木曜日、金曜日と飲み会が続き、家に着いたのはいずれも0時を回っていた。
そんな暴飲暴食の2日を経て、この土日は気持ちと身体を休める休息日とした。
飲み会は嫌いではないんだけれど、やっぱりどうしたって気を遣ってしまって、途中からは酒を飲んでいるのか、それとも酒や空気に飲まれているのかわからない状態になってしまう。そしてぐったりする。
疲れ切った時は、本当に誰とも話したくない、そんな気分になったりもする。
家族ですら最低限の会話。生きるためには会話、そしてそういう社会生活を営むことが必要だよね、という程度の会話。
そんなこんなを繰り返して、ようやく日曜日の夜を迎えることができた。
多分、この状態であれば明日会社に行けるだろう。果報は寝て待て、という言葉もあるけれど、期待をせずに明日を迎えたいと思う。
そして飲み会でも良く聞くフレーズなんだけど、「あの頃はよかった」と振り返り、そのころを思ってお酒を飲む、みたいなやつ。
あれって願望なんだろうか。
今の現実を否定することになると思うんだよね。
自分は、自分の味方であるべき、とこの間読んだ本から学んだんだけど、であれば、あの頃から変わってしまった自分だけど、そこがまた可愛いんだよね、と自分を肯定してあげる必要があるのではないだろうか。
私もそうだけどね。高校の時とか、大学の時とか、戻れるなら戻って、バンドやったりバイク乗ったりしたいよなぁ、とか考えちゃうけどね。
過去の、どっかのタイミングで生きていた自分が、今の自分が考える「完璧な自分」なんだとしたら、どうだろう。
その頃の自分に嫉妬し、今の自分を嫌いになってしまうのだろうかね。
今の自分、そんなにイケてないか。
過去と他人は変えられないけれど、未来だったら変えられるんだよね。
未来を、その「完璧な自分」を超えるくらい、素晴らしい自分像を作り上げることができたら、もっと最高なんだろうな。
完璧な自分像って、自分の持つ価値観の塊だよな。
もしかすると、今を精一杯生きている自分も、十分に完璧な自分ということができたり、しちゃったりしないだろうかね。