思い出したくないことを、何度でも思い出してしまう

人間って不思議なもので、忘れたいことって忘れられないから困る。
子供の頃に抱いた嫌な思いを、40を過ぎてからも余裕で思い出せるのとか、むしろなにかの才能なのではないかと思ったりもする。

きっとそれは定期的に思い出しているからで、時々嫌な思いを思い出し、嫌だったな、という思いを改めて抱き、また引き出しへとしまう行為を繰り返しているからなのかな、と。

そしてそれを繰り返しているのは、多分、嫌な思いを期待してしまうからなのかな、と。
期待する結果が得られると、人間はその行為を繰り返してしまうという、あれです。

どうしたらいいんでしょうねそういうの。
忘れたいのにさ。

うーん。

考え方を変える必要があるのだろうな

そもそもその、嫌な思いを抱くことが期待結果なのであれば、それは私にとって期待結果じゃないんすよねもう、という気持ちを抱くようにすれば良いのかな。

嫌な思いを抱いたあとに、もうこれは私の期待結果じゃありません、だからもうこれを思いだすのはやめる。この思い出がしまってある引き出し、もう鍵をかけて開かないようにする、みたいに考え方を変えることで、地味な試みですけど、やがてそれが大きな成果を生むようになってくるのだと信じる。

あとは、楽しい記憶をどんどん埋めていくこと。
思い出して、楽しかったなぁという気持ちを抱く。これを繰り返すことで嫌だった思い出よりもこっちを引き出すように心がける。
シンプルな試みですけど、これも効果があるような気がする。

みずみずしい記憶には、相応の気持ちがくっついてくるはずだから

子供の頃、家族で行った旅行、友人たちと交わした会話、思春期の頃に付き合った人、聴いた曲、そして培った経験は、大人になっても忘れないことが多い気がするんすよね。

それってきっとその時に抱いた気持ちのせいで、例えば家族で温泉旅行に行ったとして、温泉旅行に行っただけでは思い出に残りにくく、温泉が温かかった、ご飯が美味しかった、みたいに自分が抱いた気持ちがくっついてきてるので、結果として記憶に残りやすいのかなと。

なので、これから生きていく中で経験することも、同じように自分がどんな気持ちを抱くか、その気持ちを自分で感じとることで記憶として引き出しに入れられていくのだろうと思います。

これ系の研究をしている人がたくさんいると思うので、これは単純な思いつきに過ぎませんが、ちょっとこの感覚を持ちながらもうちょい生きていきたいと思います。