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自己実現

雄弁に語るよりも、傾聴を大切にしたい

このブログは、前置きを必要とする。それくらい怖い。これを表明することに自信がない。賛否両論あるだろう。そもそも賛と否だけで表すことはできない。それこそグラデーションのように、各種様々な意見があるのだろうと推測する。 発端は、自分が成長するためには、どういうインプットと、どういうアウトプットを組み合わせていけば良いのかという自問だった。吸収するだけでは、人は成長しない。暗記しようと英単語帳ばかり見て […]

可能性の話

不惑というのは40歳のことを指す。これは自分の可能性についてどのように捉えるかという点において、そういう年なのかな、とふと考えた。 自分の将来について、可能性は無限大で、極端なことを言うと死ぬ直前まで自分の将来というものの可能性は無限大に広がっていると考えることもできるのだろう。私は自分が今持っているリソース、例えば身体能力、思考力、財産、家族、といったものの枠を超えて広げて考えるほどの突飛な可能 […]

誰に対しての責任か

責任の重たさに対する感性は一人ひとり違う。自分が考える責任は、他人のそれと一緒だと考えてしまいがちになるが、それは大きな失敗を産む。 そもそも責任とは。役割などと近いイメージを持っている。何かをやり遂げるという、遂げる、のところに責任が生まれる。その、やり遂げるところの強度をどう捉えるか、その感覚に個人差が生まれる。 普通に生きていく中では、個人的なところではあまり責任というものはないように思う。 […]

夢とか持つべきではないのかもしれない

理想の自分と比較するといつも、自分の至らないところが目に見えてきて、本当にイヤになる。この、思考の繰り返しについても、本当に嫌気が差す。 なんでこうなったのか。 つまるところ、めんどくさがることに起因しているのではないだろうか。めんどくさがることと、関連して、物事を先延ばししてしまうこと。 理想の自分は万能型。なんでもできるタイプをイメージしている。現実の自分はというと、いろんなところに中途半端で […]

誰にも読まれたくない

楽しいとか嬉しい、悲しいと感じていることは、もしかしたら誰かと同じ思いを抱いているかもしれないけど、100%同じ思いを共有するのは難しい。だから、「誰かと繋がっている」という思いは嘘だ。悲しいけど。それを、悲しいと思うことすら、独りよがりなのだけど。そして、「誰かと繋がりたい」という思いすらも、結局独りよがり。自分だけが良ければいいというワガママのもと、生き物は、誰かに迷惑をかけてる。誰かを利用し […]

自分探しという活動の意味が分からない

20歳の頃、自分探しと銘打って、ニュージーランドに住んでたことがありました。半年くらい。半年とは言え、その大半は「早く日本に帰りたい」と思ってばかりで、あまり楽しんでなかったです。 その理由は、シャイで、あまり自分からガツガツ行くタイプではないので、純粋に楽しくなかったから。そんな人が自分探しで行ったとしても、結局シャイな自分を再確認して終わり。積極的とは言えない自分の性格、なのに、自ら海外に行こ […]