怒りという感情は、精神を疲弊させる。
怒りはなぜ生まれるのか。
根本的には「自分の思い通りにいかないこと」があり、その、期待に応えられない事実が生まれた時に、怒りが生まれるように感じる。
事実というものがそもそも存在せず、あるのは解釈のみという考え方に照らし合わせると、期待に沿わない事実というものは自分の偏見が入っているので、それによって怒りを助町させているということも考えられるのではないだろうか。
怒りという感情は、精神を疲弊させる。
怒りをやり過ごした後に残るのは、疲れるということのみである。
または、悲しみなど、新たな別の感情が生まれるかもしれない。
つまり、何もプラスにならない。
だったら怒りを持たない方が良いではないだろうか。
怒りを持たないためには、期待しないこと。
こうなったら良いな、は自分を成長させるから良いけれど、そのこだわりを強く持ちすぎてしまうとやがてそれに振り回されるようになる。
だから、その期待をやわらかく持つ。
そして、期待に沿わない結果が出たらそれをなるべく客観的な目で見て捉え、そして現実は理想と異なるということを自分で飲み込む。
たったこれだけのことで、人生が楽に生きられるようになる。
と、文章で書くといとも簡単なように見えるが、実際にやろうとするととてつもなく難しい。
理想とかけ離れた、そして主観によって捻じ曲げられた現実。
それを受け止めきれない自分の器。
そして、止められない怒り。
私だって毎日のようにその流れを感じている。
多分、訓練が必要なのだろう。
まず理想をやわらかく持つところから始めてみよう。
そうすることで、期待にそぐわない結果によっても、少しずつ、ま、しょうがないか、と思えるようになってくるのかもしれない。
怒りという感情は、精神を疲弊させる。
もしかすると、上で書いたすべてのことを超越するような、「怒りすらも受容する」という取り組みこそが、至上なのかもしれない。