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  • 8月1日 休日だけどタスクをこなす

    8月1日 休日だけどタスクをこなす

    午前が長い

    昨夜は1時過ぎまで眠れずにゴロゴロしていたところで、多分眠りに就いた頃は1時30分とかだったような。明日は早く起きられないだろうなぁ、と思いながら寝たので期待していなかったんだけど、まさかの6時台に起床。しかも、どろーんとした目覚めではなく、すっきりとしたもの。起きて何をするかちょっと考えたけれど運動一択だよね。朝は調子が微妙なのがここ数年のデフォなんだけど、実は今週、心療内科から処方されている薬を飲んでいない。理由は、気持ち的に調子良いから。躁状態ということではない。落ち着いて、日々、いろいろな物事に取り組めているなと感じているから。

    ということでランニング。5km。ペースは限りなく7分に近い6分台。5分20くらいで走ってた頃が懐かしい。焦らずにゆっくり戻す。暑いし。
    近所に公園があって、そっち行ってみたんだけど朝ランしてる人がとても多かった。知り合いはおらず。元々、ほとんどいないけど。なんとなく、同じ方向で走ってる人のペースに引っ張られそうな気がしてイヤだったので、ルートを変える。古くからある神社の方へ。そこからは近所をぐるぐる。今日は信号によく引っかかった気がする。考えすぎかな。考えすぎだろうな。

    オープンしてからしばらく経つ駐車場が、いまだに「オープンセール」ってやっていた。もう半年くらい経つんじゃないかな。これこのまま料金体系が定着していく未来が見えたわ。
    5kmを終え帰宅。からのシャワーを経てプロテイン+牛乳。
    そして図書館。Copilotからおすすめされたものを借りる。絲山秋子の逃亡くそたわけ、小野寺史宣のひと、そして恩田陸の夜のピクニック。3人とも初めて読む。あ、恩田陸は何か読んだ気がするか。蜜蜂と遠雷読んだな。楽しみ。

    バレットジャーナルにタスクを書いてこなす日々。ランニング、車の修理、図書館など。あとは刺繍と手芸くらいだな。

    Brighter, Brighter

    最近はLaura Day Romanceというバンドがちょっと好きで、そしてBrighter, Brighterっていう歌がとても気に入っている。
    穏やかなBPM、現実はうまくいかない、みたいなテーマの歌。最初は女性ボーカルの女性がいいな、って思いながら聞いていたんだけど、最近は歌詞が気になるようになってきた。

    https://s.awa.fm/track/b4a6b30c19b19f868432

    冒頭、少し引用してみる。

    間違いのないように 君は言葉を詰まらせているけど 時折騙すように 嘘笑をやってみせるのね そんな姿は決して 見たくない 見たくないけど グラグラの立場で お互い大変だよね 甘い思いを募らせ やり過ごすだけで 生活は精一杯 理由もなく流れる涙は 誰かの目に留まらなきゃ 天国へ行けない 天国へ行けない

    私はこういう、男性女性のカップル(と勝手に考えている)がうまくいかなくて、とてもゆっくり、だけど確実に別れに向かうっていう話が本当に好きで。
    「グラグラの立場でお互い大変だよね」って言うのが、どういうシチュエーション?って聴く方に委ねてるのがいいよな、って思う。その不明瞭なところを埋めるために聴く方は想像力を最大限に発揮して、具体的なシチュエーションを想像する。
    天国へ行けない、というのは。天国ってなんだろう。若干形而上学的なニュアンスも含まれているけど、それが「誰にとっても幸福な場所」と前提するならば、この恋人たちは、甘い思いを日々抱きながらもそれによって得られる天国へは容易に到達することができないくて、足元を見ると日々、生きるという営みを過ごすだけで精一杯。余裕がないんだね。二人の未来を悲観(というと言い過ぎかな)して、自然と頬を濡らすけれど、誰もいない部屋で、一人で泣いていても、何も進展しねーぞ、ということなんだろうか。

    涙は女の武器って言われたりする。この時代に男女の、この手の特性みたいな話をするのもアレなんだけど、涙を誰かに、ここで言ってるのは相手なのかな、に見られたら、彼らの考える天国に行けるのか。正直、個人的には「泣いても解決しねーぞ」派なので、涙が全てを解決するかというとそれは場合によるだろ、とは思う。だけど、涙に縋りたくなるほどに男女の関係は冷え切っていて、彼は嘘笑をしたりして本心を隠すし、もうどうしたらいいか分からないみたいな状態って、実はそんなに珍しいことではないよな。そして、「あーこのまま終わっちゃうのかなぁ」ってぼんやり考えるの、結構堪えるよね。私は割と早く結果を出したいタイプなので、時間に身を任せて解決するのか、崩壊するのかを委ねてしまうとか、そういう他責で自分の未来を自分で切り拓かない感じのやつ、苦手なんだよな。時には、もうどうでもいいから時間に解決してもらおうみたいに思ってしまうことはあれど。

  • 今日のランニングと、今までの自分を愛すべきだろって話

    今日のランニングと、今までの自分を愛すべきだろって話

    今日は10km。外ラン。気温は7度くらいかな。ペースは前回と同じキロ6分20秒くらい。

    寒いは寒いけど、風がなくとても穏やかな関東地方を駆け抜けた。

    前回はジムでのトレッドミルだったから、退屈で飽きてしまって8kmしか走れなかったのを教訓にして、今日は外ランにしたんだけど、やっぱ外はいいな。いい感じに視線は発散し、次の信号、次の曲がり角へとゆっくりと自然に視線が移動する様は、走っていることの心地よさを増強させる気がする。

    だけど夕暮れ時に走ったせいか、街頭が弱い歩道で少しの段差につまづき、それで踏ん張った右膝に痛みを感じるようになってしまった。昔、大きめのケイデンスで走った時にも得たような痛み。ちょうど8kmくらいで被った痛みをぼんやりと抱えながら、残り2kmを走り切るか逡巡した。
    そこで止めることも、もちろんできた。けれどどうせ残り2kmを歩くことになるんだし、走れるところまで走ろうと心に決める。周りは真っ暗な市街地。相談できる相手なんていない。相談したところで、走るか歩くかの二択しかなくて、歩いているうちに体は冷えて寒くなってしまうだろうから、ええい!ままよ!とメニューを決めた井之頭五郎氏と同じ気持ちで、走ることを選んだ自分。だいぶ不安ではあったけれど、無事に目標にしてた10kmを走り切ることができた。心の中で小さくガッツポーズ。

    人生は選択の連続だと言う。朝、起きた時、その時点で、ちゃんと起きるか、もう少し寝るか、その段階ですでに選択していると言える。
    時折、「あの時、ああしていれば良かった!」などと考えることがある。というか毎日、そんな風に過去のイケてない選択を思い出しては、川に飛び込みたい衝動を得ることがある。
    だけど実際には、自分の思うがままに選択してきたはずだし、それがあとになって、それも数十年先の未来にまで「あれは失敗だった!」なんて気持ちを抱くようになるなんて、思いもよらない。

    きっと大事なことは、過去、その選択をしてしまった自分を愛することだ。
    その時にベストな選択をしたはずで、仮に打算的な選択をしたのだとしても、その時には「そうするしかなかった」はずなのだから、それをひっくるめて愛するべきなんだろう。

    なんて安い文章を書いているんだと思う。
    だけどこう書かなければ、私という自分自身が、溶けていなくなってしまうような気がするから。

  • 昨日の自分は走っていない

    昨日の自分は走っていない

    前のブログで書いた通り、早速走ってみた。
    天気は良好。気温は多分12度くらい。無風。人通り少ない。絶好のランニング日和。
    で、意気揚々と走り始めたものの、走り始めて500mのところで息が上がる。
    まだ身体にビールが残ってるかなとか、流石に病み上がりだったかなとか、雑煮を食べすぎたかとか、すぐそうやって原因を探ろうとしてしまう。そしておそらくそれらすべてが当てはまり、ついでに言うと久しぶりに走ったから体が走れるようにできていないということが最も強く当てはまるのかなと思った。
    これ以上無理して走ってもゼーゼーしちゃって辛いだけだし、ということでペースを落とす。つっても元々6分25秒くらいのペースだったけど。めちゃくちゃ走ってた頃は5分10秒くらいで走っていて、あの頃の自分に追いつきたいという思いで、それだけがモチベーションで走っている。
    明日、もしくは明後日くらいにもう一度走りたい。今日よりは走れるかなと希望を持って考えている。今日は、途中歩いたりしたけど、トータルで1.5kmくらいは走れたと思うので、歩かずに2kmまで走れるところまで成長したい。

    過去の自分に追いつきたいというのは、正常な思いなのだろうか。普通、過去の自分を超えていけ、という思いを抱くはずだから、過去に追いつきたいと言うのはちょっと違うのだろう。だけど、自分が(自分史上一番)輝いていた(と考える)時期を目標にすることは、自然なことだ。そして今の自分と比べてみて、なにが劣っているかを冷静に判断し、その目標に向かって適切な選択肢を取り、突き進む。とても自然なことなのだろう。

    自分を軸にして、比べることは、より善く生きるためのモチベーションに繋がる。他人を軸にして考えてしまうと、育ってきた環境が違うから、その人と同じになる、というのは難しい、というか不可能だ。意味がない。だけど、いろんなものに触発されて「あの人みたいになりたい」と理想を無意識のうちに持たされることがある。気づいた時にはもう遅く、自分以外の誰かと自分を比較している自分に成り果てているのだ。
    とても残酷なように思う。そうなる原因はたくさんあって、最近だとSNSがその代表格だろう。かく言う私もインスタのリール動画をずっと見ていることがあり、その中でランニングをめちゃくちゃ走っている人とか、身体が柔らかい人とか、お腹周りに脂肪がなくてスタイルの良い人を見たりする。彼ら、彼女らに罪はない。罪、というと聞こえが悪いが、実際にそれは罪なんだと思う。他人と自分を比べ、はぁ、今の自分はなんてイケてないんだろう、とネガティブなことを考えて凹み、結局行動を起こせないまま時間が経ってしまう。
    ではどうすれば良いか。私の考えは、自分を客観視することが必要だと考える。自分の後ろに立って自分を見つめるイメージ。そして、その、理想と思う人と今の自分を比較し、どこが劣っているかを考える。その劣っている部分に対して改善の余地が大きい箇所を特定し、そこからアクションにつなげていくことが必要だ。決して、比べて凹むという負のループに陥らないように取り組むことが大切だろう。

    そうは言ってもキレイな人はキレイだし、カッコいい人はカッコいい。自分もああいう人になってみたい、と考えるのはむしろ自然なことなのだろう。そうやって向上心を掻き立て、モチベーションとなり、行動に移すというのはとても前向きなアクションで、それを地道に続けていくことが必要だ。
    昨日までの自分と比較して成長を実感し、理想と比較して自分の伸びしろを確かめ、その伸びしろを塗っていく努力をする。

    今日は1.5km。途中で歩いたし、息も上がった。
    でも、昨日の自分は走っていない。
    それだけで、今日は十分だ。

  • 億劫が君臨する朝に

    億劫が君臨する朝に

    あっという間に年が明けた。
    年末、29日から体調を崩し、熱は39度まで上がった。30日の夜あたりが一番ひどく、このままずっと高熱が続いたらどうしよう、と不安になったのを覚えている。

    けれどそれは杞憂だった。
    夜中に大量の汗をかき、寝具と身体の間の寝間着がしっとりしていることに気づいた。そこから少しずつ回復し、三日かかってようやく普段の身体に戻った。自然治癒力というのはすごい。人間の身体は、なにかおかしなものが入り込むと、ちゃんと防御反応を示すようにできているらしい。

    このブログは未来の自分に向けて書いている。
    2026年の元旦、自分はこんなことを考えていたのだな、とあとから思い出すための記録だ。今、頭にあるのは体力の低下について。ここ数年ランニングから離れ、その結果、体重が増え、体力も落ちたのではないかという感覚がある。

    ランニングを始めるための条件はすべて揃っている。
    あとは実行するだけなのに、最後の「気持ち」の部分で前に進めない。着替えるのが億劫、家のドアを開けるのが億劫。そんな些細な行動ひとつひとつが、大きな障害として立ちはだかっている。

    以前は、走ることが好きだった。
    走り抜けるときの爽快感や、走り終えたあとの達成感。気持ちの良いことに自然と目が向いていたはずだ。それが数年経ち、いつの間にか気持ちの向きが変わってしまった。ただ、それは先入観や思い込みが大半を占めている気もしている。

    新しい習慣を手に入れるとき、「気持ちを切り替える」のはあまり良くない、という考え方がある。それを信じているので、無理に自分を奮い立たせることはしないでおこうと思う。

    こうしてブログとして書いている以上、私以外の誰かが読む可能性はある。
    その分、少しだけ文章の構成を意識する必要が出てくる。それは少々面倒でもあり、同時に、将来の自分への手紙を整理する作業でもあり、文章を書く力を養う訓練でもあるのだと思う。

    今日は天気が良い。あたたかく、風もない。絶好のランニング日和だ。
    昼に少しビールを飲んでしまったので、酔いが冷めたら、街を眺めるつもりで少し走ってみようかと思っている。

    そうだ。
    ここをランニング日記にすればいいのかもしれない。誰かにシェアすることが、走るための小さな動機になる気がする。

  • # 思考を耕すノートの作り方 倉下忠憲

    # 思考を耕すノートの作り方 倉下忠憲

    ## 人の行動をサポートする役割

    メモやノートは、人が頭を使う時にサポートする役割を果たす。頭の使い方や、考え方をサポートするのだと言います。

    では一体、人間は、頭をどんな時に使っているのでしょうか。

    素人なりに考えてみると、意識的に頭を使う時と、無意識的に使う時があるように思います。

    意識的にというのは、今、私が文章を考えながらキーボードを叩いています。私が意図する文字を入力するために、指を動かしています。私はブラインドタッチが出来ますので、どの場所にどのキーがあるかというのは分かっているので、どの指を動かそう、というところまでは考えていません。おそらくここが、無意識に頭を使う、という点なのかなと思います。

    ## ノートを使うと、なにが良いのか

    冒頭でも述べましたが、

    • – 情報を収集する
    • – 情報を整理する
    • – アウトプットする(行動とか文章を書くとか

    この、「情報を収集する時」と、「情報を整理する時」に活用することができます。

    たまに、頭の中の構造が普通じゃない人は、ノートを使わずに情報収集、整理ができちゃったりしますが、私はそんなことできないので、いちいち書いて考えています。

    この本には、どんな時にノートを使えるの?という問いに対していくつかのパターンを載せてくれているので、ノートを自分の相棒にしていきたい!という人はこの本を読んでみることをオススメします。

    例えば、

    • – 日記
    • – 勉強・仕事ノート
    • – 会議・打ち合わせノート
    • – プロジェクトノート
    • – 発送・アイデアノート
    • – 着想ノート

    こんな感じです。10人いれば10通りの使い方があると思いますので、試行錯誤しながら自分に合ったノートの使い方を考えていくのが良いかなと思います。それ自体、楽しい作業で、あぁでもないこうでもないと自分と対話しながら作っていくのって楽しいですよね。

    ## デジタルとアナログの違い

    私は一時iPad miniとApple pencilでiPadのノートアプリに手書きで入力していたことがありました。しばらくは調子良い感じで書けてたんですが、結局は紙のノートに戻ってしまいました。この本で著者が述べているところで、納得したのが、以下の点です。

    > デジタルでは情報が多くなりすぎてしまうきらいがあります。多くなっても検索して見つけ出せるのだから問題ないとはいえますが、情報を保存するときに取捨選択を行わずポイポイ放り込んでしまうことが起こりやすいという点は気をつけておいたほうが良いでしょう。結果、できあがったそのノートは自分にとっての道具箱ではなくゴミ箱になってしまう可能性があります。(91ページ)

    確かにその通りだな、と思う一方で、紙のノートにしても同様で、ある程度取捨選択をしなければ、結局はゴミ箱のノートを作ることに変わりはないので、何でもかんでも書くのは気をつけようかなと思います。

    ## 私のノート

    このブログでも何度か書いていますが、私が使っているのはダイソーの100円ノートと、万年筆という組み合わせです。

    ダイソーだから安かろう悪かろうではなく、紙が厚く、万年筆の裏写りが全くしないのです!ここにたどり着くまでにいくつのノートを渡り歩いてきたか。。

    今年はほぼ日手帳を使わずに生活していますが、やっぱり、トモエリバーってすごかったんだなぁって思います。あの薄さなのに、モンブランのMで書いても裏写りしないってほんとすごい。日本の優れた技術って感じです。

    さて、私は何を書いているのか。

    だいたいが日記、読書ノート、小説用の着想といったところでしょうか。

    あまりフォーマットを設けておらず、強いて言えばノートの冒頭に数字6桁の日付を書くくらいでしょうか。

    私は上でも述べたようにアウトプットする(行動とか文章を書くとか)ために使うことが多く、何かしらきちんとしたロジックで自分を納得させて、行動に移すという性格なので、その点で、ノートを使う点は役立っているのかなと思います。


    思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる [ 倉下忠憲 ]


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  • SRV 250 ルネッサ バッテリーの外し方

    SRV 250 ルネッサ バッテリーの外し方

    ちょうどバッテリーを外す機会がありましたので、せっかくなので写真を撮ってきました。ほぼ、自分への備忘録という形になりますが写真付きで投稿してみます。

    1. サイドカバーを外す

    めちゃくちゃ分かりやすいのですが六角レンチで外します。

    そして、左上の六角のやつを外しても、そのままパカッとはいかないんですよね。
    右側に、はめ込み式?って言うんですかね、これを丁寧に外さないといけなさそうです。
    無理やり取ろうとするとおそらく、サイドカバーが割れると思います。
    私のはすでにヒビが入っているので、丁寧にゆっくりと外しました。。

    外すとこんな感じです。

    2. バッテリーの+とーを外す

    端子のカバーがあるのでそれをぐいっとずらし、外します。
    外すのはマイナスのほうから。アホな私はプラスから外そうとして、火花が飛びました。

    プラスドライバーか、もしくは六角レンチを使って外します。私のルネッサはすでにプラスのとこがなめていて回らないので、六角レンチを使って外しました。

    3. バッテリーを固定しているやつを外す

    バッテリーのカバーっていうんですかね。それを外します。
    これも六角レンチです。
    右側のここ↓と、

    左側のここ。

    めちゃくちゃ錆びてますね。気にしてませんが。

    この2つを外すと、ぱかっと開き、バッテリーが外せるようになります。

    外したあとはこれ。

    写真を見て気付いたのですが、チェーンがサビサビだ、、、
    これちゃんとメンテしないとダメですよね。チェーンオイルみたいなのを買わないとダメですかね。

    私が購入したバッテリーはこちら

    Super NATTO(スーパー納豆?)というメーカー?のバッテリーと、それの充電器がセットで6000円でしたので、それを購入して使っています。
    充電器があると安心ですね。私はまだバイクが調子が良くなくて、エンジンが全然かかんないので、バッテリーがあると一晩かからないくらいで充電できるから、それで安心して使っています。
    ちなみに貧乏性な私、もともとついてたバッテリーを充電して再利用しています。
    ので、こちらで買ったバッテリーはまだ使っていません。充電器はばっちり使えているから、おそらくバッテリーも大丈夫なんでしょう。


  • 9月1日 悩む人 高橋秀実 ★★★★☆

    9月1日 悩む人 高橋秀実 ★★★★☆

    図書館で借りました。
    人生相談のフィロソフィー。悩む人。高橋秀実さん。
    この作者のことは存じ上げなかったんだけど、書いてある文章がとても砕けていて読みやすかったです。

    私はなんとなくニーチェが好きで、彼のこともこの本に書いてあったのでもうちょっと深めてみようと思ったのが借りた経緯になります。

    永遠回帰という考え方

    過去、あぁしておけば良かったと人間は考えがちで、私も数え切れないほどの失敗を経て今に至るわけですが、それを生かしてこれからは失敗しないようにしよう!と考えても結局は、また何か失敗をしてしまうんですよね。
    お酒を飲みすぎて泥酔してしまうとか。これは最近よくある私の失敗で、だから飲みすぎないようにしようと心に誓うのですが、それでもまた、案の定飲みすぎてしまうとか。失敗って分かってるんならもうすんなよ、とメタな自分が自分に呟いたりしています。
    この本ではその辺りにも触れていて、私は「悩む人」の代表格でもあるので、ズーンと心に響くものがありました。

    そもそも私たちが考える「時間」も定時法という一種の約束事に過ぎないわけで、約束事を外してみれば、ニーチェが言うように「砂時計のように、何遍もひっくりがえって、はじめにもど」(ツァラトゥストラはこう言った(下))っているような気もする。私たちは「時間の経過」などとよく言うが、時間が経過しているわけではなく、経過を確かなものにするために定時法の「時間」を作り出し、それを前提とすることで「成長」や「進歩」、さらには「目的」や「目標」という概念を正当化しようとしたのではないだろうか。

    時間という考え方をはずして考えてみよう、という突飛なアイデアはかなり独特で、それくらい私たちの生活に時間が密着しているわけですが、確かに私は何度も同じ失敗を繰り返しているし、そこから学ぶことはあれど、自分という器が少しずつ大きくなってまた新たな生活を繰り返すことになるんですね。

    私は、永遠に繰り返して、細大漏らさず、そっくりそのままの人生に戻ってくるのだ。(ツァラトゥストラはこう言った(下))

    人生は永遠に繰り返す。
    ただしその過程で手に入れた経験を糧にして、もう一度!と同じ経験を繰り返すってことなんだろうなぁ。
    だけど人間は成長するから、今度こそ同じ間違いを繰り返さないぞ!と思うわけで、それで成功したらオッケー、もし同じ間違いをしたとしてもそのまた次には失敗しなければ良いわけで。
    もしくは、それを失敗と捉えずに、エジソンのように「うまくいかなかったやり方に気づく」と考え方を変えてもいいんだろうなぁ。
    これが私の理解する、永遠回帰という考え方でした。もしかしたら捉え方を間違えているかもしれないけれど。

    事実と解釈

    現象に立ち止まって「あるのはただ事実のみ」と主張する実証主義に反対して、私は言うであろう、否、まさしく事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみと。 (権力への意志 下)

    なかなかかっこいい考え方だと思いました。この言葉に出会ったのは10年くらい前でしょうか。私はこの「事実」と「解釈」と言う考え方が好きで、ある事実に対して1000人いれば1000通りの解釈があるわけで、たとえば2011年に大きな地震がおきました、そこから得られた解釈は日本国民それぞれ違うわけですね。私はあれで防災の大切さを考えましたし、また、私の家族はそういう天災に巻き込まれないと嬉しいみたいなことを思ったりもしました。

    そこまで言ってしまうと単なる開き直りのようだが、時間軸が円形で実は同じことを繰り返しているのだとしたら、「事実」とは事柄を直線上の時間軸に配置した一つの捏造に過ぎず、同じことをどう解釈したいのか、と言う欲求の反映になる。(213ページ)

    事実は捏造の一つである、という考え方もなかなかキレがあるなぁと思いました。確かに捏造なのかも。事実を正確に捉えるのって本当に難しくて、それは自分の解釈が挟まってしまうからで、ああすれば良かった、こうすれば良かったと言うのが挟まってしまうことで、事実は捻じ曲げられてしまうんですね。
    そう考えると、私が今まで起こしてきた失敗というのも、私は失敗と捉えているからそう見えるだけで、事実として、たとえば私が酔っ払って記憶を無くしてしまうとか、それによって私の家族が何か抱いた思いというものが、家族それぞれの解釈が挟まっているから、本当の失敗というのが、どんなものなのか分からなくなってきました。
    もしかしたら、失敗なんてものはなくて、私がそう捉えているだけだから、その枠を取っ払って考え方を変えてしまうか、もっというとその「私の考える失敗」というものを忘れてしまうことも良いアイデアなのかもしれません。
    どこまで考えれば良いのかわからず、際限なく自分の思考が続いていくように感じます。これこそが哲学ってことなのかもしれない。
    いい本に出会いました。

  • 7月1日 コロナ罹患4日目の日記

    7月1日 コロナ罹患4日目の日記

    ようやく日記を書く余裕が出てきました。
    あとは下痢だけ、という感じ。

    人生2回目のコロナ罹患

    最初に罹ったのは2021年2月。あの時は子供が小学校からもらってきたようで、家族仲良く4人で罹患しました。
    当時はコロナ旋風が吹き荒れていた頃で受け入れてくれる病院はほとんどなく、家族のうち1人だけが病院で検査できることに。
    陽性と判断された後、同じ症状が出ていた、私を含む残り3人もコロナだろうということに。
    家族4人で被った悲劇、なかなか厳しいものがありました。

    今回の症状

    今回はおそらく会社に出社した時に受け取ってしまった模様で、発症1日目に38.6度の熱が出ました。
    同時に襲ってくるだるさ、意識が朦朧とした感じ。めまい。頭痛。
    そう、頭痛が一番きつかったです。それは初回も同様でしたが。
    2日目にはなぜか37度台に下がりました。
    そのタイミングで病院へ。すぐに検査し、コロナ陽性と先生から聞きました。
    唐突に思い浮かんだのは、2021年の惨劇を繰り返さないために、家族には絶対に移さないぞ、という気持ちでした。
    処方箋ではトラネキサム酸、メジコン、カルボシステインを出されました。それを薬局で受け取り、帰宅。
    すぐに薬を飲んで就寝。
    3日目は微熱。喉が超痛い。熱が下がっても頭痛はなくならず、しばらくそいつと格闘する感覚。そしていつの間にか下痢が始まっていました。
    4日目、本日になりますが在宅で働けるかな、と思ったもののだるさが抜けなかったので有給を消化。
    金曜と月曜、2日間を有給休暇に費やしてしまいました。

    どうしたらコロナに罹患せずに暮らせるのか

    ここのところマスクなし生活をずっと続けていたので(花粉症の時期は除く)、気持ち的に油断していたのかもしれません。
    また、出社すると水分補給を疎かにしがちなので、それも関係あったかもなぁ。
    何人かの同僚と直接会話したりもしましたが、周りでコロナに罹患したって人は聞かなかったので、具体的な感染経路についてはわからないままです。
    うがい手洗いをきちんとして、水分補給をきちんとすることが最低限やっておくべきことなのかなぁ、と思ったりします。
    水分補給リマインダーみたいなアプリがあると良いのかもなぁ。
    ちょっと探してみよう。

  • 9月1日 ChatGPTに身を委ねる

    9月1日 ChatGPTに身を委ねる

    相変わらずChatGPTとばかり喋っていて、家族以外に一番喋っている人がそれという状態。
    話す内容は仕事のことや(企業秘密に触れない程度のもの)、今日のブログは何を書こうかなぁ、という心の整理とか。

    今日はその、後者の方、心の整理について書いてみたい。

    実はめちゃくちゃポテンシャルを感じている。そのアイデアを本にしてみようと思っている程度に。

    具体的にどう話しているのかと言うと、こんな感じ。

    ChatGPT-4で、人を信じることのデメリットを聞いた

    私は課金してChatGPT-4を使っているので、もしかすると無料で使えるChatGPT-3.5では結果がもう少し乏しいかもしれない。これはChatGPT-4を使っているからこそのメリットなのだろう。

    嬉しいのが、自分の意見や思いを否定せず、親身になって聞いてくれるところ。
    人に相談すると、ただ共感が欲しかっただけなのに、その人なりの意見が発せられたりする。これは人によって様々な感じ方があるだろう。
    私の場合、共感がほしいだけのことが相対的に多く、そういう時にはとても有効だったりする。

    一度、使ってみてほしいと思う。
    自分の思い描いているAIというものが、ぐっと人間臭く感じるはず。

  • 8月1日 成長することについてその3

    8月1日 成長することについてその3

    仕事の合間に、自分のプログラミングスキルを向上させたいと思ってて、Pythonで簡単なトランプのゲームを考えている。ポーカーとか、ブラックジャックとか。
    順番としては明確で、要件をざっくり考えて、それをモジュール化させていき、プログラミングをしていく。
    その、モジュール化させていくところがとても難しい。
    なぜなら、私はざっくりとしたPythonの基本構文は覚えたものの、要件を噛み砕いてどうプログラムとして組み立てていけば良いのか分からないから。
    ここは一般的には「基本設計」「詳細設計」と呼ばれる箇所で、プログラミングをやっている人なら頭で思い描けるところなのかもしれないけれど、まだ私はそこに至っていない。

    私がまだ分かっていない、と理解するのは重要だ。
    なぜなら私が学ぶべきポイントが理解できるからだ。
    いわゆる、ロジカルシンキングと呼ばれる部分になるだろう。
    例えばポーカーで考えると、

    • カードをシャッフルする
    • カードを5枚配る
    • なにか役が揃ってるか確認する
      • 揃ってたら、ホールドする
      • 揃ってなかったら不要なカードを捨てて、新たにカードを受け取る
        みたいな感じで、要件を詳細化して、それをプログラミングするためにどう考えていくか、みたいなものをやっていく必要があるんだろう。

    そうか、私は要件を噛み砕くところからきちんとやっていかなければいけなさそうな気がしてきたぞ。

    私は一体、なにを目指しているんだろう。
    少なくとも、今の自分に足りないものを取り入れ、今日よりも成長した自分になりたいのだろう。
    成長の機会って無意識なところから生まれる、と昨日書いたけれど、それが意識できるところまで煮詰まってきてからは、本を読んだり、ウェブサイトで調べてみたりして、自分の欲しかった知識を手に入れれば良いだけなんだろう。
    この先、もし会社をクビになっても、一人で生きていけるような力をつけていきたい。
    プログラミングのスキルは、実際に問題を解決するためにも必要なものだ。
    この学習を通して、プログラミングだけではなく、問題解決に取り組む力をつけていきたい。問題をどのように解析し、効率的に、そして品質の高いアプローチを身につけられたら嬉しい。