5月12日 過去も未来も、列車が走るレールの上で

チー、と高い周波数の音が聞こえる。
私の耳鳴りだろうか、いや、今私の目の前にあるディスプレイの音だろうか。

人生って正解がわからないことが多い。
正解なんてものは、所詮その人が受け取る解釈のなかで生まれるものだから、私が思った正解が、そういうことになるんだと思う。

ランニングが私の趣味です、と言い放った過去。
実際にそういう時期があったのだろうけど、その時の自分と、今のそれでは到底思いもよらないほどに別人のように感じている。
ランニングへのモチベーションが思いつかないからだ。
なぜあんなに、走ることが好きだったのだろうか。
おそらく、走っている時の、自分の身体から感じる筋肉の動き、痛み、苦しさ、そういうところから「私は生きている」というのを感じていたからなように思う。
今、私は生きているのだろうか。
その、ランニング中に感じるそれらの物事から遠ざかった今、私が生きているという実感があまり感じられないのである。
いや、うーん、こうやってブログを書いているときに、私が考えているという感覚は、実は私が生きている証拠なのかもしれない。
中村一義が、彼の放った歌の中で「そうだ、過去未来を乗せて、列車は走るよ」と綴っていた。
過去も未来も、列車が走るレールの上で奏でられるもので、全ては地続きということになるのだろう。
もしかすると、今の私は、途中下車をしている状態なのかもしれない。
今、生きているという感覚がないのだから。

だからと言って、決して、生き急ぐ必要はないのだろう。
この世の中と別れるようなきっかけがないのだから。
もしその、きっかけが私の目の前にあったとしたら。