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  • 4月26日 自分の器を大きくすること

    4月26日 自分の器を大きくすること

    鋭い感性というのは、若者だけの特権、という言葉を目にした。

    鋭い感性というのは、どういうものだろう。
    社会人になるとよく、「アンテナを張って」と言うけれど、そのアンテナで拾える情報の多さ、深さのように感じる。
    アンテナをただ闇雲にたかーく張っていたとしても、周波数が合っていなければ情報は拾えないわけで、そうなると、周波数を合わせるためのトレーニングみたいなものが必要になる。

    周波数を合わせるためのトレーニングとは。
    まず、自分はどんな情報を拾いたいのかを明確にしなきゃいけない。
    感受性を高める、ということに近いのだろうか。ちょっとよく分からない。

    アンテナを張って、というのはちょっと抽象的な匂いがする。
    私の仕事、システム品質を確かめる仕事で考えると、アンテナを張るというのは不具合がありそうなところを見極めて、そこを重点的にテストしてみるみたいなことになる。
    趣味のキャンプでは、新しいキャンプサイトがオープンしましたとか、ソロキャンの過ごし方での新しい提案とか、そういうものを拾うことになる。
    意識的にそういう嗅覚みたいなものを働かせて、そんな情報を拾いに行く必要があるんだけど、それこそがアンテナを張って、みたいな言い方になるんでしょ。
    で、HSPな人は感受性が高い、繊細、と一般的に言われるならば、そんな特性を活かして、新しい情報をいち早くキャッチするみたいなところで有効に活用できる気がするんだよな。
    だけど、大人になっていくに連れて、感性は鈍感になっていく、と。

    さて。鈍化していく理由としては、やっぱ馴れちゃうんだと思う。いろんなことに。
    スれた、というか。
    だけどそれは良し悪しで、新しくない情報を新しいものとして受け入れ続けることに、人間って疲れちゃうから、それは前にあったなー、みたいな感覚で、うまく捌くためのやり方を覚えてしまうというのが良い点。
    悪い点は、拾った情報をある程度カテゴライズしてしまうことによって、機微だけど重要な、今まで受けたことのない情報がスルーされてしまうというところ。
    どっちが良いというわけではないけれど、若さ=正義という考え方に基づくのであれば、経験は少ない=拾った情報のカテゴリーが少ないほうが良い、ということになる?

    うーん、なんか気に入らない。
    そんなことはないはず。つまり若さゆえに培っていた鋭い感性は、だんだん鈍化していくけれど、それは、うーん、例えば「社会の生き方、過ごし方」とも言える部分を学んでいるはずで、つまり生き方上手になっていくんだと思う。
    そこから享受されるメリットは大きいはず。生存本能のなせる技かもしれないけど、それが「経験」というものなんだろう。
    経験によって自分の処理能力を高めていき、また新しい世界へ飛び込んでいく。そこで拾った感性をベースに経験を作り、自分の器を大きくしていくってことなんじゃないかな。

    そう考えると、最近、レイソルの小屋松選手が「現状維持は衰退への一歩」って言葉を放ったけど、確かに現状を維持していこうとすると新しい経験が得られないので、自分の器を大きくすることができないような気がする。
    新しい経験か。見聞を広めるみたいな言い方もあるけど、常に本を読んだりどっか気になるところへ行ったりしてアンテナを張り続けるのは、自分の器を大きくすることに寄与できるんだな。

  • 4月30日

    自分が信じるべきは自分だけで、それは自分の感覚を大切にしろ、ということなのだと思うど、けど実際は自分の持つ五感すらも怪しいことがあるから、となると何を信じれば良いのだろう。

    自分の五感が怪しいというのは、例えば大好きなご飯の匂いも、食欲がない時はそんな風に感じられなくなったりとか。
    自分の見える色が、他人には全く同じではない、とか。

    そして体調によって意識の持ち方も変わったりする、体調が悪い時はだいたいのことに対して保守的、ネガティブになったりするから、そうなると意識すらも、生きている間ずっと同じようなレベル、考え方で持つことができない、とかあるでしょ。

    自分の過ごす経験によって、言い方を変えると歳を取っていくことによっていろいろ経験が積まれていくから、それで見えてくる景色が変わったりするとか。
    若い時ってどうしても他人を許せなくなっちゃったりするような気がするんだよな。
    自分の思い通りにならないから。自分の思い通りにならない!と言って怒るのは、大人になってないから。大人と言えるほどの、経験をしていないから。

    これはつまり、経験至上主義ということになるのだろうか。

    旅をして見聞を広めることが、自分の成長につながるみたいな考え方って、そういうことなのかもなぁ。
    もしくは本か。本を読むと他人の経験談(小説含む)が見えるから、それで考え方が変わったりするみたいな。

  • 恋なんてただの思いこみなのに、

    恋なんてただの思いこみなのに、

    恋は、自分で勝手に作り上げたイメージから始まる。

    あの人の表情が好き、だからもっと見ていたい。
    優しくされた。もしかしたら好きなのかも。
    これらは全部、妄想。

    しかもその思いの先にあるもの、恋のゴールが「好きな相手と結ばれること」だとすると、自分一人では到達することができないのは明らかだ。
    相手の気持ちも、同じ方向に向かわなくてはいけないのだから。

    それなのになぜ、恋をしたがるのだろう。

    人間の本能だから。
    そんな理屈じゃ、納得できない。
    そんなの、義務教育で習っている。

    きっと恋は、嬉しいからだ。悲しいからだ。

    成就すると、きっと嬉しい。生きてて良かったという気持ちになる。
    失敗すると、きっと悲しい。生きてる価値なんてないという気持ちになる。

    成就でも失敗でも、その瞬間を越えてしばらく経つと、あれは一つの経験になったな、という気持ちにだってなるのだ。

    つまり、満足するのだろう。

    良くたって悪くたって、自分が満足することになる、はず。

    けどね、わかる、失敗、怖いよね。

    あの人、自分のことを好きになってくれるか、分からない。
    50%の確率とか、そういうのすらも、分からない。
    なぜかと言うと、思い込みだから。

    相手の気持ちをある程度推し量ることはできても、確かめるには、恋のゴールに向けて進めるしかないのだ。
    確かめたいから、みんな、恋をしていくのだろうか。

    小さな一歩だけど、それは、やがて、ゴールに向けた大きな一歩になるのだろう。
    小さな一歩、ものすごく怖いけど。