心の余白を

日々、自分に降り掛かってくるいろいろなものに対して反応し、その度に疲れてしまう。
余裕を持っておけばそんな反応が小さな波くらいに感じるんだからさ、常に余裕を持っておこうよ、と思うのだけど、その当時は余裕なんかを持っていないから、イライラしたり、クヨクヨしたりしてしまう。

常に口笛を吹いているようなと言ったのは小学校六年生の時に私を受け持った担任による、最後のはなむけで、それも同じように、余裕がない時にその言葉を思い出すことができない。

ほんとうに、今、必要なのは今、という時に、思い出せないんだよね。悔しいよね。
これが自分の器なのか、って思っちゃう。
悔しいけど、その時には思い出せず、後になって「もっと余裕を持っておけば良かった」と後悔する繰り返し。

だからこそこういう日記を定期的に書くべきで、自分は文字を書き、それを目視することで理解する人間だから、地道にその作業を繰り返していく必要があるんだろうな。

違う

反応しない練習で理解したように、降り掛かってくるいろいろなものに反応しないことで、心に余白を作っておこうということすら不要なのかもしれない。
反応してしまうのは悔しいから、悲しいから、それをもっと研ぎ澄ませていくと自分の思い通りにならないから、で、それは自分の行動や、他人の言動、行動がもたらす結果が、自分の思い通りにならなかったから、で、だからそもそも、自分の思い通りにいくことなんて100%なわけないのだから、そうならなかったとしても、それはそれとして事実として受け入れ、反応しないようにマインドコントロールをしていく必要があるのだろうな、うん。

反応したとしても、余裕を持つことで、そんなこともあると受け入れるのか。
反応せず、ただ、受け入れるのか。

結果としては一緒になるのか。そこに至るまでのプロセスで、反応することが追加されるかどうか、なのか。