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哲学

4月2日

セネカの、人生の短さについて述べられた本を借りた。こうやって大昔の人が考えていたことが、今になっても読めるという点で、やっぱ本の存在は偉大だよなぁと思う。 さて。人生は短いと、セネカは言った。 本当に短いのだろうか。私からしてみたら、長くて長くてほんと辛いのに。 ここには目的思考という、考え方があるのかもしれない。 私は、もしかすると、惰性で生きているから、今、ここでやり遂げたいこととかそういうレ […]

足るを知れ

仕事してたら唐突に思いついたのでメモ 今置かれている環境で、足りているところに目を向けるないものねだりじゃいつまで経っても満足しない

生まれてこなければ良かったのさ

悲劇の誕生で、生きる目的などないと語ったニーチェは、その救済として芸術を取り上げた。芸術によって苦しみを忘却するのだと。 たしかに音楽とかはその傾向が顕著で、私も音楽に助けられたことは数知れず。私から音楽を取ったとしたら、40%くらい体重が減る気がする。

生きてる意味が良く分からないまま、生きている

誰かに認められるために生きているわけではないのだ。そういう意味では、自分に認めてもらいたいという気持ちはあるのかもしれないけれど。自分以外、家族を含めた他人から認めてもらうことは、生きることにおいて全く必要ではない。 認めてもらうって。だいたいその言い方。自分が下にいるということではないか。 抗え。そんな気持ちに抗うことで、自分は誰にも認めてもらう必要がなく、等身大で生きることができる。自分の力を […]

辛い過去との付き合い方

過去とは程よく付き合って行く必要がある。 人間は良い思い出や嫌な思い出、どっちもたくさんあるはずで過去の引き出しを定期的に見に行ってしまうから強く思い出すものとそうではないものの差が生まれてしまうのだけど 良い思い出が入っている引き出しだけと付き合っていければいいのだけど実際には嫌な思い出の方も定期的に見に行ってしまうことがあるので嫌な思い出には、どうしたっていつまでも付き合っていくようになってし […]

自我について

私は、両親が出会い結婚していなければ生まれてこなかったはず。もし両親が出会っていなければ、もしくは出会っていても結婚していなければ、更に言うと子作りをしていなければ、私はこの世に生まれてこなかった、はず。 私は、自我というものは産まれてから作られると思っている。今、外から雨音が聞こえていて、それが心地良い音と受け取る感覚も、それは両親が出会ったおかげ、結婚したおかげ、子作りしたおかげ、ではなく、産 […]

昔から変わってない

学級委員に選ばれるような人間だった自分、なぜそんな風に見られていたのかと考えてみたのだけれど多分、落ち着いて見えるからなのだと思う。 落ち着いているのではない。自分の中でたくさんの葛藤が生まれていたし、みんなと同じように喜怒哀楽、様々な感情を抱いていた。 条件反射的に動くことがあまり得意ではなかった当時、それができるような人間、例えば体育がめっちゃ得意な人、給食をめっちゃ早く食べられる人、彼らを羨 […]

自分の知らない自分のことを、自分は知るべきだろうか

私は、私のことをなんでも知っていると思う。そりゃ、もう42年も一緒に暮らしているのだから、私に関するほとんどのことは知っているはずだ。例えば、自分がどんなことに喜びや悲しみを感じるか。どんな事実に反応するか。もしくは興味がないか。それらを記録して統計として残しておくことで、たぶん、「私ってこんな人です」という自己紹介の文章が出来るだろう。 だけど、本当の自分は、それだけではない。他人が私のことをど […]

「幸せ、どっかに落ちてないかなぁ」って思う人は、自分が考える幸せがどんなものか、一度真剣に立ち向かうと良いと思うのよね

お金が沢山あるほうが、幸せなのだろうか 私が考える幸せは、「自由」だと思う。ただし自由を手に入れるには頭を使わなければいけない。 自由とは、なんでもかんでも自分の好きなことをやってもいい、と思えるかもしれないが、そうではない。例えば日本であれば、日本という国の法律に則り、法を犯さない程度で、自由気ままに生きることであろう。そのためには、日本の法律を学ばなければいけない。って書くと法学の知識が、、と […]