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2023年

4月12日 後悔について

後悔のない人生を歩もうというのは、いったいどういうことなのか。 生きている限り、「あぁすれば良かった」みたいなことは容易に起こり得る。その時に、自分が選んだ道を「間違ってしまった」と考えることこそが後悔で、それは自分を否定し、自分の敵となってしまう。 だけど、その道を選んだ時の自分はきっと、その道が正しかったと思っていたはずで、自ら悪い方向へと導くことは生存本能を鑑みるとしないはず。だとしたら、自 […]

4月11日

司馬遼太郎の関ヶ原を読み直している。どうする家康で、大河ドラマがやっているから。いつ買ったんだっけなぁ、買った当初は石田三成を推していた頃だったので、家康が悪者に見えてしょうがなかった。ところがそれかr幾年か経ったのちとなる今、それを読み返していると、石田三成の気の効かなさに切なくなってきてしまう。 子供を想う、親の気持ちとも言えるほどの。じれったい、ってやつかもしれないなぁ。まぁ、司馬遼太郎のエ […]

4月8日

相変わらず風が強い。春ってこんなに風の強い日が続くんだっけ、と曇り空を眺めながら思った。今にも降り出しそうな空だ。雨は洋服が濡れるから嫌いだ。 ついさっき立ち寄った定食屋に、読みかけの文庫本を忘れたことに気づいたのは、店を出てから数時間経った後のことだった。ぶらぶらとウインドウショッピングをしていたが足の向きを変え、定食屋へと向かった。店は準備中という看板が掲げられていた。腕時計を見ると15時40 […]

4月7日

たまーに、哲学的なことを考えてみたくなってしまう。 自分の意識について。今、私が見ているものは、目から脳に入り、それを意識することで、あ、今、私、ブログを書いてるな、と認識できる。つまり脳がそれを意識しなければ、私は何も見ていないということになる。私の目に入ってくるものでも、今私はディスプレイを凝視しながらブログを書いているけれど、それ以外、視界の端っこに見える本棚は、私はそれに気づいているけれど […]

4月6日 長嶋有と私

長嶋有の作品は、いつもすかっとする。物語のすかっと性ではなく、歯切れの良い文章を読んだ時に感じる、爽快感。必要な言葉が最小限使われていて、物語も短編ということでさらっと読めるし、大好きだ。こんな風に文章が書けたら良いなー、と読むたびに思う。 思うだけではダメで、余計な言葉をなるべく使わないように、日々、魂を綴っている。魂を綴る、なんて大それた名前にしてるけど、あまり出し控えせずに心の赴くままに書い […]

4月5日

辛い時には、涙を流したって良いんだよ。彼だと思っていた人が、私からのメッセージに既読をつけたくせに何も返してこなくなって、そこから2日が経った時、優しかった同僚がそう声をかけてくれた。私は別に、泣くために恋をしているんじゃないんだから。そう心の中で強がると、同僚は少し困った顔をした。 もしかして、彼ではなかったのかもしれない。恋人という定義は人それぞれだから、私にとっては恋人だったけれども、彼にと […]

4月4日

この声が、誰かに届いているのだろうか。暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。 社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私が […]

4月3日 希望の葉

少しずつ木々に緑色が増えていくように、人間にも希望の葉が増えていくような時期がある。最初は自分でも気がつかないんだ。それはとても小さな葉っぱだから。だけどそんな状態から、忘れずに水をやって注意深く観察していると、だんだんと葉っぱが大きくなっていくのが分かる。そんなふうに、希望の葉が、大きくなっていくような時期。四季で言うと春のような時期なんだけど、それが人間の春なんだと思う。 猫は窓から見える木々 […]

4月2日

地獄なんてあるもんか。死んだらそこで人生は終わりで、そのあとの意識なんて何にも残らなくなっちゃうんだから。だって、意識って脳の中で起きる電気信号なんでしょ。 だけどちょっとだけどちょっとだけどちょっと怖いな。 それじゃあ、鬼って誰が作ったの?鬼はもう死んでる人なの?鬼はなんで、あんなに怖いの? 少年は問い続けた。誰も答えのできないような問いを、少年は思い続ける。 きっと死ぬ瞬間は、霧が晴れてパッと […]