10月26日 私は本当は働けるのではないかという疑問

10時くらいに起床。いったん7時に起きて長男を車で送り届けた後に二度寝した。で、10時まで。

毎日のように、仕事に戻れるかどうかを自分の中で考えている。

それと、鬱病で休んでいる人って日々、どんな暮らしをしているんだろう?が頭をよぎる。

私の過ごし方は、本当に鬱病なのだろうか、と疑心暗鬼になってもいて。

ちょっと分からない。もう元気なのかもしれないし、まだまだ仕事には戻れないんじゃないかもしれない。良く分かっていない。

日々、家族のために料理しているし、壊れたバイクを直すべく躍起になっているし、こうしてブログを書くこともできる。

これって健常者の生活なのではないか。休んでいるのではなく、単に、仕事がしたくないという怠けなのではないか、みたいなことをずーっと考えてしまう。

特に鬱病ってゼロイチで判定されるわけではないと思う。だから、0と1の間に果てしなく長い数列があって、そのどこかに私はいるんだと思う。それは固定されているわけではなく、日々、上がったり下がったりする感じのやつ。

鬱病ってカテゴライズされることで安心するんだろうか。自覚の問題ではないのか。

鬱病だったらなんだと言うのか。休むことへの免罪符だとでも?

働こうと思えば働けるのかもしれない。また、例の原因を作ったあの人と関わることになるんだけれど、それに屈せずに我慢しながら頑張っていく必要がある。そのへんのことを考えると気が滅入る。だけど生活という人質を盾に、人は働いてお金っていう対価を得ないといけない。

AIが発達して、働かなくても生きていけるような時代が到来して、働かなくても社会が回るようになったら、私は今みたいな生活をして死ぬまで平穏に暮らしていけるかもしれない。そんな夢のような世界にはならないと思ったりもする。話が脱線した。

鬱病の過ごし方などで調べると、自分を責めないようにするというのが必要と文面があった。上述した、「私は本当は元気で、働ける身体と心を持っているに違いない」という仮説、思い込みは本当は正しくない、やってはいけないことなのかもしれない。

だけどさ、そう考えちゃうよね。一応、2ヶ月の休養を心療内科の主治医から診断書と共に言い渡され、それにしたがって休んでいるんだけど、今日現在、休み始めてから25日くらい経ったところで、ストレスのない生活を送っているというのもあって、なんとなく元気になってきたな、という感覚はあるところで。この状態だったら、働けるだろ、とつい、考えてしまう。

だけど違うんだね。私自身が、私を疑っている状態は正しくなくて、私は私の味方であるべきだし、だから、そっち方面に思考が及んだ時にはきっと、休むべき、休んでいいんだよと言ってあげる必要があるんだろう。