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  • 4月26日

    同僚の、使えなさっぷりにイライラしてしまう。
    同僚とはいえ、業務委託という名目で参画してもらっている人。
    その人の単価に見合った動きをしてほしいから、そこに期待している自分がいるから、それにつられてイライラしてしまう。

    仕事とはいえ、他人に期待するのは精神的に良くない。

    そんなこと分かってる。私のチームが持つ業務が回らないから、それを委託しているのであって、お金を払っているんだから、期待するだけの業務をこなしてほしいと考えている、だけなのである。

    これが掛け値無しの、家族だったら、とか、友人だったら、とか、もっというと正社員という立場の同僚だったら違うのかもしれない。
    お金をかけているからこそ、ちゃんと、期待したところまでやってほしいのであって、それができないというのなら、すみませんが業務委託契約は終わりにさせてください、というだけなのかもしれない。

    いや違う、私の期待値が高すぎるのだ、
    いやいや、あの業務委託費ならそこまで、という葛藤が、私を眠れなくさせている。

    いっそのこと自分が眠くならずに、24時間働き続けることができる身体を持っていれば。
    私がロボットになり、滞っている業務を全部的確に解消することができたら。
    私だって人間なのだから、眠くなるし、お腹は減るし、ミスだってする、けど、
    自分がもっとちゃんとしていたら、こんなことにはならなかったのであろうか。

  • 人に期待してんな

    家族ですら他人なんだから、自分の思うようにならなくても、それが自然なんだと思え

  • 他人に仕事を任せられない人のことを考えてみたら

    他人に仕事を任せられない人のことを考えてみたら

    他人に仕事を頼めないのは、自分がその人にものすごく期待しているから。
    期待の幅が狭いことによる。つまり自分のせい。

    もしその人が何か失敗をしたとしよう。
    その時、任せた人の責任になる。
    つまり、私の責任に。

    そうだ、私はその人が失敗した時に、責任を取りたくないから、それだったら自分がやってみて自分で失敗する方が、満足いくものになるから、結局いつまでたっても人に任せることができない。

    思い切って、ばーんと渡してみてはどうだろうか。

    もしかしたら、その人が、自分が期待していたものを上回る結果をもたらしたとしたら、その仕事を任せた自分の成果にもなるのだ。
    失敗した時には、もちろん私が責任を取ることになるんだけど、失敗にならないように適切なタイミングでフォローしてあげれば良いのではないか。

    もしそこで失敗したとしたら、きっと私は教訓を得るんだろう。
    そしてその後、同じ人、もしくは違う人に任せた時に、その時の教訓を生かすことができるのだ。

    人間だからな。失敗してナンボだよな。
    てか、失敗のうちに入らないだろそういうの。

  • 相手に期待することのリスク

    相手に期待することのリスク

    仕事やプライベートに関係なく、人間は他人に期待してしまう。
    業務を渡したからと言って、相手は私ではないのだから、私の期待する100%で応えられるとは限らないのだ。
    だけど、期待してしまう。
    自分の思い通りに仕事を進めたいからこそ。
    そこに大きな間違いがあるというのに。

    大きな間違いというのは、「誰の問題か?」という点をきちんと考えなかったということである。
    私は、結果的には相手に期待したことになり、それが失敗を招いたということになるのだろう。
    幸いなことにまだ取り返しの付くことなので、課題解決を明日に引き伸ばし、とりあえずモヤモヤしている今の気持ちを整理したい。

    何度も自分に言い続けたい、「相手に期待するな」と言うことを

    私はまだ、揺れ動いている。
    今日、ある人に電話をしたら不在だったので、折り返しの電話をもらいたい旨を伝えていた。
    だが、向こうの伝達が悪かったのか、折り返しの電話は返ってこなかった。
    気になって改めて電話すると、「本日はすでに退勤した」とのこと。

    私はそこで軽く嫌味を言い、明日、改めて電話をもらえるように伝えた。
    私はものすごく機嫌が悪かった。
    仕事なんだから、ちゃんとその人に伝達して欲しかった。
    仕事なんだから、ちゃんと折り返しの電話をして欲しかった。

    仕事なんだから、というエクスキューズは、本当は考えるべきではないのだ。
    仕事だろうと何だろうと、相手に期待してしまっているのだから。

    それは誰の課題なのだろうかという、課題の分離について

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    嫌われる勇気という本が好きで、基本的にKindleでしか本を読まない私だが、それだけはわざわざ紙の本を買ってしまった。
    その本を読んで開眼したというか、私が塞ぎ込んでいた部分が開放された気がしたからだ。

    そこに書いてあった、「課題の分離」ということについて考えたい。

    課題。私が折り返しの電話を要求したのは、結局のところ、誰の問題なのか。
    今回を例に挙げると、折り返しの電話をお願いした先は近所の教育機関である。
    担当者からの電話は、私の子供に関する話だった。
    担当者から電話が来ないと、私の子供に関する課題が解決されないのだ。
    そう考えると、私の子供が最大の当事者ということになる。
    そして、私は保護者という立場なので、私もその課題解決に加担する必要がある、ように思う。

    だとすると、もしかしたら私は、担当からの折り返しを待つことなく、相手と話ができるまで電話をし続ける必要があったのかもしれない。
    私は気長に、折り返しの電話を待つという選択をしてしまったので、この結果を招いたのだ。

    もし今日中に話せなかったら解決しないという問題であれば、私は電話し続けたんだろうな、と思っている。
    そこに、重大性の考慮によって「気長に待つ」という選択をした背景が思い浮かぶ。