4月14日

自分の価値観を、揺るがずに持っていることにポリシーと感じているような人は、私からすると合わないのかもしれない。

人によるから、私はその人に対して良いとか悪いとか、そういう判断ができない。私の判断なんてなんの意味もないから。自分の機嫌を取りたいだけだから。

だから、頑固な人、周りに合わせようとしない人、努力しない人には、今までずーっと「なんであの人は協力しないんだろう」と一人で悔やみ、がっかりしていたのだけれど、

それは私がその人に対して期待をしていたからであって、多分、ではなくきっと、私の思惑が間違っていたんだと思う。

そうすべきじゃなかった、ということ。

期待すんな、と1週間に20回くらい考えることがあって、それはつまり私が、人や、組織に対して期待してしまっていることの裏返しなのであるからなのだけど、少なくとも私の意識を変えるだけで、もしかしたら世界が変わってみてるのかもしれない。

同じように、厭世的な考えをずーっと持っていて、この世に対してなんの未練もありません、今すぐに命が終わっても良いです、と考えていたんだけど、

一方で、

例えば、もうすでに別れてしまった人に対して、もっと優しくすべきだったとしても、その人が死別してしまっているとしたらすでに手遅れで、それは後悔の一つで、

その点で、

私はまだ会いたい人がいるし、その人と会って話がしたいし、その人の顔が見たいし、てかずーっと見ていたいし、それはつまり家族であったり旧い友人であったりするんだけど、

そういう人たちとの、黄色いTシャツの番組みたいな言い方をすると「絆」というものが思い浮かぶんだけど、その絆があるから、まだ死にたくないな、と思うようになりました。

ただそこにも、他人には期待すんなよ、ということがあり、私が会いたいからと言って、向こうも同じように会いたいと思っているかは彼らの勝手なのだから、私はそこに期待しちゃいけないんだな、ということは忘れないでいたい。