いつか別れる

家族に限った話ではないが、今、私がつながりを持っている人間は、今だけしかそのつながりが確約されていないということ。
絆、って書いちゃうと日テレの黄色いTシャツを思い出してしまうので、そっちには寄せたくないので、あえてつながりという言葉を。

シンプルに、寂しいなぁ、離れたくないなぁ、という気持ち。

人生に別れはつきもの。出会いと同じくらいの頻度で、別れがやってくる。

もう二度と再会できない死別というものは、とても辛い思いを纏う場合がある。
再会できる場合としても、物理的にとても遠い場合や、近くとも他の物事に押されてしまい優先度が下がる場合など、多々ある。

ぼんやりと考える。

私は、いつ死ぬか分からないから、自分の思いが強い人とはなるべくたくさん、会っておきたいというエゴな気持ちが芽生えてしまう。
たくさん会ったところで、その、いつか別れるという予測からやってくる「淋しさの先取り」は薄れることがないのに。

数か月前、長男が遠くの国で暮らす夢を見たことがあった。
18歳くらいの彼。
今は12歳なので、ちょっと未来の話。
東欧の、空気の乾いた、少し色褪せた風景の、やたらデカい施設で働いていた。
その彼に、妻と二人で旅行がてら、会いに行く夢だった。
今とは明らかに違う、口数の少ない彼。
ランチを共にし、1時間程度一緒の時間を過ごし、あっという間に別れの瞬間が訪れ、そこで私はとても淋しい思いを抱きつつ、彼と別れた。
私は号泣しながら、目を覚ました。

今、私は彼と同居していて、早ければ数年後、大学入学のあたりで家を出る可能性があるので、夢の中で抱いた淋しさは、そのタイミングでやってくるのだろう。

この夢、もしかしたら、私の両親から見た、私のことなのかもしれない。
思い込みだろうけど、そんな風に考えてしまう。
両親から甘やかされて育った(と思ってる)自分は、両親から優しさを一番に受け継いだ。
彼らは優しい。めちゃくちゃ優しい。
そして人とのつながりを大切にする人たち。
無論、子供として育ててきた私が、あの家から離れると決めた時、ものすごく淋しい思いを抱いたのだろう。
彼らの気持ちを考え、意図せず悲しい気持ちになってしまう。

そんな彼らの気持ちとは裏腹に、今は、隔月程度で帰省し、両親に会いに帰る。
1年で6日~7日。
これが多いとか少ないとか、人によって感じ方に違いはあるだろうけど、まぁ、そういうもんだから、と優しい両親は考えているかな、と彼らのことを慮る。

そういう見方をすると、私は、「家から出た人間」と、「これから家を出る予定のある人暮らす人間」、両方の目線で考えるのだな。

子供たちについて、考える。
彼の人生を奪うことはしたくないから、私の「別れたくない」という気持ちは、優先すべきではないと考える。
考える、けど、淋しさをなんらか別のもので埋め合わせるなどしないと、自分が崩れてしまいそうな気がしたりもしている。
彼に、家族に執着しているということになるのだろう。
頭では、執着すべきではない、彼の、家族の人生を奪うべきではないと考えている一方で、心は、彼らと離れたくないという気持ちを抱いている。

きっと、家族が好きということの現れだと思うけど。

一方で、私がたまに抱く、この世から離れたいという思い。
我儘だよなぁ。家族や、私を取り巻く関係の人たちと別れたくない、ずっと一緒にいたいと思いながらも、自分は別離を求めるという我儘。
ずっと一緒にいたいと思うのならば、自分はこの世から離れるべきではないだろ。

いや、違う。
優先度がつけられていないだけか。
彼らと別れたくないと、この世と別れたいを。
そんなん、時と場合によるからなんとも言えないけど。