相手に期待することのリスク

仕事やプライベートに関係なく、人間は他人に期待してしまう。
業務を渡したからと言って、相手は私ではないのだから、私の期待する100%で応えられるとは限らないのだ。
だけど、期待してしまう。
自分の思い通りに仕事を進めたいからこそ。
そこに大きな間違いがあるというのに。

大きな間違いというのは、「誰の問題か?」という点をきちんと考えなかったということである。
私は、結果的には相手に期待したことになり、それが失敗を招いたということになるのだろう。
幸いなことにまだ取り返しの付くことなので、課題解決を明日に引き伸ばし、とりあえずモヤモヤしている今の気持ちを整理したい。

何度も自分に言い続けたい、「相手に期待するな」と言うことを

私はまだ、揺れ動いている。
今日、ある人に電話をしたら不在だったので、折り返しの電話をもらいたい旨を伝えていた。
だが、向こうの伝達が悪かったのか、折り返しの電話は返ってこなかった。
気になって改めて電話すると、「本日はすでに退勤した」とのこと。

私はそこで軽く嫌味を言い、明日、改めて電話をもらえるように伝えた。
私はものすごく機嫌が悪かった。
仕事なんだから、ちゃんとその人に伝達して欲しかった。
仕事なんだから、ちゃんと折り返しの電話をして欲しかった。

仕事なんだから、というエクスキューズは、本当は考えるべきではないのだ。
仕事だろうと何だろうと、相手に期待してしまっているのだから。

それは誰の課題なのだろうかという、課題の分離について

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嫌われる勇気という本が好きで、基本的にKindleでしか本を読まない私だが、それだけはわざわざ紙の本を買ってしまった。
その本を読んで開眼したというか、私が塞ぎ込んでいた部分が開放された気がしたからだ。

そこに書いてあった、「課題の分離」ということについて考えたい。

課題。私が折り返しの電話を要求したのは、結局のところ、誰の問題なのか。
今回を例に挙げると、折り返しの電話をお願いした先は近所の教育機関である。
担当者からの電話は、私の子供に関する話だった。
担当者から電話が来ないと、私の子供に関する課題が解決されないのだ。
そう考えると、私の子供が最大の当事者ということになる。
そして、私は保護者という立場なので、私もその課題解決に加担する必要がある、ように思う。

だとすると、もしかしたら私は、担当からの折り返しを待つことなく、相手と話ができるまで電話をし続ける必要があったのかもしれない。
私は気長に、折り返しの電話を待つという選択をしてしまったので、この結果を招いたのだ。

もし今日中に話せなかったら解決しないという問題であれば、私は電話し続けたんだろうな、と思っている。
そこに、重大性の考慮によって「気長に待つ」という選択をした背景が思い浮かぶ。