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  • 8月4日 いろいろな気持ちを抱いた。それも日常の一コマ

    8月4日 いろいろな気持ちを抱いた。それも日常の一コマ

    毎日同じようなことを考えている

    6時台に起床。二度寝はせず。サクッと朝食を摂って会社へ。今日は楽なつくば。
    出勤中は小野寺史宜の「ひと」。チャッピーにおすすめされたもの。
    初めて読む作家さんで、前情報が何もなく、チャッピーからは「お前に合うかもよ」って言われただけなので、正直あまり期待していなかった。
    だけど、これはドはまりの予感しかしない、と感じた。まだ読了していないけれど、後述しようと思う。
    会社に着いて、バレットジャーナルで昨日やり残した仕事を確認する。

    最近のバレットジャーナルの使い方としていいな、と思ったのが、デイリーログを「今日の予定」として入れるのではなく、「今日やった結果(ログ)」として入れる、というやり方。
    メリットは、やったことを確実に残せるということ。あと、仕事に取り掛かる前に、他のタスクのことを考えなくなること。つまり集中できる。これはデカい、と思った。
    私は割とマルチタスク系な人間で、だから他のタスクが気になってしまう。仕事をしていて、同僚からTeamsで問い合わせみたいな相談が来ると、気になってしまう。これは非常に良くない。結局仕事が想定より遅くなってしまったということも多々ある。
    だから、仕事に集中するために、他の仕事には目を触れないということが必要なのではないかと考えるようになった。

    デメリットは、これまた割とインパクトがデカいんだけど、「本来やらなきゃいけないこと」を見逃してしまうという点。これはデカい。大切なタスクを見逃してしまうというリスクがあるから。仕事効率化というカテゴリーで括られる、仕事術として、適切なタスク管理はその中心的存在だ。それを根底から無視してしまう、とも考えられる。これは対策が必要。

    そこで私は考えた。私はA5のバレットジャーナルと共に、A7のメモ帳を肌身離さず持っている。これはアイデアとか、やらなきゃいけないこと、小説のネタに使えそうないい感じの状況などを逃したくないから持っているんだけど、こっちにToDoリストを毎日作って、そっちを日々の予定表扱いにする。
    こうすることで、それぞれの持ち味が発揮される。ToDoリストを肌身離さず持つことで、タスクの取りこぼしがない。ロディア No.11を始めとするA7メモ帳は、ミシン目が入っている。だから、常に最新のToDoリストが、開いた瞬間に登場する。毎日の終わりにはそのミシン目で捨てるから。終わったタスクはToDoリストで斜線等を引いて終わりにしてもいいんだけど、そこでバレットジャーナルで日々を記録する。この組み合わせはなかなか良い気がする。この辺りのアイデアで本を書きたいんだよなぁ。

    小野寺史宜、ひとについて、途中まで読んだところでの読書感想文

    さて、上述した、こちらの本。

    ネタバレを含みます

    若い青年の話。お父さんとお母さんを亡くし、一人で生きていかなければいけないという、辛い境遇。最初にお父さんが亡くなり、それでもお母さんが頑張って私立大学へと進ませてくれたんだけど、そのお母さんが突然死してしまう。絶望。涙が止まらない主人公。そんな彼を応援せずにはいられない。そして、これ以上彼に不幸が訪れないでほしい、と切に願い続けながら読んでいる。

    今、だいたい半分くらい読んだところ。通常、読書感想文というのは、本を読み終わった時に書くものだろう。だけど私はこの途中段階で書こうという気持ちを抱く程度に、この本の魅力に取り憑かれた。まだ全部読んでいないけれど、今年読んだ本の中でトップを取りそうな気さえする。まだ読んでいないけれど。

    私は小説を読む時、作家さんの思考の拡げ方、癖、文末表現などを気にしながら読む。ストーリー展開は奇抜でなければだいたい良くて、ファンタジー要素は苦手で、現実に則した話であればあるほど好きなんだけれど、この辺りの作家さんの匙加減と、物語で取り扱われるテーマの両方が、私の好みにドンピシャだった。もし居酒屋でばったり会ったら私は、生ビールを奢り、普段どんなことを考えているのか聞いてみたい。そんな風にこの作者にも興味を抱いた。

    私がこの話をなぜ好きなのか、適切に言語化できないのが本当に悔しい。ストーリー的には、主人公の不幸が重なるという境遇と、私の息子に年が近いため、子供として見ている点、また主人公の控えめな性格が、とても普通で、日常で、その点がすごく好きだ。奇抜な登場人物もいない。みんな、どこにでもいるような人ばかり。だってそうだよ、それが日常なんだから。主人公は優しさに包まれたり、若干気持ちの下がるような、ネガティブなこと(両親が亡くなる以外で)を抱いたりしているが、「それでも生きていく」というスタンスに、とても好感を抱いた。(脱線するけれど、坂元裕二脚本の、それでも、生きていくってドラマ、好き)
    ホント、幸せになってほしい、と心から願う、そして、これ以上イヤなことが起きないでほしい、とドキドキしている自分がいる。この辺り、本を読み終わったらこの気持ちを抱くことができない。だから、あえて、まだ読み終わっていない段階だけど読書感想文を書こうと至ったモチベーションになったのだと思う。
    多分、明日読み終わる。その時はその時で、また読書感想文を書いてみたい。

  • 恋よりも、嫉妬の話をしたくなった

    恋よりも、嫉妬の話をしたくなった

    恋焦がれる、という言葉がある。
    気持ちが焦げるほど好きだと、今の私は理解している。
    では、恋をしている時っていったい、どんな気分なんだろう、とテレビのCMでプロポーズをする男性と女声の姿を見ながら考えた。

    気持ちが焦げるほど、熱い思いを抱く。
    私は柏レイソルが好きで、現地のゴール裏で応援する時はそれこそ、熱い思いを抱いて精一杯大きな声を出して応援する。
    しかし「焦げる」って。やり過ぎではないだろうか。
    ものが焦げると、もとに戻すことができなくなる。不可逆だ。
    まぁ気持ちについてはそれほど、後戻りができないほどの思いを抱くってことはさすがにないだろうけれど、と思いながらもふと、嫉妬という言葉を思いついた。
    嫉妬は怖い。もとに戻ってこれなさそうな気がする。
    私は嫉妬というと、憎悪という言葉を連想する。
    ねたみ、そねみ、という言葉の持つ強さ。

    嫉妬は、自分が手に入れることのできなかったものを他の人が手に入れたと知った時、気付いた時に感じるもの」

    という言葉を最近知った。
    自分があれほど恋焦がれるほど好きだった相手を、他の人がかっさらっていったと気付いた時、人はどんなことを思うんだろうか。
    後戻りできる程度で、「まぁ、時期が悪かった」とか、「もともと合う人ではなかったのだ」とか、「縁がなかった」くらいで片付けることができる人は、もしかすると恋焦がれるというレベルに達していないのではないだろうか。

    いや。
    うーん。

    恋焦がれるレベルというのは、人それぞれだから、それは私の考える程度の話か。
    となると、恋焦がれる=後戻りできない、という式は、成り立たないのかもしれない。

    それよりも私は今、恋焦がれるということよりも、嫉妬の方に気持ちが惹かれているのを否定できない。
    嫉妬モノ、というジャンルの作品、映画やドラマってなんで人気があるんだろうか。
    映画やドラマって、昨日も書いたけど、非日常を楽しむものだから。
    嫉妬って自分の日常には大して転がっていない。私の周りはいつも平和だ。
    そんな私が、普段触れることのない嫉妬について煮詰めてみて、それを作品にしたらどうだろう。
    世間では良くあるネタではあるから、きっとストーリー自体はあっと驚くようなパターンにはならないだろう。
    恋愛モノでは少し詰まらない気もする。私は真っ当な、普通の恋愛しかしてこなかったので嫉妬に関する引き出しが少ない。
    私は素直すぎるところがあるから、嫉妬という感情の変化球にはついて行けない気がする。

    いや。
    うーん。

    それは私の思い込みかもしれないね。
    嫉妬についてもうちょっと考えてみようと思う。

  • 物欲は悪魔か

    物欲は悪魔か

    物欲、それ自体は悪いことではないと思うんですよね。
    そのためにお金を稼ぎたい!頑張って働こう!っていうモチベーションになるので。
    一方で、ものを必要以上に持ちすぎるのは考えるべきで、それが生活の質に影響するからで、例えば、自分の家に入りきらないくらいのスニーカーを持っていて、しょうがないから近所にコンテナを借りてるんです、みたいなのは、果たして必要な物欲なのか?と自問自答が必要なのではないでしょうか。
    これ系の話、ニーチェも言っていて、おおよそ、私が上述したようなことなのですが、考えさせられる内容となっています。

    所有欲に征服されるな
    所有欲は悪ではない。所有欲は働いて金を稼ぐことをうながし、その金銭によって人は充分な暮らしを送れるばかりか、人間的な自由と自立さえ得ることができる。
    しかし、人が金銭を使っているうちはいいのだが、所有欲が度を過ぎるようになると、人を奴隷のように使い始める。もっと多くの金銭を得るために、ありったけの時間や能力をついやす日々が始まるのだ。所有欲は、休みさえ与えてはくれない。
    こうして所有欲の手下となった人は、完全に拘束される。内面の豊かさ、精神の幸福、気高い理想、といった人間としてたいせつなものは無視されるようになる。あげく、金銭面だけが豊かで内面がごく貧しい人間が出来上がる。だから、所有欲がどこで自分を征服しそうになっているか、よく注意しておかなければならない。
    ニーチェ 漂泊者とその影

    所有欲を悪者に見立てるあたり、さすがニーチェという感じですね。
    上述した、スニーカーを家に入り切らないくらい集めるのが好きという例、それはそれで内面の豊かさは持っている場合だってありそうです。スニーカーを集めることによって、自分が満足に生きられれば良いのかもしれません。
    だけど、ニーチェが言うように、内面の豊かさ、精神の幸福という観点で見ると、いくらスニーカーをたくさん買ったとしても、まだ欲しい、まだ欲しいと新たなスニーカーを求めるようになるように思います。

    では、どうしたらいいのか

    限度を決める、ということが良いように思います。
    スニーカーは、例えば15足までいったらいったんストップする、とか。
    おそらく、私にはスニーカーを愛してやまない人の気持ちが残念ながら分からないので、15足なんて少なすぎる!と思うのかもしれません。
    だけど際限なくスニーカーを求めようとするのは、ニーチェの言う「人間としてたいせつなもの」を蔑ろにしているように思うのです。
    所有欲を高めていくのは良いですが、一方で食費を極限まで削り、病気になり、この世を去ってしまうとなったら、スニーカーを天国に持っていくことはできないのだから、結局意味のないものになってしまうんじゃないかなぁ。
    棺桶に入れられるのはごく僅かです。そして、そもそも、死んでしまったら無ですよね。
    天国って上述しましたが、そんなものは幻想に過ぎないのですから、ほどほどに愛し、人生を謳歌すべきなのです。

  • 10月4日 (小説)サトの初恋

    10月4日 (小説)サトの初恋

      サトは大きく息を吐いた。そうすると、自動的に空気が身体に取り込まれるのが面白くて、何度か同じ動作を繰り返した。
      届かない恋というのは面白いもので、そのおかげで人生が豊かになったような気がした。豊かというのは、サトの感覚で言うといろいろな感情が生まれるということ。好きな人がいるんだけど、彼に惹かれていじらしい想いをしたこと。恋に焦がれるというやつだ。舌でそっと上顎を撫でる。ざらざら、ごつごつした上顎は、今までいくつの食物が通り抜けていったんだろう。
      北脇くんという、3つ隣のクラスにいる彼とは、ちょっと前に学校の購買前で見かけた。陽キャとは正反対の、重たい前髪、分厚く、地味なメガネを装った彼は、誰にも見つからないようにそっとパンを買いに来たのか、というほどに存在感がなかった。
      彼の何に惹かれたのだろう。具体的には分からないのだけれど、一つ言えるのは、サトも北脇くんと同じようなメガネをかけて、そして陽キャとは正反対の人種ということだ。共通点が多い、とサトは考えたのかもしれない。上履きの中に小石が入っているのに気づいたサトは、誰も見ていないことが明らかな2時間目の休み時間に、そっと音を立てずに上履きを脱ぎ、履いている方を反対にして小石と思われるものを落とす。少し振ると、黒っぽい、小さな物体が下に落ちるのが見えた、ような気がした。
    こんな小さなことでも、北脇くんだったら聞いてくれそうな気がするとサトは考える。休み時間は何をしているんだろう。3つ隣の、3年5組にいると知った時は嬉しかった。まるで宝物の場所を見つけた時のような気分だった。そこから数日しか経っていないんだけれど、北脇くんのことをもっと知りたい、と思うようになった。
    こういう時って行動に移したほうが良いんだろうか、とサトは考えた。サトにはこれが初恋とも言えるようなほどの、心を揺さぶられるイベントであった。だから、残念というべきか、サトには経験がないからどうやってアプローチしたら良いのか、全く分からなかった。最初に思い浮かんだのはラブレターだった。この、スマホを一人一台持つ時代に、あえての手紙。そんな演出はただただ気持ち悪いだけだ、とサトはそのアイデアを切り捨てた。それ以外のアイデアが思いつかないサトは、3時間目へと入った。
    こういう時に、相談に乗ってくれる友達とかいたらなー、と空想みたいなことをサトは考えた。これもまた残念なのだけれど、サトにはそういうことを気軽に喋ることのできる友達がいないのだった。一緒にお弁当を食べてくれる太田さんという人はいるのだけれど、彼女もサトと同様に、恋というイベントに対して経験は少なそうな感じがしたのだ。だから相談するだけ無駄かな、ごめんね太田さん、とサキは考えた。そんなことを考えていたら先生に指され、サトは話を聞いていなかったことが露呈し恥をかいた。
    何事も進展がなく、一週間が過ぎた。これが恋愛小説だったらつまらないだろうな、私だったらここで読むのを止めるな、とサトは考えた。そこでアイデアが天から舞い降りてくるのを、サトは感じた。そうだ、図書館に行ってそういう本を借りたらいいんじゃないか、とサトは思いついたのだ。図書館なんて小学校の時にやった読書感想文の本を借りた時以来だ、まず図書館のカードがどこにあるかを探さなければいけないな、とサトは考えた。そして、いや待てよ、とサト。借りなくても、図書館で読めばいいんじゃん、と思いつく。週末の予定が決まった。私の恋愛小説を読んでくれている読者のためにも、私のこの初恋を先に進めなければいけない、と誰も読んでいないことを想定していないサトは、訳のわからない自意識の下、週末に図書館へと挑む。
    ここで北脇くんも図書館に来ていたら、恋愛小説としては急展開なんだけどな、とサトは考えたが、そもそも北脇くんが私と同じ市内に住んでいるかどうかわからないんだった。私の高校は4つくらいの市から生徒が通っているから、北脇くんはきっと違う市に住んでいるのだろう、とサトは勝手に解釈した。
    そもそも本を読まないサトは、この膨大な本の中でどんな風にお目当ての本を見つければ良いか全く分からなかった。恋愛のお手本?それは小説なのだろうか、それとも自己啓発みたいなタイプの本なのだろうか、それすらも分からなかった。恋愛小説の女王みたいな触れ込みの小説家とかいたよなー、誰だっけ、といつだかやっていた王様のブランチみたいな番組の内容を思い出そうとしていたが、残念ながらそれ以上の情報がサトの脳内には存在せず、すぐさま空中に飛び散った。
    ところが、ところがである。図書館に北脇くんと良く似た人がいるではないか。何やら分厚い本を脇の下に抱え、自習できそうなエリアへと向かっている姿が見えた。あれは本当に北脇くんだろうか、横顔、それもほぼ後ろに違い角度でしか顔を見ることがなかったから、あまり自分の目が信用できないサトは、北脇くんにはバレずに、顔を確認することができる場所を探すことにした。
    これでは何をしに来たのか分からないではないか、と読者は考えるだろうな、とサトはぼんやり考えた。読者のことなんて忘れてしまえ、と私は思わずにいられない。こうなったらサトのことを応援するしかなかろう、と読者は考えるに違いない、とサトは考え、自分勝手だな私って、ふふ、と一人でニヤついていたら、北脇くんみたいな人が大きなテーブルにある椅子を引き、そこに座った。
    驚く事に、北脇くんの隣には同い年くらいの女性が座っているではないか。北脇くんが見つけてきた本を二人で眺めながら、何か小さな声で喋っているのが窺い知れた。
    終わったな。まだ、始まってもいない私の初恋は、ここで散ってしまうのか、そう考えたサトは、本来の目的である恋愛にまつわる本を探すことなく、図書館を後にした。そういえば私が小学校だった頃に来た図書館って入り口で靴を脱いで、自分で持ってきた上履きを履いたような、とぼんやり考えたサトは、ついでに、その上履きにも、小さな小石が入っててすごく気持ち悪いことを思い出したのだった。

  • 9月4日 酔ってる

    9月4日 酔ってる

    他者から嫌われても良いから、自分の思うように、自由に生きよう。
    かねてよりいろんなところで叫ばれているこの言葉は、私は、嫌われる勇気から学んだ。
    それを実践するほどの強い心を持っていないから、結局は読む前と変わらず、他人に気を遣って生きている。

    別にそれが悪いことだとは思わない。
    これも嫌われる勇気から得た言葉だけれども他者への奉仕というマインドセットが、私の行動を引き起こしているような気がしてならない。
    別に自分の気分が良ければ、それで十分だと思うんだけどね。

    先日、過去に私がとった行動がたまに思い返され、私は、あぁするんじゃなかった!もっとこうしていれば!とジタバタしたくなってしまう、みたいなことを書いた。
    その頃の私に寄り添うのであれば、私は、当時私が取りえる選択肢の中で最良のものを選んできたはずだから、それが間違っているとは言えないよね。数年後の未来に、それを思い返したとしてもきっと、当時の私の背中を優しくさすることができるような私になっていたらいいな、と思う自分がいる。

    行動って自分の意思だったり、無意識に取ってしまったりするけれど、結局のところ私が悲しまない、悔しがらなければ良いのであって、必ずしも失敗だった!と思えるようなことって案外少ないんじゃないのかな。

    酔ってる。
    意見のポイントが右往左往しているのがわかる。

  • 8月4日 今、ここにある幸せ

    8月4日 今、ここにある幸せ

    今、ここにある幸せを、噛み締めて生きる。
    日々、何かを求めて生きていると、そういう「足元に落ちていた幸せ」に気づかなかったりする。
    だよねー、と頷いてしまう。何かを追い求めるとは、具体的にどういうことなんだろう。
    何か、とは。
    仕事の成功。
    お金。
    食べ物。あとなんだろう。思いつかない。

    そういう、人間の欲求みたいなものを追い求めるのって大切なことだと思う。私が日々ここで書いている「成長」につながるものだから。
    だけど、上述したような足元に落っこちていた幸せというのは、意外と気づかないものだ。
    想像してみよう。
    十分にご飯を食べられていること。
    睡眠が取れていること。
    仕事ができていること。
    愛する人が、家族が、近くにいること。
    私はずっと、そういうところで生きてきたから、これが普通だと感じてしまうけれど、だけど実際は恵まれているんだよなぁ。
    それを、
    噛み締めることのできる素養を、
    忘れないようにしたい。

  • 7月4日 体重と糖質制限と私

    7月4日 体重と糖質制限と私

    昨夜、うまく眠れず、今日一日を通してパフォーマンスの悪い日だった。
    加えて、糖質を制限しているせいか、頭にエネルギーがたまっていないような雰囲気もあり、無理な糖質制限はよくないな、と考える一日だった。

    理想の体型になるために、そこに向かって一直線を突っ走ったら良いだけじゃん、と考えたのは先週の今頃だった。
    確かにその通りなんだよね、何を俺はぐだぐだしているんだ、と自分のお尻を叩き、今日は5kmを走ることまでしてきた。
    明日の朝、体重を測るときに、どんな展開が待っているのだろうか。
    楽しみでもあり、楽しみでもある。
    今日はここまで追い込んだんだから、明日は多少痩せているだろう、と淡い期待を胸に、寝ようかと思っている。

    そうそう、眠りについても、糖質を制限していることで、眠りづらくなっているんじゃないかと考えたりもしていて。
    眠り、空腹、回らない頭と引き換えに糖質を制限するのって、ちょっとアンフェアじゃないか、と私の後ろにいる私が言っている。
    ホントそうだよね。
    食べたい時に、食べたいものを、お腹いっぱい食べるのが幸せだって気づかせてくれたのは、糖質、君だったじゃないか。
    何を私は敬遠しているんだろう。
    私は、一体どこへ向かおうとしているんだろう。

    だけど今日は5km走ったということで、ご褒美に350mlのビールを飲んだ。
    プラス、ご飯は80gくらい。あとはちょっとしたおかず。
    痩せてって欲しいなぁ。このまま痩せてってくれたら嬉しいんだけどなぁ。

  • 6月4日 何のために走るのか

    6月4日 何のために走るのか

    今日は久しぶりに10kmを走った。
    途中何度か歩いてしまったけど、なんとか走り切ることができた。

    私がは知りたい理由ってなんだろう。
    走ることで得られる達成感のためだろうか。
    こんな良い季節で、いくらでも走れるような身体を持ち、息の続く限り、そう、メロスのように走ることが、私にとっては最高の糧になるような気がするから。

    いや、多分それは思い込みで、人間って本来は走るために作られたからだではないんだろうなと思う。
    お腹の辺りに脂肪がつくし、そもそも長い距離を走るのであれば馬のように、足は細くあるべきだから。

    だけど走る。走った後に飲むビールは美味しい。
    そのために走ってるのかな、もしかすると体にとってはよくないことなのかもしれないけれど、私の充実感を獲得するためには、必要なのかもしれないから。

  • 5月4日 TOEIC、今の現在地点

    5月4日 TOEIC、今の現在地点

    先日買ったTOEICの本を少し勉強する。
    試しにトライしてみたリスニングの箇所、80%くらいできていた。
    思ったよりも調子が良くてビビる。
    普段はインド英語しか聞いていないから、いわゆる普通のイントネーションには自信がなかったから。
    まーこれに過信せず、取りこぼしたところの原因をはっきりさせて、さらなるスコアアップを目指したいと思う所存。

    リスニングに限らず、TOEICって長丁場だから、集中力が切れてしまうのが問題だと思ってる。
    リスニングの方はずーっと気合を入れて聴くためのスタンバイをしておかなければいけないし、ライティングの方になると問題数が超多いから、うだうだ休憩してるわけにはいかないし。
    いや、きっとこれは訓練すれば、なんとか持ち堪えるようにはなるような気がするんだけども。
    ということで、ひたすら解く、からの答え合わせを繰り返すことで、その雰囲気に慣れるのではないかと思う。

    コツコツやるためには、自分の中でミッション感覚を忘れないようにすることも大切な気がする。
    絶対飽きちゃうし。人生にとって必要不可欠なものではないし。
    勉強する=自分の時間を使う、という点では、家族との時間を割いてまでこっちに注力するわけだから、家族に対してもそういうアテンションを払っておく必要がある、とか。多分これは考えすぎな気がするけど。

    自分の中での思い込み、先入観っていうのは、時として悪魔になるよね。
    よく、「自分、英語苦手だからー」って一言目に発する人がいるじゃんか。
    そうやって英語から遠ざかった人生を歩んでいるんだろうから、別にいいとは思うんだけど、それも思い込みだと思うんだよね。
    英語が苦手な人なんていないでしょ。ちゃんとやれば、ちゃんと結果がついてくるような気がするんだよな。
    私も英語が苦手だわ〜、って思う時期があった。けど仕事で、英語しかコミュニケーションできない人が同じチームに入り、毎日の朝礼で話す機会があったから、そのおかげで自然にできるようになった。
    TOEICも、プログラミングもそうだけど、毎日コツコツってのが大切なんだろうなぁ。それだけじゃないよな。

  • 4月4日

    4月4日

    この声が、誰かに届いているのだろうか。
    暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。
    誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。

    社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。
    私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私がそこにいるという存在証明を、表現することができない。

    結局人生は自己満足の連続だから、私が何を考え、どこで大声をはって発信したとしても、それで話が終わる。
    私が大声を出すという行動で、全てが終わる。

    独りよがりかもしれない。独りよがりに違いない。
    けれど、そこにいたということは、私自身がわかっていれば良いのだから。