応援しているチームが勝てないのは、誰の課題なのだろう

応援している柏レイソルというサッカーチームが、2021年に入ってからあまり勝ててないという状況です。
選手みんなは頑張ってると思うのですが、結果につながらないのは、とても歯痒い思いです。

私は、そんなレイソルを応援しているツイッターアカウントの人たちを多くフォローしているのですが、勝っている時はみな一様に「最高だ!」となります。
一方、負けが続くと、応援することに戸惑いを表す人、特定の選手を罵倒する人、それでも応援し続けよう、と自分や周りを鼓舞する人、と様々なパターンに分かれるようになります。

多分、自分がそのチームに対してどのような思いを抱いているか、どの程度没頭しているかによって、態度や言動に現れるのかな、と。

負けることは、いったい誰の課題なのだろう

アドラー心理学についてはベストセラーとなった「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読んだ程度の人間なのですが、その中で読んだことと照らし合わせて、考えてみたいと思っていて。

ずーっと前から、これ、やってみたいと思っていたんです。この思考実験。

まず負けることに対して、チームの成績によって被害をうけるのは選手、コーチ、監督、そして関係者の人たちです。彼らは職を失うという恐れがあります。
もしかしたらシーズン途中で終わりです、という宣告を受ける場合だってあります。
そしたら、極端なことを言うと路頭に迷います。困ります。お金がもらえなくなっちゃうので。
だからこそ、監督、コーチ、選手たちはこの状況を打破すべく、必死にチームの状態を良くしようと頑張るのかな、と思います。

では、私たちサポーターは、負けることにたいし、自分たちの課題になりうるのでしょうか。

うーん。

たち、サポーターはどういうスタンスでいるべきなのだろう

そりゃ、レイソルが勝てば嬉しいですし、負ければ悔しいです。チームを好きというのは、単純にそういうことなのだと思います。

だけど、私たちはただのファン、サポーターという立場なのです。
私もそうですが、サポーターのファンクラブとしてお金を払っています。が、それは自己責任です。
金返せ!という野次はしても良いですけど、お金を返すことはありませんよ、という規約に同意している時点で、それはただの文句でしかありません。
そんなものに耳を傾ける関係者はいないのかな、と思います。

もし、強いチームが好き!という単純な思いを持ツノなら、毎年強いチームを応援すれば良いのです。今でいうとフロンターレでしょう。彼らを応援することで、勝つ確率が高いですし、それによってもたらされる喜びも大きいのかな、と思います。

負けた時に厳しい発言をすること

これ、個人の自由なので、発言したければ勝手にしたら良いのかな、と思います。
例えばツイッターや、匿名の掲示板など、前者については個人が特定される場合がありますが、基本的には公序良俗に反しないものであれば、自由に発言して良いはずです。

ただ、それを見て気分を悪くする人がいます。
私もずっとその一人でした。「なんで選手はあんなに頑張ってるのに、そんなひどいことを言うのだろう」のような思いをすることが多かったです。

ですがそれは、自分がそういう人をフォローし、そういう人の発言をわざわざ見に行っているからです。
気分が悪くなるのなら、ミュートやブロックすれば良いのかな、と思います。
そうすることで、今後はその人の発言を見ることはないですし、自分も生きやすくなるのかなと思います。

どういうスタンスで生きていけば良いのか

結局、自分のいつも思い描く投稿に落ち着くのですが、自分がいかに機嫌良く生きるか。それが人生の生き方なのかなと思っており、

そう考えると、もし、チームが負け続けて悔しい、次の日の仕事に影響が出るのであれば、チームの応援をやめるべきかなと思います。もしくは上述したように強いチームを応援するとか。
いや、自分はそんなレイソルが大好きなんです、という人は、チームの勝敗にかかわらず応援すべきです。

ちょっと困るのが、負けた時に口の悪いツイートをしてしまうんですよね、という人。
これも上述のようにどんなツイートをしようが自由なのですから、好きにしたら良いのかな。
けど、それによってブロックされたり、ミュートされたりするというトレードオフがあることを忘れるべきではないかな。