気持ちが安定するために必要なことは、マズローの欲求五段階切にならうべき?

最近はずっと、日々、落ち着いて暮らすためにはどのような心持ちで過ごしていったら良いのだろうか、ということばかり考えている。

今のところ、自分の気持ちが安定するようなもの、一言で言うと「好きなもの」に囲まれて暮らすのが一番大切なように思う。

私はあまりそれ系の、いわゆる学術的なことを学んでこなかった。
大学は理系のエンジニアリング系だったし、仕事もIT系だし。

昨今になり気持ちが憂鬱になりがちだったのをきっかけにして、心理学や瞑想、マインドフルネス、哲学などの本を読むようになった。
そこで、上記のような考えに耽るようになった。

そこで、前々から気になっていた、マズローのピラミッドみたいなやつについて考えてみたいと思う。

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マズローのピラミッドみたいなやつ

詳細はWikipedia 辺りを読んでいただくのが早いのでそちらにお任せしたい。

最下層には生理的欲求や、安全欲求がある。

日本では、これら二つについては基本的に多くの人が満たされているように感じる。
お腹が空いたら何か食べたい、寝たいという生理的欲求や、
生命の危険を脅かされることなく暮らしたいという安全欲求。
この辺りについては、あまり深く考えずに、むしろそれが欲求だと気にしない程度に暮らすことができているように思う。

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少しずつ気になってくる、第三段階より上のところ

そして第三段階目辺りから、人によって「欲求を持っている」と強く意識する場所なのではないかと思う。

社会的欲求と、愛の欲求。

自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。

Wikipediaより

もしかしたら仕事をしている人や、仲の良い家族と同居している人は、この欲求がそれらのコミュニティによって満たされているのかもしれない。アドラーの提唱した「貢献感」(間違ってたらごめんなさい)も、ここに基づいているような気がする。

一方で孤独を愛する人もいる。私の敬愛するスナフキンも、その一人だ。自分の世界を持つことで、この欲求については放棄しているのだろうか。ちょっと良く分からない。孤独については、別で詳しく考えたい。

第三段階が十分に満たせていないのに、その上を満たすことができないだろ

私がこのブログで書いている「魂を綴る」は、この第三欲求や、その上に当たる「承認欲求」、「自己実現欲求」が多いように感じる。
私自身、もしかしたら満たされていないと感じていて、それをどのように満たしたいのか、文字にして自分で確かめたいのかもしれない。

人生は長いとか、短いとか、様々な意見がある。
私としては人生は長いと思っている。40年くらいでも十分なのではないだろうか。
そう思っている理由に、もしかしたらこの第三段階からの欲求が満たされておらず、人生が面白くないと感じているのかもしれない。

人生が面白いとか、面白くないなどは日々受ける刺激から感じるような気がしているが、本来は刺激の少ない人生のほうが穏やかに過ごすことができるだろう。言い換えるとそれは浮き沈みのない人生ということになるのだから、怒りや悲しみを抱いて無駄なエネルギーを消費することなく、落ち着いて暮らすことができるのではないだろうか。
それだと面白くないという人も中にはいるはずだ。その匙加減は人それぞれだし、価値観だから、それは他人からとやかく言われるものではないだろう。