュに近いくらいのスピードで駆け抜けた。トレッドミルでいう12.5km/hくらいのスピード。

    あと、アームバンドをつけて走りたいと常々考えていて、Amazonで安い割に評価が高いものが売っていたのでそれを購入して、それをつけて初めて走ってみたんだけど、走り始めてから2km超えたくらいで妙に肩が凝るようになって。きっとアームバンドのせい。あとはペースが非常にゆっくりだったので、いつもみたいなフォームで走ることができず、首が前に出がちだったのかな、とか考えた。次回からは腰につけるバッグに戻そうと思う。

    腰につけるバッグから、アームバンドになぜ変えたのかというと、腰につけるバッグはかなり年代物で、時代としてはiPhone 7とかそのくらいだったような。つまり、今の標準的なiPhoneのサイズよりも、ポケットが小さくて、私の今使っているiPhoneを入れると、ファスナーが全部閉まらない状態。ま、新しいの買いなさいよって話ではあるんだけど。そっか、新しいの買っても良いかもなぁ。それで快適に走れるんなら安い買い物でしょ。

    あと、ランニングしてシャワーを浴びたあと、鼻の頭が猛烈に痒い。そして鼻水も出る。もう花粉の時期って終わってなかったっけか。花粉症の薬が欲しい。

  • 7月29日 もっと生きていたいと考える

    7月29日 もっと生きていたいと考える

    健康診断を申し込んだ

    7時30分くらいに起床。今日もつくばに出社。家からオフィスまで1時間かからないって本当にありがたい。電車も混んでないし。

    眼精疲労?なのか分からないけれど、これまた感覚的なことだから言語化するのが難しいんだけれど、普段、耳に、チー、みたいな高周波の音が鳴るのを感じると思うんだけれど、それが、眼球を上いっぱいに上げた瞬間だけめっちゃ増幅される感覚があって。私は体調不良でこれから熱が上がっていきそうな時にそれを良く感じるんだけど、そんな感じで体のどっかに不調を来しているのかな、と焦った。そして会社で年1回受けましょう!っていう健康診断に申し込んだ。今から約2ヶ月後。
    そしてそれをCopilotに話し、今イマの身長、体重、飲酒喫煙習慣などを話したところ、飲酒量を下げることと、適度な運動を勧められた。
    私は鉄は熱いうちに打て派なので、かねてから取り戻したかったランニングの習慣を再開した。とりあえず週3目指そう、って優しいCopilotは勧めてくれたけれど、個人的には、いけるんなら毎日走っても良いのではないかと思っている。
    で、早速今日、終業後に走った。かねてから気になっていたちょこザップの無料体験を申し込んで、7kmくらい走ってきた。心拍140くらい、ペースはキロ7分くらい。ケイデンス164。まずまずかな、って感じ。ラン後は身体的にはへっちゃらって感じだけど、走れるなら外ラン、そして朝だよなぁ。5時くらいに起きて20km走ってた頃が懐かしい。あの頃の自分を取り戻したい。
    そして今夜の飲酒。これは日常のペースにしていきたいんだけれど、今日はハイボール1杯だけ。ウイスキー50mlだけ。これで酔い気分になれるんならちょうど良いかもな。

    飲酒による機会損失

    これ結構デカいと思っていて、小説書いたり、読んだり、ブログ書いたり、刺繍したりっていう、夜、一人で楽しむようなイベントが酒によって妨げられてるのが割と気になっていて。
    私は本来、酒を飲みたかったのかどうかすらよく分からなくなってきてて。それもCopilotに相談したら、多分私は、1日を締めくくるイベント的な感覚で飲酒していたのだろう、と。
    確かにな、と思った。
    1日を締めくくるには別に酒じゃなくなって良いだろう。
    最近は毎日のようにこんな感じで1日を振り返ってブログを書いているけれど、これだって1日の締めくくりを彩るためのイベントとして昇格させても良いだろうに。
    確かにね、酔って気持ち良くなるのは分かるんよ。私はハイボールを3杯くらい飲むと良い感じに酔ってきて、その感覚を楽しんでいたのは間違いようのない事実だけど、それによって蝕まれる健康のことを考えたら、トレードオフじゃないだろ、と。むしろマイナスだろ、と。
    だから、基本、酒はハイボール1杯とか、ビール1本とか、レモンサワー1杯とかで終わりにして、だらだら飲む習慣を絶ってみようと思う。
    分からんよ、意思薄弱と自分でも認めるくらいだから、飲みたくなる日だってあるでしょうよ。だけどそれを毎日のイベントとして掲げるのではなくて、たまにのご褒美で捉えるくらいでちょうど良いのかもしれんね。ご褒美って考えてる時点でまだまだだろ、とも思うけど。

    湊かなえ Nのために 読了した

    奥さんから勧められて読んだ。物語が何層にも重なっていて、ストーリーの構成力とかすごいよな、と思った。私にはこんなのは書けない。ロジックを組み立てるところで私は破綻してしまいそう。うまくできた話だよなぁ、実際の生活にはこんなことは起きないだろう、って点で、私はそこまでグッと来なかった。私は日常を描く話が好きなんだろな。
    考察。贖罪っていうものに登場人物全員が執着していて、それを意識的に感じてる人もいるし、そうじゃない人もいるし、だけどそれぞれが持つ意識のもとに行動していて、それ自体は自分の本心に基づいて動いているんだろうけど、だけど他人の感情や行動に振り回されることもあるもんね。
    心理描写って点ではそこまで深く抉っておらず、だけど多くの読者に対して、最大公約数的なところで描写を止めるあたりはさすがだな、と。読者に委ねるところと、文章で語るところの攻め際って難しいよなぁ。そういうとこすごいわ湊かなえさん。他にも読みたいかと言われると、うーん、なんとも言えない。私は心に火が灯ると図書館で本を借りまくってがっつり読み込むんだけど、そこまでではなかった。心理描写で語るというよりかは、ストーリーテリング、ロジックの妙で読ませるタイプのように感じたから。

  • 今日のランニングと、今までの自分を愛すべきだろって話

    今日のランニングと、今までの自分を愛すべきだろって話

    今日は10km。外ラン。気温は7度くらいかな。ペースは前回と同じキロ6分20秒くらい。

    寒いは寒いけど、風がなくとても穏やかな関東地方を駆け抜けた。

    前回はジムでのトレッドミルだったから、退屈で飽きてしまって8kmしか走れなかったのを教訓にして、今日は外ランにしたんだけど、やっぱ外はいいな。いい感じに視線は発散し、次の信号、次の曲がり角へとゆっくりと自然に視線が移動する様は、走っていることの心地よさを増強させる気がする。

    だけど夕暮れ時に走ったせいか、街頭が弱い歩道で少しの段差につまづき、それで踏ん張った右膝に痛みを感じるようになってしまった。昔、大きめのケイデンスで走った時にも得たような痛み。ちょうど8kmくらいで被った痛みをぼんやりと抱えながら、残り2kmを走り切るか逡巡した。
    そこで止めることも、もちろんできた。けれどどうせ残り2kmを歩くことになるんだし、走れるところまで走ろうと心に決める。周りは真っ暗な市街地。相談できる相手なんていない。相談したところで、走るか歩くかの二択しかなくて、歩いているうちに体は冷えて寒くなってしまうだろうから、ええい!ままよ!とメニューを決めた井之頭五郎氏と同じ気持ちで、走ることを選んだ自分。だいぶ不安ではあったけれど、無事に目標にしてた10kmを走り切ることができた。心の中で小さくガッツポーズ。

    人生は選択の連続だと言う。朝、起きた時、その時点で、ちゃんと起きるか、もう少し寝るか、その段階ですでに選択していると言える。
    時折、「あの時、ああしていれば良かった!」などと考えることがある。というか毎日、そんな風に過去のイケてない選択を思い出しては、川に飛び込みたい衝動を得ることがある。
    だけど実際には、自分の思うがままに選択してきたはずだし、それがあとになって、それも数十年先の未来にまで「あれは失敗だった!」なんて気持ちを抱くようになるなんて、思いもよらない。

    きっと大事なことは、過去、その選択をしてしまった自分を愛することだ。
    その時にベストな選択をしたはずで、仮に打算的な選択をしたのだとしても、その時には「そうするしかなかった」はずなのだから、それをひっくるめて愛するべきなんだろう。

    なんて安い文章を書いているんだと思う。
    だけどこう書かなければ、私という自分自身が、溶けていなくなってしまうような気がするから。

  • 走っている間、私は考えていなかった

    走っている間、私は考えていなかった

    今日は10km走った。
    風が強く、向かい風の時は前進するのがキツく、被っていた帽子の鍔が上にめくれ上がるほど。
    向かい風があまりにも強かったので5kmで終わりにしようかと途中引き返すことも考えたけれど、なんとか予定通り走り切ることができた。
    走り切ると言っても、途中信号待ちで休憩したりしたので、実質10kmを休みなく走るというところまでは到達できなかった。

    年が明けてから心機一転、走ることを趣味の一つに据えて過ごしている。
    去年は数カ月に1度走るかどうかくらいだったので、1月に入ってからすでに5回走っているという実績は、自分に自信が持てるような感覚を得ることができた。
    私にとって、過去、10kmだけでなくフルマラソンを経験しているというのは強い。
    全くゼロ経験の人と比べると、恵まれている気がする。
    身体が、筋肉が、走ることを覚えているから。
    そういうことって覚えてるんだよな、みたいなことを考えながら走った。

    いや、走りながらなにか考え事をしていたかというと、そんなことはなかった。
    走り出してから1kmくらいで今日のペースを掴んだら、思考はそこで置き去りにしていた。
    プン、と昔のブラウン管テレビを消した時のような音が頭の中で響き、そこからは信号で止まるかとか、ペースとか、息切れとか、走るルートとか、そういうものだけを考えるようになった。
    いつもこうだ。常日頃走っていた頃も同じで、何も考えることなく、淡々と走る生き物になった。

    何も考えていないというのは、生き物として、人間としてそこに在るのだろうか。
    今日は繁華街の一部を走ったので、その間はすれ違う人の目に私は映っただろう。
    だけど実際の私は、上述したようなことしか考えていなかったので、そこには確かに在ったけれど、考える生き物としてはイエスとは言えなかったような気がする。
    いや、無理に、なにかを考える必要なんてないのだろう。
    そもそも私は「走る」というイベントを体験しているだけで、それに没頭しているから、走ること以外のことは考える必要なんてなかったのかもしれない。
    他になにか考えるというのは、言わば雑念のようなもので、走ることを邪魔すると言っても過言ではない。
    おそらく、無理になにかを考えるべきということが、間違っていたのだと思う。

    それにしても走り終わった後に得られる爽快感の強さ。
    そのために走っているわ、といつも思う。
    代替できることってあるのだろうか。昨今のサウナブームで、整う、って言い方をする人がいるけれど、それに近いのかもしれない。
    サウナを趣味にしてみる?いや、時間が足りなすぎる。

  • 距離が倍になっただけの日

    距離が倍になっただけの日

    昨日に引き続き、今日もランニングできた。
    今日は3km。昨日は1.5kmだったので、単純に二倍になった。
    ペースは相変わらずゆっくりめ、キロ6分35秒で、息は乱れず。
    天気は今日も良好だけど、昨日と比べると風が少しあった。
    今日は家族で柏の葉公園へ行ったので、そこで3km走った。
    公園には家族連れがたくさんいた。走ってる人もちらほら見かけた。
    正月だからと言って家でのんびり、という人もいるだろうけど、こういう天気の良い日だからこそ外で身体を動かす、という人を多く見かけた気がする。
    多分それは思い過ごしで、自宅でお酒でも飲みながらぼんやりとテレビを観てすごす、という人のほうが本当は多いのだろう。

    なんとなく、昨日と比べると走れる距離が倍になっただけという感覚は、私の中では奇跡とは決して思えない。
    多分、走れていた頃を身体が思い出し、それに乗って走っただけな気がするから。
    まぁ、3kmくらいなら走れるよね、という感覚をシンプルに保っているだけ。

    いつかまた、10kmとか20kmを走れるようになるんだろう。
    地道に続けることが肝要という気分を大切にしていきたい。
    そして、距離は関係なく「今日も走れた」という気持ちを持ち続けていきたい。
    今日は3km。それで十分だった。

  • 昨日の自分は走っていない

    昨日の自分は走っていない

    前のブログで書いた通り、早速走ってみた。
    天気は良好。気温は多分12度くらい。無風。人通り少ない。絶好のランニング日和。
    で、意気揚々と走り始めたものの、走り始めて500mのところで息が上がる。
    まだ身体にビールが残ってるかなとか、流石に病み上がりだったかなとか、雑煮を食べすぎたかとか、すぐそうやって原因を探ろうとしてしまう。そしておそらくそれらすべてが当てはまり、ついでに言うと久しぶりに走ったから体が走れるようにできていないということが最も強く当てはまるのかなと思った。
    これ以上無理して走ってもゼーゼーしちゃって辛いだけだし、ということでペースを落とす。つっても元々6分25秒くらいのペースだったけど。めちゃくちゃ走ってた頃は5分10秒くらいで走っていて、あの頃の自分に追いつきたいという思いで、それだけがモチベーションで走っている。
    明日、もしくは明後日くらいにもう一度走りたい。今日よりは走れるかなと希望を持って考えている。今日は、途中歩いたりしたけど、トータルで1.5kmくらいは走れたと思うので、歩かずに2kmまで走れるところまで成長したい。

    過去の自分に追いつきたいというのは、正常な思いなのだろうか。普通、過去の自分を超えていけ、という思いを抱くはずだから、過去に追いつきたいと言うのはちょっと違うのだろう。だけど、自分が(自分史上一番)輝いていた(と考える)時期を目標にすることは、自然なことだ。そして今の自分と比べてみて、なにが劣っているかを冷静に判断し、その目標に向かって適切な選択肢を取り、突き進む。とても自然なことなのだろう。

    自分を軸にして、比べることは、より善く生きるためのモチベーションに繋がる。他人を軸にして考えてしまうと、育ってきた環境が違うから、その人と同じになる、というのは難しい、というか不可能だ。意味がない。だけど、いろんなものに触発されて「あの人みたいになりたい」と理想を無意識のうちに持たされることがある。気づいた時にはもう遅く、自分以外の誰かと自分を比較している自分に成り果てているのだ。
    とても残酷なように思う。そうなる原因はたくさんあって、最近だとSNSがその代表格だろう。かく言う私もインスタのリール動画をずっと見ていることがあり、その中でランニングをめちゃくちゃ走っている人とか、身体が柔らかい人とか、お腹周りに脂肪がなくてスタイルの良い人を見たりする。彼ら、彼女らに罪はない。罪、というと聞こえが悪いが、実際にそれは罪なんだと思う。他人と自分を比べ、はぁ、今の自分はなんてイケてないんだろう、とネガティブなことを考えて凹み、結局行動を起こせないまま時間が経ってしまう。
    ではどうすれば良いか。私の考えは、自分を客観視することが必要だと考える。自分の後ろに立って自分を見つめるイメージ。そして、その、理想と思う人と今の自分を比較し、どこが劣っているかを考える。その劣っている部分に対して改善の余地が大きい箇所を特定し、そこからアクションにつなげていくことが必要だ。決して、比べて凹むという負のループに陥らないように取り組むことが大切だろう。

    そうは言ってもキレイな人はキレイだし、カッコいい人はカッコいい。自分もああいう人になってみたい、と考えるのはむしろ自然なことなのだろう。そうやって向上心を掻き立て、モチベーションとなり、行動に移すというのはとても前向きなアクションで、それを地道に続けていくことが必要だ。
    昨日までの自分と比較して成長を実感し、理想と比較して自分の伸びしろを確かめ、その伸びしろを塗っていく努力をする。

    今日は1.5km。途中で歩いたし、息も上がった。
    でも、昨日の自分は走っていない。
    それだけで、今日は十分だ。

  • ランニング 10km

    ランニング 10km

    今日も10km走りました。
    朝起きて体重を測定したところ、大して減っていなかったのでちょっと焦ってます。
    焦ったところで、仮に毎日10km走ったところで、大して体重に影響はないのに、こうやって脚が十分に回復しないまま走り続け、やがて脚を痛めるのではないかと思ったりします。

    そんな感じでぼやいていてもしょうがないのです。
    私は今転職活動中で、仕事がない状態。日々、何もせず過ごすのがどうも許せなく、何か生産的なことをしなければ、とつい考えてしまいます。
    果たして、ランニングが生産的なのかというと、なんとも言えません。
    むしろ、カロリーを消費して、蓄えた脂肪を分解させているという行為は、非生産的な行為だと考えることもできるからです。
    せめてものお慰みで、こうしてブログを書くことは唯一、生産的なことと言っても良いかもしれません。

    ランニング中、沿道の植栽を手入れしている業者さんたちがたくさんいました。
    ちょうどお昼時ということもあり、トラックの陰で昼寝していました。
    肉体を酷使してそれを対価に換える人たちは昼休みの60分のうち、5分で昼食を摂り、残りの55分は昼寝をして過ごすと聞いたことがあります。
    今日は風こそ強いものの、太陽の陽射しは強く、たまに雲に隠れることはありますが、それでも照りつける太陽の光、熱を受け続けて仕事をするのは大変な作業でしょう。
    彼らがいるから、沿道の躑躅は綺麗に咲き誇り、ちょうど学校を終えた、黄色いランドセルカバーをつけた小学校1年生のちびっこたちの未来を、沿道の躑躅が、明るく華やかに彩っているように感じました。
    将来、どんな仕事に就くのか、まだ彼らは知らないでしょう。私も小学校1年生の頃、まさかIT系の仕事に就くなんて考えもしませんでした。
    人生って不思議です。
    みんな、将来のことを夢に描きながら、それを実現できるかどうか分からず、とりあえず自分の思った方向に走り続けています。
    途中、小石に躓きながらも、すぐに立ち上がり、膝についた砂を払い、また、自分の思った方向へと歩みを進めていきます。
    その道が、正解なら、歩いたことの成果を喜ばしいものとして捉えるのでしょうけど、それが果たして正しいのか、それはその時になってみないとわかりません。
    また、正解というのは人それぞれで、マイルストーンにたどり着いた時、それが仮に過去、自分の思っていた正解と違ったとしても、得られた結果を正解とすることだってできるのです。
    そんな未来を、みんな、思い描きながら生きているんですね。
    私の未来は、私の正解はいったい、どんなものなんだろう。

  • ランニング 10km

    ランニング 10km

    今日も10km走りました。つっても途中少し歩いてしまった。
    今日はなんとなくペースが速めで、ゆっくりにしたかったんだけど上手くペースを作れず、途中でバテてしまいました。
    きちんと走り切るための技術ってのも重要なのかもしれません。
    あと走り方も。腕をきちんと振ることで消費カロリーが増える気がするんですが、腕を振るとペースが上がってしまうんだよなぁ。ペースを取るか、消費カロリーを取るか。どちらかを優先することで走り方が変わってくるような気がします。

    なんのために走るのか

    今日、走りながら考えていたこと。
    それはなぜ走るという選択肢を取ったのかということ。
    常々、痩せたいと考えていて、それなら食事制限をしつつ運動を、というのが基本ロジックなのですが、運動のところでランニングを選択したのはなぜか。
    私はロードバイクを持っているので、ロードバイクで走るというのも選択肢としてあるべきです。
    ちょっと調べてみると、ランニングとロードバイクって消費カロリーはあんまり変わらないんですね。

    引用: https://www.glico.com/jp/powerpro/citric-acid/entry63

    それならロードバイクでもいいのかもなぁ。
    ランニングばかりではなくロードバイクで走るっていうのも選択肢として持っておくと良いのかもしれません。

  • ランニング 10km

    ランニング 10km

    本日も10km走りました。
    天気は晴れと曇りの間くらい。気温は20度くらいあったかなぁ、結構汗をかきました。
    こういう天気のときってスピードを出すとバテてしまうので、いつも以上にゆっくり走りました。

    走ってる時に考えたこと

    先日のブログで、走っている時に何を考えているのかという問いを立てた手前、今日はそれを忘れないように、浮かんできたことを受け止めながら走りました。
    つっても大したことは思い浮かばず、結局はいつもと同じで、どんなルートを走れば10kmまで到達するかとか、息が苦しくなってきたからあそこのベンチで休もうかとか、そんなことしか思いが至りませんでした。
    別に何を考えようが私の勝手です。これで十分だとも思います。

    ペースのこと

    今日もキロ6分10秒くらいのペース。ランニング歴は12年くらいということもあり、一定のペースで走ることはできるけれど、最近は息が上がらないようなゆったりとしたペースで走るのが良いなと感じるようになってきました。多分太ったからだと思います。
    標準体重だった頃はキロ5分15秒とかで走れていて、あの頃は調子良かったなぁと思います。なのでその頃のペースに戻すため、体重を落とすことは必須で、10kgを落とすことが当面の目標です。負けてられない。
    LSDという走り方がありますが、このペースがちょうど良いということかもしれないなぁ。ゆったり、心拍数130くらいで走る感じのやつ。それで10kmから15kmくらい走れたらちょうど良いのかなぁ。