6月3日

あっという間に、日常がすぎていく。
つい最近書いた気がするけど、仕事に没頭されて終業後の夜時間すらも一瞬で過ぎ去っていくという程度のノリ。

こうやって、43歳っていう私の時代も、大した記憶が残らずに過ぎ去っていくんだろうなぁ。

仕事が忙しいとか、お酒をたくさん飲めるとか、ご飯を胃が痛くならずに食べられるとか、身体が健康だからやってられるわけで。
そのことを蔑ろにしてしまってはいけないなぁと思うのよね。

もしかしたらこの日記を書いている途中に気持ちが悪くなり、病院へ運ばれ、そのまま還らぬ人になってしまう可能性だってあるのだから。

健康でいたいんだろうか、自分は。

つい最近、ある人と話している中で、ここでも何度か書いている「もう死んじゃっても構わない、決してそれは後悔していないという体ではなく、どちらかというとネガティブな意味での諦観」みたいなことを話したら、何がしたいのか分からない、そうしたいんだったらそうすればいいじゃん、って言われて、

それは流石に凹んだよね。
別に、「死んでほしくないよ!」って言ってほしいわけではないんだけどさ、止めて欲しかったっていうか。
なに他人よがりになってんだ、って話ではあると思うんだけど。

自分に課せられたことは、ただ一つ、生きることだと思うんだけどね。
そこからさらに、子供を育てるとか、自分のやりたいことを実現させるだとか、そういう面でのあれやこれやは出てくると思うんだけど、

結局、諦観っていう視点葉、なくなることはないんだよなぁ。

これって良いことなんだろうか。