過去と他人は変えられない、けどついクヨクヨしてしまう

過ぎてしまったことをいつまでもクヨクヨするのって思考プロセスのバグなんですかね。
「過去と他人は変えられないんだよ、だから自分の中で変えられる未来にだけフォーカスしよう」という言葉と出会ってからは、過去、やってしまった過ちをいつまでも掘り起こしてウダウダしそうになったら、そこで思考をストップして、違うことを考えるようになりました。

性格というか自分の考え方のクセってなかなか変わらない

性格ってなかなか変わらないよな、と思う一方、こういう思考プロセスってクセみたいなものなので、訓練でどうにでもなるんですね。そういうのに気づくまでに、数十年もかかってしまいました。つい、最近気づいたと言っても過言ではないような。反応しない練習とか、禅的思考みたいなものを読んでいるうちに気づいたというか。思考なんてものはほとんど無意識の段階で動かしているものだから、「自分がそう思い込んでいること」に対して気付けないのが普通なのかなと思います。普通なんだけど、例えば、自分がクヨクヨしてしまいがちな性格の人は、他人から言われたことに対して「それを真正面から受け止め」、「適正な受け取り方を超えて過剰に反応して」しまい、そしてクヨクヨしてしまう。真正面から受け止めるところを、少し斜に構えた状態で受け止めるとか、そういう考え方を変えてみるってのが重要なんだよな、と思いました。

最近あったこと

最近、私の心を揺さぶるような事件(と書いてしまうと大袈裟で、そこまでデカい話ではない)が起き、それは私の仕事上起こった失敗のようなものなんですが、自分でなんとかできたかもしれないけれど、結果的に失敗してしまった、と。それが起こった時から、引きずっています。最近、仕事で失敗ってしなかったから、久しぶりの状況に動揺している感じで。大切なのってその後のリカバリーだから、早いとこ忘れて(根っこだけは覚えておく感覚)、次に向けて頑張ろう!と自分に気合いを入れるべきなんでしょうけど。まだもうちょっとクヨクヨしたい感じで、それがなぜかは分からず、そんなのに引きずってもなんの意味もなく、気持ちを切り替えて前に進めていくべきなのにな、という状態で。浸りたい、と言うのは果たしてなんの目的があって、そうしたいと思っているのか。誰がどう考えても、切り替えて前に進むべき、それは間違いのないことなんだと思います。
そうだよな。書きながら、考えを変えました。つまらぬものにクヨクヨしていてもしょうがないだろ、と。