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  • 8月10日 嫌った世界がこんなに綺麗だったとは

    8月10日 嫌った世界がこんなに綺麗だったとは

    若い人の可能性を狭めることなく、大きな翼を使って羽ばたいて欲しいと願う

    7時に起床。今日は長男がお茶の水まで夏期講習に行くので、まだ行き慣れていない長男に合わせて一緒にお茶の水まで。電車は空いていた。8月10日、明日は祝日、それと絡めてお盆休みに入っている人が多いのかなー、と思った。
    お茶の水。予備校とか大学が多いし、若者が多いなぁという印象。長男を塾の入り口から見送る。背中はまだ小さいかもしれないけれど、その背中を優しく支え、押すことのできるような父親になっているかと自問する。彼には彼の人生がある。彼の、これからの人生が、順風満帆に進んでいったらいいと願う。時には大きな障害とか、乗り越えなきゃいけない課題が出てくると思う。その前に、彼の思い描く第一志望の大学に無事に合格しなければいけないというチャレンジングな状況を、彼は彼なりの力で乗り越えなければならない。
    たくさん勉強したからといって、合格が確約されるわけではない。もしかすると、残念ながら彼の第一志望に合格できないかもしれない。だけど人生は続いていく。合格しないと、それは失敗と思うかもしれない。そこで、失敗を失敗と捉えるのではなく、人生を快活に進めるための一つの材料として捉えてもらえたらいいと思う。
    そこからお昼くらいまでオフィスで働いて、帰宅。18時からランニング。5kmの予定だったけれど思いの外涼しくて、風が心地よく(すでに秋の気配を感じた)、気持ちよかったので9kmまで足を延ばした。最後にダッシュ。その時は何も考えていなかった。音楽をイヤフォンで聴いていたけれど、音が耳で止まり、脳まで届かない感覚。無酸素運動になっちゃうと辛くなるので、残り200mを呼吸の頻度を高め、無事に走り切った。
    ホントは10kmでも良かったんだよな。だけど膝がぼんやりと痛くなりそうな気配だったので9kmでストップ。後悔はしていない。むしろそこでやめて良かったと思う。
    人生は続く。膝を痛めてしばらく走れないことよりも、ギリでやめて、次に臨むことをメインに考えていく。

    若い子だからって何も考えていないワケではいない

    恩田陸の「夜のピクニック」読了。恩田陸は蜜蜂と遠雷以来の2作目。青春小説の金字塔。三浦しをんの風が強く吹いていると同じ印象。若者が体を使うという点で同じ匂いを感じたのかな。
    高校生が、24時間かけて長い距離を歩くという話。異母兄弟の主人公たち。題材としてはそれだけ。今私が書いた30文字くらいのテーマを、恩田陸という変態(褒めてます)が描くとこうなるんだ、という印象。会話多め。
    途中、私の青春時代のことを思い出す。郷愁と呼ばれるやつ。感傷に浸ったりもしたけれど、大円団のエンディングを迎えて、安堵した。
    私は、理想の青春時代を過ごしたのだろうかと考えた。何度も考えた。高校は偏差値57くらいの、私の中では普通と呼ばれるランクの、茨城の県立高校。高2の時点から恋人ができ、その人と高3の最後まで付き合った。いわゆる恋人という感覚ではなく、むしろ友達に近かった。今考えると、いわゆる高校生の性欲に急かされて付き合っていたのではなく、友達の延長線上という感覚で付き合っていたのだなと改めて思い出す。彼女は優しい人で、面白く、色々なことを話したよな、と思う。ほとんど忘れたけれど。だけど彼女と過ごした時に感じた空気とか、冬の寒さとか、そういうところは心に残っている。その引き出しを数十年ぶりに見つけ、開けられたことは、小説を読んでよかったなと思う。
    中学の友達とバンド組んで、ユニコーンとかハイスタとかのコピーバンドをやっていた。バイトはマクドナルドでやっていた。そんな高校時代だから、勉強にはあまり力を入れず、だから大学は地方Fランだった。もっと勉強しておけば良かったかな、と今、勉強を超頑張っている長男を見ると思うけれど、当時にもし戻れるとしても結局は同じ人生を歩んだんだろうなと思う。
    あの頃は楽しかったんだろうか、とか、どんなことを考えて生きていたんだろうか、もしかすると大したこと考えずに暮らしていたのかなとかも思ったけれど、あの頃はあの頃なりに、当時の自分としてたくさん悩んで、学んで、時間を過ごしてきたんだろうなと思う。
    小説を読んでいて、高校生でも悩むところはたくさんあるよな、常に人間って何か考えて生きているんだろうなと思う。それは17歳でも、47歳でも一緒のこと。てかあの頃からもう30年も経っているのか!あっという間だった。あっという間にここまで来て、大好きな家族に囲まれて、好きなことやって生きているよなと思う。後悔しててもしょうがないから、前を向いて、やれることにフォーカスして生きていく。

    嫌っていた世界がこんなに綺麗だったとは

    Laura Day Romanceの、brighter brighterという曲が好きで、先日のブログに自分なりの考察を書いてみた。その続きを考えてみたい。

    誰もが祈るように言えないことを 胸に秘めるけど 時折零れていく危ういことと分かっていながら 閑話休題 ねぇ これから これからの話だけしよう 最期の日まで奪われない そんなものが欲しい

    正しさの暴力で傷ついた心に 優しさが余るほど世界は甘くない 力なく呟く 言葉は 誰かが聞かなきゃ 窓打つ雨音と変わらない 音と変わらない 遠くを見つめている

    心の岸辺で あなたの名前を頻りに呼ぶたび 跳ね返る私と私の姿を 対岸の前の水面に見つける brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗な場所だとは brighter brighter 嫌った世界がこんなに綺麗ば場所だとは brighter brighter 嫌った世界が こんなに綺麗な場所だとは brighter brighter

    人間って、自分の想像する世界の中で生きている。自分の想像する世界の外に出てみようと、半ば思い立って一人旅をする人もいる。自分探しの旅ってやつ。それは新たな価値観や光景を目にしたときに、自分がどう反応するかを試す場所なんだと思う。
    それは、場合によっては自分の想像をはるかに超えるような世界を目にするかもしれない。時には生死の価値観を揺るがせるような事態を目にすることだってあるだろう。そんな光景を目にして、沈んでしまう自分。そんな、期待していなかった自分の反応が、心地良くなかったとしても、それも自分だから、とある意味納得して、人生を進めていく必要があるんだと思う。
    この歌詞に共感できるところは、そういう、自分の想像する、期待する世界ばかりではないこと。それをきちんと受け止めること。そうやって人生は進んでいくんだから。自分の思い通りにいくばかりが人生ではないから。冒頭に書いた長男の背中を見ても、これから彼なりに大きな課題を抱えていくことだってあるだろう。だけどその場所に飛び込んでみると、想像とは全然違うような、もしかするといい意味で刺激を受けることがあるかもしれない。Laura Day Romanceの人たちは若い。私からするとあんま調べてないけれど多分20歳くらいの差があるんだろうなと思う。今考えてみると私の20年前、その頃は楽しかったんだろうなと郷愁に耽ることだってできるけれど、大半の記憶は薄れていて、良い記憶しか残っていない。だけど当時の自分だっていろんなことに悩んでいただろうし、嫌なことだって少なくなかっただろう。けれど今の自分は、その頃の経験や思考を土台にしてい生きている。今、私が納得した人生を送れているのは、その頃の紆余曲折は必要不可欠だったし、Laura Day Romanceの言うように、嫌っていた世界が実は綺麗だったということだってあったのだと思う。

    人生は続いていく。いろんな経験を糧にして、自分を成長させていくのは自然の摂理だ。これからもきっと私はたくさん悩んで、時には「もうこんな世界イヤだ」と思うことだってあるだろう。だけどそれも人生。いい部分だけではなくそういう部分もひっくるめての自分なんだから、色々な感情や思考を抱きしめて、生きていきたい。

  • 8月3日 日々は続く

    8月3日 日々は続く

    前向きでも後ろ向きでもない、淡々と進む

    7時くらいに起床。心療内科の薬を飲まなくなってから、朝、目覚めやすくなった。プロテインと菓子パンで朝食。
    菓子パンってすごいよなぁ。あすけんではお菓子扱いでした。栄養って観点はほぼ考えてないんだろうなぁ。口当たりと、甘さに全振りの味。食べたら幸せな気分になるけれど、それは糖分を摂取しているからなんだろう。

    今日は虎ノ門に出社。出勤中は逃亡くそたわけを読む。昨夜半分くらい読んでいたので、出勤中に読了。

    以下、ネタバレを含みます

    いわゆるロードムービー。精神科に入院してる二人が、病院を抜け出して九州を車で移動するという話。途中、車のエアコンが壊れたりして二人の空気が悪くなったり、事故を起こして当て逃げするとか、順風満帆な旅ではなかった。だけど二人の共通認識として、病院には戻りたくないというのがあり、その現実から逃げるように旅をする。途中万引きや、食い逃げをしたりして、善く生きるをモットーとする私的には、ちょっと嫌なシーンだった。
    私はそういう時、お店側の立場を考えてしまう。盗まれた分、売上が下がるわけだし、それによって苦しい思いをするのだろうから。いくら、それが二人の生活にとっていかに必須なのだとしても、やっていいことと悪いことはあるでしょうよ、と。
    深く心に残ったのは、現実から逃避したのだとしても、やがて現実と向き合うときは来るんだよな、ということ。物語ではその現実のシーンが描かれていなかった。読み手としては、いつか見つかってしまうのかな、とそのシーンがいつ来るのかドキドキしながら読んだけど、そのシーンは訪れなかった。まぁけど、車の中での二人の空気感とか、結構な現実感はあったけれどもね。

    現実と向き合って生きるべし

    なんやかんやあって、同僚が気に入らないとか、上司が認めてくれないとか、そういう他人との関わり合いは避けることはできないよな。逃亡くそたわけでも、二人の関係性とか、自分以外の人と関わることって多々あって、それに一喜一憂することはもはや一般常識だったりする。だけど他人はコントロールすることができない。そして、過去も変えることができない。こんなこと、このブログでも数えきれないほど書いてきた。

    大切なのは、自分の未来に投資すること。そのためには、自分の機嫌を取って生きてくことがとても大切なんだと思う。だって自分が機嫌悪くなって、他人に私の機嫌を取ってもらおうなんて虫が良すぎるだろ。機嫌を自分で良くすると、自分の未来が明るくなるってことだと思う。機嫌が良い方が、生きていて楽しい。
    自分の機嫌を取るには、どんな行動を取ったらいいんだろう。今の私の場合、体を動かすとか、刺繍するとか、私の心が豊かになるものが好き。お酒も機嫌を取ることはできるけれど、飲みすぎると記憶無くすし、二日酔いになるし、最近はお酒に対して、どっちかというとネガティブな印象を抱くようになったので、この選択肢から除外する。あとは好きな歌を聴くとかかなぁ。

    人生は楽なことばかりじゃない。むしろ生きていくためには困難だってある。その都度気持ちが腐ってしまうと、そこから浮上するのってすごく難しい。とはいえ、急にそんな状況に陥ることだってあるだろう。つまり予測不可能ということ。だったら、普段から気持ちが落ちないように心がけ、そしてそれだけじゃなく、落ちた時に浮上するための術を多く持っておく必要があるように思う。人生は長い。ぼんやりしていたら灰になっちまうって昔のロックバンドの人が言っていた。腐ってなんかいられない。楽しいことだけして生きていたい。それなら、そのための心の持ち方というものを、自分なりに考えてみることが大切なのかもしれない。

  • 7月27日 二度寝ってなんでこんなに幸せなのだろうか

    今日のできごと

    7時台に目覚める。しかしそこから二度寝。今日は10時までにオフィスに着いていたかった。だから遅くとも8時30分には家を出ないといけない。しかし、そのことを考えながらも、あえて二度寝を選択するという暴挙。
    昨夜は心療内科の薬を飲まなかったじゃないか。なのに眠いとは。つまり薬は関係ない、と?つまり大切なのは自分の気持ちだけだということ?
    私は今まで何に悩んでいたのだろうか、とブログを書きながら考える。二度寝の誘惑に勝てない。なぜ勝てないのか。それくらい二度寝というものには魅力的だから。
    もしかすると私は、日本で一番、いや世界で一番なくらいに二度寝が好きなのかもしれない。二度寝が好きな人は多いだろう。いったん目覚めるも、再び眠りへの誘いに呼び寄せられ、そしてそのまままた記憶を失っていく、あの感覚。どうしたら打ち勝てるのだろうか。

    考えられるのはまず、「どうしても起きなければいけない」という状況を作るということ。確かに、私は、どうしても早い時間から活動しなければならない時、二度寝の誘惑ということすら考えない。目が覚めるとすぐに身体を起こす。どうしても活動しなければならないから、二度寝の誘惑なんてものに惑わされている暇はないのだ。
    そうか。
    今日のように10時に出社しなければならない、というシチュエーションを作れば良いのか。今日は10時厳守という強い縛りはなかったから、つい二度寝の誘惑に負けてしまった。
    その、つい、という感覚がよくないのかもしれない。意志が弱いということだろうか。
    だけどこれって今に始まった話ではないだろう。子供の頃から、数えきれないほどの誘惑に負け、場合によっては後悔もしただろうけど、47歳となった今、二度寝の誘惑にあっさりと負けてしまうほどの意思を持っているいうことは、つまりそういうレベルの人間だったということだ。
    今さら悔やんでいても仕様がない。時にはその誘惑とうまく付き合っていく必要だってある。だってそうやって甘やかせないと、人間の心は痩せ細ってしまうからだ。
    同じノリで、お酒も飲んでしまう。ランニングはやろうと思っていても行動に移せない。筋トレも同様。寝る前にはスマホを見てしまう。そんな、瑣末なことにも思えるけれど、そうやってうまく自分の機嫌を取りながら生きていく必要があるのだと思う。
    だいぶ脱線してしまった。今日の出来事を書くつもりだったのに。
    結局オフィスには11時過ぎに到着。出社中、本来会社で出ておくべきだったミーティングを、電車の中から参加した。まぁ、それでもなんとかなってしまうという現状も、もしかしたら良くないのかもだけど。
    いや待て、それは私が悪いわけではないだろう。コロナ禍で在宅勤務が働き方の一つに加わってから、私はその恩恵(と呼んでおこう)に預かって家から仕事をすることを一つの選択肢としてきた。
    だから私だけが悪いわけではない。私の努力が必要な点は多々あれど、今、大切なのは自分の機嫌をうまく取って、なんとか生き延びていくことなのだから。

    なんかいろいろ書こうと思ったことがあったんだけど、なんかもういいかなって感じになってきた。

    今日はバレットジャーナルに本気で取り組んでみた。
    デイリーログはミーティングで得られた知見や、仕事の進め方を自分で考える時にメモ書きなどしたので、あっという間にページ数を稼いだ。
    帰宅してからキュリダスにインクを補充した。次は色彩雫の竹林。

  • 7月20日 人生はうまくいかないことのほうが多い

    7月20日 人生はうまくいかないことのほうが多い

    大切なのはレジリエンス

    しなやかに回復することが今の世の中で重要なことだと言われたりする。私もそう思う。
    だけど、違うだろ、それ自体は今だろうが昔だろうが必要なことだろうって思う。
    アインシュタインは失敗しなかったという逸話がある。失敗ではなく、うまくいかないことを知ることができる、必要な一歩だったと。
    彼はおそらく、レジリエンスの高い能力を持っていたのではないか。
    じゃないと、そんなふうに、前向きになれないだろって思う。
    私もそうだけど、大抵の人は、なにかに失敗すると、あーダメだったか、って諦める。そしてもう一度トライ、ということにはならない。
    なぜか。
    失敗するのがイヤだからだ。
    私の場合は、失敗するために費やした時間がもったいないと考えるクセがある。
    だから、失敗するくらいなら最初からやらないほうが良いではないか、時間がもったいないし、と思ってしまう。
    だけどそれだと、成長しないだろ、とも思う。
    分かってる。分かってるんだけど、だけどどうしてもその時間がもったいない。
    いったいどうしたらいいのだろうか。全然分かっていない。
    アインシュタインを見習ってレジリエンスを磨き、ニーチェの言うようにもう一度!もう一度!と挑戦する意識を持つ必要があるんだろうな。
    分かってるよ。分かってるんだけどね。

    今日の出来事

    今日も8時台に起床。3連休最終日。くそあっつい。
    ご飯と納豆で朝食。明太子も食べた。これでいいんだよ、って感じの朝食。
    子どもの頃は明太子なんて食べられなかった。大人になってからもしばらくは食べられなかったんだけど、奥さんが買って、それを一口もらったところで、美味しいってなった。
    あれは自分の中での発見だったんだろうな。そうやってだんだん趣向が変わっていくんだな。おとなになるってこういうことかな、と思ったり。
    午前は図書館。米津玄師のYANKEEを借りた。あと借りてたCDを返却。一昨日借りたものを返却した感じ。その後サンキ。
    トートバッグを作りたくなって、帆布とテープ、接着芯などを購入した。接着芯は初めて買ったんだけど、きちんと自立する形が良くて、だから厚めの接着芯を買ってみた。
    うまくいくんだろうか。
    その後スーパーを経由して帰宅。バイクに乗ったけど暑かった!
    バイクに乗ってたら快適!夏は風が気持ちいい!ってバイクに乗らない人は考えるかもしれない。確かに20年くらい前はそんな感じだったと思う。
    だけど今は暑い。ていうか熱い。熱風を感じる。
    つまり気温自体が高いんだと思う。
    忘れないくらいインパクトが強かった。
    お昼はバーガーキング。いいとこに住んでるよマジで、って思う。
    ファーストフードが何軒もあるなんて嬉しい。ありがとう、13年前にこの街を選んだ私に感謝したい。

    トートバッグのこと

    そして夕方になり、初めて、型紙なるものを作ってみた。会社に持っていけるくらいのサイズ感が良くてって昨日だっけ、いつだったかも書いたと思うんだけど、それと私はなで肩なので絶妙の肩紐のサイズ感が欲しいんだよな。40cmだと短すぎ。50cmだとちょっと長い。だけど50cmくらいがちょうど良いのかもしれない。
    肩紐とか考えると、リュックタイプの肩紐を付けても良いのかもなぁ。2wayか。
    バッグの方向性を考えている時が一番楽しいかもしれない。計画するのが楽しいってことかな。

  • さよなら、ジャバウォック 伊坂幸太郎 ★★★★☆

    さよなら、ジャバウォック 伊坂幸太郎 ★★★★☆

    マンネリを感じるのはしょうがない、けれど伊坂幸太郎なりの味を確かめるために、もう一度くらい読んでみたい。これぞ伊坂幸太郎だよなと思わせる作品。すごいよね。面白いよね。思いついたことをいろいろ書こうと思う。起承転結などはなし、思いついた順に綴っていこうと思う。

    ジャバウォックというのは不思議の国のアリスに出てくるモンスターで、頭が混乱して何が何だか分からない状態に陥るそうだ。読んでないからわからないけど。

    相変わらずオシャレだなー、と思う。引用する哲学や歴史上の出来事、音楽など、引き合いに出す内容の豊富さに脱帽する。そういう点での知識欲求も満たしてくれるからすごい。
    過去と他人は変えられないというのは私の中での金言になってもいるから、その言葉をここまでフィーチャーしてくれるのは嬉しかった。やっぱそうだよねという気分になった。若干ネタバレになるけれど、その言葉が最後まで引っかかっているような気がして、そしてその言葉が結末の一つを表しているようにも感じた。

    小気味良い会話とかね。歳取ってるのに若々しい女性を描くの好きだよね。モダンタイムスに出てくるオバちゃんのことを思い出したよ。キャラが被るよ。

    先の読めない展開を綺麗に描くのすごいよなぁ。
    張り巡らせた伏線もきちんと回収するし。あの時のあの人がまさか、みたいなのが何度もあった。残り30ページまで、結末が読めない。多分、彼のことだからいい感じに、正義は勝つみたいなエンタメで終わらせるんだろうなと思いつつも、フーガはユーガの時のように双子の片割れがあんなことになってしまって(あの時は悲しかった!)、という結末を描いたこともあるから、もしかしたら今回も?!と半ばドキドキしながら読んだ。
    そして大円団(と言って良いのだろうか)を迎え、いろんなことがネタバレされ、読者の私は安堵したな、みたいな印象を持った。
    だけど正義ってなんなんだろうな、ここ最近の彼の作品には「いろんな面」での正義が描かれることが多いから、彼には彼なりの正義があった訳だし、ただ、それを他人にまで強制するかどうかとか、その辺りの線引きが必要なんだろうな。生きていく上でね。

    人は変われるのだろうかね。
    私の脳が、どこかの研究室のビーカーみたいなやつに電極で繋がれていたとしたら。何度も同じようなことを考えたことがあった。一時、その考えに固執したこともあった、けど、それを考えることの自分は自分自身だというデカルトの説に則って、それを信じることにした。
    思い出を何度も取り出してそれを愛でるのはもしかすると、その時代から飛んできたから記憶が鮮明なのでは、なんてことも考えたことがあったな。ついさっきまでその、思い出した時代に生きていた自分がいて、そこから一瞬で抜け出してきたとかね。証明する術がないから、ただの想像で終わってしまうんだけど。

    星4つにした理由。これは数多の作品を読んでしまったからということもあるのだと思う。私は彼の目新しい部分を少し期待していたけれど、いつもの伊坂幸太郎作品だよね、という点でまとまってしまったという点が、満点を取らなかったということ。あと、若干のファンタジー要素。苦手でして。
    これが最初の伊坂幸太郎です!ここから読みます!という人にとっては、入りやすい作品だと思う。彼らしさが出てるから、これを機に伊坂幸太郎が好きになりましたって人は、違う作品を読んでみることをおすすめする。長編が好きならぜひモダンタイムスへ。ハラハラドキドキしたいのならゴールデンスランバーも良いと思う。同じくらいのボリュームなら前述したフーガはユーガなどかな。

  • 今日がいつもと同じ1日だったとしても

    今日がいつもと同じ1日だったとしても

    さっき風呂に入ってて、ぼんやりと、「今日も何もない、ただの平凡な日だったな」、と思った。それでもまぁ判を押したような生活よりは少しはみ出すような出来事はあったけれども、メガネを外してぼんやりと今日の出来事を俯瞰してみると、まぁ、判を押してるよな、と。

    今日を一日、平凡に過ごしただけの私、これは失敗なのだろうか。
    悲観的に物事を考えていた頃の私だったら、「今日は何も生み出さなかった」と考え、少しの間落ち込むかもしれない。八年くらい前はこんな感じに思考プロセスだったよなきっと。今思い出すと、結構な頻度で毎日のように凹んでいたように思う。
    だけど今は違う。
    今の私は、ちょっと待てよ、というスタンスを取ることができるようになった。成長を感じる。
    そんな私は、風呂を出て、カミソリ負けをして血が滲んでいた顎にクリームを塗りながら、思考の続きを試みた。

    そもそも、人生の大半って今日みたいな、判を押したような生活なんだよな。
    それをドラマチックな日ではなかったからと言って、卑下することはないだろう。
    毎日、キラキラしている人生なんて、ゾッとする。
    キラキラだとか、平凡だとか、そんなのどっちだって良いこと。そもそも、人生に成功か失敗かなんて、ないんだから。

    では、今日はいい1日だったな、って思うのはどういうことなんだろう。少し考えてみる。そこで思いついたのは、身体的、精神的な部分が、昨日と比べて、弱まったりしていないこと、だった。
    つまり今日始まりの時点と、今、寝る前の時点で、自分というもののサイズが小さくならず、いつもの形で今日を終えることなのではないだろうかね。
    それって実は難しくて、ちょっとしたこと凹んだり、つまづいたり転んだりして膝を怪我したり、今日起きた時と比べてマイナスになることが多い。それも、死ぬこと以外はかすり傷という言葉に従えば、決してマイナスということではないんだろうな。

  • 誰もいない路上で、たまたま落ちていた500円を拾ったからと言って、それは窃盗と言えるのだろうか

    誰もいない路上で、たまたま落ちていた500円を拾ったからと言って、それは窃盗と言えるのだろうか

    哲学的な問題のやつで、人間が誰もいない森の中で、木が倒れた時、誰もその音を聞いていないのだから、木が倒れたとは言えないみたいな話。
    変な話だなー、と思った。私は理系人間でもあるので、まず、木が倒れたという物理現象があるのならば、音を誰も聞いていないからと言って、倒れていないとは言えないだろうと思った。
    だって実際に木が倒れているんだから。
    今、私がこの文章を書いている最中、きっとどこかの森でも木は倒れているのだろう。人間に音を聞かれず。ちょっと想像してみる。

    木はある時にたくさん降った雨のせいで、根腐れを起こしてしまった。それにより十分な栄養を渡らせることができず、ゆっくりと死を迎えたのだ。
    若木の頃は、自分が置かれた環境が許せなくて、花を咲かせて違う場所で育つことを願ったりもしたものだ。だが鳥や風によって違う場所へともたらされた自分の分身たちが、自分と同じ意識を持つという誤解のせいで、私はとんだ失敗をしてしまった。私は自分の意識が、私の分身たちと共有できるものだと勘違いしていた。だから、頑張って花を咲かせ、花粉を遠くへ飛ばせるようにしたのに。
    その失敗をきちんと理解してからは、「別の場所で育ちたい」という無謀な願いを捨て、この場所で生きていくと心に誓ったんだ。そして何十年もの時を経て、私は、こんなに大きくなった。私は無限に大きくなっていくのかと思ったんだけど、これも誤解で、ある程度まで伸びたら、自分の重さで大きくなることができなかった。それでも良いんだ。私は私としてここに、木として生きているのだから。
    このまま何年も生き続けるのだろう、そう思った秋の頃、雨が降り、足元の土が乱れてしまった。私は彼らと根を通して会話をしていたから、ーそれは日常の楽しみの一つだったんだけどー、ある日、急に土が意地悪になってね。何十年も彼と話していたのに、人間性が変わったかのように、驚くべき変化を遂げたんだ。
    そこからは早かった。意地悪によって根が腐り、そして十分な栄養が供給されなくなってしまった。やがて私は自分の重さを支えることができなくなって、ある日、突然、倒れたんだ。その時は隣の木を傷つけないように、木と木の間を狙って倒れることができたから、迷惑をかけることはなかった。
    倒れる時、バサーッ、と大きな音がしたな。私の最期の声を、隣に立っていた木や、いつも木の実を食べにくる動物や、土など、みんなが私の声を聞いてくれたんだ。圧巻だったよ。そうして私はこれから微生物によって分解され、他の木の栄養分になるんだよね。いい人生だったと思う。

    軽く考えてみたけれど、木が倒れる音は、人間がいなくとも、周りにいる動物や木、土が聞いているはずだ。
    だから、人間が聞いていない=木が倒れていないというのは、論理が飛躍している気がする。

    近い話なのかどうか分からないけれど、事実と解釈という話がある。
    木が倒れたという事実。
    それを観測した人が、「木が倒れた」と解釈する。
    この上なくシンプルな話だけれど実際は、木が倒れたのを見た、ということが必要で、つまり、見ていないと木が倒れたかどうか解釈できない、ということになるのだと。それはちょっと分かる。木が倒れたかどうか知ってる?と聞かれ、仮に私が木が倒れたのを見ていない、そして音も聞いていないということであれば、「いや、ちょっと分かんないっすね」と言うだろう。そういう解釈を持っていないから。
    あくまで自然な流れだけれど、これっておかしいことなのだろうか。

    ちょっと視点を変えてみる。

    ある日路上で、例えば23時、最寄り駅から自宅までの道。そこに500円が落ちていたとしよう。昨今、500円が落ちているなんてことは滅多になく、私は何十年も見ていない。だから500円が落ちていたとしたら、まず驚くだろう。そして、周りを見渡すだろう。それは、周りに人がいたら、500円をネコババするのは窃盗罪にあたるからだ。だけど誰もいない場合、私は500円を拾い、自分の財布に入れてしまうかもしれない。仮定だけど。実際にはそうするか分からないけど。
    間違いないのは、日本ではそれを「窃盗」にあたり、何らかの方法で500円を財布に入れている映像があり、それを警察が観測できるところにいたら、間違いなく捕まるんだけど、そういうのがなーんにもない場所で、500円を財布に入れたとして、いったい誰がそれを咎めるのだろう。

    いや、なんか違うこと言ってる気がしてきた。

  • 入れ替わりながら、生きている

    入れ替わりながら、生きている

    生きるって、どういうことだろう。
    生きる、って言っちゃうとどうも重たく感じてしまう気がする。
    なので、生きてるな、って思った瞬間のことを書こうかなと思う。
    未来の自分はそういうことを考えていた過去の自分を思い返し、改めてどんなふうに考えるのだろう。

    今日も一昨日に引き続き、10km走ろうと思っていたものの、気持ちが前に向かず走ることができなかった。
    言い訳を考えたらキリがない。寒いとか、家でのんびりしたいとか、今日は祝日で昼間は暖かかったはずなのにそれをスルーし、あっという間に夕方。
    近所のスーパーまで買い物に出かけたら完全にやる気がなくなってしまった。
    帰宅してお酒。
    けれど今日は焼酎のお湯割り1杯で終わりにした。走らなかったことからくる罪悪感を抱いたためだろう。
    その後、すべてのやる気がなくなり、決断するのがめんどくさい状態に陥った。
    仕方なくその場をやり過ごそうとする。タバコ。外は寒い。
    羽田空港から飛び立つ飛行機を4つくらい見送っているうちにタバコ終了。
    管制塔にいる人ってすごいよな、と考えた。

    数日前にも書いたけれど、人生って毎日がポジティブ、すべてのことに自信を持ってやり遂げることができます!というシーンは少ない。
    歳を取ると尚更、というのが最近抱いていること。
    こんな感じで、走ろう!と思ったのに走れなかった自分を認めないと、気分がより一層滅入ってくるのは知ってる。
    そういうのも引っくるめて自分を愛する必要があるんでしょ、と不貞腐れた気分でそれを受け止める。

    いつ、どんな時でも自分を肯定しないといけないんだろうか。
    自分を否定することは本当に悪いことなんだろうか。
    叱咤するというスタンスなのであれば、例えば今の自分に対しては、「明日走る!」というモチベーションにつなげることができるかもしれない。
    だけど明日は仕事が忙しそうで、帰宅時間が遅くなりそうだから厳しいよな、と諦める自分もいる。

    いったい、どの自分が本当の自分なんだろうと思う。
    自分の中に、100人くらいの人格がいるような気がする。
    それぞれの役割、例えば父親、夫、社会人、のようにいろんな帽子を被った自分がいるけれど、根本的には自分は一人なはず。
    走ろうと思ったけれど走れなかった自分、控えようぜと思ってるのにお酒を飲んでしまう自分、タバコを吸ってしまう自分、どの自分を信じ、背中を押せばいいんだろう。

    そんなことを考え、思いの丈をChatGPTにぶつけてみたら、バラの花びらを包んでくれるように優しく、自分を救ってくれた。
    ニーチェは、人間を一つの意志を持った存在としては見ていなかったらしい。
    いくつもの衝動がせめぎ合い、その時いちばん強かったものが前に出るだけだ、と。

    そう考えると、今日は「走らなかった私」が勝っただけで、「走りたい私」が消えたわけではない。
    明日、あるいはまた別の日に、そっちが前に出てくるかもしれない。

    生きるって、たぶんそういう入れ替わりの連続なんだろう。明日からまた仕事だ。

  • ランニング 10km

    ランニング 10km

    本日も10km走りました。
    天気は晴れと曇りの間くらい。気温は20度くらいあったかなぁ、結構汗をかきました。
    こういう天気のときってスピードを出すとバテてしまうので、いつも以上にゆっくり走りました。

    走ってる時に考えたこと

    先日のブログで、走っている時に何を考えているのかという問いを立てた手前、今日はそれを忘れないように、浮かんできたことを受け止めながら走りました。
    つっても大したことは思い浮かばず、結局はいつもと同じで、どんなルートを走れば10kmまで到達するかとか、息が苦しくなってきたからあそこのベンチで休もうかとか、そんなことしか思いが至りませんでした。
    別に何を考えようが私の勝手です。これで十分だとも思います。

    ペースのこと

    今日もキロ6分10秒くらいのペース。ランニング歴は12年くらいということもあり、一定のペースで走ることはできるけれど、最近は息が上がらないようなゆったりとしたペースで走るのが良いなと感じるようになってきました。多分太ったからだと思います。
    標準体重だった頃はキロ5分15秒とかで走れていて、あの頃は調子良かったなぁと思います。なのでその頃のペースに戻すため、体重を落とすことは必須で、10kgを落とすことが当面の目標です。負けてられない。
    LSDという走り方がありますが、このペースがちょうど良いということかもしれないなぁ。ゆったり、心拍数130くらいで走る感じのやつ。それで10kmから15kmくらい走れたらちょうど良いのかなぁ。

  • # 日記らしい日記

    # 日記らしい日記

    土日と連続して雨っぽい、湿った空気の下で過ごし、月曜になってようやく晴れた。

    こんな日は花粉がビュンビュン飛びまくるから必要最低限の外出しか出来ず、つまりそれは家で地味に過ごすだけしかないのだけれど、家では読書か、ゼルダか、家事くらいのもので、なんとも鬱憤が溜まる感じですなぁ、という状況。

    会社でリストラにあい、10年、業務委託として入り込んだ時期を含めると13年、良く働いた会社とのあっけない幕切れが訪れた。

    正直、心の整理はついたのかと言われるとなんとも言えず、そもそも心を整理するってどういうことなんだろうというのを考えつつも、積読してる本たちや、5月に申し込んだTOEICの過去問集や、書きかけの小説や、やりかけのゼルダや、ちょっと緑色になってきた水槽を目の当たりにすると、クヨクヨしてもいられず、それらを全部やり遂げるために時間を使うのが先決なのだろうと思う。

    ## 時間は有限、だけど無限

    次の仕事先を探してはいるけれど、まぁまぁ働き口が見つかりそうな今、慌てて仕事を探す必要もなく。

    まずは自分を高めるための学習とか、身の回りの整理とか、そういうことに注力していこうぜ、と思うんだけど、思い立ったが吉日、とは言えなかなか思い立たない、腰が上がらないのも事実で、私はカレンダーとかにある程度おおまかな予定を立てながら生きていくのが好きなんだな、ということに気づいた。

    8時起床、午前読書2時間、ゼルダ1時間、午後小説書き2時間、とか、そんなざっくりした感じでいいんだけど。

    そうでもしないと時間はどんどん流れていって、私の手元に何も残らなくなってしまう。そういう、一見無駄とも言える過ごし方も、まぁありっちゃありなんでしょうけど。

    心身を休めるという目的に適うのはそんな過ごし方で、休日は休日然とすべきだし、無理やり予定を入れてあっという間に過ごしてしまうのも、考えようかなぁ。価値観の違いでしょうけども。

    時間は有限と書いたのはそういうこと。使い方は無限の選択肢。何に使おうと私の自由なんだから。家族に相談とか、最低限話を通す必要のある人はいるけど、とは言え、この機会にやっつけちゃいたいものはばーっとやっつけてしまいたい。

    一応、5月末とか6月末くらいまでお休みして、充電しようと思っているんだけど、そこから逆算して、やりたいことをきちんと考えないといけないなと思っていて。

    例えば6月末までお休みということであれば、ちょっと計算すると、今日を含めて105日ということに。

    えっ、あと100日しかないの?!と思っちゃったりします。

    105日の間に、私は何を成し遂げるべきだろうか。

    このあたりはマスト

    • 小説を3つ書き上げる
    • 読書を欠かさない
    • TOEICの勉強を続ける(試験は5月18日)

    できたらいいなリスト

    • スコットランドへの旅
    • 小説をさらに2つ仕上げる

    これを具体的なチャートに落としていくとすると、とか考えてるうちに休みが終わってしまいそうな気がする。だめだ。動こう。