月: 2022年6月

  • 6月26日

    夕方にコーヒーを飲んだせいか眠れない、のでウイスキーを

    シーバスリーガルのミズナラ、軽やかだけど芳醇な風味

  • 6月25日

    季節は梅雨真っ只中のはずなのに、めちゃくちゃ暑い。朝の時点で既に29度をマークしていた。
    一応、日課になっている朝ランを目論んで走り始めたのだけれど、日差しの強さに気持ちがヘタり、3kmくらい走ったところでやめてしまった。
    自分の意思が弱いのかもしれない、けれど、無理をすると熱中症という可能性があるということで、大事をとって残りの距離を歩いてやり過ごした。

    頑張るの限界という線引きを適切なタイミングで見極めることってとても重要。
    昨日やってたトイストーリー4では、バズが「内なる声」ってワードで発言していたけど、ほんと、その声を大切にして、無視しないようにしなければいけない。
    限界を超えてしまった人間はどうなるか、想像は難しくない。
    時には、無理したくなる時だってあるけどね。私の場合、それは仕事でよく現れるのだけど。仕事ですげー頑張って残業とかしちゃうと、翌日はガス欠になってほとんど何もできなくなってしまうことがあったりするんだよなぁ。8月31日にがっつり頑張るのも、思い出作りという観点では良いのかもしれないけれど。

    だけどたまに、自己啓発書とか読むとさ、そういうストレッチしたタイミングの後で、自分が成長したりするとか書いてあるんだよねぇ。
    わかるといえば、まぁわかるんだけど。
    英語ができない、それが超苦手なんです、っていう同僚がいたんだけど、しばらく英語漬けの職に就いて我慢してたら、今じゃもう英語は全然怖くありません、会話まで含めてがっつりやれます、みたいになって、とても嬉しかったのよね。
    多分、そういう時にストレスを受け流しながら頑張ることのできる人には、きっと成長の神様が憑いているんだと思う。

    頑張ってる時って、自分がどんだけヘビーなストレスを受けてますってのが見えなかったりするからなぁ、気づいたら取り返しのつかないほどヘビーなものを抱えちゃってて、これもう人として終わっちゃうかもしれません、みたいなことになることもあるから、気をつけなければいけないよなぁと思ったり

  • 6月24日

    久しぶりにブログを書く。ブログというか日記

    なんだろう、自分、そんなに振り返る時間が少なかったのだろうか。

    そう、、ほんとに、振り返る時間が少なかった

    ここ2週間くらい、何をしていたのだろう

    • ほぼ毎日、5km-10kmを走っていた。平日も走った。6月って私にとっては走る月なんだよなと思う。
      春から夏に変わるところで、気温が上昇していって、夏至になっていくから昼間は長いし、そういうところで自分の中で「走りたい!」みたいなマインドになっていくんだろうなと思う。去年の6月は130kmくらい走っていた。この距離は私にとってはなかなかの快挙
    • 仕事が超忙しい。もはや何がモチベーションなのかわからないけど、自分に課せられた仕事をただただやっつけていくという、地味だけど静かにやっていく仕事を黙々とやっつけた感。けど、自分の振り返りができなかったのは仕事のせいだけじゃないよね、と思いたい
    • そうそう、図書館で10冊くらい借りたんだった。人はなぜ自殺するのか、とか、夕張問題とか、死神のための協奏曲みたいなやつ。貪るように読んだ。明日返す日だったんだよな確か

    そんな感じ。ソロキャンプにも行こうかな、って思ったりもしたけれど予約とか全然してないなぁ

  • 6月24日

    暑くて走れなかった

  • 6月12日

    ここのところ猛烈に本を読みたい熱が私の85%くらいを占めている。
    インプットを求めるということなのだろうか。
    私の中に入っているものだけでは物足りないということだろうか。
    細かなところは良く分からないけれど、とにかくいろんなものを吸収したい時期に入っている。

    人間って、いくつかのモードがあるような気がする。
    分かりやすいところで言うと、周りに発散したい、アウトプットしたいモード。周りから吸収したいモード。
    なんでか分からないけど、時折、そう言う時期がやってくるんだろうね。

    私の感覚で言うと、最近は毎日の日記が疎かになってしまった。
    他に考えることがたくさんあるから、みたいな誰に向けているのか分からないような言い訳をしたりするけれど、つい1ヶ月くらい前までは、ほんと1日も欠かさずにここに日記を記していたような気がするのよね。
    あの頃はきっとアウトプットしたいモードだったんだろうなー、と思う。
    こうして公開しているウェブサイトだけど誰も見ていないという空間は案外心地良くて、いい感じの温度感を保ちながら書けるから良いよね。

    さぁ、本を読もう

  • 6月8日

    ふとApple Watch の睡眠アプリが目に留まり、おざなりながらも睡眠についてきちんと前向きに考えるようになった。

    昨今、これは加齢ということもあるんだろうけどとにかく眠りが浅くて、どんなに頑張って寝たとしても2時3時くらいには目が覚めてしまい、その度に「なんでぐっすり眠り続けられないんだろう」と悔やんだりしてるんだけど、それよりもまず睡眠時間を毎日同じ時間に取れるように、生活習慣を変えてこうぜとか、そんなことを急に気にするようになったんだよね。

    今日で3日目。毎日23時30分には眠るようにしてる。寝る30分前、つまり23時には液晶ディスプレイは見ないようにして、そうすると途端にやることがなくなってしまうんだけど、ストレッチをしたり、ほぼ日手帳に日記を書いたりして、ぼんやりとした時間を過ごしている。

    あと、お酒を控えめにしたり、とか。つっても禁酒するのは流石にアレなので、毎日350mlとか500mlのチューハイ(基本7%)のを1本飲むくらいにとどめたりして。

    多分こういうのって生活習慣を変えたからって途端に身体が健康になるってわけではなくて、日々同じように繰り返していくことで健康になっていくんだろうなと思うので、すくなくともこういうのを続ける必要があると思うんだけど、

    人生に諦観を持っている人とは違う考え方だよなこれ、別人だろ、って冷めた目で見る自分もいたりして。
    健康になろうとして、どうすんだよ、と。

    あぁ。精神が分裂してる。

  • 6月4日

    レイソルのスタジアムをぐるっと

  • 6月3日

    あっという間に、日常がすぎていく。
    つい最近書いた気がするけど、仕事に没頭されて終業後の夜時間すらも一瞬で過ぎ去っていくという程度のノリ。

    こうやって、43歳っていう私の時代も、大した記憶が残らずに過ぎ去っていくんだろうなぁ。

    仕事が忙しいとか、お酒をたくさん飲めるとか、ご飯を胃が痛くならずに食べられるとか、身体が健康だからやってられるわけで。
    そのことを蔑ろにしてしまってはいけないなぁと思うのよね。

    もしかしたらこの日記を書いている途中に気持ちが悪くなり、病院へ運ばれ、そのまま還らぬ人になってしまう可能性だってあるのだから。

    健康でいたいんだろうか、自分は。

    つい最近、ある人と話している中で、ここでも何度か書いている「もう死んじゃっても構わない、決してそれは後悔していないという体ではなく、どちらかというとネガティブな意味での諦観」みたいなことを話したら、何がしたいのか分からない、そうしたいんだったらそうすればいいじゃん、って言われて、

    それは流石に凹んだよね。
    別に、「死んでほしくないよ!」って言ってほしいわけではないんだけどさ、止めて欲しかったっていうか。
    なに他人よがりになってんだ、って話ではあると思うんだけど。

    自分に課せられたことは、ただ一つ、生きることだと思うんだけどね。
    そこからさらに、子供を育てるとか、自分のやりたいことを実現させるだとか、そういう面でのあれやこれやは出てくると思うんだけど、

    結局、諦観っていう視点葉、なくなることはないんだよなぁ。

    これって良いことなんだろうか。