深海に潜るために悩んでいない

先日、あるYouTuberのツイートを拝見する機会があった。
彼はそこで「悩んだ時、その先に落ち込んだらそこで終わり、それ以上は悩むのをやめよう」と言っていた。
最終的に落ち込んだら、それ以上悩んでも仕方がないから、と。

それを聞いて、私は、立ち直るために悩むのと、落ち込みたいから悩むという2パターンがあるのか、と気づいた。
落ち込みたいから悩むというパターンの気づき。
悩むのは、立ち直るためであり、落ち込むためでは無いという先入観を持っていた。
ではなぜ、人は落ち込みたいのか。
落ち込む先に、何があるのか。

昨日の投稿みたいに、深海まで落ち込んだ人間は、時として浮上できないことがある。
人間は、というか生き物は、みな死ぬまで生を全うするべく本能を持っているはずだから、その筋で言えば、生を全うしていないように見える生き方は、しないはずだ。
しかし、時として人間はそういう考えをしてしまうことがある。
落ち込みたいという意思は、背景には、自分の行動や思考を内省し、失敗を重たく受け止めたいのだろうか。
それによって、次はちゃんとしよう、という意識の矯正が生まれるのかもしれない。

単純に、落ち込みたい時だってある。
私だってしょっちゅう落ち込んでいるが、それは、私自身が落ち込みたかったから、なのか。
だとすると、自分を肯定するという目線で言うと、その思考を否定できない。
落ち込みを肯定する。
その先、落ち込み続けるのではなく、考えるのをやめる、とそのYouTuberは言っていた。
確かに、落ち込み続けても浮上することが見込めないのであれば、そうすべきであろう。

感情をコントロールするのは本当に難しい。
思考の流れは人によって違う。
なので、本や誰かの考えを参考にし、自分の思考プロセスを徐々に良い方向に持っていく訓練が必要なのだろう。