妄想と刺激

あの人は自分のことを嫌いなんじゃないかという、妄想。
いくら制御しようとしても、妄想を止めることができず、どんどん膨らんでいく。
そして最終的には、心を病んでしまったところで、その妄想は止まる。
止めるのではない。止まるのだ。
自分が考えられなくなったところまで行ってしまうから、自発的に止めることは難しい。

だが、ちょっと考えてみたい。
本当に、あの人は、自分のことを嫌いなのだろうか。
きっと嫌いなはず、というのは自分が描いた妄想に過ぎないのだ。
もしかしたら、あの人は、自分のことをそんな風に、嫌いにだなんて考えていないかもしれないのだ。
ただ、自分が、妄想を通して刺激を受けたいがために、その妄想をやめていないだけなのではないか。

生き物は、刺激を求める。
一定の強さで刺激を受け続けると、やがてその刺激はマンネリ化し、もっと過激なものを欲しがっていく。
妄想はやがて、嫉妬となる。
ただの思い込みなのに。
どこかで断ち切るべきなのだ。
あの人は、自分のことを嫌いなのかどうかは関係なく、自分はあの人に好かれるために生きているのではない、という意識を持ち、その妄想を断ち切る。
ゴールは海の底に沈むことではなく、妄想を断ち切り、別の方角にある刺激を受けること。
そっちに目を向けていく。
それには変化を伴う。

人間は妄想が好きで、変化を嫌うから、なかなかそっちには気持ちが入っていかない。
だけど、そっちにしていかないと、深海から出られなくなってしまうのだから、まだ息が続いているうちに、意識を。