自分に自信がないことを、思考プロセスの矯正によって直そうとしたけれど、やっぱ難しい

2月が終わった。

毎度のように、毎月、本当にあっという間に終わっていく。
手帳で2月を振り返ると、これも毎度のように、仕事が7割くらいを占めている。
残り3割がプライベートのような感覚だ。
ワークライフバランスをきちんと見極めましょう、と会社から推奨されているが、良くも悪くも在宅勤務が基本的なワークスタイルになっているので、より一層仕事へのウェイトが強くなったように感じる。

君はそれを「無駄」と呼ぶ

2月は28日しかない。
そのため、他の月よりも早く終わってしまう。
なんとなく損した気分になるのはきっと、無駄に過ごす時間が多いからなのだろう。

何が無駄なのか。
自分にとっての経験は、一つも無駄ではないはずだ。
私はそうやって、自分が起こす行動の全てに意味がないと考えているのだ。
いつもそう。
そうやって心に鍵をかけるのだ。

自分が、自信を持つことを否定しているのだ。

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なぜ、自信を持ってはいけないのか

なぜ、自分の行動に対して胸を張って「意味のある行動をしている」と言えないのか。
私は数年かけて、理想の自分というハードルを下げてきた。
そうすることで、今の自分を肯定するためだ。
肯定はやがて鮮やかに私の心を潤してくれると信じてきた。
そしてそれはなんとなく、自分の中を満たしていくように感じていた、

のだ、

が、

こうして描く日々の雑感の中で、随所に「自分は自信がありません」といった観点の書き方が生まれてきてしまうのだ。

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思考プロセスの矯正というのは難しい。
というか、不可能なのかもしれない。
いつも自分は何に対しても自信がなくて、だからこそ自信に満ち溢れたような人間に対して憧れを持っていて。
私は、いつまでたっても自信を持っていない私を受け入れようとしないのだ。