タイトルなし(急に、嫌われた?!と困惑する人を応援する話)

人間、簡単に人を嫌いになることなんて、できない。
優しい人間なら、なおさらだ。

人は生きていかなければいけない。
死ぬ権利もある、と私は以前考えていたけれど、いや、正直に言うとそれについては未だにその権利はあると思っているけれど、生きていこう、と思う人なら、忘れる、執着しない、手放すということが肝要なのだ。
生きていきたいから。
辛い思いばかり抱えては生きていけないから。

機嫌良く生きる。これが、人生を軽やかに生きる秘訣

そのためには、自分を気分悪くさせるような他人とは、距離を置くべきだ。
そうしないといつまで経っても、自分の機嫌が上昇して行かないからだ。

たまに、そういう人のことばかり気になってしまう場合がある。
人間だもの、そういう機会だってあるだろう。
私は、今イマだとそういう人がいないから、こんな快活なことを描けるが、実際にそういう人を身近に持った場合、途端に気持ちが暗くなる程度の、小さな心臓の生き物だ。
だから、そういう人のことばっかり気になってしまう人の気持ちが、とても良く分かる。
まるで自分のことのように、良く分かる。
避けるべきなのだ。
頭の中では分かっているのだ。
仕事などで、どうしても関わらなければいけない場合、いくつかの方法がある。
誰か違う人に間に入ってもらったり、メールやチャットなど、対面で話さないなど。

そうやって、やり過ごすのが一番なのだが、たまに、「まだ怒ってるかな」と気になってしまい、あえて相手の反応を試すようなことをしてしまいたくなってしまう。
ちょっと会話しようとして、声をかけてみる。
何気ない素振りで、複数人いる中で、ふとした瞬間に話しかけ、相手の反応を見る。
すると、周りはいつも通り反応してくれるものの、その人だけ、相変わらず私を空気のように、まるで私なんて存在しないかのように振舞う。
それを見て私は思う。
あ、まだダメなんだ、と。
そしてまた憂鬱な日々が続く。

分かっているのだ。
ほとぼりが冷めるまでそっとしておけば良いものを、そうすることができない。
相手のことが気になってしまうからだ。相手が、今どういう心境なのか、気になってしまうからだ。

残念ながら、そういう時、相手も気づいている。
「あ、この人、私を試してる」そう気づいた時、その人の心持ちが「もういいや」なのか、「まだダメです」なのかは、その人の気持ち次第で、(書いているうちにその頃を思い出し、とても気分が悪くなってきた…)、、その人がもし意地悪な人、性根の腐った人間だったら、「この人を操ってやろう」という気持ちがすでに芽を出し、双葉から本葉を広げ始め、開花させようとしているはずだ。

ダメなのだ。だから、ダメなのだ

その人はやがて、毒粉をたっぷりと蓄えた、大きな花を開かせようとしているのだ。
とても卑猥な、紫色の妖艶な花を。多くの虫たちが、その花に寄ってくる。
虫は、花の授精を手伝うことになる。
彼らはただ、その卑猥な匂いに惹かれてやってきただけなのに。
やがて受精が完了し、綿毛のついた種子は風に乗って遠くへ飛んでいく。
そして、知らない地で、同じように、意地悪な人が出来上がっていくのだ。

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そんな人達は、優しい人をコントロールすることで優位に立つことを至上の喜びとしている。
彼らも、同じように、機嫌良く生きるためだけに、そうする術を知っているのだ。
そして、残念ながら、優しくて少し気の小さい人達は、彼らが機嫌良く生きるためのツールとして、選ばれているのだ。

逃げろ。今すぐ逃げろ

同じように悩んでいる人がいたら、今すぐ、そこから逃げるべきだ!と訴えたい。
あなたは、そんな彼らのツールとして生きている訳ではない。
そんなのに利用されるために、生きているためではないのだから。
あなたは、自分が機嫌良く生きるためにはどうしたら良いか、自分の少し痩せた胸に、手を当てて考えてみよう。
すると、自然に分かってくるのだ、私は、私が機嫌良く生きるために、生きるのだ、と。

具体的にはどうしたら良いのか。
簡単だ。ブロ解からのミュートである。
つまり、反応しない、普段目につかないところに置いておく。
もし、仕事などで、どうしても必要な場合のみ、メンションが飛んでくるのだから、その時だけ反応すれば良いのだ。

そして、いずれ彼は気づくだろう。
自分が機嫌良く生きるために持っていたツールが、全然反応してくれないことを。
もしかすると彼はまた、私を利用しようとするかもしれない。
私をコントロールすることで、彼が機嫌良く生きるために。
その時はその時で、また、昔のように温かな気持ちで接するのも良いし、基本的に無反応という態度を続けるのか。
それは、あなたの、私の、自由なのだ。