この間、残業して帰ったらさ、駅前のセブンのとこで酔いつぶれて寝っ転がってるおっさんがいてさ。すげぇ見苦しかったんだよな。
春になると出てくるよなぁそういうおっさん。恥ずかしくないのかね、っていっつも思う。
俺もそう思ったんだけどさー。けどそのおっさん、めっちゃ気持ち良さそうに寝てたんだよね。
で、気づいたんだけど、これももしかしたら幸せの形として定義してもいいんじゃねーのか、って。
確かにね、周りの俺らからすると「しょうもねぇおっさんだな」と思うけど、本人からするといい感じに酔っぱらって寝っ転がってる訳だから、死ぬとかじゃなければむしろ幸せなのかもしれないな。
幸せの形は人それぞれだからさ、
お酒を飲む人だったら分かると思うのですが、いい感じに酔っぱらうと、現実の面倒な問題がぼんやりとしてきて、とても幸せな気分になることがあります。
分かるんですよ、根本的な問題は無視してるから、酔いが醒めたらまたその問題と対峙していかなきゃいけないのだから、それが一時の幸せだということを。
だけど、いや、現実の問題が一筋縄ではいかないものだからこそ、お酒を飲んで、休息して力を貯め、またぶつかっていこうという気持ちが芽生えるのではないのでしょうかね。
お酒を飲まない人でも、現実逃避のための趣味だとか、そういうものに没頭することで、現実から目を背けるという気持ちには理解できる部分があるのではないかと思います。
現実逃避することが幸せの形とは言いませんが、それでも、一時休戦として現実から逃げることは、束の間の幸せにはなりますが、エネルギーを貯めるタイミングとしては必要なものなのではないでしょうか。
やりたいように生きることの是非
何度かブログに書いていますが、生き甲斐というのは、いかに「自分が機嫌良く暮らしていけるか」ということに尽きるのだと思います。
そのためには、上述した「根本的な問題」を解決するのはもちろん必要ですが、それを解決するために力を貯める時間と言うのも、生きていくためには必要なのではないかと思います。
現実逃避と言うのは、もしかしたら忌避すべきものなのかもしれません。
私は以前、現実逃避は根本的な問題を解決するものではないから、まったくもって意味のない行動だと思っていました。現実逃避をしたとしても、根本的な問題は解決していないからです。
だけど、根本的な問題を解決しようとするエネルギーを持っていない時には、むしろ現実逃避というのは必要な措置だと思います。
人間だもの、いつでもパワー全開ということではないですからね。
前を向いて生きていくべきですが、前を向く元気がない時は、時折足元を見て自分の靴紐が緩んでいないかを確かめるのも、きっと必要なことです。