4月4日

この声が、誰かに届いているのだろうか。
暗闇の中で、いくら声を張り詰めて大声を出したところで、その先に誰もいなければ結局、私が声を出したことを証明することすらできないのだ。
誰もいない森の中で、木が倒れたことを誰も気づかないように。

社会生活を、微力ながら営んでいると、他人がいてこその自分があるという存在証明にぶち当たる。
私がいくら有益なツイートをしても、それを読む人がいなければ、誰も気づかない。私がそこにいるという存在証明を、表現することができない。

結局人生は自己満足の連続だから、私が何を考え、どこで大声をはって発信したとしても、それで話が終わる。
私が大声を出すという行動で、全てが終わる。

独りよがりかもしれない。独りよがりに違いない。
けれど、そこにいたということは、私自身がわかっていれば良いのだから。