タグ: 思い出

  • 9月26日 悪い思い出のこと

    9月26日 悪い思い出のこと

    自分の言葉で今日を振り返るのは、とても良い効果が得られると思う。
    まず、自分の記憶力を向上させることができる。
    今日、何があったかなー、どんなことしたっけか、と振り返ることで、自分の記憶の引き出しにしまわれたそれを取り出すことになるから。

    記憶は、人間にとって有用なものだろう。
    悪い記憶は時として、自分を攻撃することになるのだけれど、そこから何かを学ぶことは自分を成長させる大きな力となるだろう。
    そう考えると、悪い記憶、悪い思い出も一概に悪者だとは言えないような気がする。

    私は今までどのくらい、悪い思い出を積んできたのだろうか。
    なんかこういう系の日記を最近書いた気がする。
    過去と和解するための哲学と言う本を読んだことがあるんだけど、
    それって過去を赦すことにつながるのではないだろうか。

  • 6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    6月11日 楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら

    今日は夜ラン。聖地、日立台のスタジアムを折り返し地点とした11km。
    すこーしだけ霧雨が降っていて、それが逆に心地よかった。

    今日は何か考えごとをしながら走ったかな、と思っても、特に思い当たるものはなし。
    深く考えずに、自分の走るペースと、心肺機能が限界を迎えないようにすることをずーっと考えていたような気がする。
    耳には2020年の私のプレイリスト。当時は長男がある日本のバンドにハマっていて、その曲がたくさん流れるようなプレイリストに仕上がっていた。
    あれから3年。そうか、2020年といえばやはりコロナウイルス最盛期だった頃じゃないか。
    私はずっと在宅勤務になり、生活がガラッと変わった。
    私なりに考えてみて、大きな変化は、通勤がなくなったことで本を読む時間がガクンと減った。当時はよく、朝と夕方にモラトリアムみたいな時間を設け、その時間にウォーキングをしたり、読書したりすると良いみたいな記事がたくさん目についた。
    私はそんなふうに時間を使うことはなく、仕事を長めにしたり、早く仕事が終わった時にはお酒を飲む時間にしたり、あまり特定の物事に決めることなく時間を使っていたように思う。
    いや、というか、2020年は私史上、一番やばいプロジェクトのQAをやっていたんだった。当時は21時からミーティングがあったり、朝も8時くらいから仕事したりなど、通勤時間がなくてよかった、なぜなら仕事ができるからみたいなマインドで生きていたのを思い出した。
    レイソルはどんな年だったっけか。J1に戻ってきた年だったよな。ミカがいたり、江坂がいたり、クリスがいたりした年だったか。何度かスタジアムに足を運んだような気がするけれど、ごめん、あんま覚えていないな。

    2020年なんて、つい最近のことなように思う。
    けれどそれから3年、きちんと地に足をつけて、生きてきたんだよなぁ。
    あの頃は楽しかった?と自問しても、あんま覚えてないんすよね、くらいしか返す言葉が見つからないんだけどね。
    過去、楽しかったかというと、その都度つらかったようなことがあったんだと思う、だけどそういうのって昇華してしまう気がするんだよな。
    楽しい思い出だけ抱えて、生きていけたら良いのかもしれないけどね。

  • 王子に住んでた頃の話

    王子に住んでた頃の話

    桜の季節には、飛鳥山公園へよく散歩しに行った。
    王子には23歳から26歳くらいまで住んでいた。

    飛鳥山は桜の名所として有名で、この季節になるとたくさんの人が桜を見に訪れた。
    私もその1人だった。
    今の奥さんとはその頃から付き合っていたので、2人でぶらぶら散歩していたのがつい最近のように感じる。

    あれから20年近く経つのか。
    王子を離れた頃を最後に、王子には訪れていない。同様に、飛鳥山にも行っていない。きっと、あの頃とあまり変わらずにたくさんの桜が咲いているのだろう。

    王子にはお気に入りの居酒屋やラーメン屋がたくさんあった。20代中盤の欲求を満たすには十分だった。私はもともと田舎育ちだし、あまり派手派手しい生活を好まなかったから、街の雰囲気がちょうど良かった。
    都電荒川線という、路面電車もその雰囲気に相まり、落ち着いた雰囲気により一層の色を添えていて、とても居心地が良かった。

    こうして、改めてその頃を思い出して何かを書こうとしても、特筆するようなイベントがなかったような気がする。
    歩くのが好きだったから、王子を起点に赤羽、上野、町屋、駒込辺りの範囲をたくさん歩いた。その辺のエリア、全部好きだ。
    今、もし東京都内に住めと言われたら、迷うことなくその辺りを選ぶだろう。
    そう言われると、王子自体に思い出があると言うよりは、王子を起点にして歩いたその辺りに思い出があるのかも知れない。
    ゆうやけだんだんで見た野良猫。
    赤羽の居酒屋。
    駒込の大きな公園と商店街。
    それらは、自分を構成する要素の一つひとつで、記憶の引き出しの、割と暖かな思い出が残っているエリアに大切に収納されている。

  • 手帳にはむしろ、ふと気づいたことをたくさん書き入れておくべき。それが思い出帳になっていくから

    手帳にはむしろ、ふと気づいたことをたくさん書き入れておくべき。それが思い出帳になっていくから

    相変わらずバレットジャーナル的な手帳生活をしています。
    ToDoは平日、仕事のタスクに対して付けていることが大半なので、休日はあまり手帳に触れなくなりました。
    休日こそ、留めておくことが沢山あるように思うのですけどね。

    これとか。一生覚えておきたい瞬間でした。

    https://twitter.com/hmgrbean/status/1373107035835797508?s=20

    慌てて書き留める必要があるほどに、多くのことを忘れていってしまう

    とても愛らしい思いを忘れないうちにメモっておくのがとても難しいのです。
    ↑に載せたツイートは、私が運転している時に感じたことなのでそのタイミングで書き留めるのが難しく、家族には言いませんでしたが心の中で40回くらい思い出を反芻しました。
    そのおかげでなんとか忘れずに、数十分後にはツイートすることができました。

    ホント、忘れてしまうことが多くて困ります。
    忘れたくないと思えるようなことほど、すぐに忘れてしまうのに。

    人間はそもそも、どんどん忘れていく人間なのです。
    忘れていくというか、常に新しい考えがドバドバと湧いてくるから、古い記憶っていうのは上書きされていってしまうんですよね。
    バージョンがあって、例えば24時間前の自分に戻りたいと考えたとしても、そんなことは簡単にはできません。当然ですけど。
    だから、その瞬間に私が感じたことを、忘れないうちに、書き留めておく必要があるのではないかな、と思うんですよね。

    思い出を残すのって、ただの自己満足でしょ

    私がロマンチストなのかもしれません。
    現実に満足していない、という側面があるのかもしれません。
    実際にはだいたいのことに満足していて、ただ、過去の記憶をちょっとだけ取り出してそれを眺め、また戻すっていう思考が好きなだけなのだと思います。

    良い思い出はたくさん思い出すことで、忘れないように長期記憶のほうに書き込まれるものです。
    悪い思い出も、残念ながら何度も思い出してしまうので、忘れないんですよね。
    それらの、強弱の振れ幅が大きい思い出たちはきっと、私が意識していなくても忘れることがないはずなので、私はそれ以外の、本当に些末な思い出たちを手帳とかに書き留めて、忘れないようにしたいんだよなぁ。自己満足ですけどね。

  • 悪い思い出との付き合い方

    悪い思い出との付き合い方

    ここ数日は、自分が過去とどう向き合っていくべきかという点について考えることが多い。

    最近、早朝に見る夢の印象が強く残る。
    季節が春へと移り変わっていくせいだろうか。

    春は出会いや別れという点で、様々な思い出がよみがえってくる。
    良い思い出もあれば、悪い思い出もある。

    良いとか悪いという、その受け取り方については、多分、時の移り変わりとともに変わってくることだってあるだろう。
    だから、今は良い思い出だとして受け止めていても、将来はそれが悪い思い出に変わることだってあり得る。

    おそらく良いとか悪いとか、そういう評価をせずにフラットな目で思い出を保存しておくことができれば良いのだ
    だけど思い出は自分だけのもので、それには多くの場合評価が付いてくるから、そこを切り離すのは難しい。

    悪い思い出は、それを思い出すだけで不快な気分になってしまう。
    思い出さなければ良いのだが、不快な気分を期待値として無意識に持っているため、それをわざわざ思い出してしまう。
    人間の悪い仕様だと思う。
    悪い思い出は、思い出さなければ良いのだ。
    ふっと不意に浮かんでくることがあるので、その際は、10秒くらい経ったら忘れるように心がける。
    違うことを考えると、悪い思い出が自然と頭の中から消えていく。
    それを繰り返していくうちに、悪い思い出が頭の中に浮かんでこなくなる。
    これは、思考のトレーニングで、自分の悪い思考プロセスを断ち切るために必要だと、何かの本に書いてあったものである。
    私はこれを日々実践しているが、なかなか難しい。
    そのうちに、悪い思い出が良い思い出に変わってくれないものかと、春を待つようにぼんやりと、その日が来るのを待っている。

  • 深く考えずに生きることの潔さ

    深く考えずに生きることの潔さ

    考えすぎは良くない。
    だいたいのことにおいて考えすぎると、悪い方向へ行きがちである。
    特に、生きることの目的や、死ぬことへの不安、他人とのこと、この辺りを考えると良くない。
    昨日のブログでも取り上げたが、過去も良くないだろう。

    人間だもの、それらについて何か感じ、そこから何か考えていくことは自然なことなのだと思う。
    ただそこで、あまり考えすぎないようにするべきで、もっと言うとそれらから何も感じないことが大切だ。

    ただ、そのあたりから創作される物語は多い。
    多分、心の琴線に触れやすい敏感な箇所で、人々はそれを観ながら鑑賞に浸ったりするのが楽しいから、作品になりやすいのだろう。
    過去を想う作品。このテーマだけでも良いストーリーが描けそうな気がする。

    [商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

    反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」 [ 草薙龍瞬 ]
    価格:1430円(税込、送料無料) (2021/2/7時点)

    楽天で購入

  • 日々、あっという間に過ぎていくから

    日々、あっという間に過ぎていくから

    この3連休、何してたっけ?と3ヶ月後に思い出そうとしても、なかなか思い出せない。

    そもそも思い出す必要はないのかもしれない、けど、忘れたくないことまで忘れてしまうから、せめてもの思いということで手帳にちょっとしたことを書き記す。

    小さな思い出を大切に記すことは、丁寧に暮らすことの第一歩な気がする。
    紙とペン、あと少しの時間があればできるのだから。

    そうやって少しずつ習慣にしていくと、やがて手帳の存在が大きくなっていく。
    手帳には、自分が良かったと感じる思いが残るからだ。

    手帳を開けば、気分が明るくなる。

    たぶん、こういう使い方が一番良いのではないかと思う。

  • 覚えておきたい

    覚えておきたい

    お酒の量が多いから脳細胞がたくさん死んでいるのかもしれないのだけど、記憶力がどんどん弱くなっていくのを実感することが増えてきた。7-9桁くらいのパスワードとか、前まではソラで覚えられていたのだけど、数日経つと覚えられなくなった。携帯電話の電話番号とかね。それ系の記憶ってめっちゃ得意だったのだけど、今じゃ別人のような気持ち。

    パスワード的なものはメモっておけば良いのだけど、それと同じくらい、自分が感じ取ったことを覚えておきたいと思っていて。常々。そのためにほぼ日手帳を肌身離さず持っているけど、流石に運転中や散歩中など、書けないもんね。しかしそういうタイミングでいろいろなアイデアなどを思いつくという始末。世の中はうまくできている。

    思い立ったらすぐにツイート、みたいなのも一度トライしたことがあるのだけど、歩きスマホになってしまうし、良くないのよね。というかそもそもそんなに頻繁に残すべきものではないのかな、と思ったりもする。そっちのほうが正しい選択なのかもしれない。

    人は忘れていく生き物で、それがあるから生きていけるのだから、トレードオフとして良い思いも同じくらいに忘れていくのかもしれないなぁ。
    しょうがないよね。もしかしたら時折、思い出すかもしれないけどね。って、そんないい思い出ばかりじゃないかもしれないけど。

  • 思い出したくないことを、何度でも思い出してしまう

    思い出したくないことを、何度でも思い出してしまう

    人間って不思議なもので、忘れたいことって忘れられないから困る。
    子供の頃に抱いた嫌な思いを、40を過ぎてからも余裕で思い出せるのとか、むしろなにかの才能なのではないかと思ったりもする。

    きっとそれは定期的に思い出しているからで、時々嫌な思いを思い出し、嫌だったな、という思いを改めて抱き、また引き出しへとしまう行為を繰り返しているからなのかな、と。

    そしてそれを繰り返しているのは、多分、嫌な思いを期待してしまうからなのかな、と。
    期待する結果が得られると、人間はその行為を繰り返してしまうという、あれです。

    どうしたらいいんでしょうねそういうの。
    忘れたいのにさ。

    うーん。

    考え方を変える必要があるのだろうな

    そもそもその、嫌な思いを抱くことが期待結果なのであれば、それは私にとって期待結果じゃないんすよねもう、という気持ちを抱くようにすれば良いのかな。

    嫌な思いを抱いたあとに、もうこれは私の期待結果じゃありません、だからもうこれを思いだすのはやめる。この思い出がしまってある引き出し、もう鍵をかけて開かないようにする、みたいに考え方を変えることで、地味な試みですけど、やがてそれが大きな成果を生むようになってくるのだと信じる。

    あとは、楽しい記憶をどんどん埋めていくこと。
    思い出して、楽しかったなぁという気持ちを抱く。これを繰り返すことで嫌だった思い出よりもこっちを引き出すように心がける。
    シンプルな試みですけど、これも効果があるような気がする。

    みずみずしい記憶には、相応の気持ちがくっついてくるはずだから

    子供の頃、家族で行った旅行、友人たちと交わした会話、思春期の頃に付き合った人、聴いた曲、そして培った経験は、大人になっても忘れないことが多い気がするんすよね。

    それってきっとその時に抱いた気持ちのせいで、例えば家族で温泉旅行に行ったとして、温泉旅行に行っただけでは思い出に残りにくく、温泉が温かかった、ご飯が美味しかった、みたいに自分が抱いた気持ちがくっついてきてるので、結果として記憶に残りやすいのかなと。

    なので、これから生きていく中で経験することも、同じように自分がどんな気持ちを抱くか、その気持ちを自分で感じとることで記憶として引き出しに入れられていくのだろうと思います。

    これ系の研究をしている人がたくさんいると思うので、これは単純な思いつきに過ぎませんが、ちょっとこの感覚を持ちながらもうちょい生きていきたいと思います。