相変わらず風が強い。
春ってこんなに風の強い日が続くんだっけ、と曇り空を眺めながら思った。
今にも降り出しそうな空だ。雨は洋服が濡れるから嫌いだ。
ついさっき立ち寄った定食屋に、読みかけの文庫本を忘れたことに気づいたのは、店を出てから数時間経った後のことだった。
ぶらぶらとウインドウショッピングをしていたが足の向きを変え、定食屋へと向かった。
店は準備中という看板が掲げられていた。腕時計を見ると15時40分、確かにこの時間に休憩をする食べ物屋が多い。
思い切ってドアを開けてみる。すると鍵がかかっておらず、客のいない店が視界に開けてくる。
店には店主がカウンターに座っていた。手元に吸いかけのタバコと、俺が忘れてった文庫本があった。
「すみません、その本を忘れてしまって」
と私が言うと、
「あーそうだったんですね、ちょっと面白いところに来たので、少し借りれませんか?今度来られる時までには読み終えておくので」
と返ってきたので、思わず驚いた。俺としては同じ価値観を持ってもらえたことが嬉しく、
「わかりました、いいですよ」と言い、
「タバコ、私も一服していっていいですか?」と女性店主の隣に座った。
「これサービスなんで」
と焼酎グラスに氷と烏龍茶をどぼどぼと注いだものを出してくれた。早足でこの店まで来て、少し火照ってしまった身体に、冷たさが染み渡る。
ぼんやりと厨房の方を眺めながら、タバコを吸う。吸って吐く、を2回繰り返すと、気持ちが落ち着いてきた。
「お客さん、この辺にお住まいですよね?いつだったかランニングしてるとこをお見かけしたことがあるんすよね」
おそらく私のことだろう。いつ見られたのか。首肯しながらそうですね多分、私ですと言ったら、私も近くなんですよ、と店主は言った。その時は食材の買い出しを終え、とても重たい荷物を持ちながら店に戻ろうとしていた時で、颯爽と駆けてくるのが見えて様になっていた、と続けて言った。
タバコを1本吸い終え、翌週の週末あたりに食べに来る約束をした。店主はその頃には読み終えておくようにします、と言い、私は店を去った。
もしかするとこれが常連を掴む手段かもしれないと感じたが、その手口に乗っても良いかな、と思った。
服についたタバコの匂いを、春の強風が吹き飛ばしていく。