誰に対しての責任か

責任の重たさに対する感性は一人ひとり違う。自分が考える責任は、他人のそれと一緒だと考えてしまいがちになるが、それは大きな失敗を産む。

そもそも責任とは。役割などと近いイメージを持っている。何かをやり遂げるという、遂げる、のところに責任が生まれる。その、やり遂げるところの強度をどう捉えるか、その感覚に個人差が生まれる。

普通に生きていく中では、個人的なところではあまり責任というものはないように思う。いろいろなことが思い浮かぶものの、玉ねぎの皮のようにどんどん削ぎ落としていくと最後に残るのは、生を全うする、くらいなものであろうか。

一般的な社会で生きる人間には、他人に対しての責任というものが生まれる。しかも複数のレイヤーで生まれてくる。私の場合は父親として、会社の人間として、地域のコミュニティとして。おそらく、社会と呼ばれる世界が生まれるところのそれぞれに、責任も同時に生まれてくるようだ。

個人的には、そのそれぞれで担うべき責任はもちろん重要だが、もっとも大切なのは生を全うするという、自分自身に対する責任だと感じる。社会の責任は、自分の生に対してプラスになるものだけではなく、時間を浪費する、ストレスを溜めるなどマイナスな面も生まれる。そしてなにより、そちらにばかり気を取られていると、自分の生に納得できないような気がしてしまう。

自分の生を全うする、とは。