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  • 心の余白を

    心の余白を

    日々、自分に降り掛かってくるいろいろなものに対して反応し、その度に疲れてしまう。
    余裕を持っておけばそんな反応が小さな波くらいに感じるんだからさ、常に余裕を持っておこうよ、と思うのだけど、その当時は余裕なんかを持っていないから、イライラしたり、クヨクヨしたりしてしまう。

    常に口笛を吹いているようなと言ったのは小学校六年生の時に私を受け持った担任による、最後のはなむけで、それも同じように、余裕がない時にその言葉を思い出すことができない。

    ほんとうに、今、必要なのは今、という時に、思い出せないんだよね。悔しいよね。
    これが自分の器なのか、って思っちゃう。
    悔しいけど、その時には思い出せず、後になって「もっと余裕を持っておけば良かった」と後悔する繰り返し。

    だからこそこういう日記を定期的に書くべきで、自分は文字を書き、それを目視することで理解する人間だから、地道にその作業を繰り返していく必要があるんだろうな。

    違う

    反応しない練習で理解したように、降り掛かってくるいろいろなものに反応しないことで、心に余白を作っておこうということすら不要なのかもしれない。
    反応してしまうのは悔しいから、悲しいから、それをもっと研ぎ澄ませていくと自分の思い通りにならないから、で、それは自分の行動や、他人の言動、行動がもたらす結果が、自分の思い通りにならなかったから、で、だからそもそも、自分の思い通りにいくことなんて100%なわけないのだから、そうならなかったとしても、それはそれとして事実として受け入れ、反応しないようにマインドコントロールをしていく必要があるのだろうな、うん。

    反応したとしても、余裕を持つことで、そんなこともあると受け入れるのか。
    反応せず、ただ、受け入れるのか。

    結果としては一緒になるのか。そこに至るまでのプロセスで、反応することが追加されるかどうか、なのか。

  • 無いものねだりなのかな

    無いものねだりなのかな

    ここ数日、どうにもこうにも気持ちが上に向いていかず、家族以外と会うの、ちょっとキツいかな、、と思っていて、週末に飲みの予定が入っていたのだけど、泣く泣くキャンセルする羽目に。

    自分のせいです。ごめんなさい。

    本当は家族と話すのすらもちょっとな、、と思っている状況なのだけど、家族とは喋っていないといけない状況が多々あるからそこは頑張っているのだけど、本当は、一人でいたい。

    家族から救われることだってあるのだから、そこは持ちつ持たれつでしょと思いつつも、上に向けていこうという気持ちの落とし所が見つかりません。

    人間は生まれてきた時も、死んでいく時も一人なのだから、孤独とは常に寄り添っているはずで、自分自身と話し合う時だって孤独なのだから、その瞬間を大事にすれば良いのだと思います。
    ただ私の場合は自分自身と話し合うのは周りに誰もいない時に行いたいので、常に家族の誰かがいるような状態だとそれを確保するのが難しい。
    まぁ、そこは理解のある家族なので、ちょっとの間一人にさせてほしい、とお願いすればその状況は作れるのですけれど。

    そうすると私は「家族みんなで一緒にいないといけないんじゃないか」的な考えを持ってしまい、思考がぐるぐると巡ってしまい、何がしたいのか分からない状態に陥ってしまうのです。

    めんどくせ、って思う。

    多分、シンプルに、「〜しちゃいけない」って思考をやめたらいいんだと思う。

    一人になっても良い。
    こうやって自分を肯定することで、私は私の行動に対してケチを付けることなく、自分のやりたいことを思う存分できるのではないか、と。
    制限をかけているのは自分自身。

    家族といると一人になりたいって思うし、
    きっと独り身だったら誰かと一緒にいたいって思うだろうから、私は無いものねだりなんだろうなぁ。
    現状に満足していないということなのかな。