なんの役にも立っていない
なるべく客観的に、今自分の置かれている環境を見渡してみて、それに対して今の自分が、その環境に対して何か役に立つようなことを担っているのだろうかと考えた時に、その答えが、何一つとして浮かんでこなかった。 つまりそれは自分が今、この地球という環境に対してなんの役にも立っていないということを意味する。むしろ空気を吸い何かを食べ、つまり地球のリソースを無駄に消費するだけの生き物ということになるのであろう。 […]
なるべく客観的に、今自分の置かれている環境を見渡してみて、それに対して今の自分が、その環境に対して何か役に立つようなことを担っているのだろうかと考えた時に、その答えが、何一つとして浮かんでこなかった。 つまりそれは自分が今、この地球という環境に対してなんの役にも立っていないということを意味する。むしろ空気を吸い何かを食べ、つまり地球のリソースを無駄に消費するだけの生き物ということになるのであろう。 […]
日々、何かをインプットし、このように文章を排出している。この文章自体も、新たなインプットとして受け止め、それを基にしてさらに新たな文章を排出したりも、する。 だが、私がここで紡いでいる文章は、インプットがなかったら出来上がらなかったのだ。つまり、インプットしたもののコピーということになる。インプットしたものをいくつか組み合わせて排出したりもするから、それは見方によっては自分のオリジナルかもしれない […]
表に出て、ばーんと活躍する生き方は好きではない。裏で、そういう人をサポートする方が好きだ。 だけど、そうも言ってられない。年齢を重ねてくると、自然とそういうシーンに出くわすこともある。なんとなく、人当たりの良いところを上司に買われ、他方との調整役を命じられることもある。最初のうちは、気が張っているということもあり、緊張しながらやり取りをしていく。そのうちに他方と仲良くなっていき、緊張の糸がほどけ、 […]
自分は自由だ。 自由ってなんだ。 自由、っていう文字を何度も繰り返し、その文字自体を凝視していたら、じゆうって読めなくなってきた。 森博嗣によると、自由は、自分が計画した通り、予定した通りに生きること、だそうだ。 こんなにシンプルに、自由の意味を定義できるなんて!と、私は彼の才能に嫉妬した。 自由について少し考えたい。 生活な自由と聞いて連想するものは、たしかに、自分が思い通りに生きていることにつ […]
なぜだろう、すっと腹落ちしていかないのは。 なんとなくむず痒い思いをしているのは。 素直に受け止めると、まぁそうだろうな、その劣等感を払拭するために自分が成長していくんでしょ、となる。だけど、全ての人がそうかというと、そうではないと思う。 その劣等感に負けてしまう人、もしくはその劣等感と仲良くなってしまう人がいるからだ。自分が抱くもやもやとした思いが、文章になっているか怪しい、けどその辺りの人たち […]
私はいくつかの時代で、このようにブログを始めてはやめるを繰り返してきた。なんとなく気が変わって、急にやめることが多く、今回もそんな感じで突然やめるような気がしている。熱しにくく、冷めやすいと考えている。 書いていることはあまり変わりなく、いくつかのブログを移り変わっていても、ずっと承認欲求だとか、価値観について考えてばかりだった。たぶん、その方面を考えるのが好きなのだろう。何が好きなのかというと、 […]
ここ数日は、自分が過去とどう向き合っていくべきかという点について考えることが多い。 最近、早朝に見る夢の印象が強く残る。季節が春へと移り変わっていくせいだろうか。 春は出会いや別れという点で、様々な思い出がよみがえってくる。良い思い出もあれば、悪い思い出もある。 良いとか悪いという、その受け取り方については、多分、時の移り変わりとともに変わってくることだってあるだろう。だから、今は良い思い出だとし […]
考えすぎは良くない。だいたいのことにおいて考えすぎると、悪い方向へ行きがちである。特に、生きることの目的や、死ぬことへの不安、他人とのこと、この辺りを考えると良くない。昨日のブログでも取り上げたが、過去も良くないだろう。 人間だもの、それらについて何か感じ、そこから何か考えていくことは自然なことなのだと思う。ただそこで、あまり考えすぎないようにするべきで、もっと言うとそれらから何も感じないことが大 […]
手の届く範囲には、全力を尽くす。これはいろいろな哲学の考え方で、基礎となるものだと思う。哲学に正解は無いと思うので、少し濁したけど。 手の届く範囲は、自分の意思でどうにかなる物事。自分の意思、それ自身や、自分が今持つ体力、気力、財力を使って手に入れられる物事。 手の届かない範囲は、自分の意思ではどうにもならない物事。シンプルに言うと、過去と、他人の感情。 私はこのブログで理想論ばかり語っていて、書 […]
義務教育では勉強という、あまり好きでないものに取り組むことで、集中力を養うことができるのかな、と考えたことがあった。好きなものではないものでも、とりあえず5分くらい取り組んでみると自然とやる気が出てくるというか、始まるまでの嫌な気分、めんどくさい気分が払拭されると思っていて、それを学ぶための場所なのかな、と。 けれどその仮説は、全く違うように思う。今は。そもそも勉強=あまり好きでないものという前提 […]