タグ: 刺激

  • 4月5日

    柏レイソルが快進撃を続けていて、上位にいるのが慣れない身としては、いつか失速するのではないかとヒヤヒヤしている。

    J1の、首位なんて。なにかの間違いだろう。夢なんだと思い込んだり、俄には信じられない。私がサポーターになったのは2018年からだから、まぁ、まだ慣れないというのが実情なのだと思う。

    彼らが勝とうが負けようが、私がどうこうできる問題ではないのだから、そんなことに執着するのは、きっとエピクテトス的には無しなんだろうな、といつも思う。それでも私はレイソルの勝ち負けに一喜一憂し、試合のあった日くらいは気分が引きずられるような感じだ。

    分かってる。別に私の人生に彼らの勝ち負けは一切関係ないことを。だけど私は、と思ってしまう。たぶん、ギャンブルと同じなんだろうなぁ。刺激を求めているのかもしれない。

    いや、きっとそうだな。

  • 社会に対して何の役にも立っていない

    社会に対して何の役にも立っていない

    私、社会に対して何の役にも立っていないのではないかという妄想、あの人、もしかしたら自分のことを嫌いなのかもしれないという妄想、これら全ては反応すべきではないのに、人間だからか、ついそちら側のことを気にしてしまう。

    あの人が自分のことを嫌いだからなんだと言うのだ。
    そもそもあの人の気持ちはコントロール外のことなのだから、気にしないべきなのだ。

    もし自分が社会に対して何の役にも立っていないから、なんだと言うのだ。
    社会とはそもそも何のことだ。
    あなたがそこにいる、それだけで十分ではないか。

    これらの妄想を吹き飛ばす正論はいくらでも生まれる。
    あなたを勇気づけることができる言葉なんて、いくらだって用意できる。

    だけど人間は、妄想してしまう。
    妄想が、期待する刺激を生み出すから。

    刺激をリセットしてみる、というタイトルのブログを以前投稿したことがある。
    人間は刺激に慣れてしまうと、どんどん強いものが欲しくなってしまう。
    だから、そこから逃れるためには、その刺激をリセットする必要があるのだ。

    深呼吸する。
    外の景色を見る。
    花を愛でる。
    自然に触れる。
    こんなレベルの刺激を受けてみて、改めてその刺激を実感する。
    もしかしたら深呼吸からも何かしらの刺激を受けるのかもしれない。

  • 妄想と刺激

    妄想と刺激

    あの人は自分のことを嫌いなんじゃないかという、妄想。
    いくら制御しようとしても、妄想を止めることができず、どんどん膨らんでいく。
    そして最終的には、心を病んでしまったところで、その妄想は止まる。
    止めるのではない。止まるのだ。
    自分が考えられなくなったところまで行ってしまうから、自発的に止めることは難しい。

    だが、ちょっと考えてみたい。
    本当に、あの人は、自分のことを嫌いなのだろうか。
    きっと嫌いなはず、というのは自分が描いた妄想に過ぎないのだ。
    もしかしたら、あの人は、自分のことをそんな風に、嫌いにだなんて考えていないかもしれないのだ。
    ただ、自分が、妄想を通して刺激を受けたいがために、その妄想をやめていないだけなのではないか。

    生き物は、刺激を求める。
    一定の強さで刺激を受け続けると、やがてその刺激はマンネリ化し、もっと過激なものを欲しがっていく。
    妄想はやがて、嫉妬となる。
    ただの思い込みなのに。
    どこかで断ち切るべきなのだ。
    あの人は、自分のことを嫌いなのかどうかは関係なく、自分はあの人に好かれるために生きているのではない、という意識を持ち、その妄想を断ち切る。
    ゴールは海の底に沈むことではなく、妄想を断ち切り、別の方角にある刺激を受けること。
    そっちに目を向けていく。
    それには変化を伴う。

    人間は妄想が好きで、変化を嫌うから、なかなかそっちには気持ちが入っていかない。
    だけど、そっちにしていかないと、深海から出られなくなってしまうのだから、まだ息が続いているうちに、意識を。