タグ: 人間関係

  • 5月5日

    冬の間はほぼ放置していた、ベランダの観葉植物たちのメンテナンスを行う。
    もうだいぶ春だ。彼らにも春の訪れと、来る雨の季節、そして夏への準備を。

    植物は言葉を話さないけれど、彼らの葉の色、伸び具合でどんな状態か分かる。
    分かると言っても素人だから、ある程度元気かどうかくらいなものだが、それでも何年も付き合ってきている植物たちなので、徒長しすぎていたら切るし、盆栽は植え替えて根っこが伸びすぎていたら切ったりして、彼らが元気に暮らせるようにする。

    人間だってきっとそうなんだろう、といつも感じる。私は人間関係の厳しいところではすぐに元気をなくすから、私は私のメンテナンスをきちんと行わないといけないよな、と思う。
    幸いなことに人間関係で厳しいところは、上司や同僚に話すことで、改善できたりするので、そこは今の会社での恵まれているところな気がする。

    これから夏にかけて、新しいプロジェクトが動くと聞いた。私も夏バテしないように、日々こまめにメンテナンスしないとだなぁ。

  • タイトルなし(急に、嫌われた?!と困惑する人を応援する話)

    タイトルなし(急に、嫌われた?!と困惑する人を応援する話)

    人間、簡単に人を嫌いになることなんて、できない。
    優しい人間なら、なおさらだ。

    人は生きていかなければいけない。
    死ぬ権利もある、と私は以前考えていたけれど、いや、正直に言うとそれについては未だにその権利はあると思っているけれど、生きていこう、と思う人なら、忘れる、執着しない、手放すということが肝要なのだ。
    生きていきたいから。
    辛い思いばかり抱えては生きていけないから。

    機嫌良く生きる。これが、人生を軽やかに生きる秘訣

    そのためには、自分を気分悪くさせるような他人とは、距離を置くべきだ。
    そうしないといつまで経っても、自分の機嫌が上昇して行かないからだ。

    たまに、そういう人のことばかり気になってしまう場合がある。
    人間だもの、そういう機会だってあるだろう。
    私は、今イマだとそういう人がいないから、こんな快活なことを描けるが、実際にそういう人を身近に持った場合、途端に気持ちが暗くなる程度の、小さな心臓の生き物だ。
    だから、そういう人のことばっかり気になってしまう人の気持ちが、とても良く分かる。
    まるで自分のことのように、良く分かる。
    避けるべきなのだ。
    頭の中では分かっているのだ。
    仕事などで、どうしても関わらなければいけない場合、いくつかの方法がある。
    誰か違う人に間に入ってもらったり、メールやチャットなど、対面で話さないなど。

    そうやって、やり過ごすのが一番なのだが、たまに、「まだ怒ってるかな」と気になってしまい、あえて相手の反応を試すようなことをしてしまいたくなってしまう。
    ちょっと会話しようとして、声をかけてみる。
    何気ない素振りで、複数人いる中で、ふとした瞬間に話しかけ、相手の反応を見る。
    すると、周りはいつも通り反応してくれるものの、その人だけ、相変わらず私を空気のように、まるで私なんて存在しないかのように振舞う。
    それを見て私は思う。
    あ、まだダメなんだ、と。
    そしてまた憂鬱な日々が続く。

    分かっているのだ。
    ほとぼりが冷めるまでそっとしておけば良いものを、そうすることができない。
    相手のことが気になってしまうからだ。相手が、今どういう心境なのか、気になってしまうからだ。

    残念ながら、そういう時、相手も気づいている。
    「あ、この人、私を試してる」そう気づいた時、その人の心持ちが「もういいや」なのか、「まだダメです」なのかは、その人の気持ち次第で、(書いているうちにその頃を思い出し、とても気分が悪くなってきた…)、、その人がもし意地悪な人、性根の腐った人間だったら、「この人を操ってやろう」という気持ちがすでに芽を出し、双葉から本葉を広げ始め、開花させようとしているはずだ。

    ダメなのだ。だから、ダメなのだ

    その人はやがて、毒粉をたっぷりと蓄えた、大きな花を開かせようとしているのだ。
    とても卑猥な、紫色の妖艶な花を。多くの虫たちが、その花に寄ってくる。
    虫は、花の授精を手伝うことになる。
    彼らはただ、その卑猥な匂いに惹かれてやってきただけなのに。
    やがて受精が完了し、綿毛のついた種子は風に乗って遠くへ飛んでいく。
    そして、知らない地で、同じように、意地悪な人が出来上がっていくのだ。

    Pixabay at Pexels

    そんな人達は、優しい人をコントロールすることで優位に立つことを至上の喜びとしている。
    彼らも、同じように、機嫌良く生きるためだけに、そうする術を知っているのだ。
    そして、残念ながら、優しくて少し気の小さい人達は、彼らが機嫌良く生きるためのツールとして、選ばれているのだ。

    逃げろ。今すぐ逃げろ

    同じように悩んでいる人がいたら、今すぐ、そこから逃げるべきだ!と訴えたい。
    あなたは、そんな彼らのツールとして生きている訳ではない。
    そんなのに利用されるために、生きているためではないのだから。
    あなたは、自分が機嫌良く生きるためにはどうしたら良いか、自分の少し痩せた胸に、手を当てて考えてみよう。
    すると、自然に分かってくるのだ、私は、私が機嫌良く生きるために、生きるのだ、と。

    具体的にはどうしたら良いのか。
    簡単だ。ブロ解からのミュートである。
    つまり、反応しない、普段目につかないところに置いておく。
    もし、仕事などで、どうしても必要な場合のみ、メンションが飛んでくるのだから、その時だけ反応すれば良いのだ。

    そして、いずれ彼は気づくだろう。
    自分が機嫌良く生きるために持っていたツールが、全然反応してくれないことを。
    もしかすると彼はまた、私を利用しようとするかもしれない。
    私をコントロールすることで、彼が機嫌良く生きるために。
    その時はその時で、また、昔のように温かな気持ちで接するのも良いし、基本的に無反応という態度を続けるのか。
    それは、あなたの、私の、自由なのだ。

  • 笹の船で海を渡る | 角田光代 | ☆☆☆☆

    笹の船で海を渡る | 角田光代 | ☆☆☆☆

    第二次世界大戦中、少女時代だった女性の話。彼女は疎開中に出会った(と思われる)女性と人生を共にし、いろいろなものに執着しつつも、自分の人生を見つめ直して過ごしていく。

    角田光代の小説をKindle Unlimited で見つけてしまったので、取得してから没頭するかの勢いで読んでしまいました。

    小説についての感想

    過去は変えられないという言葉を何度かこのブログでも書いています。
    もうすでに過ぎてしまったことだから。

    だけど、よく考えたら、「過去」という事実は変えられないけど、「過去に対する考え方」だったら変えることができるよね。

    Photo by Keira Burton on Pexels.com

    この主人公は、自分の人生はあまり恵まれていなかったと考えていて、それがベースとなって被害妄想癖を持っているように感じました。
    自分に親切にしてくれる人や、娘、息子、夫というとても近い存在の人間に対してまで、信じられないところを持っていました。

    それはなぜか。
    その辺りを、ずっと考えながら読んでいました。

    疎開先ではお世辞にも恵まれた生活とは言えず、自分の理想とはだいぶかけ離れた境遇で、少女時代を過ごしていたこと。そこから、元の家に戻ってからも兄弟間で諍いを起こしてしまうこと。風美子という存在。全て、彼女自身で意見を持つことなく、周りに任せてきたことが裏目に出て、自分で決めなかったことを全部他人のせいにしてきたのかな、という点。
    この辺りは他人事とは思えず、読んでいて胸が痛くなる場面が何度もありました。

    人を信じること

    妄想が悪化すると人を疑うようになることがありますよね。
    SNSをやっていれば、他人からの評価が気になる。私は誰からも好かれていないのではないか。
    会社でも。家族間でも。
    疑いだすとキリがないですね。そして妄想は脳内で強い刺激となり、それを快感と勘違いしてしまうそうなんです。
    だから、人間は妄想してしまうのだとか。

    Photo by Felix Mittermeier on Pexels.com

    それは、意識的にリセットする必要があるんですね。妄想ばっかりしていると、疲れてしまうので。

    私は、リセットする方法としては、人を信じることを意識的にやっています。
    あとは、妄想していると気づいた時には、違うことを考えるようにして、その妄想から逃げるようにしています。
    そうしないと、いつまで経ってもそのことばかり考えてしまうからです。

    この主人公も、そういうところがあるように思いました。過去への執着、人への執着。それは妄想なので、いくら考えても答えは出ず、疲れるばかりです。何か違うことをしてみたら良かったのかもな。

    いやぁ、それにしても角田光代さん、これは2013年頃の作品だそうですが、相変わらずエグいの描くなぁと思いました。
    ちょっと心が痛むので、もう読みたくないです。
    言葉を使った表現にさすがだな、と思わせるところが多々あったので星4つです。

  • 絶対に嫌われる

    絶対に嫌われる

    SNSを通して人と触れ合うことが当たり前になっている。
    私も、リアルな人と話すのは家族以外では皆無に近く、SNSを通して会話している方が多数派となっている。
    そしてこのように、自分の考えを綴る場所を持っている。

    この場所は、自分のために作っている。
    が、他人に共有することで、ある程度形の整った文章を作らなければいけないという制約が生まれる。
    この制約自体は自分で作り上げたものだが、何の制約もないところで書いているよりはむしろ、これくらいのほうが緊張感が持てるから良いと感じている。

    さて、この考えを共有していて、ふと感じるのが、絶対に誰かからは良く思われないだろう、ということ。
    100人がこのサイトを見たとして、全員が良いと感じるというのはあり得ない。
    どんな世界にも、アンチは存在する。

    そのアンチという存在、本当はいないほうが嬉しいはずである。
    しかし、存在する。
    そこで、自分の承認欲求と照らし合わせてみると、承認欲求から来るものは、「見た人全員に褒められたい」はず。
    なのに、その欲求に反する形で、公開すればするほど嫌われていくのである。

    その、承認欲求を満たすべく活動しているはずなのに、続けることで嫌われていくという矛盾。
    その矛盾を避けることは難しい。
    それならばどうすべきか。
    活動を止める。
    それしかない。
    ブロックなどをしていたらそれこそアンチの思う壺で、アンチは反応されることに大きな喜びを見出すから、それにより更に嫌っていくだろう。
    だから、嫌われたくなければ、活動を止めるしかない。

    そもそも、ここで表現するという世界だけではなく、日常生活においても同様のアンチが生まれてきても不思議ではない。
    だから、あなたが普通に生活しているだけで、あなたを無性に嫌っていく人だっている可能性があるのだ。

    誰からも嫌われずに一生を過ごすには、どうしたら良いのだろう。
    無人島で暮らすか、この世での生活を終わりにするか。
    無人島で暮らすか。
    人と関わる時点で、例え親子関係であったとしても、嫌い合う可能性があるのだから。

  • いろんな見方がありすぎて良く分からなくなっちゃう

    いろんな見方がありすぎて良く分からなくなっちゃう

    自我を通そうとすると、カドが立つことってあるじゃないすか。
    自我というか、ワガママ。
    その辺を考え出してしまうと、いろんな立場の人が考える、ものの見方っていうものを考えてしまって、結局どれが正解か分からなくなり混乱しちゃうんすよね。

    一方で、たまには自我を通すことも必要で、それは「生きてて良かったと感じるポイント」を稼ぐ必要があるからで、それも含めると、ホント、難しい世の中だよなぁと思う。

    自分のことを一番に考えるのが、もしかしたら生きる上で一番正しいことなのかもしれないよなぁ。
    それをきちんとやっていかないと、自分のこと、嫌いになっちゃうから。
    けど、自分の考えるワガママを一番に考えるって、なんかちょっとイヤだなぁ。
    傲慢な人じゃん、って思ってしまうから。

    多分そこってバランス感覚が必要で、ワガママ 対 思いやり という2つの要素を都度考える必要があるかなと思って。
    相手に譲るっていう、思いやりを調整していくのが一番現実的なのかな。
    どっかで聞いたことのある、「自分の思いのうち、51%分を思いやりとして相手に譲る」っていうのが、自分を愛しつつ、相手に譲ることのできる最強なものかもしれません。