タグ: 欲求

  • 3月30日

    一瞬で夜。昼間、外はちょっと暖かかったらしいね。
    一歩も出ていないので、全くわかっていません。

    周りに対する興味がなくなっていく一方で、自分に興味が湧いてきている気がする。
    興味を持つボリュームっていうのは、総量としては変わらないのかもしれない。
    ドラマとか、ニュースとかどうでもいいやと思っているので、その代わりに、自分の欲求に対して素直に受け入れようとしている、というか。
    欲求っつっても、食欲くらいのものですけど。

    深津絵里が好きだったから、カムカムエブリバディを割とちゃんと観てたんだけどなぁ。いつの間にか興味が薄れてしまった。そろそろ終わったかなぁ。

    興味なんてそれくらいか。あとは日々、夜は何のお酒を飲もうかなぁくらいのことしか思いつきません。

    あー、けど、不意に速読に興味が湧いてきました。
    分からないんだけど、頭の回転が速くなりそうだよなと思って。
    小説ってある程度ゆっくり、文を噛み締めながら読むほうが面白いと思っているので、多分ジャンル?的に分けてみて、ビジネス書というか自己啓発的なものは速読でやる、みたいな感じで考えると良いのかなぁと思ったり。

    なんでそれに思い至ったのかと言うと、頭の回転が遅いな、と感じたからです。
    仕事で、私は、ある程度文字として可視化しないと分からないことがあって
    例えば提案とか報告資料と作ろうとする時、内容にもよりますがA4のコピー用紙を4枚くらい落書きして、それを経てパワポファイルを作ったりしてるんすよね。
    まぁ、それくらいなら良いのかもしれないですけれど。
    完成までのスピードを上げるには、着想から具体的イメージへの落とし込みを速くするしかないよな、と。

    自分を成長させるという点では、自分は感覚でものをしゃべるタイプなのですが、自分の気持ちを適切な日本語で表現する術を身につけたいと思ってて。
    なんかうまく言えないけどモヤモヤするんだよなぁーみたいなこと、多くないですかね。
    そういうのを排除して、クリアな自分になりたい。

  • 気持ちが安定するために必要なことは、マズローの欲求五段階切にならうべき?

    気持ちが安定するために必要なことは、マズローの欲求五段階切にならうべき?

    最近はずっと、日々、落ち着いて暮らすためにはどのような心持ちで過ごしていったら良いのだろうか、ということばかり考えている。

    今のところ、自分の気持ちが安定するようなもの、一言で言うと「好きなもの」に囲まれて暮らすのが一番大切なように思う。

    私はあまりそれ系の、いわゆる学術的なことを学んでこなかった。
    大学は理系のエンジニアリング系だったし、仕事もIT系だし。

    昨今になり気持ちが憂鬱になりがちだったのをきっかけにして、心理学や瞑想、マインドフルネス、哲学などの本を読むようになった。
    そこで、上記のような考えに耽るようになった。

    そこで、前々から気になっていた、マズローのピラミッドみたいなやつについて考えてみたいと思う。

    NO NAME at Pexels

    マズローのピラミッドみたいなやつ

    詳細はWikipedia 辺りを読んでいただくのが早いのでそちらにお任せしたい。

    最下層には生理的欲求や、安全欲求がある。

    日本では、これら二つについては基本的に多くの人が満たされているように感じる。
    お腹が空いたら何か食べたい、寝たいという生理的欲求や、
    生命の危険を脅かされることなく暮らしたいという安全欲求。
    この辺りについては、あまり深く考えずに、むしろそれが欲求だと気にしない程度に暮らすことができているように思う。

    Lukas at Pexels

    少しずつ気になってくる、第三段階より上のところ

    そして第三段階目辺りから、人によって「欲求を持っている」と強く意識する場所なのではないかと思う。

    社会的欲求と、愛の欲求。

    自分が社会に必要とされている、果たせる社会的役割があるという感覚。情緒的な人間関係についてや、他者に受け入れられている、どこかに所属しているという感覚。愛を求め、今や孤独・追放・拒否・無縁状態であることの痛恨をひどく感じるようになる。

    Wikipediaより

    もしかしたら仕事をしている人や、仲の良い家族と同居している人は、この欲求がそれらのコミュニティによって満たされているのかもしれない。アドラーの提唱した「貢献感」(間違ってたらごめんなさい)も、ここに基づいているような気がする。

    一方で孤独を愛する人もいる。私の敬愛するスナフキンも、その一人だ。自分の世界を持つことで、この欲求については放棄しているのだろうか。ちょっと良く分からない。孤独については、別で詳しく考えたい。

    第三段階が十分に満たせていないのに、その上を満たすことができないだろ

    私がこのブログで書いている「魂を綴る」は、この第三欲求や、その上に当たる「承認欲求」、「自己実現欲求」が多いように感じる。
    私自身、もしかしたら満たされていないと感じていて、それをどのように満たしたいのか、文字にして自分で確かめたいのかもしれない。

    人生は長いとか、短いとか、様々な意見がある。
    私としては人生は長いと思っている。40年くらいでも十分なのではないだろうか。
    そう思っている理由に、もしかしたらこの第三段階からの欲求が満たされておらず、人生が面白くないと感じているのかもしれない。

    人生が面白いとか、面白くないなどは日々受ける刺激から感じるような気がしているが、本来は刺激の少ない人生のほうが穏やかに過ごすことができるだろう。言い換えるとそれは浮き沈みのない人生ということになるのだから、怒りや悲しみを抱いて無駄なエネルギーを消費することなく、落ち着いて暮らすことができるのではないだろうか。
    それだと面白くないという人も中にはいるはずだ。その匙加減は人それぞれだし、価値観だから、それは他人からとやかく言われるものではないだろう。

  • 物欲はなくならないだろ

    物欲はなくならないだろ

    年末にAmazonのセールを見て、そこからトラックボールを買った。
    タイムセールで安くなっていたので、つい、買ってしまった。
    元々マウスは持っていたのだけど、トラックボールを持ってみたかった、使ってみたかったという欲望に負け、買ってしまった。
    後悔をしているかというと、なんとも言えない。
    仕事で使っていて、実際めちゃくちゃ使いやすくて、買って良かったと思っている。

    同じように、在宅勤務が継続的なものとなった今、外部ディスプレイを買った。23インチの。
    これは楽天市場で、確かこれもタイムセール的なタイミングで安くなっており、そこで買ってしまった。
    買ってしまった、と語尾に置く辺り、後悔をしているように思える。

    そう、これについては後悔している。

    元々在宅勤務が始まった時点で、ラップトップPCは貸与されていたし、マウスだって長年使っているものがあった。
    それらを使うことで、外部ディスプレイやトラックボールを買う必要などなかったはずだった。だが物欲に負けた。
    繰り返すが、買った製品自体には非常に満足しており、だから、こんな振り返りをすること自体が時間の無駄なのかもしれない。

    ただ、断捨離系(物理的・精神的)の本を読むと、足るを知るという概念に疑いようもなく、それに照らして考えてみると、やけに無駄なものを買っているように感じる。
    これではお金が貯まらないのは明白だ。
    ものを持つと、それに対する執着が生まれる。
    そして捨てる時に「もったいない、まだ使えるのに…」という気持ちが生まれ、執着しているのだなと感じる。

    そう、執着。
    自分が苦しむ種。
    それを取り払うためには、ものを持たない方向に生活や自分のマインドを寄せていく必要がある。

    人間だもの、たまの物欲くらいはね、という気持ち、良く分かる。
    だけどそれに付き合って生活をしていたら、どんなに広い家に住んでいたってあっという間にもので溢れてしまう。
    そうするとどこに何があるか分からないし、精神的にも窮屈になってしまう。
    自然に後ろ向きになってしまう。
    そしてなにより、物欲はいくら買ったところで湯水のように湧いてくるのだ。
    物欲は悪魔だ。
    だから、どこかでそれを断ち切る必要がある。
    なるべく早い段階で。

    ただ、上述した系の本を読んだところで、「必要最低限で暮らすことから生まれる満足感」を得るにはまだ訓練が足りていない。
    どうやら私はミニマリストになりたいようで、そっち系に気持ちが向かっているのは確かなのだが、物欲があるとついAmazonや楽天を見てしまう。
    2021年はまず、買わないことを念頭に置きつつ、使わないものはガンガン捨てていくという方向で生きていきたい。