鋭い感性というのは、若者だけの特権、という言葉を目にした。
鋭い感性というのは、どういうものだろう。
社会人になるとよく、「アンテナを張って」と言うけれど、そのアンテナで拾える情報の多さ、深さのように感じる。
アンテナをただ闇雲にたかーく張っていたとしても、周波数が合っていなければ情報は拾えないわけで、そうなると、周波数を合わせるためのトレーニングみたいなものが必要になる。
周波数を合わせるためのトレーニングとは。
まず、自分はどんな情報を拾いたいのかを明確にしなきゃいけない。
感受性を高める、ということに近いのだろうか。ちょっとよく分からない。
アンテナを張って、というのはちょっと抽象的な匂いがする。
私の仕事、システム品質を確かめる仕事で考えると、アンテナを張るというのは不具合がありそうなところを見極めて、そこを重点的にテストしてみるみたいなことになる。
趣味のキャンプでは、新しいキャンプサイトがオープンしましたとか、ソロキャンの過ごし方での新しい提案とか、そういうものを拾うことになる。
意識的にそういう嗅覚みたいなものを働かせて、そんな情報を拾いに行く必要があるんだけど、それこそがアンテナを張って、みたいな言い方になるんでしょ。
で、HSPな人は感受性が高い、繊細、と一般的に言われるならば、そんな特性を活かして、新しい情報をいち早くキャッチするみたいなところで有効に活用できる気がするんだよな。
だけど、大人になっていくに連れて、感性は鈍感になっていく、と。
さて。鈍化していく理由としては、やっぱ馴れちゃうんだと思う。いろんなことに。
スれた、というか。
だけどそれは良し悪しで、新しくない情報を新しいものとして受け入れ続けることに、人間って疲れちゃうから、それは前にあったなー、みたいな感覚で、うまく捌くためのやり方を覚えてしまうというのが良い点。
悪い点は、拾った情報をある程度カテゴライズしてしまうことによって、機微だけど重要な、今まで受けたことのない情報がスルーされてしまうというところ。
どっちが良いというわけではないけれど、若さ=正義という考え方に基づくのであれば、経験は少ない=拾った情報のカテゴリーが少ないほうが良い、ということになる?
うーん、なんか気に入らない。
そんなことはないはず。つまり若さゆえに培っていた鋭い感性は、だんだん鈍化していくけれど、それは、うーん、例えば「社会の生き方、過ごし方」とも言える部分を学んでいるはずで、つまり生き方上手になっていくんだと思う。
そこから享受されるメリットは大きいはず。生存本能のなせる技かもしれないけど、それが「経験」というものなんだろう。
経験によって自分の処理能力を高めていき、また新しい世界へ飛び込んでいく。そこで拾った感性をベースに経験を作り、自分の器を大きくしていくってことなんじゃないかな。
そう考えると、最近、レイソルの小屋松選手が「現状維持は衰退への一歩」って言葉を放ったけど、確かに現状を維持していこうとすると新しい経験が得られないので、自分の器を大きくすることができないような気がする。
新しい経験か。見聞を広めるみたいな言い方もあるけど、常に本を読んだりどっか気になるところへ行ったりしてアンテナを張り続けるのは、自分の器を大きくすることに寄与できるんだな。