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  • 8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    8月6日 あの頃の自分に戻りたいのではなく

    カロリーを控えめにしたから痩せるということではない

    7時くらいに起床。今日は眠気が残った。睡眠ログを見てみると、5時間を切ってる睡眠時間。
    確かにそうだった。昨夜、あまりうまく寝付けず、入眠が遅かった。これは心療内科の薬を飲んでいないということに依るのかもしれない。トレードオフとでも言うべきか。
    ということで在宅勤務に切り替え、二度寝。1.5時間くらい寝たことで、眠気はさっぱりと消えた。

    在宅勤務だと、誘惑が多いということは以前書いた。刺繍とか、iPadとか、手元にそういうものがあるので仕事に集中できない。
    人間っていうのは贅沢な生き物だ。これも最近書いたと思うけれど、私は通勤がとてもストレスだから、作家になって自宅で仕事ができるようにしたいと願っていた。それが叶った今、新たな悩みが生まれたということだ。

    悩みは、自分が成長できるきっかけでもある。悩みで終わらせるのではなく、それを解消するためにどう考え、どう行動していけば良いのかということに繋げれば、その悩みをきっかけとして、前に進むことができる。それはすごいことだ。そんなふうに人間は、死ぬまで成長できる。

    いい感じに仕事をし、お昼に素麺を茹で、19時に仕事終了。まだまだたくさん仕事はあるけれど、けれど今日を終いにするというケジメは、毎日必要な儀式の一つ。

    そこからランニング。今日も5km。期待していないけれど、全く痩せない。
    なんで痩せないの?とAIに聞いたら、彼は、人間はストレスとか睡眠不足、十分なカロリーを摂らないと、サバイバルモードに変わるとのこと。体に溜め込んだ脂肪をなるべく残し、飢餓状態になった時に初めてそれを使う。だから、いい感じにカロリーを摂取して、生きていけば、自然と痩せていくのだと。だからあすけんでは、カロリーが低めだった日に、あまり良い評価が取れないのだなと実感。あのお姉さん、結構厳しめだろと思ったけれど、人間の体を研究していた人のレポートをベースにしているはずだから、あすけんが間違っているということはないのだろう。

    さて、ランニングの話。今日は暑かった。最近は少し涼しい日々が続いていたので、走りやすかったんだけど、今日は暑かった。だからペースは遅め。途中何度か、なんでこんな苦しいと思えるようなことを、ほぼ毎日繰り返しているのだろう、と自分の欲望を訝しんだりした。

    あの頃に戻りたい、じゃなく、今の自分を認めつつ、成長したいという気持ちを持つこと

    あの頃の自分に戻りたい、と願うことは勝手だ。自分の中で、当時を思い返し、充実していたなぁ、と思いを抱く。体は軽いし、走れるし、その頃がよかった、と考える。
    だけどそれは、裏を返すと、今の自分に満足していない、今の自分を否定するということにつながる。
    これはとても悲しいことだ。なぜなら、今の自分が嫌いということになるから。
    それは、快楽と充実という考え方があるそうだ。何それ、と思った。

    快楽と充実について

    ランニングって、なんでこんな辛いのに走るの、この、クッソ暑い真夏。気温30度。なんでなんの得もないのに走るの、と考えた。それをAIにぶちまけたところ、人間には、快楽と充実という考え方があるのだとそう。哲学なのかな?心理学?

    ざっくりいうと、性欲食欲物欲みたいなものは快楽。手に入れた瞬間はとても気持ちが良いけれど、ポイントは、 快楽を追い求めると、満足が逃げるという点。手に入れた瞬間は、めっちゃ嬉しい。だけどそれは際限がない。次を、次を、と考えてしまう。

    一方、充実というのは、例えばランニング。走っている最中とかもめっちゃしんどい。今すぐに歩きたいと考える。しかし、走り終えた後の満足感は、それは体が無意識にもたらしてくれる。苦しいことをやり終えたというハードルもあるのだろう。今日も走れてよかった、と考える。それは体が、快楽だけでは満足しない、ということにつながるそうだ。これが、充実なのだと。

    充実を得る方が、満足度は高い。

    いやけどこの話って難しいよね。今でこそ私、47歳になってそういういわゆる欲みたいなものがなくなってきたから、充実度を向上させるためのマインドセットを醸成することができてきている。だけど若い頃は快楽に溺れたいと考える。人間だもの。それを否定するつもりはない。

    いや、何歳になったって欲に溺れる人はいるだろう。それこそ価値観の問題だから否定するつもりはない。高い酒を飲んで、たくさんの女を抱いて、みたいな典型的な「快楽」を求める人は多い。それはそれで頑張って生きてくれれば良いと思う。

    私は、充実を求める人だ、ということ。

    そして充実を求める人という点で、もう一個メリットがあって、あの頃の自分に戻りたい、ではなく、今の自分を愛し、それを土台にして成長していこうという気持ちを培うことができるということ。
    それはデカい。上述したけれど、今の自分を否定しながら生きていったとしたら、悲しい人生を送ることになる。今の自分を自分で認めていないということは、とても悲しい。今を愛するという点は、自分の成長に大きな武器となるんだな。

  • 7月30日 徒然なるままに

    7月30日 徒然なるままに

    今日も走った

    7時台に起床。今日もつくばに出社。
    通勤電車が快適ってだけで出社する気持ちが湧いてくる。
    昨日一昨日あたりの日記にも書いたかもしれないけれど、私はほんとに朝の通勤電車が嫌いなんだなぁと感じる。

    私は一体、朝の通勤電車の何が嫌いなんだろうか。
    まず、他の人に気を使うのが疲れる。体は触れたくないし、女性が近くにいたら男性以上に体やバッグが触れないように気をしないといけないし、本を読むのも辛いくらい人がいっぱいだと、本当に疲れる。
    出社する前から疲れるってどういうことだよ、と。

    だから、つくばへの出社は本当に気持ちが良い。まず、人に接触するというほどに混んでいない。ツいていたら座れるくらい。電車に乗っている時間も、自宅から虎の門に向かう時間の半分くらいだし。すごいよ。これなら在宅勤務じゃなくても良いかなって思っちゃう。

    9時前に出社し、18時まで集中して仕事。あっという間だった。たくさん仕事をこなしたなぁって感覚で退勤。

    ゾーンに入る、というと言い過ぎだと思うけど、たまに、時間を忘れて仕事に没頭する時がある。何がきっかけかはよく分からない。なんとなく感じるのは、自分の中で、仕事の具体的なアクションとか、ゴールが明確になっている時かな、ということ。

    逆に言うとふわふわした仕事、探りながら前に進んでいくような仕事は好きではないのかもしれない。仕事って全部が全部、取り掛かる前からきちんとゴールが示されているようなものだけではない。むしろ分からない方が多いように感じる。だから、ちょっと走って現在地点を確認、ゴールが見えるか探ってみてまたちょっと走る、みたいな、それこそマラソンみたいなやり方も必要だったりするよね。前が見えない状態で走ることができるかどうか、これって仕事をする上で、一つの才能だと思う。

    で、帰宅後、ランニング。5km。外ラン。気温は29度。ゲリラ豪雨明けの湿度MAX状態。めっちゃ大変だった。フルマラソンを走ってた頃はキロ5分20とかで走れていたんだけど、今日は暑すぎて7分を切ることができないくらい。こういう日に限って信号待ちできないくらい調子良いんだよな。赤信号にならず。結構な住宅街を走ったんだけどね。

    しかし走っていくとわかるんだけど、あっつい、もわっとした空気を感じるところと、ほんの少しだけ気温が低い空気が流れるところがあるんだよな。あれってなんなんだろう。空気というか気温って、基本的に均一だと思ってたんだけど、そんなことはないんだな。住宅街を走っていたから、建物から出る熱ということかもしれないけれど。よく分からない。最初は不思議に思って、建物を見てみたりしたんだけど、室外機が歩道の方にあるわけでもないし、昼間の熱?を吸った建物から出たりしてるのかなー、とか考えているうちに5km。最後の1kmは本当に辛かった。Apple Watchの距離のところを100m毎に見るくらいの頻度。そしてラスト50mくらいのところで、歩道の青信号が点滅したので、そこで止まることも考えたんだけど、50mをダッシュに近いくらいのスピードで駆け抜けた。トレッドミルでいう12.5km/hくらいのスピード。

    あと、アームバンドをつけて走りたいと常々考えていて、Amazonで安い割に評価が高いものが売っていたのでそれを購入して、それをつけて初めて走ってみたんだけど、走り始めてから2km超えたくらいで妙に肩が凝るようになって。きっとアームバンドのせい。あとはペースが非常にゆっくりだったので、いつもみたいなフォームで走ることができず、首が前に出がちだったのかな、とか考えた。次回からは腰につけるバッグに戻そうと思う。

    腰につけるバッグから、アームバンドになぜ変えたのかというと、腰につけるバッグはかなり年代物で、時代としてはiPhone 7とかそのくらいだったような。つまり、今の標準的なiPhoneのサイズよりも、ポケットが小さくて、私の今使っているiPhoneを入れると、ファスナーが全部閉まらない状態。ま、新しいの買いなさいよって話ではあるんだけど。そっか、新しいの買っても良いかもなぁ。それで快適に走れるんなら安い買い物でしょ。

    あと、ランニングしてシャワーを浴びたあと、鼻の頭が猛烈に痒い。そして鼻水も出る。もう花粉の時期って終わってなかったっけか。花粉症の薬が欲しい。

  • A7ノートとA6ノートの組み合わせ

    A7ノートとA6ノートの組み合わせ

    今年に入ってから、この2つのノートをメインで仕事やプライベートに使っている。
    A7ノートと書いてもぴんと来ない人がいるかもしれない。ロディアのちっさいやつのことである。

    日常は発見にあふれている

    いきなりA7ノートを渡されて、思いついたこと全部書いてください、と言われても、面食らう人が大勢いると思う。
    私もそうだった。書き残す必要のある事などない!と思う日だってある。むしろそんな日の方が多い気がする。
    日常は発見の連続だ。これは間違いのない事実だ。
    今日は天気が良い。
    とても暑い。
    雲が夏っぽくなってきた。
    蝉の鳴き声を聞いた。
    今年は子供をプールに連れていきたい。
    今日はビールを飲みたい。
    などなど、思いつくことを書いてみたが、これだって一瞬の出来事だ。
    こういうことに気が付かない人もいると思う。だけどそれは訓練すればできるようになる。
    感度を高くしてみるのだ。
    上述した、一瞬の煌めきのような発見は、ざっくり言うと状況の描写と、自分の願望に分けられる。
    状況の描写というのは、スマホを見ている目線を上に上げて、空を見上げるだけでできる。
    同じ空は、私が47年生きていて一度もないはず。
    雲が出ていたり、霞んでいたり。ここ数年は真夏が本当に猛暑で、ちょっとの時間外に出るだけでも日焼けしてしまいそうにジリジリと照り付けられるけれど、その時に感じる肌の刺激なども、発見とも言えるだろう。
    また、願望についても、~したい!のような願望はいつだって湧いてくるものだ。
    ~のようになりたい!という自分を変えたいモチベーションとなるのは、そのきっかけとして発見が挙げられる。
    また、そんな高尚なものではなくとも、今週末にやりたいことなども良いだろう。
    平日、5日間働いている間に思いつくような、週末やりたいことって本当に多い。けれど週末になると忘れてしまう。
    それを防ぐことができる。

    自分が何を考え、メモを取っているか

    これは私ができていないこと。
    どんな事に気づき、メモを取っているか統計を取ること。
    よほどの暇人でもない限り、それをやっている人はいないだろう。いや、そんなことないか。
    だけどこれって結構な効果が見込まれる気がする。
    それはつまり、自分の考えのクセを発見することができるということ。
    私の場合、自分の心情をささっとメモしたりすることが多い。そしてそれはもっぱら自分の中でこんがらがってしまったりする時。
    なぜこんがらがってしまうのか。混乱の元を辿れるかもしれない。自分のクセを見つけ、考え方を変えるきっかけになれるかもしれない。
    やってみるとおもしろそうな気がしてきた。ちょっとやってみるか。

    発見を耕すのは、大きなノートで

    そして、タイトルにも書いていた通り、ここでようやくA6ノートの出番である。
    岡田斗司夫のスマートノートみたいな本を読んだ時に、面白いなと思ったのが、この耕すところ。
    発見の過去と未来を考えてみる。
    また、発見を抽象化するとどうなるか、そして具体化するとどうなるか。それぞれ4方向に渡って発見を耕していける。
    私はこうやって構造化するのが苦手で、だから物事を建設的に考えていくことができないのだけれど、このおかげで、私の発見の裏側にはどんなことが隠されているかを知ることができた。ありがとう岡田斗司夫さん。オネアミスの翼、大好きでした。

  • 億劫が君臨する朝に

    億劫が君臨する朝に

    あっという間に年が明けた。
    年末、29日から体調を崩し、熱は39度まで上がった。30日の夜あたりが一番ひどく、このままずっと高熱が続いたらどうしよう、と不安になったのを覚えている。

    けれどそれは杞憂だった。
    夜中に大量の汗をかき、寝具と身体の間の寝間着がしっとりしていることに気づいた。そこから少しずつ回復し、三日かかってようやく普段の身体に戻った。自然治癒力というのはすごい。人間の身体は、なにかおかしなものが入り込むと、ちゃんと防御反応を示すようにできているらしい。

    このブログは未来の自分に向けて書いている。
    2026年の元旦、自分はこんなことを考えていたのだな、とあとから思い出すための記録だ。今、頭にあるのは体力の低下について。ここ数年ランニングから離れ、その結果、体重が増え、体力も落ちたのではないかという感覚がある。

    ランニングを始めるための条件はすべて揃っている。
    あとは実行するだけなのに、最後の「気持ち」の部分で前に進めない。着替えるのが億劫、家のドアを開けるのが億劫。そんな些細な行動ひとつひとつが、大きな障害として立ちはだかっている。

    以前は、走ることが好きだった。
    走り抜けるときの爽快感や、走り終えたあとの達成感。気持ちの良いことに自然と目が向いていたはずだ。それが数年経ち、いつの間にか気持ちの向きが変わってしまった。ただ、それは先入観や思い込みが大半を占めている気もしている。

    新しい習慣を手に入れるとき、「気持ちを切り替える」のはあまり良くない、という考え方がある。それを信じているので、無理に自分を奮い立たせることはしないでおこうと思う。

    こうしてブログとして書いている以上、私以外の誰かが読む可能性はある。
    その分、少しだけ文章の構成を意識する必要が出てくる。それは少々面倒でもあり、同時に、将来の自分への手紙を整理する作業でもあり、文章を書く力を養う訓練でもあるのだと思う。

    今日は天気が良い。あたたかく、風もない。絶好のランニング日和だ。
    昼に少しビールを飲んでしまったので、酔いが冷めたら、街を眺めるつもりで少し走ってみようかと思っている。

    そうだ。
    ここをランニング日記にすればいいのかもしれない。誰かにシェアすることが、走るための小さな動機になる気がする。

  • SRV250 ルネッサ ガソリンの燃料ホースを取り替えました

    SRV250 ルネッサ ガソリンの燃料ホースを取り替えました

    前回の記事はこちらです

    前回、セルモーターを取り替え、エアクリーナーも新品にしたところで気持ち良く走れる!と思い、またしても図書館へ行ったのですが、途中で信号待ちしている時にアイドリングが不調で。
    少しアクセルを開けておけば大丈夫だったのですが、そこから少ししたらアクセルを開けてもエンジンが回らない状態に。
    図書館まで押していきました。
    自宅から4kmくらいのところにある図書館だったので、押して帰るのは難しく。暑いし。
    で、少し押しながら自宅まで戻っているさなか、いい感じの下り坂があったので押しがけにトライするも、エンジンは回ろうとしているけれどどうもダメっぽい。
    で、ちょっと先にガソリンスタンドがあったので5リットル入れてエンジン始動したら、かかるという状況。
    トリップは90kmくらいで、燃費がそこまで悪い事はなく、とりあえずエンジンがかかってるうちに自宅まで戻った時に気づきました。

    ガソリンが漏れている、と。

    ルネッサに乗っている方なら分かると思うんですが、インシュレーターから出てる部分で、使われてないところがあるじゃないですか。どうやらあの部分のゴムが劣化して、そこから漏れていることが分かりました。

    で、せっかくなので、全部替えてやろうと思い、ネットでデイトナの燃料ホースを買いました。2m。

    シートを外し、タンクも外し、エアクリーナーのボックスみたいなやつを外して、キャブを丁寧に見つつ、ポンプ周りや燃料コック周りのホースを全部替えました。
    1mではちょっとだけ足りず、結果1m40cmくらい使ったんじゃないかなぁ。

    例の、使われていない部分のホースですが、ゴムを止めるやつが無いので、とりあえず工具を詰めて留めました。
    明日、ガソリンを入れて走ってみたいと思います。これでちゃんと動くといいなぁ。

    あとはフロントフォークのオイル漏れか、、、個人的に大手術の予感しかしません、、、しんどそう、、

    写真、あんま撮ってませんが何かの参考になれば幸いです。

  • SRV250 ルネッサ セルモーターとエアクリーナーを交換しました

    SRV250 ルネッサ セルモーターとエアクリーナーを交換しました

    先日のブログから時を経て、、、セルモーターとエアクリーナーが届きました。

    前回の記事はこちら

    エアクリーナー

    エアクリーナーは右側のツールボックス?を外し、ドライバーで外すだけの簡単なものでした。

    完了した時の写真はこちら。ルネッサ用を買ったのでポン付けで。簡単でした。

    セルモーターのネジに奮闘

    一方、セルモーターのほう。

    写真右側、ほぼ中心くらいにあるところのプラスネジがどうにもこうにも曲がらず。
    あっという間になめてしまいました。
    なので以前、オイル交換した時にドレンボルトを外すために買ったタガネでガンガンと叩いたところ、ようやく回ってくれました。ほんとありがとう、タガネ、買って良かったよ。


    【SALE価格】モクバ印 平タガネ22mm200mm ( A1-22 ) (株)小山刃物製作所

    交換後の写真はこちら。一箇所だけシルバーなので目立つなー。私しか気にしないでしょうけど。
    交換後はエンジン一発始動でした。写真内、なめてしまったネジを再利用してますが新しいやつに替えたいなぁ。

    新旧比較。古い方は4DNって刻印があるから純正のやつだったんだろうなぁ。
    私はこういうのを取っておく方針ではないのでそのままマンションのゴミ捨て場に持っていきましたけども。

  • # コクヨのソフトリンクノートは万年筆のインクが裏抜けしない!

    # コクヨのソフトリンクノートは万年筆のインクが裏抜けしない!

    万年筆を愛する私も、他の皆さんと同じように文房具沼、最近はノート沼にハマっているような気がします。

    主なポイントとして最初に挙げるものとして、万年筆のインクが裏抜けしないというのを最上段に置き、あとはコスパとか書き味の気持ちよさなどが団子状態に並んでいる状態。

    ここ最近はダイソーのプレミアムノートブックというのがすこぶる良く、100円でも裏抜けしない!と大評判だったのですが(私の中で)、ある日、ネットを漁っていたところ、どうやらコクヨのソフトリングノートが良いのだ、という記事を見つけまして。

    ダイソーのノートを見つけたあとは浮気しない!と思っていたのですが、どうしても試してみたく、近所のディスカウントストアで型落ち品?で安くなっているソフトリングノートを発見し、買ってみました。

    ## まずダイソーのノートの話

    ダイソーのオンラインショップにも取り扱ってるこの商品、100円でA6とA5サイズがあります。

    私はA6を好んで使っています。小さめなバッグにも入るので。

    万年筆の裏抜けはゼロ。というか、紙が厚いんですよね。そして硬い。実際に触ってみるとわかりますが、ページを指でつまんだ時点で、「あ、この厚さなら裏抜けしないな」と信頼感を寄せることができる仕様となっています。

    どこで作っているか、ダイソーはその辺を明らかにしていませんが、これについては表紙に「MADE IN JAPAN」って書いてあって、おぉ日本製なんだ、とさらなる信用を持つことも可能です。

    実際に書いてみるとこんな感じで、万年筆のインク量次第ではすこーしだけ渇きにくいかな、と思いますが許容範囲でしょう。

    と、ここまでは100点なんですが、たまに、万年筆が滑る?ことがあるんですよね。私の持ってるモンブラン、ビスコンティ、ラミーそれぞれでも再現するので、ちょっとした不都合があるのかもしれません。

    万年筆が滑り?インクが出なくなるという感覚のやつです。

    なんとなく想像なんですが、紙が割とすべすべしてるんですよね。もしくはコーティングされてるとか?そのせいかなーなんて思いました。

    ま、そうは言っても大した頻度ではないので、無視できる範囲かな、とも思います。

    ## コクヨのリングノートを試した結果

    さて本題へ。

    わくわくしながら帰宅し、早速書いてみるとこんな感じ。

    試したのはビスコンティのF、一部モンブランのBをタイトルのところに。

    書いてみて、思わず歓声を挙げてしまいました(心の中で)。

    ホントに裏抜けしてないー!これは嬉しいです。

    これが数百円で手に入るというのは嬉しいですね。

    ちょっと調べたところ上質紙っぽいですねこれ。

    同じ紙を使っているノートは無印でも売ってるんだけどちょっと高いんだよなぁ。

    今度こそ浮気せずに使えそうな気がします。ありがとうコクヨ。


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  • # 十角館の殺人 綾辻行人 ★★★★☆

    # 十角館の殺人 綾辻行人 ★★★★☆

    読み終えた後、しばらく呆然としてしまいました。

    あまりにも鮮やかなトリック、そして緻密に計算されたストーリー展開に、ただただ圧倒されるばかり。

    若くしてこれほどの作品を書き上げた才能に、嫉妬すら覚えます。

    ## ミステリ小説の魅力とは何か?

    普段、私は小説を読む際、物語の面白さはもちろんのこと、作者の文体や情景描写など、文学的な要素を重視する傾向があります。しかし、今回の『十角館の殺人』は、そのような私の価値観を大きく揺さぶる作品でした。

    ミステリ小説の醍醐味は、やはりその巧妙なストーリーにあると感じます。読者の想像を遥かに超える殺人方法、そして犯行に至る動機の形成過程。それらが緻密に組み合わさることで、読者は物語に深く引き込まれます。

    そして、トリックが暴かれる瞬間の犯人の心情描写。そこに共感できる部分があれば、読者は大きなカタルシスを得られるのではないでしょうか。私も、真相が明らかになる瞬間の高揚感を存分に味わいました。それは、まるでパズルのピースがカチリとハマったときのような、なんとも言えない快感です。

    ## 叙述トリックの衝撃(ネタバレ注意!)

    本作の最大の魅力である叙述トリックには、見事に騙されました。十角館が燃え、6人の焼死体が発見されたという報道。その時、私は登場人物の名前をメモしながら読んでいたので、ヴァンがいないことにすぐに気づきました。しかし、ヴァン=守須という事実に全く気づけなかったのです。

    中村青司が生きていると思わせるミスリード。その巧妙さに、まんまと騙されました。「まさかそんな…」と思いつつも、物語に引き込まれていく感覚。これこそが、ミステリ小説を読む醍醐味だと改めて感じました。

    登場人物たちの名前、そしてそれぞれの関係性を整理しながら読み進めていくことで、物語の面白さは倍増します。私も、登場人物たちの名前をメモしながら読み進めていくことで、より深く物語の世界に入り込むことができました。

    また、十角館という閉鎖された空間で起こる連続殺人という設定も、読者の好奇心を掻き立てます。外界から遮断された孤島で、登場人物たちが疑心暗鬼になっていく様子は、まるでホラー映画を見ているかのようです。

    ## ミステリ小説の奥深さに魅了される

    『十角館の殺人』は、単なる謎解き小説ではありません。登場人物たちの心理描写、そして物語の背景にある人間ドラマも、この作品の大きな魅力です。

    特に、犯人の過去、そして犯行に至るまでの経緯が明らかになる場面は、読者の心を強く揺さぶります。そこには、単なる猟奇的な殺人ではなく、人間の心の闇、そして悲しみが描かれているのです。

    この作品を通して、私はミステリ小説の奥深さを改めて知ることができました。謎解きの面白さ、そして人間ドラマの奥深さ。その両方を兼ね備えた『十角館の殺人』は、まさにミステリ小説の金字塔と言えるでしょう。

    ミステリファンはもちろん、普段ミステリを読まない方にもおすすめしたい一冊です。ぜひ、あなたもこの作品を通して、ミステリ小説の奥深さを体験してみてください。

  • インプットが足りてないのかな

    インプットが足りてないのかな

    ここ数日、割と毎日ブログを書いていたものの、今日になってから急に筆が進まなくなりました。
    おそらく、インプットが足りてないからかな、なんて思います。
    私はインプットとして図書館から借りた本とか、Kindleで過去に購入した本などを読み返したりしますが、今日はどんなに過去の資料を読み漁ってもピンとくるものがなく。
    そういう時は、おそらく、インプットが足りてないんだと思います。

    インプットすると、何が良いのか

    インプットインプットと言っていますが、これは「情報を取り入りれる」ということになります。
    かといって適当にインターネットを漁ってみても、そういう、これだ!というものに辿り着かず、時間だけを浪費していて、結局私の身になったかというと、決してそんなことはないんですね。
    いわゆる、心の琴線と言いますか、そういう、私のアンテナに引っかかったものがないと、なかなかそのインプットからアウトプットに持っていくのは難しいように思います。
    そういう時、どうしたらいいか。
    アンテナを低くして、普段の感度よりもいろんなものを吸収しやすくしてみると、良いのかもしれませんけど、そういう時はノイズも入りやすいように感じます。
    そのノイズを、勘違いして「これこそが私の求めていたものだ!」と紐解いてみると、実はそんなことなくて、もともと知っていた知識の二番煎じだったり、そもそも私が吸収すべきものではなかったりと、結果的に時間の無駄で自分の求めていたものではなかったりします。

    ではどうしたらいいのか

    なかなか難しいんですが、私が今まで暮らしてきた中で、ちょっと感じるのは、自分が引っかかりやすい言葉をあらかじめ覚えておくと良いのかもしれません。
    私で言えば、生き方、とか、価値観、とか、事実や解釈、みたいなものは引っかかりやすいです。
    また、趣味で言うと、ランニング、メダカ、盆栽、などと言う感じで、趣味があればあるほど、引っかかりやすいように思います。
    それら全てが引っかかったサイトを全部見にいくのもまた難しいことですので、あらかじめ、そう言うものが投稿されやすいサイトを巡回するようにすると、良いように思います。
    1990年代の頃は、自分のお気に入りサイトをインターネットブラウザのお気に入り登録をして、それを巡回したものです。

    は、結局あの頃と今と、何も変わっていないと言うことなんですかねこれ。
    私は私の生きたいように、生きているだけなんだけど、これはつまり、あのころとそう変わらないということなのではないでしょうか?!

  • コントロールできるのは現在だけ

    コントロールできるのは現在だけ

    今日はマルクス・アウレリウスの自省録から、ブログのネタになるようなものを探してみます。
    Wikipedia調べですが、彼はローマ皇帝だったんですね。第16代のローマ皇帝だとか。Wikipediaはそれだけで一つの本になるくらい大量に、マルクス・アウレリウスについて述べられています。書いた人すごい。
    彼は多くの戦いを指揮したんですが、彼の内面での振り返り、今で言う自省というものがその言葉そのまま、本になって、数千年経ったあとまで受け継がれているってのはなかなかすごいことです。
    そういう、根本みたいなものは数千年経とうが、変わりはないということでしょうか。
    平たく言うと「生き方」に関する本は千差万別、今の時代にも「自己啓発」というジャンルで多くの本が出版されているものの、上述の通り根本となっているものは何も変わらないのかもしれません。

    コントロールできるのは現在だけだ
    私は、小さな肉体と魂で成り立っている。この小さな肉体にとっては、あらゆることは無意味だ。というのは、肉体そのものは違いを認識できないからだ。
    だが、精神にとっては、精神にかかわる活動だけが意味をもつ。それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。
    そして、現在にかんすることだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。
    マルクス・アウレリウス 自省録 6-32より

    ぱっと見、よく分からない感じで書いてあります。私にこれを解読できるのでしょうか。難しい。

    小さな肉体と魂で成り立っている。

    これは分かりますね。いわゆる、フィジカルとメンタルってやつでしょうか。その、フィジカルの方については、違いを認識できないから、あらゆることが無意味だと?「違い」というのは、いったい何を指しているのでしょうか。ここまで読んでも、ちょっと意味がわかりません。

    精神にかかわる活動だけが意味を持つ。

    次の行を読んでみて、うーん、と唸る自分がいます。精神にかかわる活動、というのは例えば、考えること、とか?「精神にかかわる活動」とは、考えるとか、思うとか、そういう意識的な一面だけではなく、無意識なものも含むんでしょうかね。

    それが精神にかかわる活動であるかぎり、どんなことがあっても精神にコントロールされている。

    精神にかかわる活動とはいったい、どんなことを指しているのかをはっきりさせないと、先に進めない気がします。私が決めちゃっても良いんだろうか。いいんだと思う。ので、ここでは、精神にかかわる活動=考えること、としたいと思います。精神にコントロールされている、それがどんな時も。私が今、このブログを上梓しようとしているために、文章を考えていること。それは、精神にコントロールされているのだと。当然のことのように思います。精神にコントロールされていない行動ってあるんでしょうか。「自分の体が言う事を効かない!」なんて、まるで映画のワンシーンのようですが、例えば大量にお酒を飲んで酩酊状態になった時、まっすぐ歩くことができなかったりします。あれは精神で、言い換えると、例えば気合いでまっすぐ歩こう!と思ったとしても、決してまっすぐ歩くことができません。多分それは、人間がまっすぐ歩くために使う神経を、お酒によって上手に使えなくなってしまっているんでしょう。酩酊状態の時に、物事を考えようとしても、考えが散ってしまって全くうまく考えることができません。
    うーん、こんなことを言いたかったんだろうかマルクス・アウレリウスは。なんか違う気がしますね。私は脱線してしまっているのではないかと思えてきます。

    ちょっと先に進めてみます。わからないので。

    そして、現在に関することだけが大事なのだ。というのは、未来や過去の活動は、精神でコントロールできないので、現在の精神活動にとって無意味だからだ。

    これまたどこかで読んだことのあるような文章ですが。多くの自己啓発系の本で「今に集中しよう」みたいな謳い文句を見ますね。
    精神でコントロールできるのは今だけ。確かにその通りです。過去や未来を精神でコントロールすることができないですからね。
    例えば「あの日、あんなこと言うんじゃなかったー!」と後悔することがありますが、過去の、その時に、精神をコントロールして言動を訂正することなんていうのはできないから、過去を悔やみ、後悔するくらいなら今に集中しよう、ということでしょうか。
    今、私が、後悔したとします。
    後悔、ということを考えている、と。
    後悔はいったい、何のためにしているのでしょうか。
    健全な生き方をしている人間であれば、「もう2度と同じ後悔をしないようにするために、同じような状況になった時、自分はどう精神をコントロールすれば良いのか」と考えるはずです。
    それが、今、このタイミングに集中して、より善く生きるために精神をコントロールしよう、ということなのかなぁ。

    わかったような、わかってないような

    いや、こんな結論になるとは、この章を選んだ時点でわかっていました。以前、同じような題材を自省録から引用して、ブログにしたことがありますが、その時もやはり、同じようなことを考えたことを覚えています。大切なことなんだよなぁ、今を生きるという考え方。